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脚本・ストーリー 1.6 /5.0(31%) | 1082位 /1088件中 |
キャスト 2.1 /5.0(41.8%) | 1073位 /1088件中 |
演出 1.6 /5.0(32.4%) | 1076位 /1087件中 |
音楽 1.9 /5.0(37%) | 1061位 /1088件中 |
感動 1.6 /5.0(32.6%) | 1044位 /1083件中 |
笑い 1.3 /5.0(26%) | 1053位 /1083件中 |
スリル・興奮 1.8 /5.0(35.4%) | 1043位 /1080件中 |
バランスの問題として、松重豊さん演じる石川数正が「化物」と評するだけの秀吉像を、ムロツヨシさんは見せないと数正離反の説得力が生まれないわけですが、この秀吉は「化物」と呼ばれるほどの傑物ではなく、むしろ陰険な策士でしかありません。もっと懐の広さとか、スケールの大きさを感じさせないと、ただ卑小なラッキースターになってしまいます。個人的にはその点で首を傾げます。脚本としては数正の離反は家康を思ってのことだという描き方ですが、それは史実としての疑問はあるけど、フィクションとしては受け入れられる範疇だと思います。
ようやく家康がしっかりしてきましたね。秀吉が言っていたように信長がこき使ってあちこち戦いに行かせていたのが良かったのでしょう。家臣たちもどんどん育ってきて頼もしい限りです。正信と直政が言っていた通り家臣を見捨てずにいてくれているのはそういうことが好きじゃないということもありますが、信頼するという大きな心を見せることで家臣も信頼して役に立とうという気持ちが芽生えるからなんでしょうかね。それにしても直政の顔が綺麗とのくだりはまたBL臭がしてきます。それはもう飽きました。
家康と信雄の対比が見どころなのかな。元々持っていた家康のイメージに近くなってきた。威厳を増し、堂々とした風格だ。信雄と一緒にいると、いかにもお飾りなのだと思う。やっていることは秀吉と同じなのだけれど。榊原の堀の改修の場面はなかなか良かった。ほとんど土は掘れていないように見えたけれど、家臣同士のつながりや心の動きはなかなか面白かった。そして、石川数正の沈み具合が次回への伏線ということか。あんな風に周りと違っていたら、腹のうちに何かあるのは丸わかりだし、行動に注視するようになるだろうけれど。信雄が家康側のアキレス腱だと匂わす風な表現まであって、そこまでお膳立てしなくてもと思った。
小牧長久手の戦いは局地戦で家康が勝ち、大局的あるいは政治的に秀吉が勝った。それは間違いないでしょう。いわゆる徳川四天王の見せ場という感じでしたが、実際には酒井忠次も活躍した筈ですが、ここは他の若い3人を中心にしていました。若いといっても史実ならこの時に本多と榊原は37歳で決して若くはありません。24歳の井伊は赤備えの初陣だからこれで良いとしても、本多と榊原はむしろ歴戦の武将たるものが欲しかったです。そして家康40歳、秀吉46歳。「人生50年」と信長も謡った時代であり、その年齢差はいろんな意味で大きい。そのあたりも互いの戦略の違いに結びついていたと思うのですが。全体的にわかりやすい表面的なところの表現だけでなく、もう少し深堀して欲しいかな。
残り放送回数が少なくなったけれど、家康の死まで描けるのかな?
そして「神の君」という言葉が不愉快だから、やめてくれないか?
