※まだ評価はありません。
脚本・ストーリー 2.8 /5.0(55%) | 910位 /1087件中 |
キャスト 3.0 /5.0(59%) | 956位 /1087件中 |
演出 2.9 /5.0(57%) | 889位 /1086件中 |
音楽 2.6 /5.0(52%) | 926位 /1087件中 |
感動 2.9 /5.0(57%) | 661位 /1082件中 |
笑い 2.8 /5.0(55%) | 578位 /1082件中 |
スリル・興奮 1.9 /5.0(37%) | 1032位 /1079件中 |
脚本・ストーリー 2.8 /5.0(55%) | 910位 /1087件中 |
キャスト 3.0 /5.0(59%) | 956位 /1087件中 |
演出 2.9 /5.0(57%) | 889位 /1086件中 |
音楽 2.6 /5.0(52%) | 926位 /1087件中 |
感動 2.9 /5.0(57%) | 661位 /1082件中 |
笑い 2.8 /5.0(55%) | 578位 /1082件中 |
スリル・興奮 1.9 /5.0(37%) | 1032位 /1079件中 |
家を売るのに賛成していた二人も、結局は家族のことを考えていたからこその判断だったということですね。そのきっかけとしての家族全員プラモというのはありかもしれませんが、元々仲が良くない家族なら、よりケンカになるだろう。リコがああいうコである小向家だからこそありだった。これで「量産型リコ」シリーズは終わりのようです。第一シーズンはリコ自身、第二シーズンはリコと仲間、第三シーズンはリコと家族という物語だったといえそうです。矢島模型店、近くにあったら行くかもなあ。シリーズ全体として、決して芝居は上手ではないし、模型もストーリーも偏っていたので高い評価は難しいけど、与田さんのファンなら楽しめたのではないでしょうか。
長女の主張は実家がなくなってしまうというノスタルジーに浸る感傷的なものしかなくて、ちゃんと両親の今後を考えているのは三女だと思った。歳を取ったら田舎でのんびりなんて言う人もいるけど、交通の便のいいとか大きな病院があるとかの方が老後は安心。家には思い出がいっぱい詰まっているけれど、家族が元気なら次に住むところが実家になる。だから小向家はどこに行っても大丈夫!大きなプラモデルを家族全員で作るって面白そう。やってみたいな。
別に「正義」とかいう話ではないけどね。まあそこはある種の比喩として理解するとして、重要なのは「理解」と「納得」です。意見や主張の対立なんてどこにでもある。互いに100%を通そうとしたら最後は力の対立になる。だから互いに譲歩して落としどころを見つける。みんな欲張り過ぎるからぶつかる。この場合も家の何を残すのか、が問題。家自体なのか、思い出なのか、何か残せるのか、何を捨てられるか、それは人生と同じ。最後にリコがどう動くのか注目です。
見方によっては愛着があって手放せない思い出の家、一方ではメンテナンスが大変な古いだけの家。ここにしかない景色があり離れ難いと思う人もいれば便利なところに引っ越せるなら引っ越したいと思う人もいる。どちらも正解だよね。またくれ!と言われるからイヤ!ってなってるふしもある。お父さんなんか正にそうだよね。普段は便利な都会に住んでいる長女が反対するのもよく分からない。でもちゃんと家族会議ができる家は素敵だな。
まあ確かに趣味を仕事にすると、いろいろ現実を知ったり、ままならないことがたくさんあったりで、好きだったものが嫌いになるってこともあるだろうね。でも同時に得意なことや出来ることが、その人に向いているかというと、そうじゃないケースも多々ある。難しいね。若いうちにいろんなチャレンジすると新たな発見もあるし、違う可能性を見つけられるかもしれない。そこが大事なんだと思う。メカゴジラだけど、最初のメカゴジラとは結構違うね。ゴジラは水爆実験から生まれたわけで、科学のアンチテーゼだったわけだけど、メカゴジラはそれでも科学を推し進める人間の良さも悪さも含んでいる。妹の悩みにピッタリな選択だったかもしれません。
