※まだ評価はありません。
脚本・ストーリー 3.7 /5.0(74.6%) | 474位 /1088件中 |
キャスト 4.4 /5.0(87.2%) | 262位 /1088件中 |
演出 3.8 /5.0(76.4%) | 414位 /1087件中 |
音楽 3.5 /5.0(69%) | 557位 /1088件中 |
感動 3.8 /5.0(75.4%) | 166位 /1083件中 |
笑い 2.7 /5.0(54.6%) | 588位 /1083件中 |
スリル・興奮 3.0 /5.0(59%) | 681位 /1080件中 |
脚本・ストーリー 3.7 /5.0(74.6%) | 474位 /1088件中 |
キャスト 4.4 /5.0(87.2%) | 262位 /1088件中 |
演出 3.8 /5.0(76.4%) | 414位 /1087件中 |
音楽 3.5 /5.0(69%) | 557位 /1088件中 |
感動 3.8 /5.0(75.4%) | 166位 /1083件中 |
笑い 2.7 /5.0(54.6%) | 588位 /1083件中 |
スリル・興奮 3.0 /5.0(59%) | 681位 /1080件中 |
出演されている俳優さんが皆さん、とにかく演技がうまい
他者と交わることに抵抗がある2人が共同生活で家族(仮)になっていくってすごく良かった。いわゆる恋愛感情がないなら条件が合えば誰でもいいのか?って問題もあったけど最後には高橋さんじゃなきゃ、咲子じゃなきゃという絆も生まれて来たようだし成功だったと思う。ただ最後までアロマンティックっていう名称は必要だったのかどうかは分からない。LGBTの名称が増えていくように大袈裟に言えば一人一人個人で違う恋愛観があると思うし。触れ合うのが好きとか嫌いとか差もあるし。括る必要があったのかどうか。私はなかったと思っている。
とてもすてきな最終回だったと思う。家族(仮)が、ちゃんと家族になったような気がする。やりたいことを欲張っていいとこどりみたいに言っていたけれど、ちゃんと自分のことを理解し応援してくれる見方がいてくれるからこそ一歩が踏み出せる。最後のあの関係は家族(仮)から進化して、単身赴任(仮)ってところでしょうか。きちんと家族になれたからこその次のステップな気がします。恋愛ではないけれど、違う意味での人間愛で結ばれている家族で、本当に素敵だと感じました。ひとつの家族のかたちとしては充分にありだと思った。いいものが見れたなと思った。
基本はアロマンティック・アセクシャルというマイノリティの話ではあったのですが、咲子の言う、家族でもと仕事でも(仮)でいいという言葉に救われた人は多いように思います。自由を標榜する人が自由という言葉に縛られることはよくある話で、高橋もそうなっていた部分があったし、我々にも心当たりがある。でも結局、自分自身のことを決められるのは自分だけだという咲子の言葉に立ち戻るしかない。だから(仮)の生活って、これからの時代は誰にとっても大事なものになる気がします。
高橋さんは遥さんのことを好きだったんじゃないかな。おばあさんが喜ぶとかそういうのを取っ払っても、自分の中に認められないくらい微かにでも確実に恋に近いものがあったんじゃないかな。お互いの気持ちが盛り上がってしまうと相手に触れたい遥さんとどうしても触れられない高橋さんではそれ以上にはなれないっていう悲劇が見ていてすごく切なかったです。触れ合いは求めていないけど愛は求めている、そんな感じてしょうか。辛いだろうな。
高橋さんは一度は祖母の笑顔が見たくて自分を殺して結婚しようと覚悟を決めたことがあったのだ。でもどうしても相手に触れることができなかった。あれでは他者と生活することは不可能だろうなと思う。必死で自分を受け入れようとしてできなかった人のことを大失恋と言っちゃう社長もどうなのかな。きっと手をつないだことも寄り添ったこともなくて、それでも前に進めると思ったのだろうか。それとも、それでも側に居たいと思ったのだろうか。みのりの遠慮ない言葉もとても痛い。高橋さんとの関係性を知っていてなお子どものこと聞けとか信じられない。親しき中にも礼儀ありだし、相手が苦手とすることを躊躇なく聞くのは家族でもダメな気がする。でもこういう人多いのかも。