なんか急にキリッとしてきて家康にびっくり。今更威厳を出しにきた感じが受けつけない。織田信長も自分の野望がまだまだあって道半ばなのは分かっているけど、自分の後継者くらいちゃんと育てなきゃいけなかったよね。言っちゃ悪いけどあんなボンクラなら織田家の先は見えていたわ。それは秀吉も然り。きっちり後見もできて育てられた家康の徳川がずっと続いていったというのは興味深いところかも。やっぱりポッと出てくる天才カリスマより、地道な教育が大事なんだなー。
結果論として天下取りうんぬんという話になっていますが、基本的には織田家の後継争いであり、だからこそ織田家の家臣ではない家康は清須会議に呼ばれていないわけです。なので小牧長久手の戦いの発端は、家康が織田家の後継争いに介入したことに尽きます。大義名分は秀吉の方に分があるわけです。だからこれは家康側からふっかけた戦争であり、どこか信長的であり、家康が信雄を一喝するシーンが象徴的です。要するに信長の真の後継は家康であると暗示しているわけですが、ドラマとして成功しているとは言い難いかな。家康は天下を取ると言いつつもその明確なビジョンがなく、行き当たりばったり。この展開なら、信長の失敗、築山殿の願い、お市の方の無念などを積み重ねたがゆえの、家康らしいビジョンが欲しい。それにしても家康との共闘に長曾我部や佐々はいたのに、なぜ北条氏政の名前がないのでしょう?それは史実だし、重要な要素だと思うのですが。
我らが神の君‥なんだかバカにしてるのかと思うようなネーミング。今まで見てきた限り神の君なんて思ったことないけどなー。これが本当な訳はないけど、こんな調子で天下を取ったとすればよっぽど運が良かったってそれだけのような気がします。市の最期が描かれましたが、こちらも家康家康とそんなことばかり出てきて辟易。兄妹そろって大層な家康贔屓だったのでしょうか?茶々も家康だけを恨むというのもおかしな話でしょう。そんな中でも秀吉だけが通常運転。かなり気持ち悪かったです。
二度も夫に先立たれるというのはどんな気持ちだっただろうと市のことは以前より思っていたから、そこに触れられていたのは良かったのだけれど、大将が市とは違和感しかない。お転婆で信長の妹だというプライドはもちろんあっただろうし、もしかしたら勝家も市の意向を取り入れることもあったかもしれないけれど、さすがに勝家を押しのけて大将はないのでは?それに救援に来ない家康を恨むと言った茶々に訂正を入れなかったのも変だ。天下を取ると言ったからそのまま行かせたのかもしれないけれど、後々のためにわざわざ張った伏線にしか見えない。恨むべき人物は家康よりほかにたくさんいるし、たとえ家康との昔話をたくさんしていたとしても家康だけだったの?とも思うし。なんだかな…
秀吉が陰険すぎるのも首を傾げるけれど、お市の方やお茶々の描き方はもっとよくわからない。まずお市の方ですが、序盤から伏線としてお転婆には描いていたけれど、猛将柴田勝家を差し置いて、事実上の大将なんてことはあまりに突飛すぎます。そしてお茶々ですが、母の思いに応えず救援にこない家康を恨むと言ったけれど、恨むべきはこの事態を演出した秀吉です。また勝家を父親のように慕っていながら秀吉についた前田利家などを恨むならわかりますが、どうして家康なのかわかりません。それは明らかにお茶々が淀殿と呼ばれるようになってからの事を先回りした伏線のつもりなのでしょうけど、理屈に合わない伏線は無理矢理な印象しか残りません。
なんかコントみたいでしたね。これのどこに感動する要素があるのやら。そして結局はなにも疑わずそのまま進んだ方がよかったなんて身も蓋もない事実。命懸けで越えてきた方としたら脱力しますよね。忍者に義理人情があるかなんて半蔵たちが1番知っていることで、そこにしか賭けることができなかったとはいえ護衛する人間としては判断が甘かったような気がします。良かったのは自ら家康だと名乗り殺された穴山さんぐらいかな。どこかで役に立てるはずと命を捧げたのかと思うと浪漫を感じました。
史実云々は別にしても、これほどいい加減な大河は初めて。
主人公を筆頭に、秀吉・忠勝・於愛・渡辺守綱など、時代劇にはおよそ向いていない俳優の起用や、平成・令和であるかのような軽い言葉遣いが非常に気になる。
初回から訳分からない脚本と泣き喚く演技しか出来ない主役に付き合わされて、もう大南も松重もやる気無さそう。
伊賀に向かう山中で突然2人が別行動したいって言い出したのは脚本じゃなくて役者さんが思わず口走った本音でしょう。だから急遽白子浜で落ち合ってコントやる脚本に変えたんだろうね。
伊賀越シーン付き合わされる山田半蔵とまりか大鼠は複雑な顔してたもんね。
「伊賀を越えろ!」
浜松城で「本能寺の変」を聞いた「お愛の方」。そして家康の留守を守る家臣団。
あれっ?もし家康が「信長をコロス」を実行したら織田家と戦争になるのに戦支度もナシ?
