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脚本・ストーリー 4.1 /5.0(81.2%) | 286位 /1193件中 |
キャスト 4.5 /5.0(89%) | 213位 /1193件中 |
演出 4.2 /5.0(83%) | 210位 /1192件中 |
音楽 4.0 /5.0(79.6%) | 242位 /1193件中 |
感動 4.1 /5.0(81.8%) | 92位 /1188件中 |
笑い 3.8 /5.0(75.4%) | 182位 /1188件中 |
スリル・興奮 3.9 /5.0(77.4%) | 230位 /1185件中 |
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戦争に行った崇と結婚と死別を経験したのぶ、失意の中で静かに語り合う2人は確実に大人になったね。のぶが秘めた思いを自分の気持ちを整理するように語る場面、全てを受け入れ静かに聞いてくれる崇との相性がいい。次郎さんもやきもち焼いちゃうかもしれないね。千尋くんは亡くなってしまったけれど、愛する人のために生きたいという言葉だけでものぶに伝えることができて良かった。シーソーは1人じゃ楽しめない乗り物、いくら待っても千尋くんはもういない現実が見えて悲しかった。
嵩のいう通り「正義」なんてものは曖昧で、時代で変わっていくもの。
近代はある意味「人権」でもって「正義」を規定しようとしてきたと言える。王から「人権」を勝ち取り、定義し、それを世界共通の「正義」としたのが今の時代だ。よく「一方の正義は一方の悪」と単純化する人がいるけど、そんな簡単なものじゃないのは、人はなんでも都合よく解釈する生き物だから。
嵩の言うような正義が「アンパンマン」に結実しているのだとすれば、そういう視点でもう一度「アンパンマン」をみてみたいなと思う。
のぶの死にたくなるような心の痛みはわかるけど、まさに自分が生きて戻るよう言葉をかけ、死地を乗り越え帰ってきた嵩の言葉だからこそ、胸に届いたのだろうね。
嵩は自分なりの戦争に対する答えを見つけたんだな。
正しい戦争なんてない。
正義なんて簡単にひっくり返る。
千尋へのコンプレックスを抱えて、自分が戦死した方が良かったのではないかとまで考えた嵩だから、失ってよい命なんてないという言葉が重い。
いろんな人たちの思いを背負って生きる。
そんな嵩の覚悟が見えた。
一人っきりのシーソー。
あそこに座ることで、いろいろ思い出すだろうし、きっと今日の決意を新たにできるんだろうな。
次郎さん、あの食糧難の時代だから海軍病院に入院していたところで栄養も薬も足りなかったんだよね。
もう少し、あと数年後だったらと思ってしまう。
のぶも近寄らないように言われていたのだろうけれど、さすがに危篤だとそばで手を握っていて。
もっと早くそうしたかっただろうなと思うと哀しい。
教師もやめてしまって、次郎さんも失ってどうやって生きていくのだろう。
残されたフィルムを現像したら、何気ない日常ののぶの笑顔がたくさんあって。
次郎さんの写真はピンボケだったけれど、あって良かった。
嵩は千尋の方が生き残るべきだと思ったようだけれど、釜じいが言うようにどちらも失われてよい命じゃない。
千代子さんが怒るのも無理ないと思う。
崇が帰ってくるタイミングで次郎が退場になるのはなんだかなと思っていたけど、失意ののぶとやっとの思いで帰ってきた崇が同じ空間にいながらお互いに気付かないシーンがとても良かった。あそこで会ったら興醒めしただろう。のぶは次郎を亡くしたけれど、戦地でどんな風に亡くなったかさえ分からない人たちが大勢いる中では今際の際に会えたことや名前を呼んでもらえたことなど不幸中の幸いかな。それよりも釜じい、崇を見るなり千尋のことって崇の生還をまず喜んでやらんかい!
