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脚本・ストーリー 1.6 /5.0(32%) | 1104位 /1116件中 |
キャスト 1.7 /5.0(34.6%) | 1113位 /1116件中 |
演出 1.6 /5.0(31.2%) | 1106位 /1115件中 |
音楽 1.5 /5.0(30.6%) | 1103位 /1116件中 |
感動 1.4 /5.0(28.8%) | 1085位 /1111件中 |
笑い 1.3 /5.0(26.6%) | 1074位 /1111件中 |
スリル・興奮 1.4 /5.0(28%) | 1098位 /1108件中 |
良かったですね、としか言いようがない。残念ながら中身が薄っぺらで、他に言葉がない。
ギャルに感化されて、心を入れ替えて、結婚って。ギャルをどうこう言うつもりはない。ただ、どこに感化される要素があった?プロを目指すくらい厳しい練習に耐えてきた奴が、ギャルたちのあんなふわっとした精神論で気持ちを変えるものだろうか?人生をかけてきたものからの挫折ってあの程度のことで乗り越えられるものなのだろうか?
まあそういう人もいるのかもしれません、翔也みたいに。
でもそれで感動はしませんよね、残念ながら。
厳しいことばかり言いたくはないんだけど、正直言えば仲里依紗さんをセンターにギャルたちが踊り始めた時は、見てはいけないものを見た気になってしまい、思わず目をそむけてしまいました。
別に里依紗さんがダメとかいうのではなくて、ミュージカルだと知らないで見ていたら、いきなり歌いだして面食らうのに似た感じです。
そもそもギャルというものがこういう精神文化を持つ者だと定義されているわけでもないし、過大に評価されていると首をひねっていたところに、ギャルの神髄はこれだとばかりに踊られても余計に困惑します。
何にせよ、ついていけない、というのが本音です。
孝雄はまあよかったとは思うけど、結局のところ仕事で心も回復っていうパターンがドラマなんかでは多いよね。でもそれって正直安易な設定だと思う。
仕事してない学生は部活すればいい?年寄りは?まるで仕事が人生のもっとも重要な生きる動機みたいになっている。
仕事で気を紛らすことはあっても、本当の心の回復はまた別じゃないのかね。
しかもここでもまたギャルパワーか。
ギャルをバカにするつもりはないけど、時代の文化表現のひとつであって、そこに思想や哲学があったわけではないから、伝播するのは形式だけなんだと思うのだが。
将来の大きな目標を失くして絶望している翔也を心配している様子が伝わらない。連絡が取れなくて心配するのは自分のために見えたし、怪我のこともよく調べることもしないで全部鵜呑みするしそれ以上考えることをしない。翔也を支えるために栄養士になったのにどうしてくれるの?って思ってるよね。それはただの押し付けでどこまでも自分がかわいい結に呆れる。そしてギャルになりたいと言い出す翔也に怒る結。ギャルをそこまで尊いと思ってる人ってそんなにいないよね。
何で結はそんなに怒るの?何も出来なかった不甲斐なさでつい起こるのはわからなくもない。でもギャルの真似をして何で「なめるな」ってことになるかな。自分だって真似みたいなもんじゃん、最初は。
そもそもギャルってどれほどのものなの?