高橋さんと咲子の穏やかな生活を見ていると愛だの恋だのいいつつ子供を作り勢い余って外で浮気しちゃったりする、恋愛する人々はなんてめんどくさいんだろうと思ってしまう。でもそんなことを繰り返して子孫繁栄してきたんじゃない。愛に泣いたり喚いたりしながら次の世代を育ててきた。それを大変そうだなーと眺められるのはちょっと違うと思う。妹は確かに大変な時期だったから感情的になりすぎて当たりが強かったけど、正論なところもあると思う。
ふたりの年越しの両方をやるというのがとても素敵。どちらかを立てるのではなくて我慢をするのでもなくて間をとるのでもなくて両方。こういうのいいなと思う。兄弟姉妹とか親とかって血が繋がっているからか不躾なこと無神経なこと言ったりやったりしちゃうことってたくさんあって。血が繋がってるから仲直りできるという謎の自信もあったりして。本当は一番の味方であったり理解者であったりして欲しいのだけれど、そうはならない。彼女もそう。咲ちゃんがやっと自分のこと理解したばかりなのに、将来のこと子どものこと等々そうそうすぐに思い描けるわけもなく。小さなトゲが一々痛かった。
かずくんが思ってた数十倍いい人でなんだか情が移ってしまった(笑)同性である咲子を好きな千鶴、異性である咲子を好きな一くん、好きは好きでもラブは理解できない咲子。苦しみながら咲子を遠ざけ忘れようとする千鶴に咲子との意識に深い溝があることを改めて知った。恋をする生き物と恋をしない生き物は一生交わることはできないのだろうか。でも長い人生の中では恋から始まる結婚にそこまでこだわるのは結婚して数年くらいだと思う。恋は持続しないし趣味趣向が合っていれば結婚は可能だと思う。
相手のことを思いやること。でも、そのことでカズ君が我慢をすることは咲子にとって苦しい事だった。カズ君とってもいい人だもんね。我慢を重ねさせるとどこかで幸せが破綻してしまう。千鶴さん、咲子ちゃんのこと好きになってしまって、苦しくて離れたんだ。それは咲子が恋愛感情を持てないことを知っていたから。恋愛できないと知ってもなお一緒にいたいと願う人と、距離をとって気持ちを整理して忘れようとする人。良い対比になっていたと思う。家族って帰るところみたいなものというカズ君の言葉がとても良いと思った。帰る場所であり安心できる場所、という意味だと高橋さんのところになっちゃうかな。
このドラマってアロマンティックの人向けって感じがして恋愛しない自分たちが尊くて、なんでも恋愛にしたがる人たちをちょいちょい馬鹿にしてる感じがムカつく。その他の人がみんな恋愛に浮き足立っているわけじゃないしカズくんみたいにガツガツしてる人ばかりじゃない。恋愛って自分が誰かの特別になることだと捉えたら、それができない高橋さんと咲子にお互いじゃなきゃって括りはないはず。だから最後のカズくんの俺でもよくない?っていうのはすごい問題提起だと思う。それでも高橋さんがいい、咲子がいいっていうなら恋愛を否定するっていうのはしないでほしいな。
カズ君の咲子への思いはもはや執着レベルだなあと思う。相手のことを知りたいという気持ちは大切なものだと思うけれど、住み込んで高橋さんの介助をしながら二人の関係を観察しようとするのは理解の範疇を越えてる気がする。でも、その生活の中、髙橋さんとの会話の中から、自分が不躾な事を口にしてしまうことや相手を思いやっていないことがらに気づいていくのは良かったなあと思う。ほんの少しでも理解してくれる人が増えることは良いことだと思うし。でも、最後の「俺でもよくない?」は本質的には理解できていないのだと愕然とした。我慢することはいずれ破綻する。その時傷つくのは咲子だとどうしてわからないのだろう。同属性でもアウティングを勝手にすることの意味とか、さらりと描かれていて深いドラマだなと思う。
松岡一ってのがバカでウザ過ぎる。咲子が岸井ゆきのさんがセンスの人っぽい故に、言わんとしてる松岡役の容姿もキャラも咲子のサブカル感とは不釣り合いなのが残念。後、敬語だったりタメ口だったりは観てて普通に引く。それにしても後を引くうっとうしさ。嗚呼ウザい。
高橋さんのド正論が炸裂だったなー。カズくんの常軌を逸した行動は咲子が好きだからという大義で全部済む話ではない。どうも恋愛においては動物的な感覚が多く残っているのか付け回したり通常では考えられない思考が働くのよね。咲子のいつか恋愛が分かるだろうって考えも愛想の良さが長所ってところも高橋さんからしたら危なっかしくて仕方ないところだろう。でも早くから悟った高橋さんよりやってみてダメだったと傷つきながら成長する咲子の方がのびしろある気がするなー。
