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脚本・ストーリー 1.5 /5.0(30.4%) | 1117位 /1124件中 |
キャスト 1.7 /5.0(33.2%) | 1121位 /1124件中 |
演出 1.5 /5.0(29.6%) | 1114位 /1123件中 |
音楽 1.5 /5.0(29.4%) | 1114位 /1124件中 |
感動 1.4 /5.0(28%) | 1098位 /1119件中 |
笑い 1.3 /5.0(25.6%) | 1092位 /1119件中 |
スリル・興奮 1.3 /5.0(26.8%) | 1108位 /1116件中 |
永吉が亡くなり、怒涛のフラグ回収劇でした。
今時、新聞に死亡広告は出さないし、どうやって山内惠介さんやラモス瑠偉さんに伝わったんだよと思うし、そう都合よく岐阜の音信不通だった人につながるわけはないんだけど、ドラマの嘘として受け取れるかどうか、個人的には微妙。
少なくとも永吉の思いやりが必ず返ってくるというのは、因果応報の仏教説話でもあるまいしと思ってしまう。そもそもボランティアや人助けをする人たちは、良いことをすれば必ず感謝が戻ってくるなんて思ってやっているわけじゃない。現実では「余計なお世話だ」と怒鳴られることだってあるし。
むしろ裏切られることもあったけど、というくらいの方が「呪い」という意味合いではふさわしかったのでは?
永吉さんのホラ話は実際にあったことだった。
佳代さんは当たり前だとは思うけれど、知っていたっぽいね。
近隣の人たちも、永吉さんがいろんな人に親身になっていて人徳があるって言ってた。
どうして聖人は知らなかったのだろう。
若くして反発して家を出たからというのはわかるけれど、震災後は糸島に住んでいたんだし、それなりに風聞として知っていたと思うのだけれど。
自分の見ている永吉さんとの差を感じて信じられなかったということなのかな。
佳代さんの永吉さんの遺影に話し掛けるシーンは少しウルっときたけれど、米田家の呪いだの祟りだのはやっぱり合わない気がする。
ただただ人の好い家族ってだけじゃダメだったのだろうか。
えっ?メタな会話だけで高校生活をほとんどすっ飛ばしたの?
これって結が書道部に入った意味ある?
更には結と翔也って、あれから2年間一度も会わず、本当にメル友だけだったの?
いやあ、これはないわ。というかダメでしょ。
普通のドラマでいきなりメタな発言をするのって、芸人の楽屋ネタと同じで、見ている側は苦笑いするしかない。せっかく書道部に入るという設定にしたんだから、それを生かすネタを何か入れるべき。平成時代にメールだけの純愛って、文通時代のパロディかと思わざるを得ない。
とにかくいろいろ首を傾げてしまいます。
半年間の空白をまたメタなセリフで埋めてしまった。この手のドラマでメタな手法を使うこともどうかと思うのに、それを連発するのは遊び心というより、手抜きなんじゃないかと思ってしまう。
永吉に黙ってほとんどの準備を済ませていたようだけど、居抜きとはいえ、政令市の神戸で店を借りて、一家で引っ越すとなればそれなりのお金もかかります。保証人もいる。実家暮らしで家計は永吉と聖人で明確に分けられていたのでしょうか。
そういった面倒くさい疑問を無くすために、家族で話し合ったという形が必要なわけで、メタをやるより、そういうリアリティを着実に重ねる方が、物語は重厚になると思うのですが。
この場合、警察が見た目で判断しているって話はおかしい。
そもそも先に派手な格好の連中が恐喝をしているという情報があったから、警察は派手で目立つギャルたちに声をかけたのであって、これが30代で小太り男性というなら、そういう人に声をかけている。
つまり別に派手な格好をしているから不良という先入観で声をかけたわけじゃない。原因として疑うべき情報が先にあった。その結果、条件に当てはまりそうな彼女たちに声をかけた。なのに「見た目で判断」したと言ってしまうのは違う。
少なくともプロの脚本家がこういう何が原因で何が結果かを逆転させて、因果律を無視した理屈を組み立てるのはちょっと首を傾げる。
米田家の呪いって言葉、かなり強いと思うのだけれど中身が伴っていないような。
言っていいのは理由を知った聖人だけかも。
万博に荷物を運んでいたのはホラじゃなくて、万博連れて行けなかったのも道中が長すぎるから。
いろんなホラと混ぜるから、真実までホラに聞こえる。
つかみどころのない人だったってことなのかな。