結にとってはひとつのポリシーとかイズムみたいになっているのかもしれないけど、それは個人的なものであって一般的なものじゃない。だったら怒るのは筋違い。個人的なものは説明しないと他人にはわからないし、そういう場合は礼節をもって伝えるべき。
ホント、理解できない。
いやはや、翔也も結も、どっちもどっちで、結婚話が似合わない子どもっぽさだよねえ。
翔也はプロ野球選手になるのがすべての前提だ。それって小学生や中学生レベルだよ。目標を立て、邁進するの悪くない。なろうとする自分を想像するのも悪くない。でも同時にそれがどれくらい厳しい道なのかも大人なら理解している筈で、前提が崩壊したからすべてチャラなんて、子どもがヒステリーを起こして、せっかく積み上げたブロックを崩すようなまねをしちゃいけない。どれだけショックだったとしても無責任過ぎる。
結の気持ちも分かる。苛立つのはもっともだ。だけどプロ野球選手を目指す彼氏がいたら、夢は叶わないことの方が多いことくらい、どこかで考えておくのが優しさだし、愛情だろう。だから好きなら突き放すより、厳しく言うべきだ。
たとえばアマ時代に肩の手術をして、それでもプロ入りした投手なんてたくさんいる。あるいは投手がダメなら打者としてはどうなんだとか、考えるべきことはいろいろある。もちろん野球をすっぱり諦めて、農家になってもいいし、理容師になってもいい。それの何がダメなのか、それは翔也の理想と違うというだけ。そこは厳しく、優しく諭しても良いんじゃないかな。
要はどちらも夢だけ見て、それ以外は見ないフリをして、覚悟をしていなかった。そういうことだと思う。
プロポーズを振り返る場面が多すぎてお花畑の結がめんどくさいなと思ったしうざかった。結も翔也を支えるっていうのが第一目標な割に怪我のことを全く気づかないとか鈍感すぎる。栄養だけでなくメンタルや身体的なケアは全く頭にないのが壊滅的。いつも自分推し。社会人になりたてだし自分のことでいっぱいいっぱいなのも分かるけどね。それにしても毎日つまらないドラマを習慣だから見続けているけど見せられる方もしんどい。なんとかならんかね。
一番ショックを受けているのは翔也であって、謎のカメラ目線で浮かれているお前じゃないよ、と突っ込みたくなる。
そういうところだよね、このヒロインに共感できないところは。
少なくとも社会人野球に所属するレベルの選手と真剣に付き合う人たちは、どこか頭の隅っこに故障するリスクを考えていると思うよ。だから突然、故障を知らされたとしてもパニックは押し殺し、頑張ってかけるべき言葉を探す。
そんなことも出来ないで、何が結婚だって。可能性は十分にあったリスクだよ。自分のことで手が一杯なのはわかる。誰だってそう。だからこそ当たり前に考えられるリスクは考えておく。そしてそれを覚悟しておく。
だから結婚するのに一番必要なのは覚悟。
結に足りないのはそれ。
今回の立川の指導とフォローは良かったと思う。若い人は自分ならすぐに活躍出来ると思いがちだけど、社会経験を詰んだ人との一番大きな差はやはりコスト感覚だろうね。朝ドラでも貧乏というわりに、その資金はどこから手に入れたんだと思うことが多々あるけどww、そこに正しい視点で触れたのは珍しいし正しい。
それに比べてこの野球部は中学生かと言いたくなる。なんで新人が望む個人的な対決のために、皆が練習を止めるわけ?いかに有望な新人であれ、先輩が注意すべきところだよね。挑発に乗る翔也もダメ。怪我を隠し、更にはくだらない挑発に乗るなんて自業自得としか言いようがない。
肩関節唇損傷って、大谷翔平がワールドシリーズで故障した箇所と同じだ。何にしても翔也はプロを目指しているのだから、心もプロにならないとね。素人の自己診断で下手に悪化させるより、プロフェッショナルなスポーツ医学の医師にしっかり診てもらうべき。プロはプロを信じないとね。
立川だけど、これは昭和臭い論法であって昭和の論法ではない。昭和の論法にはその時代なりの合理性があった。その頃は新人の数も多くて、ひとりひとり丁寧に教えている時間も余裕もなかったわけで、まずは根性論でふるいにかけ、残った心身ともタフな者に指導するのが合理的だった。中途半端に平成で昭和を出すから、単純に「ダメ」になってしまう。そういう時代の機微を踏まえてストーリーやキャラを作って欲しい。
ちなみに聖人の言い分はいつの時代でもダメ。昔と今の違いは、家庭内離婚状態になるか、本当に離婚されるかの違いくらいww。まあ本当は仲良し設定だから、そうはならないだろうけど。
あまりもの脚本のつまらなさに視聴をやめました。
これまでで初めてのことです。
おかしくないか?