やっぱりのぶよりも蘭子の方がお姉さんっぽいね。
のぶは次郎に強く愛されていたのがわかる写真ばかりだ。
嵩の方だけど、たとえ思っていても口にしてはいけない言葉がある。おばさんたちに対して聞かせる言葉じゃないと思うよ。残された兄弟として、嵩しかわからない感情だからこそ、ひとりで噛みしめるしかない。
次郎のように生きたくても叶わなかった人たちを思えば、嵩はまだ何でもできるのだから。
戦時中、愛国の鏡とまで言われたのぶだから、さぞかし敗戦とともに肩身の狭い思いをしたことだろう。
祖父が千尋の2つ下で京大へ行っていて、戦後すぐに教師になったころの話を少しだけ聞いたことがある。
今まで自分が受けてきた教育とまるで違うことを教えなければならなかったこと。
今まで、男女別で教育を受けてきていたのに、女子高に赴任した同級生は真っすぐ生徒を見ることができずに上ばかり向いて講義をしていたこと。
そんな話を聞けたのも苦労ではあっただろうけれど、先が明るく見えていたからだろう。
責任を感じて教職を退くことも、新たに教員として働くこともどちらも苦難の時代だったのだ。
次郎は自分のことは語らない。きっと語れないのだ。
船の上から結末はわかっていたけれど何もできなかったと、ひと言それだけ。
残された速記で書かれた手帳に何が書かれているのだろう。
一生懸命未来を見ようとしていた人だから、手帳の中だけでも自由に未来が描かれていたらいいなと思う。
のぶの退職はやむを得ないと思う。戦前中教育の「お国のため」の背後には、東条英機の「戦陣訓」にある通り「生死利害を超越して全体の為己を没する」ことが求められる。要するに国のために死んで来いということだ。教科書を黒塗りにして隠したところで、教師として責任を感じるのは当然のことだろう。
ただ辞めずに教師を続けるものもいたから、日本の高い教育レベルが維持された面もある。そこは評価すべきで、戦後教育の光と影の部分だね。
そして次郎が危篤との電報。
のぶの戦後はいろいろ失うことからのスタートです。がんばれ。
日本が勝つ!とか末期になればなるほどのぶの中でも揺れる思いがあったんじゃないかな。崇バージョンが多かったけど、その辺ののぶの気持ちの変化や本心が聞きたい気がした。兵隊を行かすだけ行かして補給をしなかったり怪我や病気になった人を直ちに国に送り返さなかったりと国民をなんだと思っていたのだろう。アンパンマンにとって戦争は切っても切り離せない事柄だからここまでじっくり見せたのだろう。来週から戦後が始まる。千尋くんは‥やっぱり帰らないのだろうか。
このところ戦争の話で気が滅入る。
でも、現実にあったことだし、昔は夏になるとドラマをやったり、祖父母に話を聞く宿題があったりした。
それなりの年齢で自分事として戦争を体験した世代の多くが鬼籍に入り、耳にする機会も減ったから貴重な存在だと思って覚悟して見ている。
自分のことは語りたくない次郎さん。
次郎さんの言っていたことが正しかったと言われた時、少し顔が歪んだように見えた。
ほんの少しの間でも思い出すのがつらい体験をしてきたのだろう。
玉音放送の時に少し口角が上がったように見えた八木上等兵は何を思っていたのだろう。
終わったよ、よかったねとはこのドラマはならないだろう。
のぶの放心した顔が頭から離れない。
空襲はもちろんだけど、私の祖母は戦闘機の機銃掃射に狙われ、畑に隠れて助かったと話していた。本土決戦になんてなっていたら、各地で沖縄のような悲劇がやまほど起こっていただろうね。終戦まで朝田家が戦死者を出さずにすんだのは、女性ばっかりだったから。もし本土決戦になっていたら彼女たちもどうなっていたかわからない。
次郎は肺浸潤か。さまざまな肺の病気に付随して起こるし、蘭子は肺病(結核)ではないと言ったけど、当時だと結核の初期症状の可能性もある。残念だけどそろそろ退場の時期かな。次郎のような人こそ、元気だったら自由に活躍できる時代が来たのにね。
八木の葛藤はまさに戦争の本質をついている思う。
こんな時代だから、生き抜くために卑怯者となることも、岩男のように命令を忠実かつ正直に実行することも、簡単に「悪」だと断定することはできない。