今が幸せで満足しているから、大学費用が流用されたことも無かったことにするみたいだけれど、それは聖人の反骨精神と努力の賜物でしょう。
狙った訳じゃないのだから、やっぱりひと言謝罪があってもよいのかなと。描かれなかっただけと信じよう。
永吉さんの弱ってる姿、髪切ってもらってる時の表情から最期は近そうだとは思ったけれど、あれじゃプリが遺影みたい。
なんでもかんでも軽く感じるように作ってあるのかな。
個人的には「心の復興」なんて言い方も気に入らないんだけどね。
たとえば東日本大震災から10年ちょっと立って、今でも当時の話をすると泣き出す人や不機嫌になる人もたくさんいる。今の世の中は妙にポジティブな方向へのバイアスが強くて、ネガティブな感情は間違っているとか正しくないみたいになっている。だけど強いストレスに晒された人間がポジティブでいられるわけはなく、余計なお世話だと怒ってしまう。まあ孝雄はもちろん沙智もそうだよね。
人はもっとネガティブな感情を抑えるのではなく許容しないと、どこかにひずみが出る。だからと言ってよほど身近な人でなければ、特別に配慮する必要もないし、歩のように決然とすべきところはすればいい。要はそれぞれの生き方だから誰かを無理に変えさせるのではなく、譲るべきは譲り、譲れないところは譲らなければいい。互いに納得できないことはあるだろうけど、それさえお互い様。お互い様だから最後はどちらも半歩ずつ譲れば、一歩譲ったことになる。
朝から見るドラマなんだから、それくらいの思想で作って欲しい。
神戸の震災を扱ったドラマとしてこれでいいのかな?不安に思います。もっと伝え方があるだろうし捉え方もいろいろある中でこのドラマで合っているのかとても心配なところです。多くの朝ドラが戦争だったり震災だったり人々の困難な時を扱っていますが1番なにが伝えたいのか分からないのがこのおむすびです。それだけでも大きなテーマなのにそこにギャルをつける意味もわからないし、やりたいことを信念を持ってやるのがギャルってところにら違和感が‥さちはギャルではないと思う。
とうとうあの日がやってきました。神戸編は幼い結の記憶だけでいくのかと思ったら結構なハードなシーンで観ている方のトラウマが心配になりました。そうかと思えば避難所で友達と一日中遊べることを嬉しく思ったり、やっと配られたおにぎりを冷たいと言ったり、そこは子供らしくて良かったです。そこからどうやって結の暗い顔に繋がるのかはまだ見えず心配です。おにぎりを配っていた女優さんは神戸の方だと聞きました。とても説得力がありましたね。
歩はやっぱりカラオケの女優でしたか。ギャルでもなく偽物でまきちゃんの人生を生きただけってまきちゃんはそれで喜ぶのかな?その後ギャルは楽しかったって言ってたけど、まきちゃんは自分の生きられなかった未来を歩がイキイキと歩んでくれることを望んでいたと思う。故人を思うあまり自分を殺していては故人も浮かばれない。9年が長いか短いかはそれぞれだと思うけど、ここからは歩の人生を生きてほしい。結はギャルになるんだね。そろそろギャルはお腹いっぱいなのだか‥。
阪神淡路大震災の経験を語り継ぐことは大事。そこは是非、いろいろな形でやって欲しい。
ただ、とてつもなく広域の災害だった東日本大震災とか、今年あった能登の震災みたいに地理的にいろいろ難しい課題があるとか、同じ地震でも状況は相当に違う。
だからこそより突っ込んだものにするか、あるいはある一点に焦点を絞り込むかした方が説得力があると思う。心の回復がテーマなら、それは災害に限らない。なのにあえて阪神淡路大震災を舞台のひとつにするのだから、一般論を並べるのではなく、あの大震災だからこそわかったことや伝えられることをちゃんと踏まえた内容にして欲しい。
現状は別に阪神淡路大震災である必要性を感じない。
ギャルにも野球にも詳しくないし興味がないから今回の朝ドラにどこも引っ掛かることができなくてつまらないと感じてしまう。ギャルって自分のやりたいことを信念を持ってやるみたいに崇高に扱われているけど本当にそういうものなの?って思うし、平成のカルチャーの一部であってそこまで大したものじゃない。ただの女子の思い出の一部でしょ。そこで根性を身につけた?ってほどなにかあったっけ?恋人と順調そうでよかったわねーっていう親戚のおばさんくらいの感覚で見るだけだわ。
何で結はそんなに怒るの?何も出来なかった不甲斐なさでつい起こるのはわからなくもない。でもギャルの真似をして何で「なめるな」ってことになるかな。自分だって真似みたいなもんじゃん、最初は。
そもそもギャルってどれほどのものなの?
