あんぱん

千尋の役は、千尋その人でもあるけど、同時にこの時代の中で、似たような思いで死んでいった若者たちの代弁者でもある。

勉強もスポーツもできて、優秀な千尋であっても自分ではどうにもならない。もっと大きな時代の流れに翻弄されるその姿は、どんな大義名分があろうとも、戦争は悲劇であり、できる限り避けなければならないことだと改めて考えさせられます。

中沢さんの実直かつさわやかな中に、時代の蹉跌を感じさせる芝居はとても良かったと思います。

崇とのシーンが圧巻でした。この戦争がなかったらと何遍も繰り返す詩のようなセリフをひとつひとつ噛み締めるように言う千尋くん。何もなし得ないまま戦場に行かなきゃいけない虚しさや悲しみが押し寄せます。リハーサルでは泣いていたようだけど、本番では涙はなかった。その方がいろんな感情を飛び越えた末の覚悟が見えたので良かったと思います。

海辺のシーン、嵩に向ける優しい眼差しは「のぶと仲直り出来て良かった」とホッとしたような、兄貴良かったなって感じなんだけど、のぶを見つめる時は想いを抑え込んでるような、どこか辛そうで切ない表情を浮かべていて、言葉にしなくても千尋の心情が伝わってくる丁寧な演技がとても良かったと思います。

嵩の合否が気になって柔道着のまま自宅に戻ってきたり、合格を知った時の目一杯の喜びようだったり、兄貴大好きな気持ちが全身から伝わってくる姿が微笑ましくて、温かい気持ちになりました。真っすぐで賢くて優しくて、嵩曰く出来すぎな弟なんだけど、それを嫌味なく爽やかに演じているところも良いなと思います。

いつもお兄さんのことで一生懸命な千尋くん。叱咤激励し、崇くんが志望校に合格したと聞いた時はものすごく嬉しそうで微笑ましい気持ちになります。自分だけが知っている自分の兄をもっとみんなに知ってほしいという気持ちが後押しさせるのでしょう。

兄が溜め込む性格だと分かっているからこそ、乗せたり発破をかけたりと上手に気持ちを吐かせてあげる千尋が頼もしい。そうだ！その調子！など煽るように声をかけ崇の心を開かせていくのが上手です。そしてその時の嬉しそうな顔も兄が好きなんだなと伝わってきます。

のぶに兄への思いを語るシーンがとても良かった。穏やかで温かみのある声にほんのり孤独や淋しさが滲んでいて、兄のことが大好きな気持ちだけでなく、兄に置いていかれるのが怖い、離れたくないという恐れが感じられて、回想シーンで兄の服をギュッと握る姿が思い出されて胸にくるものがありました。のぶと目が合った時のあからさまに動揺する姿や、照れて鼻を触る仕草も初々しくて微笑ましかったです。

古風で素朴な雰囲気が時代に合っていて良いですね。がっしりした体型で柔道部っていう説得力があるけど、決して暑苦しくなく、爽やかさ全開なところも中沢さんならではの魅力だと思います。のぶと2人きりで話す時の緊張した面持ちや、あんぱんが好きと言った後のぶに向ける何ともいえない眼差しなど、のぶに淡い想いを抱いてるのかなあってほんのり匂わせる感じも上手いなと思いました。