そもそも他者を傷つけ、他者の物を奪うのが戦争だから、どんな綺麗で高潔な理想があろうと、そこに「正義」なんてものはない。そんなのはただの自己正当化だ。本来「悪」を成してもやり遂げるのが戦争なのだから。
嵩もどこかで、誰かに向けて銃を撃ったはず。岩男は嵩であったかもしれないし、八木やケンちゃんだったかもしれない。
それを忘れてはいけない。
飢えは人を変えるか。丸一日ですら食べ物がなかった経験がない自分には想像すらできない心理状態だ。武器を持っていたら人をも襲ってしまうのかもしれない。そして戦争も人を変える。幼く人懐っこいリンの心の中にあれほど渦巻く憎悪があったなど誰が予想していただろう。抱き合った後から目つきが変わり幼い手に銃が握られる。いつか殺してやると思っていたのだろうか。敵はいつどこにいるか分からないのが戦争なんだと思い知る。崇が変わらないのが救いだ。
リン少年が使っていたのはモーゼルC96ないし中国製のコピー。となると岩男の持ち物ではないだろう。要するにリン少年は確信犯として銃を用意していた。まだ背景はわからないが、日本兵への復讐なのかもしれない。
大義名分や思想うんぬんは国家レベルでは必要だろうけど、個々の市民は目の前で起こる事実がすべて。どんな立派な思想があろうと大切なものが破壊され、大切な人を失えばただの敵だ。そこにいまだに戦争や悪意が連鎖し続ける理由がある。過去の悲劇が次の悲劇を生む。
また兵站を軽んじた陸軍の飢餓はひどかった。藤原彰によれば飢餓の結果による病死も含めた広義での餓死者は140万人で、全体の61パーセント。私の祖父も終戦で中国大陸から戻ってきた姿は、祖母いわく「餓鬼のようだった」そう。
でも後方で無謀な作戦を練っているだけの連中は、少なくとも飢えなど無縁だった。今も米価なんて気にしない議員さんたちがいるけど、いつの時代もお偉いさんたちは口先だけで無責任だ。せめて自分たちが始めた戦争の責任をとって、死ぬときには全財産を国や自治体や慈善団体に寄付するくらいして欲しかったね。
双子の島には戦争なんかやめて仲良くしたいという嵩の願いを感じる。
中隊長はあまり気に入らなかったようだけれど、八木の口添えで紙芝居は上演される。
八木はどうして紙芝居を評価したのだろう。
八木も嵩と同じようなことを考えていたりするのだろうか。
現地の言葉もわかるようだし、どういう背景があるのか気になる。
翻訳が現地の人が楽しいように改変されてたけれど、それすら受け入れる嵩。
よくよく戦地に向かない人だなと思う。
八木と通訳のおかげでなんとか紙芝居はうまくいったけど、やはり違うの歴史の違う国民だから物語の感じ方だって違うからね。皮肉だけど、勧善懲悪の話なんて、むしろアメリカ的だ。
何にせよ戦局は悪化の一途。戦争は兵站で勝つと言うのに、石油や鉄どころか、食料さえ危ういのに勝てると思う方がどうかしている。
けんちゃんをはじめ、嵩以外もどうなるか心配だ。
嵩が健ちゃんと一緒にいるのは少しホッとするのだけれど、状況が厳しいのは仕方ないか。
宣撫班という言葉は初めて知ったけれど、地元の人たちの協力を得るための工作は聞いたことがある。
紙芝居に反発して暴動が起きていたけれど、嵩の考える紙芝居は上手くいくのだろうか。
そもそも厳重な審査があるらしいし、そこの方が難しいのかも。
ただ、戦争前の当地を書いたお父さんの手帳がここで役に立つとは。
嵩にお守りだと持たせた千尋のセンスが素晴らしい。
このところのぶちゃんの話が脇に置かれがちなのは時代的に仕方ないのだけれど、そろそろ内地の様子も覚悟しないとだ。
宣撫班でどんな紙芝居を仕上げるのかわからないけど、これも八木の配慮が垣間見えました。同じ井伏鱒二を愛する文学青年として、よほど感じるところがあるんですね。
いわゆる大東亜共栄圏は、満州での五族協和と同じく、スローガン先行で中身が伴わなかった。非白人による共栄共存という思想は悪くない。今ならASEANにつながるものがあるしね。でも実際は白人国家の代わりに日本が植民地にするというもので、それはその地の文化や歴史を無視した白人の植民地支配のやり方と大きく違わない。特に中国にとって日本は歴史的に朝貢してくる下位の国だからね。メンツを重んじる国だし、受け入れられるはずがない。