自前の店ならば、調理長のやり方で好きなように人を選び、好きなように指導すればいい。でもこれは一企業の社食でしょ?そういうこだわりはいらないし、後輩を育てるのも仕事のひとつでしょ。本業ではない福利厚生の一環に過ぎない部署で、そんな身勝手な社員がいたら、辞めろとばかりに全然関係ない部署にでもおくられて自主退職するしかなくなるね、普通は。
その上、尾崎豊を熱唱って、どう考えてもこの時代より10年くらい前の感覚だと思う。まあそういうキャラという設定なのかもしれないけど。
翔也の肩だけど、社会人野球の強豪ならトレーナーくらいいるでしょ?それにキャッチャーだって、ずっと翔也のボールを受けているんだから、肩を痛めればボールが浮き気味になるし、間違いなく球威が落ちるから、気が付きそうなもんだけどね。
昭和なら肩にメスを入れれば引退みたいな感じで、故障してもだましだまし投げる選手もいたけど、もうこの頃にはピッチャーが手術するのはよくある時代になっていし、すぐ監督に話すべきだけどね。それが社会人とはいえ期待され野球で飯を食っている者の責任だと思う。
こればっかりはお父さんの意見に賛成かな。ああいうプライドが高い人に入りたてのひよっこが意見するのは危険。今まで自分の城で好き勝手にやってきたのに、自分の持っていない資格とやらを持っている結がいきなり入ってきたら面白くないでしょうね。すぐに辞めるっていうのもあるある。自分が抜けたら困るのを知っているからわざと言うんだよね。でもさ、会社の人が1番悪いでしょ。いきなりあんな現場に放り込むって悪意さえ感じるわ。
ギャルにも野球にも詳しくないし興味がないから今回の朝ドラにどこも引っ掛かることができなくてつまらないと感じてしまう。ギャルって自分のやりたいことを信念を持ってやるみたいに崇高に扱われているけど本当にそういうものなの?って思うし、平成のカルチャーの一部であってそこまで大したものじゃない。ただの女子の思い出の一部でしょ。そこで根性を身につけた?ってほどなにかあったっけ?恋人と順調そうでよかったわねーっていう親戚のおばさんくらいの感覚で見るだけだわ。
感動的に回想シーンを出されても、学生生活なんてそれほど密に描かれていなかったし、重要な場面もなかったからねぇ。
もりもりなんて学生生活ラス前にひと騒動あっただけ。これで「ああ、こんなこともあったな」なんて感傷にひたる視聴者っているのかな?内容の薄さって描いた時間数もあるけど、それ以上に描き方だと思う。先生なんてせっかく相武紗季さんを起用しているのにそれほど存在感を示す場面はなかった。
よくわからないが、脚本は無難さを重視しているのかあまり盛り上がりがない。シビアな震災も描くから慎重なのかな。
翔也の異変で多少は波乱の予感だけど、冷静に考えれば野球選手に故障はつきものだしね。天然の結がいろいろ考える機会にはなりそうかな。
大阪から巨人行ったら、そりゃ裏切り者みたいに言われる部分あるだろうけれど、でもあそこまでじゃないんだけどな。
だいぶ誇張されてるのは、やはり笑わせたいからなのか。
ただ、今ごろどうして栄養士になりたかったのかという部分で引っかかっていたりする結は何なんだろう。
やっぱり本気じゃなかったんじゃないの?って言われても仕方ないかな。
それでいて彼氏のコネ入社が嫌だとか、贅沢なこと言っていて。
どうしてもじゃないんだなーと見ていて思う。
「ずるい」って何が?という感じ。
個人的な感想だけど、学校もサボり、遊びまくっているのに、親のコネで一流企業に入ったというのならまだわかる。でも真面目に勉強して、玉砕を繰り返しながらも就活して、結果彼氏という知り合いからのつながりで就職できるのが、「ずる」になる?
少なくとも脚本家はこれが少し「ずるい」かもと感じたから、こういうふうに書いたわけだよね。でも私はまったく「ずるい」とは思えないし、そう思う感覚がわからない。
こういうのは「縁」と呼ぶのが正しい。それが古来からの日本人の感覚じゃないのかな。行き過ぎた正義感とか潔癖さは、場合によって「縁」を損なうものだと思うけど。
やっと茶髪が黒髪になりかわいらしい顔立ちに合ってきた、主人公が落ち着いてくると見る方も落ち着く。栄養士の学校の話がメインでちょっとは面白いものが見られるかと思ったけどすぐに就活になっちゃうのね。食育とか栄養学とかいくらでも面白くなりそうなものをすっ飛ばして、やったのは炊き出しだけ。もったいないな。これだけ結の就職を引っ張るのは翔也の会社へ繋がる伏線か?食堂のお兄ちゃんが萩原利久さんだったよね?ちょい役であるわけないと踏んでいる。
また結に新しい性格付けで極度の上がり症というのが後付けで出てきた。
天神で悪い事している女子に意見した時も、マキちゃんのお父さんに姉の代わりに話に行った時も、緊張している風だったけれど言いたいことは言っていた。
それがあんな風にグダグダになるだろうか?