まして「明智光秀の顔は何かやりそう」と言ったお愛の方。
あれっ?ど近眼のお愛の方はいつ光秀の顔をじっくり見たのか?
本能寺の周辺に服部党や女大鼠の一党、そして伊賀の里殲滅戦争で助けた伊賀者100人を含めた500人もの忍びは、何処に行ったの?
堺へのご注進も伊賀越えの護衛もせずにどこに行ったの?
そして、元武士である茶屋四郎次郎が3人目のマラソンランナーとして本能寺から堺まで走って注進したが、馬は使わないのは何故。
服部半蔵も女大鼠が一度も伊賀の里に行ったことが無い、と言ったが、どうやって100人もの伊賀者を助けたのか?
2度の伊賀の里殲滅戦争で壊滅状態になった伊賀の里に数十ヶ所の砦が築かれたと言うナレーションは本当。
本多正信は、軍師なのに何故修験者の格好だったの?
古沢良太脚本家や平山優時代考証専門家が創作や史実変更で作ったストーリーなのに、前後の回で辻褄が合わない描写になっており、大河ドラマ好きのお爺ちゃんとしては、頭が混乱して、怒りすら覚えます。
少なくとも「辻褄は合わせて」と言いたい!
伊賀越え…ちょっとしたコントでしたね。これでは真剣に演じている役者さんたちが可哀想で。それぞれのシーンがぶつ切りだから、感情とかいろんなことにつながりがなくて。演じるうえでもつじつまが合わなくて大変だったのではと思ってしまう。穴山梅雪の件も、てっきり家康が関与していたのかと思ったら、家康の身代わりときたか。これに関してはなるほどと思った。信長の首はとれない、家康の首だと思ったら穴山だったという状況は家康にとって有利になることは間違いないし。またまた情けない明智のイメージに逆戻りなのはちょっと残念だけれど、本能寺が失敗だったことは動かしようがない事実だし。ちょこちょこ良いなーと思えるところもあるんだけれど、なんせつながりが悪すぎる。残念。
神君、伊賀越えですが、相変わらずの半蔵いじりと、本多正信の再登場ですか。その展開はともかく、正信が示唆した通り、織田信長の首を上げられなかったというのは、明智光秀にとって大きな失敗だったと言えるでしょう。万が一、信長が生きていて信長家臣団の分裂が望めず、羽柴、柴田、丹羽などの家臣団が集結すれば、光秀に味方しても勝ち目は薄い。だからこそ、確実に信長の首を取り、家臣団を切り崩したり、牽制し合うようにしたりする必要があった。それにしても信長に比べ、光秀の描き方が残念。せめてもう少し最新の研究結果として、NHKの歴史教養番組でも取り上げているんだから、もっと光秀側の事情を加えて欲しかった。
いい着眼点だな,エピソード入れてきたな…と思っても,後出しの回想で必要以上にエピソードや設定を盛り過ぎたり,史実無視で現代の価値観を持ち込んだり,女性を無理に絡ませたり…かと思えば,逆に無理やり史実に合わせてきたり…脚本家なのか,演出なのか,演じている方のアドリブなのか…わからないけど,ことごとく裏目に出ている気がします。史実どおり,教科書どおりなんてつまらない…の声も聞かれるようですが…これなら教科書どおりの方が遥かにおもしろいと思わざるを得ないですよ。
盛り上がる要素である本能寺の変をこんな風に変えてくるとは!!ほぼ目撃者もいない中の出来事なんだし、ほんとに舞を踊ったかなんて分からないけどこんなに大胆に変えなくてもよかったのでは?だいたい信長も家康も光秀だって自分の国があって領主なんだよね?なんかそういう政治的なことが一切出てこないよね。本人同士がわちゃわちゃやって殺されるのはいいけど、それに何万、何千の人が関わって殺されてる自覚はあるのか?まだ直虎の方が自分の国をどうしようか必死に考えてたよ。信長が家康だけを思って果てたなんて気持ち悪すぎる。天下を取る男がそれとは見下げたもんだよ。
オープニングが幼児向け番組みたいなアニメのと曲の安っぽさ、センスの無いタイトルロゴ、ナレーションの違和感とが相まってほとんど見てなかったけれど、久々に本能寺の変ってことで見たらびっくり‼️
こんなもん作っても許されるNHKってある意味フジよりいい加減度超越してる。
娘2人の感想の続きです。
なんでお市さまはあんな軽装で町中ブラついてるの?