国家の三要素は「領土」「国民」「主権」だけど、いくら「領土」を奪い、「国民」を従え、「主権」に干渉できても、歴史や文化を無視することはできないという実例なんだと思う。
今週はほぼのぶちゃんの出番がなかった珍しい1週間でした。崇側だけを見ることでより故郷から離れていることを実感できたし厳しい現実も見ることができたので良かったと思います。千尋くんの言っていた同調圧力もこの時代には確かにあったし、そのために亡くなった命もたくさんあったでしょう。この戦争がなかったらを繰り返す千尋くんが哀れでした。人一倍気を使う千尋くんが人妻であるのぶを捕まえにいくと言うまでになる。いろいろ振り切れなきゃ戦場なんで行けないのでしょうね。
八木の言葉は重いね。「卑怯者」というのは彼らしい表現だけど、戦争経験者が口をそろえたように言うのは、「勇敢な者」とか「優秀な兵」から先に死ぬという話だ。武勇に優れた「個」が戦局を変えるなんていうのは源平合戦の頃までで、戦国時代だって歴戦の勇将の槍より、農民あがりの鉄砲隊の方が脅威だった。ましてや太平洋戦争では、一隻の大和よりも百の航空機の方が勝る。その他大勢の中にうまくまぎれていれば、ひ弱な鰯だって生き残れる。
ここからはのぶたち内地の者を含め、安心安全なところなんて無くなる。大切なものを守ろうとして戦争したのだとしても、結果としてその大切なものをどんどん傷つけていくのだから、つくづく戦争っていうのは愚かしいね。
今日の千尋くんと崇のシーンはあんぱんの山場とも言うべき名シーンだったと思う。アンパンマンの歌の歌詞がそっくりそのまま出てきたのには驚いた。まだ何者にもなっていない前途ある若者が散っていった戦争。卒業さえも繰上げなんて一体何を考えているのか。千尋は自分の任務を勉強すればするほど生きて帰れるなんてことはないだろうと悟っていたのだろう。行きます!と言った千尋はもう戻らないのかな。愛する人のために生きたい!なんて涙なくして見られなかった。
学友たちの雰囲気を見ていて、自分だけが行かないとは言えないというのはわかる気がする。
こんな風に命にかかわることでも、周りからの期待は大いにあっただろうし、どうにも逃げられないなら自分で選択したと思いたいというのはあると思うから。
嵩の前での心の底からの叫びは、当時の若者の叫びであっただろう。
愛する国のために死ぬのではなくて、愛する人のために生きたい。
生きて戻って自分の人生を歩いて欲しいと心から願う。
千尋は駆逐艦か。船底でのソナー作業となったら、もし雷撃(魚雷攻撃)されたら脱出できないし、まず助からないね。嵩の表情が変わったのは、その危険さを理解していたからだろう。
潜水艦は次郎が乗るような輸送船を狙って単独行動をしていることが多く、駆逐艦はその潜水艦を排除する用途でも使われた。でもだからこそ逆に雷撃されたケースも多い。駆逐艦は機動力はあるけど、装甲は弱い。隔壁も日本の軍艦の弱点と言われていた。私の親族にも海軍の尉官で駆逐艦をはじめ乗船が3度も沈んだ人がいるけど、多くの人は1度目か2度目で戦死したから、自分は本当に運が良いと言っていた。
千尋の思いは十分伝わった。でもだからこそ切ない。助かって欲しいけど、今のところ戦死する可能性は次郎の次に高い状況だろう。
不寝番なのに寝てしまい試験を受けられないかと思ったら温情で受けられ、甲種ではなく乙種での合格。
ドラマっぽくあるが、実際のやなせさんもそうだったと聞いて驚いた。
軍隊は厳しかったと聞いているけれど、そういう温情を入れる余地が残っている時代だったのか。
それとも、それほどまでに幹部候補が足りなかったのか。
これで部隊の最下層から抜け出して少しは立場が良くなった。
それでも変わらないと八木上等兵は言う。
変わって欲しかったのか、変わらないことを確かめたかったのか。
千尋が史実通り海軍士官となって登場。
ということは、、、先を考えると悲しくなる。
赤紙一枚で徴兵されるとか町の人総出でお見送りとかそういうシーンはいろんなドラマでたくさん見てきたけれど、その後その人たちがどこでどうやって訓練したり戦場に行ったのかまでは知らなかったからとても興味深い。意に沿わなければ殴って言うことを聞かせることが一般的だった時代に崇は新しい上官になるだろう。それが八木の思惑だったのだろうか?それにしても今まで散々殴ってきた人が酒瓶持って許してくれと言うなんて理不尽だよね。一緒にお酒は飲みたくないな。