スポーツ専門の栄養士の働き先が少ないこと、そもそもまだスポーツ専門の栄養士の必要性がスポーツ界に認知されていないこと、競争相手が多すぎて狭き門で新卒の栄養士だとハードル高いというだけで充分だったのではと思う。
四ツ木の先輩が栄養士のことを掛け合っていたけれど、リーマンショック後で企業も体力がない。
コネ就職かと思ったけれど、そうはならなさそうで良かった。
プロ野球でも食事の管理栄養みたいなことを言い始めたのは、1982年から西武ライオンズの監督だった広岡達朗さんだよね。当時は相当反発もあったし、当たり前になるのにはまあまあ時間がかかった。
でもリーマンショックの頃なら2008年だし、翌2009年にはナショナルトレーニングセンターも出来て、少なくともアマチュアのトップ選手なら栄養指導も受けられる体制は出来ていた。そう考えると野球の強豪企業だというのに、このチームはだいぶ遅れている。
というか脚本上、無理矢理はめこんだ感じがする。
就職活動は大変だ。
そりゃあ栄養士よりも管理栄養士の方が有利に見えるだろうけど、企業の採用は必ずしも優秀な人が採用されるわけじゃない。性格適性もあるし、社内でのさまざまなバランスもある。それよりもテンパって、支離滅裂になってしまったことの方がヤバいかな。
気になるのは森川。何をこそこそやっているのだろうね。まあ年齢的にも他の人たちとはいろいろ違う面があるのは間違いない。
そして翔也からの結婚話。ドラマだしここで食いつかないんだろうね。普通なら食いつくと思うけど。
マキちゃんが将来どうしたかったとか、そんな大事なこともなかなか父とは話したりできなかったんだな。
それを親友に聞くとかいう発想すらなかったのだろう。
父のことをどう思っていたのかとか、今だから冷静に語れること聞けることがあって、やっと繋がって理解ができた。
歩のことも今までのようには拒絶反応出なくなるだろう。
いろいろと違和感のあることもこのドラマは多いけれど、歩とマキちゃんのお父さんとの関係に関しては描いてくれて良かったと思う。
孝雄は仕事大好き日本人らしく、結局は仕事がらみの決着というところが残念です。もし孝雄が仕事を誇るような職人じゃなく、ごく普通のサラリーマンだったら説得力はあったでしょうか?職人とか自営業でもない限り、子どもが父親の仕事ぶりを見ることなんてないのが一般的です。被災者の中心はサラリーマンだった筈だし、その多数を避けたのは、多分脚本として描きづらかったから。そんな裏側が透けて見えます。
また翔也ですが、高校野球のしかも激戦区福岡で決勝まで進んだエースが、社会人になるまで変化球を投げていないなんてことはあり得ないね。だから変化球を「覚えて」というのは首をひねります。変化球を「磨いて」ならわかるけど。相変わらずいろいろ雑かな。
悲しみとの向き合い方は人それぞれという至極当たり前のことにたどり着くまで時間がかかったね。地域の炊き出しなのに結たち学生がやってしまうのはどうなのか?レシピややり方をレクチャーする会にした方が良かったような気がする。なべさんに炊き出しの手伝いはできないだろうと思っていたのでそこは想定内。なべさんはベタベタ寄り添うのではなく視界の隅っこに入れておくくらいの距離感のほうがいいのかも。なんでもお節介したらいいと言うもんでもないと思う。
大人になってから兄弟を亡くすのと、一人娘を亡くすのとでは、後々生きていく支えが有るか無いかという意味でも立ち直る時間が大きく違いそうだとは思う。
ただ、横で悲しみだけを見つめて生きている人がいると、自分まで後ろに引きずられそうだから「辛気臭い!」と切り捨てることで自分を守っているのもわかる。
正解がないからないからこそ、丁寧に扱って欲しいな。
震災を教訓に、防災関係の行事は増えている。
うちの地域でも年に2回あるけれど、炊き出しは地域の人で練習兼ねてやっている。
結の学校のあのグループが提案するのは良いけれど、作って配るまでやっちゃったら練習にならない気もするのだけれどどうなんだろうね。