結にとってはひとつのポリシーとかイズムみたいになっているのかもしれないけど、それは個人的なものであって一般的なものじゃない。だったら怒るのは筋違い。個人的なものは説明しないと他人にはわからないし、そういう場合は礼節をもって伝えるべき。
ホント、理解できない。
将来の大きな目標を失くして絶望している翔也を心配している様子が伝わらない。連絡が取れなくて心配するのは自分のために見えたし、怪我のこともよく調べることもしないで全部鵜呑みするしそれ以上考えることをしない。翔也を支えるために栄養士になったのにどうしてくれるの?って思ってるよね。それはただの押し付けでどこまでも自分がかわいい結に呆れる。そしてギャルになりたいと言い出す翔也に怒る結。ギャルをそこまで尊いと思ってる人ってそんなにいないよね。
結ではなく、ほぼ歩が主人公だなっていう展開がこれで3週目に突入しています。
ギャル関連で重要なエピソードはすべて歩がらみなので、果たして主人公の結にまでギャル属性を付けるのが良かったのか、設定に疑問を感じるところです。
いっそギャルの姉と違う属性の妹との対立と葛藤の方が良かったかも。ギャルと対極っぽいメタルとかパンクとかね。いずれにしても主人公の存在が薄い。
姉は三花とのエピソードもあるし、ナベさんとのエピソードは本来主人公の役割なるよう、工夫すべきだったんじゃないかと思う。
いつも半年の朝ドラが終わった直後は次の朝ドラに期待しつつもまだ前作に引っ張られることが多く不利ではある。また虎に翼とテイストが違いすぎて乗り切れない部分もある。ただこういうのが朝ドラだったなーとちょっと懐かしくもある。偉業を成し遂げなくたっていい、元気に遊んだり悩んだりするヒロインを見てるだけでもいいもんだ。結のトラウマは震災で、形ある物は崩れることを知っているから何かを作り上げることに臆病なのかな。神戸以降たくさんの震災があってたくさんの結ちゃんがいる。その子たちの希望になってくれたらいいな。
結のギャルたちに対する態度はいただけない。このキャラへの好感度が一気に下がります。
そもそもああいう説教は大人だから許されるところがある。たとえ勘違いや間違いだとしても、いろいろな経験則からの言葉だから、そこにはある種の憂いとか相手を思う心がある。でも結にそれはない。しかも恋愛に浮かれて、興味のない部活に入るのが悪いとは言わないけど、結だって特に大したことは考えていないんだからギャルたちに説教できる立場じゃない。
過去にトラウマになるようなことがあったとしても、他人に八つ当たりするように怒りをぶつけてはダメ。それこそが甘えだし、ろくな奴にならない予兆みたいなものなのだから。
ギャルと廃棄野菜を対比させて、クズとは?と考えるのは悪くはないけど、そんな単純なことではないと思うのだけれど。お父さんも震災で諦めたことがあるようで、元々は散髪屋さんだったのかな?半分仕方なく田舎の戻って農家を手伝っているとかなんだろうけれど、さすがに爺さまの言葉はきつすぎる気がする。まあ婆さまに怒られていたけれど。災害は遭ってみたらどれだけ後引くかわかるのだろうけれど、周りから見たら「もう9年」なんだろうな。マツケン楽しみに見ているから、今日のたたき売りとカラオケはなかなかのサービスシーンで嬉しかった。
困っている人を助けるって大切なことだと思うけれど、なんでも順番とか優先度ってものがあると思うのだけれど。
聖人が神戸に残って、被災した人たちの復興に尽力したのは凄いことかもしれないけれど、やっぱり家族を犠牲にしていちゃ何やってんだかってなってしまう。
奥さんだって歩ちゃんだって唯ちゃんだって少なからず傷ついている。それのフォローをやった上でなら素晴らしいんだけれど、永吉たち祖父母に丸投げだから褒められたもんじゃない。