自分勝手で子供をほったらかしの母親が、突然、息子に愛情を爆発させたり、昨日まで残酷だった先輩兵が急に善人になったり、戸惑う。
そうなる大事な伏線見逃したのかな。
軍隊に限らず、組織での言動と個人としての言動が違うなんていうのは、当たり前のこと。ましてや乙種とはいえ嵩は伍長になったわけで、ここでやりすぎると、もしも嵩が更に出世したら、かつての恨みで不利に扱われるかもしれない。だからこういうのは自己保身もあるんだよね。
次郎からの手紙にのぶは何を思うんだろう。戦争前の昭和16年には各分野のエキスパートがシミュレーションして、日米開戦なら敗戦必至という結果が出ていたし、軍部もそれを知っていた。それを知らなくても優秀な人たちは結果が予測できていた。
優秀な千尋だから、それをわかっていたんじゃないのかと思ったんだけど、招集ではなく志願するとはね。何か考えがあったのだろうか。
軍の中は理不尽もたくさんあるけれど、ある部分公平だったりするんだよね。
嵩のように恵まれた環境からだと理不尽さが勝つのだろうけれど、食べることにも困るような育ちだと毎日食べられるだけでも天国だし、ある意味虐げられてきたから理不尽なアレコレも気にならないレベルかも知れない。
八木上等兵が嵩を班長の担当にしたり、試験を受ける方向へ持っていったりというのは何を思ってのことだろう。
すでに太平洋戦争が始まっているのだから、なるべく上にいる方が生存率は上がるのだろうとは思うのだけれど、そういうことを考えてのことだろうか。
こういうのを見ると、今も今なりに生きづらい時代ではあるけれど、本当はずいぶんと良い時代なんだよなと改めて思う。
どの時代、どの国の軍隊でも、ディープなルポルタージュを読むと、軍隊という組織は理不尽さにあふれている。死が間近に感じられる環境だというのもあるのだろうし、作戦遂行のために絶対服従が求められることもあるのだろう。いずれにせよ再会したケンちゃんに「どうしちゃったんだい」と尋ねるあたり、ホントに嵩は兵隊に向いてない。そりゃあシャバみたいにはいかないよ。
八木上等兵だけど、こういう古参兵の中にはいろいろと若い兵士を助ける人がいたという話は結構聞く。言動からして八木は常識がある、わりと良い人なんじゃないかな。
今日はビンタの連続で見ているのも苦しかった。でもそれほど理不尽な場所だったってことよね。これも忘れちゃいけない歴史なのだろう。1日でも入隊が早ければ威張れるなんて愚の骨頂、お国言葉を喋らせないのはスパイを防ぐためもあったろうけど一番は里心を無くすためだろう。人間の心なんてあったら人を殺すなんてできないのだ。隣の子にカレーを分けてあげられる今はまだまだ、ヤムさんに言わせたら地獄の一丁目なんだろうな。
昭和に幻想を抱いている若い子に言いたいのは、軍隊だから一層激しい面はあるものの、昭和は体罰主義の時代だった。特に男子は親に、先生に、部活の監督に、先輩にと、とにかく殴られた。昭和50年代でも角材で教師になぐられて頭から血を流した体罰を目の前で見たけど、いっさい問題にはならなかった。だからちょっとやんちゃなら年に軽く100回以上殴られた。そういうのは軍隊教育から続く悪癖だったんだと思う。結局、戦後30年たっても体罰主義はなくならなかったよ、マジで。
軍は「突撃」との号令で、何も考えず敵の弾が降り注ぐ中に飛び込む兵士を必要としている。井伏鱒二が訳した詩の一節に「さよならだけが人生だ」というのがあるけど、まさに軍隊はそんな気持ちにさせられるよね。
小倉連隊は基本、地元の出身者が中心だったし、そこに高知から配属されるだけで罰ゲームみたいなもの。がんばれ、嵩。
登美子さんは常識人ではないからこそ、あの場面で「生きて帰ってくるのよ」と言えたんだろうな。
言いたくても他の人は言えないし、そもそも特高に捕まるし。
実際、あんな場面があったら、特高にしょっ引かれて最後まで言えなかったりするのだろう。
それがドラマだから最後まで言えたし、のぶも言えた。
泣くことすら許されなかったとか、隣組で相互監視だったとか聞くから、本当に本音を誰にも身内にも言えない時代だったのだなと思う。