なにも始めていないのに諦めちゃうのはもったいないと思うのは他人だからなんだろうか。好きなことや夢を見つけられるって結構すごいことだと思うけどね。まぁ夢で食っていける人なんて一握りだろうし、夢を掴めず苦しむくらいなら初めから趣味にしてしまった方がいいこともある。カエが諦める前からリコが遺作と言っちゃうのも違う気がするけど、姉妹として感じることがあったのかな。好きは好きのままで心にしまっておくのも悪くない。カエはどんな未来を歩むのか楽しみになった。
幼なじみの異性なんて、マンガの中以外に存在すると思えない環境だったので、幼なじみの告白という奴にはどうも違和感を覚える。まあずっと一緒ではなく、途中で距離ができて、思春期になって再会すると、妙に大人になった相手を意識するというのが真相で、恋愛とはちょっと違う気がするんだけどね。まあリコにその気はなさそうだし、そちらの方が理性的だと思う。プラモの方は「怪獣8号」に興味がないので、よくわかりませんでした。
小さい頃に交わした幼馴染とのかわいい約束は2人の記憶が微妙に違っていてクスッとさせられました。思い出は美化されるのお手本のよう。また何年か経って思い出す猪との遭遇事件も浅井の脳内では都合よく変換されているかもしれないですね。白い上下で中のしましまが見えているようなファッションセンスの持ち主と恋に堕ちるかといわれれば微妙。付き合ってくれと言われた理由も微妙。浅井くんのキャラ無しでは成立しないでしょうね。
ガンプラ世代ではないので、リアルグレードからマスターグレード、そしてパーフェクトグレードまであるんですね。ちょっと驚いた。はまる人が多かったのもわかる気がします。さて侑美ですが、量産型ズゴックか。渋いけど、意外にズゴックって人気あるよね。モヤモヤ関係って夫婦ならあるし、リコの言う通り、2人にしちゃいけない時間と2人の方がいい時間ってある。やはり2人でいい時間にゆっくり話し合うことが、基本だと思うよ。宇宙での2度目のプロポーズ、それが叶うといいね。
夫婦で同じ夢を見ている時は誰よりも強い絆で結ばれているしカップルとして最強だろう。だけどその夢が破れた時、同時に破れればまだしも片方にだけ希望が残されているとしたら関係がギクシャクしてしまうのも仕方ない。双方どれだけ思い遣っても食い違いから険悪になることもあるだろう。それをプラモデルを作ることでサラッと解決!はしないだろうけどお互いの想いを知れるものになったのは良かった。同じ作業中なら向き合うより素直になれるのかもね。
昭和の小学生の男の子みたいなことをしているよね。今の子はやらないんだろうな。こういうごっこ遊びって。パパの失敗はまあこんなもんだろう。「頭文字D」のハチロクのトレノはこのマンガで人気になった記憶がある。その前はレビンの方が人気があったな。軽くて、改造しやすかったし、FRだからドリフトもコントロールしやすかった。オヤジたちには懐かしい記憶です。まあリコはなんとか花火は見られたし、よかったんじゃないですか。まあ田舎だと、大概の人が免許持ってるけどね。
花火大会に友達を1人も誘えないリコってとも思いましたが、父親と2人でいく発想もなかなかない。その上父親が妄想だけで盛り上がってビールを飲んじゃうとかありえない。話につながるようにとする展開だとは分かっていてもイライラしてしまう。あんなことが起きたら父親のことを嫌いになるだろうし、ずどーんと落ち込むことだろう。でもあれは免許もない車に関心のなさそうなリコをイニシャルDに繋げるため、なかなかの力技だったと思う。
正直、父親の気持ちはよくわからないし、Zガンダムにも特別な思い入れはないから、この盛り上がりにはついていけない。優しさにはいろいろな種類があるけれど、基本的に相手に伝わっていない優しさは優しさじゃない。後々わかるとかいう厳しさは、優しさではなくて、教育的とか指導的なものだと思う。それも優しさだというのは結果論であって、結果をみなければわからないものはそもそも定義できないからね。なので二人がしっかりコミュニケーションをとれたことは大人として優しさを感じ合える土台が整ったと言えるのかな。親子に限らず人間関係は土台が大事。それがないのにいろいろ言うからハラスメントになるんだよね。