徳川ダメ家臣連中はそのお市さまの顔知ってたの?
燃え盛る本能寺取り囲んでるのが明智勢じゃなくて野次馬。それで徳川さまがやりおったって一般人にも信長やっつけ計画バレてたの?
イダテン商人は京都から堺まで何時間で走り抜いたの?それも半蔵の手下より早く
信長やっつけちゃえ計画で集まった半蔵百人の手下は本能寺の変起こってるのに寝てたの?
家康逃走中に農民に襲われたけど、なんで家臣みんな逃げて誰も助けに来ないの?
素朴な疑問をぶつけてくる微笑ましい娘たちでした。
本能寺の変は、信長が「是非に及ばず」という有名なセリフの後、燃え盛る炎の中で切腹して果てる・・というのが大河で信長を描いてきたセオリー。ここが見どころだし、取り入れてたら名場面になっただろう。
突然 忍者が現れ、信長を襲撃して致命傷を負わせる・なんて発想は、戦国ゲームや漫画でやってくれ。それを偉人伝である大河ドラマの脚本で使うなんて邪道だ。
昨年脚本担当した三谷幸喜氏が、子供の頃は毎週日曜夜8時になると家族揃ってテレビの前に集まって大河ドラマ見てた記憶がある。自分はそんな大河を作りたいって言われてた。
鎌倉殿がその目的を達成できたかは別として、ど家は見事に我が家に一家団欒のひと時をもたらしくれた。普段の会話がほとんど無くなってしまった難しい年頃の高校生の娘2人もテレビの前から離れない。全くジャニーズに興味を持たない2人が何故?って聞いたら2人とも
「だってこのドラマ突っ込みどころ満載なんだもん。なんでやねん、そんなアホなって感想共有できるの家族ぐらいだよ、友達や彼氏とは出来ないよ、素が出ちゃうから。」
制作、脚本家の皆さん、我が家に団欒をありがとう!
いきなり寝所に侵入されて傷を負ってから「敵襲~」って。さすがに本能寺の守り酷すぎないかな?手勢が少ないからと言って、最低限の守りはしていただろうに。それに最初の傷はかなりの致命傷っぽいし、そこから寺の中をさまよって家康を探すって、感動しなさいと要求されているようでちょっと冷めた目で見てしまった。ここに来て信長の父との逸話が回想っぽく入ってきているけれど、それで今までの信長の行動が納得というか理解できるかというとそうではなくて。家康も信長を討つと決めていたにもかかわらず、土壇場になってから根回しのために堺へ行っていたというのもドタバタすぎるし、なんだかな。つじつまが合うようで、無理やり感が強い。炎の中に消えていく信長の後ろ姿だけ良かったかな。
本能寺の変
信長の最期は、森蘭丸と共に弓矢や槍で明智勢と奮戦して、最早これまでと悟った時に「是非に及ばず」という有名なセリフを残して炎の中で切腹して果てたというのが信長の最期。ここは岡田准一の信長でも観たかった。それを忍者が殺しに来るとは思わなかった。
もっと史実や伝説に沿った脚本を書けないかな?