さて、みんなの前であんな発言をしたのぶだけれど、今後みんなから監視されたりしないのかなと心配にもなった。
登美子さん良かったねー。破天荒に生きてきた登美子さんだからあの場で言えたセリフだわ。どの母も思ってたよね。戦争に行ってほしい母親なんていないのよね。のぶもやっと自分の思ってることが言えたね。ただその後どんな現実が待ち受けるのだろう。生徒の親族が出征する時は万歳をして、自分の友達には戻ってこいと大声で言った先生を誰が信じてくれるだろう。大ごとにならないといいけど。あとは次郎さんよね。知らないからいいけど自分にも言って欲しかったと悲しくなるだろうね。
まあ嵩の母登美子の気持ちは、表現は下手だけど、そういうことなのだろうとは思っていた。婦人会のおばさんも彼女なりの出征した家族への愛情表現の結果なのだろう。問題は一方だけが「正しい」という偏り方であり、それの押しつけだ。
それにしても脚本的にはヒロインを無視するわけにもいかないのはわかるけど、流れとしては嵩の実の母親、嵩の育ての母親である叔母、誰かの母親でもある婦人会のおばさんという、母親たちのグラデーションが描かれている。ここで母親でもないのぶがおいしいところを持っていくのはちょっと違うんじゃないかな。
それにのぶが嵩にかけた言葉は先に次郎にかけられるべきだよね。彼女に彩りの種を蒔いたのは次郎なんだから。その花を嵩が得て、更には戦後にのぶと嵩が結ばれて実を得るとなったら、次郎はホントにかわいそう。フィクションなのだから、もう少し幸せを分けてあげて欲しい。
のぶの初婚の相手が崇じゃなくて良かった。もし次郎の出発の時のようなやり取りがあったら崇となら喧嘩別れになってしまっただろう。その先生きて帰らないかもしれない。崇は今で言うかまってちゃんだと思う。少し甘ったれ。それは子供の頃に満たされなかったものがあるからなのかなと思う。母も母で言いっぱなしのやりっぱなしだからいつも子供の期待に応えられないし自分の気持ちも伝わらない。あなたには無理、は戦争なんて似合わない優しい子だからって言いたかったんだよね。
嵩にも赤紙来ちゃったか。
もう学生じゃないし、理系じゃないし、優先順位高めだよね。
登美子さん、きっと嵩は兵隊に向いてないから、足がすくんで前に進めないから、隠れたり逃げたりしてでも生きて帰って来なさいと言いたかったのではないだろうか。
でもね、今までが今までだから、もう少し言いようってものがあったと思うのだけれど。
傷つける天才なんて言わせてしまって。
先生一緒で良かった。
あのキャラだし、一目ぼれして即失恋して、沈みそうな心が少し紛れたかな。
嵩はちょっと誤解しているね。というか好きだったのぶの悪い影響が残っているのかもしれない。
母親が言いたかったのは、戦争に向いていないんだから、無理はしないで生きて戻りなさいということだったと思う。まあ誤解されても仕方がない母親だから、仕方がないけど。
のぶも少し考えるようになった。その意味で次郎との出会いは彼女を成長させたのだと言える。そんな相手だからこそ「生きて帰ってきて」と甘えてもよかったのにね。言いにくい本音を語っただけに次郎がホントに可哀想だ。
次郎さんにだけとのぶは戦争が終わったらしたいことを言ってくれた。だからのぶにだけは自分の本心を知って欲しかったのに、無惨にも軍国少女に戻ってしまったのぶには届かない。でもこれがのぶの本心なのだと分かってしまって次郎は辛かったろうね。もしこれが最後なら写真も撮ってもらえず寂しそうに行く後ろ姿をのぶはこれから何度も思い出すことだろう。芯まで染みついた軍国主義はこの頃の教師にはなくてはならないものだったのではないだろうか。のぶだけを責める気にはどうしてもなれない。
船が国に徴用され今までのように戻って来れないかもと言われた後での写真。
なんだか遺影を撮影するみたいに見えた。
無事に戻ってきたら撮ると言って、いつも通りに勇ましく送り出したのぶだけれど少し目が潤んで見えた。
お国のためにが当たり前で、疑問を持つことすら許されなかった時代。
周りの目も耳も気にしながら生きなければならなかった息詰まる空気感。