うまくまとまったようになったけど、個人的には違うんじゃないかと思う。結が言ったようなことなんて、それこそ、そこに残って頑張り続けた人たちの方が骨身に沁みてわかっている。だから何でお前が言うのと首を傾げてしまう。結たちも現在の街の当時者だから、孝雄が行事に不参加なのを問うのは構わない。でもいない間に起こったことについてあれこれ言うべきではない。
自分のいないところで起こった出来事に対して、どれだけ想像力が豊かな人でも、その場にいて経験した人の気持ちを完全にトレースし、理解することはできない。ましてや未曽有の大災害だし、その影響は何十年たっても残る。つまり震災当日を経験しても、その後避難した結たちに街の復興過程を語ることはできない。
もちろん結たちのような立場の人も、あるいはまったく震災とは関係のなかった人も、それぞれの立場から意見を言うのはまったく構わない。でもそれはあくまでも自分が責任を持って語れる範囲にとどめるのが良識だと思う。
こういう結果オーライのポジティブ思考は、あまりに押しつけがましくて、個人的にはついていけない。
みさえさんの気持ちもわかるしなべさんの気持ちも分かる。いつまでもグジグジしてられても困るっていうのも分かるけどただでさえ妻を亡くしてふさぎがちなところに娘の死だからねー。しかもその死を間近に見てるんだよね。どうして自分がそこで寝なかったんだろうとか手を伸ばせばそこにいた命が消えてしまう悲しみはいつまでも消えない。歩も悪くないけどいるだけで傷つけるってこともあるんだよ。成長することのできない娘とどんどん綺麗な大人になっていく歩や結、違いすぎて見るだけで辛いんだろうな。
まあドラマだから仕方ないんだけど、それなりに頑張ったとはいえ、簡単に結たちのグループが評価されちゃうのかと首をひねってしまう。栄養学的には良いのかもしれないけど、鯖とワカメだと、それなりに苦手な人もいそうだし、食が進まない人にも食べてもらうのには向いてない気もする。
結が温かいおにぎりにこだわるのはわかるけど、被災者側からすると寒い時期は味噌汁とかスープがありがたいんだよな。便秘はさ、食べ物の問題じゃなく、トイレが汚いから我慢するってのも大きい。
というか季節にもよるから、もっと焚き出しの状況の細かな設定があっても良かったかもねぇ。その方が教育としても良いと思うんだけど。
炊き出しの話長いなー。震災当時の話をリンクさせて丁寧に見せたいのかもしれないけど朝からちょっと重たいんだよね。今のところ便秘にはワカメがいいってことしかいい情報はない。すごく苦労したんだろうし後世に伝えていくのは立派だけど、そういう経験がない人でも結構見ているのがしんどい。被災後の方が大変なんだよね。こんなに時間を割いて昔のこと思い出させてどう決着をつけるのか?苦労した人が報われるようなドラマにできるといいな。
美佐江さんの言葉、よくわかります。
たとえば東日本大震災で宮城と岩手の沿岸部に生まれ育った人で、親しい人を1人も失わなかった人を探す方が難しいでしょう。あの時、被災者が協力し合ったのは、誰もが痛みや哀しみを抱えていたし、皆それを知っていたから。
おそらく孝雄が当初協力的だったのは、「復興」が「元に戻る」ことだと思っていたからじゃないかな。でも結局、娘は戻ってこないし、失ったものは戻ってこない。
一方、美佐江さんは「復興」を生きることに結びつけたから、以前とは違うパン屋でも良かった。「元に戻る」ことを願っていた孝雄にはそれが許せなかったんだろう。
まあ推測だから違っているかもしれないけど、「復興」ってひと言でまとめるのは、被災者からすると暴論なんだと思う。
寒い時期の災害では、本当に温かいものはありがたいよね。口にすると自分の体が本当に芯まで冷えていたことに気付いたりする。
味はどうだったかなんて、食えればいい感じで覚えてないな。1ヶ月後くらいに、まだほとんど具なしだったけど、店のラーメンを食べた時につくづく上手いなと思った記憶がある。
阪神淡路大震災は比較的狭い範囲で起こったから、救援や焚き出しなんかが早かったんだなと改めて思います。人口密集地であるのも、人的被害が大きくなった反面、その後のマンパワーには不足しないという利点もあったのではないでしょうか。
ドラマとはいえ、そういう点がもっとくみ取りやすくなる工夫が欲しいです。