その上、ちゃんと受け止めてくれて家族を守ってくれていた永吉とことごとく対立しているんじゃ、間に入ってしまっている子どもも奥さんも気持ちがすり減るって思う。
あんな風に酔っぱらって演説やってたけれど、不器用だけでは済まない話じゃないかな。
まあドラマだから仕方ないんだけど、それなりに頑張ったとはいえ、簡単に結たちのグループが評価されちゃうのかと首をひねってしまう。栄養学的には良いのかもしれないけど、鯖とワカメだと、それなりに苦手な人もいそうだし、食が進まない人にも食べてもらうのには向いてない気もする。
結が温かいおにぎりにこだわるのはわかるけど、被災者側からすると寒い時期は味噌汁とかスープがありがたいんだよな。便秘はさ、食べ物の問題じゃなく、トイレが汚いから我慢するってのも大きい。
というか季節にもよるから、もっと焚き出しの状況の細かな設定があっても良かったかもねぇ。その方が教育としても良いと思うんだけど。
翔也が簡単に甲子園に行ってしまう展開よりはマシだとしても、こんなマンガのようにお間抜けな告白ってあり得ないだろう。もちろんドラマはあり得ないものもありな世界だけど、これをありにするならもっと翔也を描いておかないとダメだと思う。
結は彼のために考えたメニューから、栄養士の道を選択するのだろうけど、そこはまあいい。案外、進路なんてそんなことから始まる場合もある。
問題は聖人の方かな。
理容師ってそんなにブランクがあっても、あっさり復帰できるものなのかな?技術の衰えはもちろん、いくらおっさん相手が多いとはいえ、モードの変化もある。わざわざ店を見に行くってことは、すでに心が大きく傾いているわけで、マジならばマジなほど、そこのところをもっと悩むべきなのでは?プロとか職人ってそういうものじゃないの?
うまくまとまったようになったけど、個人的には違うんじゃないかと思う。結が言ったようなことなんて、それこそ、そこに残って頑張り続けた人たちの方が骨身に沁みてわかっている。だから何でお前が言うのと首を傾げてしまう。結たちも現在の街の当時者だから、孝雄が行事に不参加なのを問うのは構わない。でもいない間に起こったことについてあれこれ言うべきではない。
自分のいないところで起こった出来事に対して、どれだけ想像力が豊かな人でも、その場にいて経験した人の気持ちを完全にトレースし、理解することはできない。ましてや未曽有の大災害だし、その影響は何十年たっても残る。つまり震災当日を経験しても、その後避難した結たちに街の復興過程を語ることはできない。
もちろん結たちのような立場の人も、あるいはまったく震災とは関係のなかった人も、それぞれの立場から意見を言うのはまったく構わない。でもそれはあくまでも自分が責任を持って語れる範囲にとどめるのが良識だと思う。
こういう結果オーライのポジティブ思考は、あまりに押しつけがましくて、個人的にはついていけない。
商店街のおっちゃんやおばちゃんたちは60代くらいだろうか?それにしてはみんな年老いている設定になってるね。病気したなら老け込むことはあっても自営で商売やってる人たちって年がいっても元気なイメージだから変な感じがする。そして役者さんもみんな若いから尚更違和感。芸能人なんて特に若さが売りだから全然年寄りの苦労が出てこない。聖人もみさえさんも見た目が若いからただの無気力な人みたいになってしまっているのが残念。
歩は何しに戻って来たのかな。
まさか大食い対決しに来たとも思えないし、東京で何かあったのだろうか。
今日はお祭りでの爺さまが見どころ。
というか、それしかない…
キラキラのマツケンさんが刀振り回すサービスショットと、相変わらずの魅力のピーター。
失敗しそうかもと思わせといてやっぱりのグサッと刺さって「痛ーーー!!」
しっかり笑わせてもらいました。
それ以外が頭にほぼ残らなかったけれど、良かったのかな?