それと、築山殿の最終回でも感じたが、この信長の登場する最終回も演じる役者が次回から登場しないので、過去のシーンも観て皆で心に刻みましょうという乗り?まるで送別会を番組内で観せられているようで、正直なところゲンナリした。
まず最初に信長を襲った忍者は何者なん?半蔵の手下ではないし、普通に考えれば明智の配下か?秀吉の手の者という線もないことはないが、「変」を知った秀吉の反応を見る限りその線も薄そう。しかもそのわけわからん忍者にいきなり信長致命傷負わされてますやん!こんなアホな本能寺ありますか?なんじゃそりゃ~!?の連続でしたよ。
見せ場のひとつである本能寺の変。ここにきて信長と家康が友だって、展開の仕方がまるで少年ジャンプだよねww。大河ドラマがどうあるべきかを決めるのはNHKだけど、1年もかけて作られるということの意味は、それだけ丁寧に描けるということ。友情話にしたいのなら、もっと周到に伏線を張って欲しい。今更、信長流の表現だったんだというのは通用しない。それがないから、ここでお市の方に語らせるという不自然な展開にせざるを得なくなる。単に北川景子さんの出演時間を作りたかっただけなのかもしれないけれど。
憎き信長を討つ!と言ったのはついこないだと思ったら、愛との間に2人も子供がいて結構大きくなっていてびっくりした。そういえば亀はいつ嫁に行ったんだか、瀬名と信康がゴタゴタしてた時にはもういなかったしあれほど大きな事件でも姿を現したり悲しんだりするシーンはなかった。まぁ家族の話ではなく天下取りの話なんだからその辺ははしょられて当然なのかもしれないけど時の流れがよく分からない。あの時代自分がのしあがることで頭がいっぱいだった信長が急に戦で犠牲になる人に寄り添うようなセリフも違和感があった。そんな人だったのかな?
信長が本能寺へ少ない手勢で行くことをあらかじめ家康が知っていたというストーリーにしてきたかー。伊賀勢を配置し、茶屋四郎次郎が鉄砲など武器を用意し、準備万端整っているように見える。明智を信長の傍から排除するために食事がおかしいと饗応役を解かせるように持っていったというのは、今回の話だと筋が通っているのかな。信長と家康があんな風に感情爆発させて対等に話ができる関係だったとは思えないけれど、家康だけ特別だったという風に描いているのだろう。この流れだと家康が信長を討つことになるように思えるのだけれど、ここにどういう風に明智が割り込んでくるのだろう。
これが最初から架空戦記みたいなものならいいんだけど、大河ドラマって最新の研究も取り入れながら、基本は史実に従って、わからないところは大胆に想像力で補い、役者の演技とスケール感で魅せるものだった筈。どうも近年の大河はまず先にマンガ的なフィクションありきな感じがします。そもそも信長が家康を試すように本能寺に向うというのは馬鹿げています。ただ新旧ジャニーズのぶつかり合いを演出したかったようにしか見えません。また光秀の裏切りについても新資料が見つかっていて、NHKの番組でも取り上げているのだから、せっかくならその要素もしっかり入れて欲しかったです。いずれにしても悪い意味でマンガ化が激しくなったとだけ言いたいです。
腹の底が見えなくなったと言われた家康、嬉々としてえびすくいを踊る姿は今までのオドオドした感じは全くなくこれぞアイドル嵐の登場に見えてしまった。そうなるとそれを見るのは先輩のV6、なんだか複雑だ。すぐにそういう見方ができてしまうからジャニーズの多様は厄介だ。さてさて家康の変貌ですが、大きな悲しみがありそれに関わっている人たちとこれからもうまくやっていかなきゃいけないとなると仮面の一つや二つ被らないと正気ではいられないでしょう。そこはすんなり理解できました。
叔父や家臣があんな劇的に死んでも変わらなかったのに、奥さんが死んだらあっさり豹変しやがった。家康にとって家臣は宝ではなかったのか。