阪神淡路大震災の経験を語り継ぐことは大事。そこは是非、いろいろな形でやって欲しい。
ただ、とてつもなく広域の災害だった東日本大震災とか、今年あった能登の震災みたいに地理的にいろいろ難しい課題があるとか、同じ地震でも状況は相当に違う。
だからこそより突っ込んだものにするか、あるいはある一点に焦点を絞り込むかした方が説得力があると思う。心の回復がテーマなら、それは災害に限らない。なのにあえて阪神淡路大震災を舞台のひとつにするのだから、一般論を並べるのではなく、あの大震災だからこそわかったことや伝えられることをちゃんと踏まえた内容にして欲しい。
現状は別に阪神淡路大震災である必要性を感じない。
神戸の震災を扱ったドラマとしてこれでいいのかな?不安に思います。もっと伝え方があるだろうし捉え方もいろいろある中でこのドラマで合っているのかとても心配なところです。多くの朝ドラが戦争だったり震災だったり人々の困難な時を扱っていますが1番なにが伝えたいのか分からないのがこのおむすびです。それだけでも大きなテーマなのにそこにギャルをつける意味もわからないし、やりたいことを信念を持ってやるのがギャルってところにら違和感が‥さちはギャルではないと思う。
個人的には「心の復興」なんて言い方も気に入らないんだけどね。
たとえば東日本大震災から10年ちょっと立って、今でも当時の話をすると泣き出す人や不機嫌になる人もたくさんいる。今の世の中は妙にポジティブな方向へのバイアスが強くて、ネガティブな感情は間違っているとか正しくないみたいになっている。だけど強いストレスに晒された人間がポジティブでいられるわけはなく、余計なお世話だと怒ってしまう。まあ孝雄はもちろん沙智もそうだよね。
人はもっとネガティブな感情を抑えるのではなく許容しないと、どこかにひずみが出る。だからと言ってよほど身近な人でなければ、特別に配慮する必要もないし、歩のように決然とすべきところはすればいい。要はそれぞれの生き方だから誰かを無理に変えさせるのではなく、譲るべきは譲り、譲れないところは譲らなければいい。互いに納得できないことはあるだろうけど、それさえお互い様。お互い様だから最後はどちらも半歩ずつ譲れば、一歩譲ったことになる。
朝から見るドラマなんだから、それくらいの思想で作って欲しい。
支えられる側の気持ちねぇ。学校でのロールプレイングはなんとなく分かるけど翔也の食事は全く共感できず‥。言えばいいじゃんの一言よね。結だってまだ習いたての知識しかないんだし押し付けたわけじゃないんだから翔也が試してみてこんな感じなんだけどって感想をもらってまた再構築したらいい話でしょ。傷つけるとかそんな話じゃないじゃん。めんどくさ。なべさんはもうほっといたら?なにがなんでもみんな仲良しじゃなきゃいけないってこともないと思うけどね。
やはり結の考えたメニューでは問題ありだったか。
結も高校時代の弁当事件で監督に言われて、スポーツ選手の食事管理って難しいってわかっていたはずだし、スポーツ専門の栄養士はとても難しいって専門学校でも言われてたわけだから、なんで安請け合いしたのかなと呆れてしまう。
足りないままトレーニングなんてしていたら、ケガのリスクだってありそうだし。
さっちんに謝っていたけれど、自分のこと分かってもらうための謝罪に見えるし、なんだか見ていてモヤモヤイライラする。
そろそろ離脱しそうだ。
愛子の言う通り、話し合えばわかりあえるかもしれないけど、でもそれは互いに歩み寄ろうとしている場合であって、孝雄とか沙智のように拒絶している相手には通用しない。
そもそも言葉が通じるからといって分かり合えるとは限らない。特に震災のような過酷な経験をした者は、経験してない者から「わかる」とか「絆」とか、知ったような言葉を聞くと、内心ではわかってないなと思う。
それはどんなに想像力が豊かな男性でも出産の苦しみはわからないのと同じで、突き放すとか拒絶とは違う。理解力とか想像力の問題でもない。どうやっても越えようのない経験の差だ。
どうせならそこにもっと深く踏み込むくらいのシナリオだったら、阪神淡路大震災を背景にした意味もあるのだろうけど、きっと話し合いで何となくうまくいっちゃうんでしょうね。