おっさんイコール昭和っていうの そろそろやめない?
企業のほとんどはまだ60歳定年だし、65歳まで延長しても役職なしになることも多いから、この部長の年齢を2020年に55歳と仮定すると、1965年生まれ。22歳で社会人になったとして、昭和時代って2年だけだよ。しかもこの世代は「新人類」って呼ばれ、昭和の価値観からはみだしちゃった人たちなのに。
もちろんこの世代にも古い価値観の人はいたと思うけど、それは典型的に世代を象徴する人ではない。セリフとして「今の時代」とか「私の時代」っていうキーワードを出している以上、それはある程度「典型的」でないとね。
ギャル達の押し付けがくどくてしんどい。用もないのに電車で1時間かかる場所に呼び出すって感じ悪いなーと思ったし、呼び出しておいて来るか賭けるとか駆けつけたら笑うとか友達にもなりたくないレベルでしょ。そんなのによく結も付き合ってるなと思う。結って友達いないのかな?このままじゃ結の家庭までギクシャクすることになるのに、今度は脅すって‥絶句。見てられない。ギャルになるならないでここまで引っ張られてもついていけない。
予想通りの元ヤンキーVS元レディース。マジで勘弁してほしい。ちょい悪が格好いいみたいな風潮が昔からあるけど、ガチなヤンキーとかレディースって、ちょい悪じゃなく、本当に引くくらい悪かったんだから。後々、良い人みたいに描かれてもねぇ。
結たちも新築マンションでお金貯めるとか浮かれているけど、社会人になりたてでそんなに金なんて貯まんないよ。まあ結は自宅だからまだしもだけど。何にしても二人共、年齢以上にあまりにも世間知らずすぎないかな?そもそもメールで報告って・・・
朝ドラのターゲット層はいわゆるF層の上の年代。前回の「寅に翼」なんかはF1層、つまり20~34才女性の視聴率が上がったこともあって、そういった年代にも受けるように意識してるのかもしれないけど、ちょっと内容が幼過ぎないだろうか。
それと平成16年が舞台とは思えない昭和っぽい牧歌的な雰囲気があったりと、アンバランス感が強いように感じる。特に「おむすび」というあだ名や陽太とのシーンは昭和の青春ドラマかよと突っ込みたくなる。恐喝騒ぎも陽太の先走りかな。
きっと最後は野球部のメンバーに頼むんだろうというのは、視聴していたほぼ100パーセントの人が予想していたでしょうね。
ここまで予定調和が多いドラマも珍しいよ。ドラマって偶然と必然のバランスが大事だし、前者はあからさまなフラグを立てちゃいけないし、後者はなるべくしてなる因果を考えなくちゃいけない。それなのに10人の欠員は野球部員を引っ張り出すためのあからさまなフラグ。
普通ならどれだけ頼みづらくても、同じ社内での関係性や礼儀を考えれば、翔也が最初に頼みにいくのは野球部であるべきで、彼らがいるところで「偶然」の欠員が出て、部員がピンチの翔也のために知っている社員を集めてくれる方がストーリーとしてはバランスがいいのでは?無理に翔也の手柄にする感じが嫌味だし。
せっかくお昼休みというものがあるのだから社食のお米をタダにして試食に充てればすんなり無理なく目標達成でしょ。しかもその会社で今回が初の調査ってことないだろうし、もっとノウハウあるよね。まぁ今回は野球部と決別した翔也がわだかまりを超えて社会人としてしっかりと成長を見せることが目的だったのだろう。結婚に向けての2人のストイックすぎる貯金も若い2人らしくていい。いよいよ両親への報告、翔也のお父さんが出オチでないことを祈る。
翔也の食事シーンを出すまでもなく、素人に毛が生えた程度の学生が考えたメニューじゃ問題ありだと、結が安請け合いした時点で感じていました。
結は彼がどんな練習メニューをこなしているのかもわからないし、投手というものの筋肉疲労や運動量もわかってない。精神面に配慮したチートデイの設定もない。しかも彼はまだ成長期。