家康が主体のドラマだから仕方がないのだが、築山事件にずいぶん時間を割いたのに一気に武田家滅亡から富士遊覧までで驚きました。勝頼から家臣たちがどうして離れていったのかは、高天神城の件でサラッとは触れられていただけ良いのかな。感情の起伏が見えなくなった家康ですが、最後に「信長を殺す」と来ましたか。本能寺は家康黒幕説で、穴山梅雪も家康による暗殺説ですか。そのための築山殿との仲を良いように描いてきたということですね。「天下を取る」とも言っていましたが、信長を殺しただけでは天下は取れません。その先の構想がどうなっているのか気になるところです。やたら明智が写っていましたが、何か伏線のつもりかな。
自分が信長の立場だったとして、家康のあの状況であの態度を見て、「腹の底が見えなくなった」と思うでしょうか?普通に考えれば、こいつ根に持っていて、何か企んでいるな勘繰ると思います。まあドラマとしては視聴者にわかりやすくということなのかもしれませんが。この流れからすると本能寺の変の黒幕として家康が暗躍するのでしょうか?でも明智光秀を唆すのは無理があるし、信長を狙っていたけど光秀に先を越されて、「どうする、家康」となって伊賀越えという展開かもしれません。秀吉は家康が事を起こしそうと準備をしていて、蓋を開けたら光秀だったけど、準備していたから大返しが成功したという筋書きですかね。どうせフィクションで固めるなら、いっそのこともっと意表をつくものにして欲しいのだけど。
若い世代が先輩から引き継いで活躍するのは当然なことなのだが、この大河ドラマで過去の歴史をドラマ化となると、史実や出来事を無視して作り手が都合のいいように脚色して脚本を書いていると思う。
この数年の大河ドラマを思い出したらそう感じるようになった。
「麒麟がくる」の足利将軍が小娘と歌を歌う?ありえないのでは?
そして、現代そのものを無意識に脚本に取り入れているから、視聴者には違和感があるんだよ。家康が瀬名に「わしに、国など作れるわけが無い」と泣き喚くんだけれど、瀬名は「作れます!殿なら」なんて強い口調で発言するシーン、これ、現代女性の気の強さそのものを現しているから。
戦国武将はそんなに泣かないよ。生きるか殺されるかの時代に。
戦国時代の女性は、養ってもらわないと生きるのが厳しいので、穏やかな性格じゃないかな。こう書くと、現代は○○だからねと、こっちが笑われるかな?そう、現代だからね。
過去の家康が登場する大河で、築山殿(瀬名)は移動中の山中で、付き添いの家来に「御免!」「殿~」の一声だけで、いきなりバサーッと斬られていた。
そして家康は、どこにも行かず城中で「おのれ!信長め」と憤慨していた。脚本家と演出家の違いとはいえ、昔放送してた大河の家康役の人は貫禄も人柄もうまく演じていたな。時代が違うと、こうも違うんだね。
こんなだったらいいなって想いを全部瀬名に反映させて美化に美化を重ねたように見えて白けてしまう。どんな動きをするかって連日見張られていてもおかしくないのに、どんどん動き回る家康が意味不明。どうしても死に追いやらなきゃいけないとして、家康の目の前で死ぬのと会いに行けない環境でそれぞれを思いながら死ぬのとでは全然違う。なんでも明らかになる方が見やすいとは思ってほしくない。唯一良かったのは女大鼠くらいかな。余白って大事だと思う。
平成の学校教育「みんな仲良く、平等に」という思考が、戦国の脚本つくりに取り入れられたみたいだね。お互いに助け合い、信長の目を欺くために戦をしているふりをするとは・・
子供っぽいストーリー展開に脱帽します。
どうせフィクションに寄せた作りなんだから、いっそのこと築山殿を本当に逃がす展開にしてもよかったのに。別に信長が死を求めた形ではないし、女性の首を求められる筈もなく、身代わりなど立てなくても自害させたと告げたところで、それで終わり。たとえば伊達政宗の弟は毒殺事件の絡みで殺されたことになっているけど、実際には出家して生きていたかもしれないと思われる記録も残っています。だから信長や家康のせいでなく、佐久間や勝頼が築山殿を死なせたというストーリーがありなら、築山殿だけでも逃がして、最終回に天下統一を果たした後、再会させるなんてのもありだったかな。何にしても見せ場な筈なのに、相変わらず家康はこれでいいのかという感じ。