翔也の食事シーンを出すまでもなく、素人に毛が生えた程度の学生が考えたメニューじゃ問題ありだと、結が安請け合いした時点で感じていました。
結は彼がどんな練習メニューをこなしているのかもわからないし、投手というものの筋肉疲労や運動量もわかってない。精神面に配慮したチートデイの設定もない。しかも彼はまだ成長期。
結は高校生の時、翔也の監督に食事について厳しく注意された筈。それをまったく教訓にしていない。能天気な結はともかく、せめて大人で社会経験もある森川は自分たちがまだ十分な能力を持っていない学生であることを、注意喚起しないとね。
このドラマは全体的に展開の仕掛けが雑だけど、今回も荒さが目立ちます。
なにもお墓参りにいかないとまきちゃんを供養できないわけじゃないし、渡辺さんと会わなくても商売ができる。お父さんだって引っ越しの挨拶はしたし義理は果たしたでしょう。どうしても分かり合えない人っているからもう関わらなくてもいいのでは?結のギャルへの勧誘もそうだったけど無理に関わろうとするところがしつこいのよ。結はさっちんへの配慮に欠ける質問するしね〜。さすが震災でもらったおにぎりをチンして!って言う子だわと思ったわ。
どうせなら、「野球の投手で課題はスタミナ不足」という想定で、3人でメニューを組んでみたのですが、と教員に添削してもらえば良かったのに。まだ早いって教員もいるかもしれないけど、学生の自主的な学習に対して、裏があるなと思っても真摯な行動なら、指導してくれると思うけど。案外、教員ってそういうもんだよ。そういうシーンを入れておけば、結が真面目に頑張っているのももっと視聴者に伝わるし。
さて孝雄のことだけど、米田家がおせっかいな家系だとしても、いい歳したおっさんに人生ってもんを教えなければいけないほど、暇なわけでもないし、放っておけばいい。墓参りも命日とか月命日を避ければ、そうそうかち合うこともないだろうし。現実ならそうするんだろうけど・・・まあドラマだからねえ。
渡辺さんって元々難ありの人だからそれくらいやっても不思議ではないのよ、なんだ?あの人って人はどこにでもいるからね。でもそういうキャラクターを持ってきた意味はそろそろ知りたいかなー。娘のことを忘れて最初からいないように振る舞われたらもっと嫌なんだろうに、何年経っても忘れずにお墓参りまでしてくれる友達を邪険にする意味ってあるのかね?神戸の町の人たちはあの時そこにいた人たちの代表でいろんな人がいてもちろんいい。だからこそ渡辺さんの気持ちが知りたい。
どういう事情や感情があるにせよ、花を突き返す孝雄の態度はあり得ない。たとえば家に焼香に来たのなら断ってもいい。それはある意味で残った家族へのいたわりでもあるのだから。でもお墓に供えた花を拒否するのは違う。別にそれは孝雄に捧げたものではなく、シンプルに真紀への思いなのだから、親であれ勝手に突き返すなんて亡くなった娘にも失礼だろうに。
どれだけ不器用で頑固だと言っても、歩の真紀に対する気持ちをないがしろにするのは、大人としてはもちろん、人としてダメだ。傷の癒えるタイミングや時間は人それぞれだと思う。だけどそれは他人だって同じこと。自分の思いを通すなら、相手の思いも通させるべきなのに。
かえるの解剖は懐かしいな。高校の生物でやった。
昼食前の授業で、食べられなくなる人が出るのはあるあるなのだけれど、男子が食べられなくて女子は平気だったけれどな。
あの感じだと班の振り分け考え直して欲しいと思うんだろうけれど、やっぱりそういうのはだんだん受け入れてもらえない年齢になってくるよね。
教師にいろいろお膳立てしてもらえて、手助けをもらえるのは中学までのような気もする。
合わない人とどうやって折り合いをつけるかというのも社会生活をする上では大切なことだし。
マキちゃんのお父さんはもう前を向くのを諦めてしまっているというか、心の支えなくなってしまっているからね。
周りから見ればいつまで!って思うんだろうけれど、立ち直りにかかる時間は人それぞれだから。
あの家は良くわからないけれど半壊とかなのかな?