結は高校生の時、翔也の監督に食事について厳しく注意された筈。それをまったく教訓にしていない。能天気な結はともかく、せめて大人で社会経験もある森川は自分たちがまだ十分な能力を持っていない学生であることを、注意喚起しないとね。
このドラマは全体的に展開の仕掛けが雑だけど、今回も荒さが目立ちます。
愛子の言う通り、話し合えばわかりあえるかもしれないけど、でもそれは互いに歩み寄ろうとしている場合であって、孝雄とか沙智のように拒絶している相手には通用しない。
そもそも言葉が通じるからといって分かり合えるとは限らない。特に震災のような過酷な経験をした者は、経験してない者から「わかる」とか「絆」とか、知ったような言葉を聞くと、内心ではわかってないなと思う。
それはどんなに想像力が豊かな男性でも出産の苦しみはわからないのと同じで、突き放すとか拒絶とは違う。理解力とか想像力の問題でもない。どうやっても越えようのない経験の差だ。
どうせならそこにもっと深く踏み込むくらいのシナリオだったら、阪神淡路大震災を背景にした意味もあるのだろうけど、きっと話し合いで何となくうまくいっちゃうんでしょうね。
笑うのは大事だと思うよ。でも三花の場合、正しい感情はまず怒ることじゃないの?もちろん詐欺男のたーくんに対してね。次に悲しむ。それは自分が裏切られたことに対して。そして笑う。自分を思ってくれる友だちに対して。
そういうプロセスがあるからちゃんと笑えるんじゃないの?
無理に笑うのがダメとは言わないけど、そういうプロセスを踏まえれば、わざわざまったく無関係なひみこさんを登場させなくても、彼女たちの笑みがより確かなものになる。
ドラマでの違和感っていうのは、そういう自然な感情のプロセスを踏まない場合に感じるものだと思う。
前の「寅の翼」は、心に残る言葉があったり自分なりに考える部分があったりして、一日に何度も見たりしたのだけれど、この「おむすび」はほとんど心に残らない。
話がなかなか進まないのと、ありふれた日常だからかもしれないけれど、これで震災の話なんて入ってくるのかと思うとうんざりしてしまう。なんだかトラウマだけが掘り起こされそうでちょっと恐ろしいとまで思ってしまう。
ギャルだろうが誰だろうが悩みがあるのは当然だろうし、それぞれの置かれている立場もステレオタイプすぎてリアリティが欠けると思う。
え?これって結の成長物語だよね?難関の管理栄養士を目指しながら働いて勉強して育児してってところをバッサリ割愛、やっと合格して管理栄養士として働き出した初期も割愛ってどういうこと?もう何年も経ってるってここから面白くなるもんなの?花の成長は嬉しいけれど、母と叔母のギャル推しがウザすぎる。一生懸命自分の好きなことをやるのがギャルってほんとなの?その辺で派手な格好してフラフラしてるのがギャルだと思ってたよ。
ここにきてこんな形で書道部のフラグ回収か。推理ドラマじゃないんだから、いちいちフリとかフラグを慣習する必要はないし、もしこのフリのためだけに書道部があったのだとしたら、ちょっと引くなあ。ここでこんな形で回収しても、書道部は何だったんだろうって疑問は残るだろうし。
詩はここからがスタートなわけで、ゴールではないからね。真紀に似ているから歩も気になっているのかもしれないけど、詩の人生にコミットすると踏み込んだ以上、大人としての責任がある。そこはしっかりして欲しいかな。
一年経っても仮設住宅にいてかわいそうって思うのはどうなのかな?あれだけ広範囲で全てを流されてしまった震災だからすぐに元通りってわけには行かないし、粘り強く現地で頑張っている人に対して思うのは失礼かもしれない。まだ神戸の傷を引きずっている歩も、前を向いてがんがん進むようなアキピーもどちらも間違いじゃない。町だって人の心だって復興のスピードはさまざまだ。今回はアキピーの心意気に歩の復興も進んだみたい、アキピー最高だな。
この展開だと、翔也はそのうち聖人の理容院を継ぎたいとか言い出すんじゃないの?