少しの違和感はあっても口に出したり行動に移したりできる人は、確信に近いものを持っていた人たちだけだろう。
次郎は広い世界を見ていたから、日本がこれからどれだけ困難な道を行くか感じていただろう。
そして、商船と軍艦の違いも身をもって知っていたに違いない。
商船を改造して軍用船にしなければならないということの意味もわかっていたはずだ。
勝つんだと、無事に戻ってくるんだと信じているのぶを不安にすることは本望ではないから何も言わず、ただハグだけして微笑んで旅立った。
ただ、今後のぶが次郎の言っていたことが正しかったということを知る日がやってくる。
その時、のぶはどう思うのだろうか。
当時、建前としては民間船は攻撃されない。実際には明らかな漁船が狙われたりもしたけどね。でも兵装した民間船は軍船として積極的に攻撃された。兵装といっても機銃をつけたくらいで、船体は商船のままだから、軍艦と違い、脆くて、一撃であっさり沈む。当然、潜水艦による雷撃のちょうどいいターゲットになった。救助する僚艦なんてないし、死亡率は圧倒的に高かった。
船乗りである次郎だからそれをよく理解している。しかも世界を知っているから日本の敗戦も予測している。
でもそんなことを知ろうともしないで精神論を振りかざすのぶには、次郎の思いが伝わらない。偏った思想教育は嫌だね。これで次郎が戦死なんてことになったら、大好きな人とこんな別れしかできなかったトラウマは想像以上にきつい。誰かが死なないと気付けないことなんて、間違っているに決まっているのにね。
そういう時代なのかもしれないけど、振り返れば人の歴史から戦争が消えた時代なんてないわけで、時代のせいにしてはいけないと思うんだけど。
ケンちゃんにまで赤紙が来てしまった。
対米にも開戦し、泥沼になっていく。
赤紙が来たことで、少しの無理も通ってカレーの材料もらえたのかな。
2人でのカレーでの晩餐。二日目のカレーは嵩が独占って言われても嬉しくないよね。
人員も足りなくなり、蘭子も配達していたし、食料も配給になった。
他の船員の話としては少し出ていたけれど次郎自身も徴用されたのだろう。
民間の船員たちの苦難を思うと今後がつらいな。
一生懸命、戦後に夢を抱こうとしている姿がフラグにならなければ良いのだけれど。
作家の伊藤整は開戦日のことについて、興奮してバスに乗り合わせた軍人に「いよいよ始まりましたね」と話しかけたくてむずむずした、と書いている。一方、東京帝大の総長にもなった南原繁は丸山眞男に「これで枢軸(日独伊)が勝つようだったら世界の文化はおしまいです」と言った。
この戦争を結果論や理念ではなく、何が正しくて、何が間違っていたのか、いまだに正面から検証できていないのは、当時の国民すべてが被害者であり、同時に加害者であったからなんだよね。
何にしても辛島は無事であって欲しい。そして次郎が言い出せないことは、彼にも招集があったのかな。まもなく嵩にも、そしていずれは学徒動員で千尋にもやってくる運命だ。残った人たちにも空襲がやってくるに違いない。できるだけ多くの人に生き残って欲しいけどね。
のぶは戦争をなんにも分かってないってことだと思う。お国のために戦うことがどんなことなのか、戦場を駆け回り敵の他に怪我と病気と空腹と戦わなきゃいけない。なにより人を殺すということを理解していない。だけどまだ空襲もないし、どこか知らない土地で行われている戦争を理解するなんて無理なことだろう。愛国の鑑に曇りが出てきただろうか。ヤムさんの置き土産は乾パンの作り方だけだったけど朝田パンは継続できるのか?それも気になってしまった。
そうか。屋村は第一次世界大戦で義勇兵としてヨーロッパ戦線で戦ったのか。
当時、カナダに限らず日本人は差別の対象で、地位向上のために義勇兵として戦場に出た。カナダ義勇兵には200人くらいの日本人がいたらしい。第一次世界大戦は近代兵器の出現で、それまでの100年で起こったすべての戦争を合わせた戦死者よりも、はるかに多い犠牲者を出した悲惨な戦争だからね。生きて戻ってもトラウマは大きかっただろう。
多くの人は知らないけど、太平洋戦争後でも米国に占領されていた沖縄から、朝鮮戦争やベトナム戦争に行った日本人もいる。その多くは差別や政治的な問題に翻弄されてのこと。日本人は日清戦争から80年以上も戦争に関わっていたんだよね。