お父さんってどんな人?って成人した娘に聞かれるってなかなかシュールだなと思いました。改めて考えたことないなーって意味だと思うけどなかなかショックな発言です。田舎の役所でなんでも屋になっちゃうのはあるあるなのかな。人がいいからどんどん頼まれちゃうようにも見えるね。3人の娘と奥さんを養うのは今の時代相当なスペックよ。3人の娘たちにその凄さが分かるのはまだまだ先かもしれないけど、絶対感謝する時が来ると思う。
どうやらこのシーズン3のテーマは家族のようですね。そして母親ですが、そもそも母親が誰を押し活しようが、それで家計を圧迫するのならともかく、この程度のことで家族の危機というのは大袈裟すぎると思うけど。まあこの結論通り、誰がどう押し活しようと自由。子どもたちが思う母親像に縛られる必要はないし、それぞれの自由がある。何にせよ家庭の危機だとは少しも感じなかったし、ちょっと無理がある展開だったかな。むしろこれを危機と感じる側の方が心配なくらいだね。
子供の成長は嬉しいしいつか巣立つことは覚悟しているけれど賑やかだった家から1人また1人と出ていくのは寂しいよね。そんな時に出会った推しは素直に意見を聞いてくれるかわいい子。のめり込むのも分かるよね。出て行ったのは娘たちの方なのにその背中を見ててほしいのも子供心なんだろうなと思った。とは言え溢れて行き先をなくした愛情の受け皿は必要なわけで、それを埋めるのが推しっていうのはいいんじゃないかなと思った。
年上のかわいいお姉さんとひと夏の思い出は、きっと少年の心にいろいろな形で残るでしょうね。ひとつは淡い初恋ともいえない憧れ、ひとつはマレビトとしてのギフト、更に本来少年が持つであろう冒険心。羨ましい限りの夏です。それにしてもネットでまとめる自由研究って「研究」なのかな?フィールドワークしてこその研究じゃないの?それを許すような教員は科学的思考がなんたるかを知らないのだろう。汗をかかせるリコの方がよほど教員っぽいよね。
親戚の男の子は7歳にしては大人びているというかかわいくない感じになっちゃっているけど、それも経験や環境によるものなのかなと考えてしまった。いつもより子供っぽくなっている璃子に付き合っているって感じだったけどそこからは本来持っている自分のまだ7歳の部分が表れてかわいくなってきた。これも一種の発掘作業?と楽しく見ていました。子供は打てば響くのがかわいい。ヒットするポイントを見つけるのが大人の役目、璃子がんばりました!
まさかこのドラマがシリーズ3作目を迎えるとは思わなかった。主人公はこれまで同様、同姓同名の他人。矢島やアオは引き続きだし、違う役で継続出演の役者さんもいて、もう勝手知ったる感じかな。内容もいつも通りのプラモ女子。舞台もこれまでの都会の片隅ではなく、亡くなった祖父が住んでいた田舎。まあこれまで2作の下地があるから、メタな感じも含みつつ、リコの手際もいい。ドラマとして、芝居として、決してレベルは高くないけど、ここまで続いたのだから、与田さんのファンのみならず見られていたのでしょう。とりあえずおじいちゃんとの別れ。ちゃんと悲しめて良かったですね。リコよりもおじいちゃんの年齢に近い身ですけど、なんかわかります。
このドラマも第三弾、主人公の役者さんも小向璃子という役名も変わらないでシチュエーションだけが変わるのはとても面白く、共演者もほぼ一緒なので今回はどんな役で出るのだろうとワクワクします。考えてみれば小向璃子は量産型の人間ということなのでどこにでもいると思えばこの設定はアリなんですよね。そこも面白いな。さてさて今回は亡きお爺さんのプラモを完成させるところからスタートしました。お爺さんが触れていたものを触れたことでもっと近くに感じられ寂しくも温かいお別れになりました。心がじんわりしました。