別にそれが悪いわけじゃないけど、昭和のホームドラマみたいだね。
細かい問題はあっても何もかも理想的。
確かに震災は大変だったけど、米田家は誰も亡くなっていないし、その後も順調だった方。結局家族は仲良しで、自由な姉も小言をいわれるでもない。家族が近くに住んでいて常に行き来できる。
あんなにケチって結婚したのに、なぜか結たちの住んでいるマンションは立派だし、子どもがいて共働きなのにきれい。
そして好きなことを仕事にしている。
それらをナレーションで「努力した」と言っているだけだしね。具体的な努力が見えない。
こんなに楽勝人生、ドラマにして面白いかな?
朝から辛すぎる展開もしんどいけど、現実離れしすぎているのもね。
やっと結と歩が心を開いて話すことができて良かった。でもお父さんはともかく物分かりのいいお母さんでも話すことはできなかったんだねー。放っておくことが優しさってこともあるけれど、少しでも対話することができていたらもう少し違ったのかなと思う。結とギャルたちの再会も嬉しい。ギャルにならなくてもお友達で十分いいと思うけどね。死んだような顔して家の手伝いしている娘よりギャルして溌剌とした娘の方がいいと思わんのかねー。
もっとも救われるべきは歩のはずなのに、なぜ結が一番おいしいところを持っていくのか?もちろん現実の世の中は不公平だから、そういうこともあるけど、せめてドラマの中では報われるべき人が報われて欲しい。結がギャルになるのを認められる前に、もっとしっかり歩の過去について、聖人にも理解して欲しいし、ちゃんと言葉をかけて欲しい。そこから次の一歩が始まるのが常道だと思う。これだと主人公は本当に得だなとしか感想がわいてこない。
おにぎりを差し入れてくれたおばちゃんの気持ちがよくわかる。私も生まれ育った町が津波にのまれた後、ここはどこなんだろうと思うほど変わり果てた町を見て、呆然とした経験がある。食べ物があるだけまだましかもね。
6歳くらいの子どもだった結だけど、そのくらいの年齢でもさすがの異様な雰囲気に泣いている子もいたけどな。繰り返し余震もあるからあんな静かな感じで落ち着いてなんていられないし。
何にしても東北のどうにもならない町を見ていると、神戸があそこまで復興したのは奇跡的だし、本当に凄いと思ってしまいます。
若いと過信して無理しちゃうことあるよねって思うけど結婚していて妊娠の可能性を考えないのはちょっとあり得ないって思うんだけど違うのかな?健康に気をつけている職業柄自分の体調の変化にすぐ気がつくだろうしあんなに具合が悪くなるまで病院に行かないのはないんじゃないかな。ここで会う栄養士との出会いでまた新たなステージへってことなんだろうけどなかなか無理があるかな。体調が悪い時は食べるだけが全てではないと知ってるはず。栄養士の範だろう。
コロナで理容院が休業になっているんだから、米田家は結の給料だけで5人が生活しなければならないんだよ。たとえ歩が少し援助したとしても経済的に心配なはず。
他人の心配も結構だけど、ホームドラマだし、まずはそういう自分たちのリアルな問題について触れないのはどうなんだろう?特に自営業者はコロナの時の不安要素として、収入の問題は大きなものだったと思う。
こういう社会問題化したことって、ひとつの出来事から派生していろいろな問題が複層的に現れるものでしょ。中心は結の仕事面でいいけど、家族の苦しみもちゃんと描かないと、わざわざ実家で同居させた意味がないと思う。
いよいよあの日を語る場面になった。
前日から描くことで、それが続かないことを知っているだけに余計に悲しくなる。
大人は体が動かせないほどの揺れに恐怖し、子どもは眠っていて現実が理解できない。
あの日は結構寒かったと記憶している。今ほど良いあったか下着も軽いダウンも普及していなかった。朝早くて、着の身着のままの人も多かった。