のぶの想像力不足もあるけど、現実は常に想像を超えるってことかな。この後、のぷも嫌でもそれを理解するだろう。
あの時代、嫌だということは許されなかった。そりゃそうだよね、紙一枚で戦地に行く兵隊さんがいるんだから個人の嫌なんて言ってはいけないって風潮になる。今回ヤムさんが乾パン作りを断ったせいで朝田家全員が四面楚歌に陥ることになる。怖い時代だ。釜爺とヤムさんの男の会話がとても気になったけれどいかしちゃれという言葉にぎゅっと詰まった思いがあった。のぶは本当の意味での戦争を知らない。その自覚さえないところが怖い。
余計なことしたように見える婦人会のおばさんだけど、彼女は彼女で大切な人が出征し、その人が戦地で飢えることのないように乾パンを作るというのは、まさしく正しい行いなのだろう。強引さは責められても、その心を責めることはできない。
心ということであれば、それを押し殺した屋村の選択肢としては、当然こうなる。自分の強い思いを曲げるだから、その代償が発生しないはずはない。今ののぶにはわからないだろうけどね。
ただ言えるのは、のぶが屋村にかけるべき言葉は「ありがとう」ではなく「ごめんなさい」だったはずだ。彼が嫌がっていたのを知っていたはずで、喜んで乾パンを作りをしたのではないことくらい、理解できたのだから。なのにそれを当然と思っているところは傲慢と言われても仕方がない。もし屋村を思うのなら、自分たちのために心を曲げさせたことを謝罪すべきなんだよ。のぶの「ありがとう」は家族を助けてくれた感謝もあるだろうけど、報国としての思いが透けて見える。
蘭子や婦人会のおばさんのように、戦地に大切な人を送っていないのぶには、まだ戦争は理念とか概念とか、遠いところの話なのだろうね。人の心はそんなに単純なものじゃない。
無知は罪だというけど、のぶを見ていると確かにそうだとよくわかる。のぶはまだ他人の心の複雑がわかっていない。心のうちはわからなくても、どんなに正しくても、あるいは間違っていても、皆が同じ感情ではないことを理解しないとね。
ヤムさんがどうして乾パンを作りたくないか、虎爺は直接聞いたんだね。
そして、納得した。
でも、婦人会は羽多子さんたちの言ってることなどなかったかのように強硬手段に出た。
ヤムさんは、どんな気持ちで乾パン焼いたんだろう。
過去に見た地獄を思い出しながら、心の中に封じ込めながら…かな。
羽多子さんに作り方を覚えるように丁寧に説明して、そして出て行った。
ヤムさんが何を語ったのか、虎爺から語られることはあるのかな。
きっと、人の命が弾薬より安かった、軽んじられていた時代のことが語られるんだろうな。
乾パンで姉妹がぶつかるのね。蘭子も豪ちゃんが兵隊に行っていたら力をあげたくて乾パン作りに励んだかもしれないよね。好きで兵隊に行っているわけじゃないから応援っていう意味でいいと思うけどね。乾パンあげなかったら戦争が終わるわけじゃないしね。ヤムさんができないっていうなら羽多子さんが作ってみるのはどうだろう。さすがにずっとヤムさん任せってことはないよね?早くしないと家族の分裂どころか朝田家は非国民!って言われちゃうかもよ?
軍からの注文がとんでもない栄誉で力を持った時代だ。
羽多子さんも当然断るということがどういうことか、婦人会に入っていればこそわかっていただろう。
周りに流されるがままに生きてきたという人には見えないからこそ断る決断をしたのだと思う。
でも、軍の意向とは違うことをすることは非国民だと言われた時代だ。
朝田パンがどうなるのか容易に想像がつく。
最後のヤムさんの表情が見ていて少し辛い。
たとえばある軍人個人が、朝田パンを買って食べても問題はない。でも軍そのものに納入するというのは駄目というのは理屈に合わない。だからこそ屋村とか蘭子にとって、気持ちとか心の問題なんだよね。
要するに最大の問題は、個人の気持ちがどれだけ許されるのかっていうところなわけで、すなわちそれが全体主義の影響を表している。いい脚本だね。
解決策はパン作りすべてをやめるか、屋村が姿を消すか、といったところでしょうか。
それにしてものぶにとって豪の死は、まだ家族の死ではなかったということかな。