いつまでも半壊の家に占有みたいにして頼まれて住んでた人は知っているけれど、役所が立替の説得しに来たりとかあったのは知らなかった。
復興と一口でいっても、スピードは地域性も人間個人もほんといろいろだったなと思う。
調理実習の先生なかなかやるね。班を替えてくれって言う方もどうかと思うけどその意見を受けて献立を班で考えさせたり調理させたりと一回揉み合う時間を作り、最後には口頭で納得させた。指導者として1番いい対応だったんじゃないかな。仕事に就けば合う人も合わない人もいるわけでキャリアも違うしもっと複雑な人間関係の中に入っていかなきゃいけないんだからこれはいい機会と捉えて頑張るしかない。最後には仲良しグループよりも成長できるかもしれないね。
もしグループ分けを変えたとして、また気に入らなければ、ふたたび変えてと言うんだろうか?18歳ないし19歳として、あまりに幼く、自分勝手な行動について恥ずかしいと思わないのがすごい。昭和なら恥ずかしくて切腹ものだ、とか言うと思うよww。
もちろんベタベタに仲良くなる必要はないけど、先生の言う通り、意見の会わない人と組むのに慣れないとね。それは仕事だけでなく、人生すべてがそう。意見の会わない人をことごとく排除していたら、最後は自分自身の抱える矛盾すら受け入れられなくなり、自分さえ排除しなければならなくなるかもしれない。
だから許容って妥協ではなく、生きるための知恵なんだよね。
神戸には仲間が呼んでくれて戻ってきたんだし卑屈になる必要はないけれど、一定数反発する人も出てくる方が自然だと思う。必死になって立て直した頃に帰ってきて同じところでまた商売が始められるなんて妬まれても仕方ないもんね。震災の乗り越え方は人それぞれで、同じ年数が経ったからといって同じように傷が小さくなるわけでもない。自分の娘は中学生のままで時が止まっているのにきれいな娘に成長した結を連れて楽しげに歩く米田一家は眩しすぎる。やりきれない気持ちはどうしたらいいのだろう。
学校でひと悶着というのは朝ドラではあるあるの光景だけど、それにしても幼稚なもめごとすぎる。昭和の少女漫画かよって思うような展開は、ちょっと萎えるかな。
別に意味ありげで高尚な話にしろという訳じゃない。でもせめて栄養士を目指す人たちならではの悩みでぶつかって欲しい。それならば視聴者の栄養士への理解も進む。
孝雄が聖人に「神戸を捨てたくせに」と言ったけど、東日本大震災の被災地に住み続ける身の実感としては、首を傾げる。それを気にするのはむしろ出て行った側の方。この場合だと聖人だ。
だから彼が神戸を気にしていたのはよくわかる。でも残った側はそんなこと思わない。残る側にだって理由があるから残っているわけで、出て行く理由がある人は出て行けばいいとしか思っていない。
だから孝雄のセリフは「神戸」ではなく「俺を捨てたくせに」という意味が隠されているのだろう。そしてそれは死んだ娘が「俺を置いて行った」にも変換できる。
脚本としてそういう狙いなのはわかるけど、被災経験があれば残った側も出た側も、聞いて気持ちの良い言葉ではないし、心外だなと思う。強すぎる言葉はもっと慎重に使って欲しい。
栄養士になる!って決めて学校も決めたのに、どんな勉強するのかどんな授業があるのか調べないのかね?高い学費払って遊びにいくなら勘弁してほしいわ。調理実習があると知っていてあのメイクとネイルはない。彼氏が〜なんてアホ丸出しだしで朝ドラファンに受け入れられるのか?ギャルを拒んでいた真面目ちゃんかと思っていたら想像以上にバカで驚いた。これも伸び代を作るため?なんて思うけど、その前に愛想尽かされないといいね。
やっぱりね。そりゃ、あのネイルもメイクも衛生的にはアウトだろうと思った。
それに好きなことを貫くって相当大変だと思うよ。
それに気づくのが今ごろとは、なかなかに鈍感力高そうだ。
それと専門学校の結のチームはなかなかクセ強そうだ。
先生も厳しそうだし。
でも、ちゃんとメイクとって戻ってくるまで待っててくれるのは良心的かも。
追い出されて終わるもあると思うし。
動機なんて立派なら良いってもんじゃないから、結の動機がどうでも構わないと思う。でも爪やメイクはダメって、ちょっと調べればわかること。とりあえず将来の道と定めた以上、せめて少しは事前に調べておくべきだと思う。
無知が悪いとは言わないけど、結局は自分を下げる秤にしかならない。
専門学校の教員あるあるだけど、初っ端にちょっと強めの極論で学生たちの気持ちを引き締める。死者が出るとか、砥ぎをずっととか、そのパターンだね。嘘じゃないけどそうあることではない。そういうところは学校らしくちょっとだけリアルでした。