最初に表示された字幕?がとても印象的だった。このドラマがセンシティブな話で、そのことにちゃんと向き合っている物語だと言われているようで。恋心がなくても馬が合って一緒に話したりするのが楽しいという経験は誰だってある気がする。その相手がたまたま異性だった時、それは恋愛でないといけないのだろうか。異性の友情は成立するのか…という話と似ている気がする。周りが囃し立ててくっつけようとするのが無性に鬱陶しいこともよくわかる。ふたりが楽しく買い物をし、喫茶店で話し込み、様々な話をする中で心の中のモヤモヤが晴れていっているのが見ていてわかる。しかしカズはないわー。まるで自分の物のような振る舞い。引くわ。
咲子の妹夫婦の悪ノリには辟易したけど、初めて会うお姉ちゃんの彼に舞いあがっちゃったんだよね。ズケズケ聞くのは調子に乗っちゃったからで悪い人では決してない。恋愛で結ばれない自分たちが尊くて恋愛至上主義の人たちが考えが軽いって描き方はしてほしくないな。お母さんの気持ちだって分かる。娘がこの先も一人なんだろうかと心配していたところに連れてきた彼を見て心底ホッとしたのだろう。ただ自分たちの形と違っただけで二人にもしっかりとした絆が見えたならきっと許してくれると思う。
咲子の空回り具合に、ちょっと浮かれすぎだし引いていたけれど、なるほど今までいなかった味方もしくは理解者かもしれない人に出会った嬉しさだったんだと、やっと思い至った。やっと見つけた人は恋人とかいうくくりの人ではないけれど、たしかに大切な人のはずで。その大切な高橋さんを平気で傷つけてしまう自分の家族を許せなかったというのは理解できる。お父さんが一瞬物分かりの良さそうなことを言って喜びかけたところに「とりあえず帰ってこい!」で奈落の底に落とされた気分だったんだろうな…でもあの怒りを見て、お互いのことをさらに理解できたし、より味方になれた。周りには理解されにくいことかもしれないけれど、ここからどう話が展開するのか楽しみになってきた。
手打ちうどんの仲というのは、なんだかいいですね。こういう「味方」がいてくれるのは人生において、本当に嬉しいことなのではないでしょうか。親の世代との思想の違いや思惑の違いは、いつの時代でも起こるし、単純に誰が悪いとは言えません。ましてやアロマンティック・アセクシャルみたいな、ある意味で新しい概念は理解できても納得はできない部分を感じる人もいる。でもそれもまた自由です。食い違ったり、すれ違ったりしながら寄り添っていくのも家族です。咲子と両親たちとのうまい距離感ができるといいのですが。
不勉強で「アロマアセク」という言葉を初めて聞いた。自分にも当てはまる部分あるな…と若かりし頃を思い出したりした。ただ、当てはまる部分があって、納得することがあったからと言って、大きな声で言いたいとは思わない。自分の心の支えを得たような気分にはなるけれど。来月にはバレンタイン。つらい季節だったなと。周りに無理に合わせて自己暗示かけて。必ずしも「アロマアセク」だと決めつける必要はないけれど、今苦しんでもがいている誰かを応援するような内容で続いて欲しいなと思う。
主役のお二人は素敵だしいい題材だとは思うけど、なんでもかんでもカテゴライズしなきゃダメなのかなと思ってしまう。個性とか多様性とか言ってる割に自分の性別だったり歳だったりこういう恋愛感だったりに名前をつけたがる。恋愛に興味がないって言うだけでカテゴライズしてしまっていいのだろうか?そういう名前をつけただけで一生そうだと思い込んでしまうこともある。途中から他者に興味が湧いてくることだってあるかもしれない。名前をつけるとこで可能性や柔軟性を失ってはいけないと思う。
さすがNHKですね。「アロマンティック・アセクシャル」という問題に、いち早く切り込んだドラマです。正直なところ初めて耳にした言葉でしたが、確かにそういう人もいるのでしょうね。そうでなくてもある程度の年齢になると「まだ結婚しないのか」とかいう話はよく出てくるし、正直なところ煩わしかったです。それは アロマンティック・アセクシャルの人たちにとって、より辛いだろうなと想像します。様々な立場の人を理解するという堅苦しいものではなく、ああそういう人もいるんだというくらいの感じで、まずは理解するという意味でも良いドラマだろうと思います。もちろんただのドラマとしても高橋一生さんと岸井ゆきのさんの共演は、どちらも演技派だけになかなかスリリングな感じがしました。高橋さんの丁寧なのにどこか突き放した感じ、岸井さんの人懐こさの裏にある繊細な感じは見事でした。