今みたいに非常用持ち出し袋だとか、非常用にストックしとくとか言われていた記憶もない。
あの寒い中、おにぎりを運んでくれた人はきっと徒歩だったのだろう。いったいどれだけの距離を歩いて運んでくれたのだろう。
きっとカチカチになっちゃってたんだろうな。結にはわからない事情だけれど、余計に悲しかった。
就職活動は大変だ。
そりゃあ栄養士よりも管理栄養士の方が有利に見えるだろうけど、企業の採用は必ずしも優秀な人が採用されるわけじゃない。性格適性もあるし、社内でのさまざまなバランスもある。それよりもテンパって、支離滅裂になってしまったことの方がヤバいかな。
気になるのは森川。何をこそこそやっているのだろうね。まあ年齢的にも他の人たちとはいろいろ違う面があるのは間違いない。
そして翔也からの結婚話。ドラマだしここで食いつかないんだろうね。普通なら食いつくと思うけど。
管理栄養士が病気に気づけないのがおかしいって変な話じゃないのかな?毎食一人一人ついて回ることはできないし、そもそも糖尿病のコントロールで入院したのにそのほかの臓器のことまで分かるのだろうか。気持ち悪いとか自覚症状があってそれを訴えていたのに見逃してしまったなら責められるかもしれないけど、ちょっとこれはとばっちりもいいとこなんじゃない?医師に怒鳴りつけられるっておかしいと思う。脚本家も雑なんだよね。
プロ野球でも食事の管理栄養みたいなことを言い始めたのは、1982年から西武ライオンズの監督だった広岡達朗さんだよね。当時は相当反発もあったし、当たり前になるのにはまあまあ時間がかかった。
でもリーマンショックの頃なら2008年だし、翌2009年にはナショナルトレーニングセンターも出来て、少なくともアマチュアのトップ選手なら栄養指導も受けられる体制は出来ていた。そう考えると野球の強豪企業だというのに、このチームはだいぶ遅れている。
というか脚本上、無理矢理はめこんだ感じがする。
内科医の怠慢を管理栄養士に責任を押し付ける外科医っていうだけでも印象が悪いのに、「ここからはあなたの仕事」っておかしくないか?患者の問題を共有し、多角的に取組むためのチーム医療だろう?
もしかした予期せぬ外科的問題も起こるかもしれないわけで、領分を決めつけるべきじゃない。それこそ同じ病や同じ処置でも、個々人によって違う対応が必要なんだから。
聖人はやはりこうなった。まあほとんど病気になってなったことがない人は悪い方ばかり考えるかもね。体が弱い体質の人なら早く見つかった分、最悪ではないと考える。まあ予想としてはガンじゃないと思うけど。
ギャルの問題は置いといたとして、お父さんが過保護すぎるけど高校生になりたての子と親の関係ってあんなもんじゃない?行動範囲が一気に広がってどんどん進んでいく子供に戸惑ってるんだよね。いつまでも畑仕事を一緒にするなんて無理なのもお父さんだって分かってると思う。自分たち家族よりケータイの誰だかしらない子からのメッセージで飛び出していく娘を寂しそうに見る親。過渡期だなー。ここから新しい関係ができるんだよねって共感できるけど、ギャル
また結に新しい性格付けで極度の上がり症というのが後付けで出てきた。
天神で悪い事している女子に意見した時も、マキちゃんのお父さんに姉の代わりに話に行った時も、緊張している風だったけれど言いたいことは言っていた。
それがあんな風にグダグダになるだろうか?
スポーツ専門の栄養士の働き先が少ないこと、そもそもまだスポーツ専門の栄養士の必要性がスポーツ界に認知されていないこと、競争相手が多すぎて狭き門で新卒の栄養士だとハードル高いというだけで充分だったのではと思う。
四ツ木の先輩が栄養士のことを掛け合っていたけれど、リーマンショック後で企業も体力がない。
コネ就職かと思ったけれど、そうはならなさそうで良かった。