史実にはっきり残っていないところはフィクションとして脚色していいけど、いくらなんでもこれはないんじゃない?奪い合うのではなく与え合うとかすごくいい教えだけど、果たしてあの頃の女がどこまで暗躍できたのか。そういう思いを日記にでも書いておいて、後で家康が読み平和な江戸幕府に続くぐらいに収めておいた方が良かったのではないか?夫婦は円満じゃなきゃとか理不尽な人殺しは許されないとか、当時と今の倫理観は違うはず。そこを今のに当てはめようとするから変な作りになる。もう時代劇はフィクションしか作れないのかもしれない。
もはや大河と言っていいのかという脚本…
側室回や侍女マラソンで何度も脱落しかけたけど、1話だけのストーリーだからと視聴を続けていました。
何年も戦をするフリを続けるという、とんでも展開にはさすがについていけないです。
おままごとのような脚本にもう脱落します。
女の浅知恵という言葉が頭をよぎったけれど、まあそこまで悪くない構想でした。しかし、勝頼がそんな案に乗るかな?と思っていたら、案の定乗ったフリをして家康と信長を戦わせるという。まあそうなるよねーと思ってしまいました。武田がなぶり殺しにあっている様を見ている信康が武田と手を結ぶ話に乗るかな?というのが疑問だったけれど、そこは上手く辻褄合わせた感じ。でもお万が回想で出てきて、やっぱりあれを伏線にしたかったのかと少し興ざめ。あのセリフは取ってつけたみたいだったし。やっぱりこの話の持っていき方は無理があると思ってしまう。
築山殿の構想ですが、武田と北条は甲相同盟もあるし、今川も含めての三国同盟も組んでいたから、そこを結びつけるのはともかくとして、どうやっても上杉は無理でしょう。伊達も関東や越後との間には芦名や佐竹だっているし、軍事同盟ならともかく、経済同盟なんて加わる意味がない。貨幣の統一は経済流通をスムースにはするけど、まさに「統一」を意識させる心理的効果があるわけで、始皇帝も家康も天下統一後に行っている。結局は武田勝頼が裏切りましたが、平和を強調しすぎる築山殿にしても、戦いあるのみという勝頼にしても、その感覚は一所懸命の感覚が残る中世の人らしくはなく、まさに現代人の感覚すぎるなと思います。
三河一向一揆くらいまでは「鎌倉殿や晴天の直後だからハードルが上がっているだけ…史上ワーストというほどつまらなくはない」と(自分に言い聞かせるように)考えていましたが…側室や新規回想シーンの乱発が始まってから…もしかしたら過去最悪かも…と思うようになりました。まだ結論を下すのは時期尚早として,この評価ですがたぶんこれより下がることはあれど上がることはないでしょう。
築山殿を有村架純さんにしたせいなのか分からないけど、どうも築山贔屓がすぎて話が捻じ曲がっているように感じる。あんなに夫婦円満なら別居の理由がないし、武田と通じるのも息子のためやそこに透けて見える家康が頼りないから覚醒したともいえなくないストーリー。賢い女はこの時代活躍できないのよねとでもいいたげ。肩入れしすぎるとおかしくなる。きっと脚本家さんは有村架純が好きなのだろう。この分だと退場は盛大に感動させてくれるはずだ。
信康の不行状と築山殿の内通という説に従った内容ですね。説は説としていいのですが、ドラマでは信康が戦を疎む話があり、それに応じるように築山殿が動くという流れです。それだと築山殿は息子のために戦を止めようとしたということになります。でも武田と通じたところで、三河や遠江から戦が無くなるほど単純な話ではありません。戦いの構図が変わるだけで、戦自体は無くならない。ここはそういう取ってつけたような現代人的な思想ではない方がよかったと思います。いずれ関ケ原で信康が生きていればと家康が回想するシーンを念頭に置いて、親子の不和を描いた方が個人的には説得力があったと感じます。
家康が信長の圧倒的な兵力を見てこれは同等にはならないとひれ伏したのは理解できました。そうしないとひとたまりもないことも。ただこれからも信長の指示一つであっちで戦い、こっちで戦う日々が続くのは目に見えています。心優しい信康が病んでしまう様子に瀬名は何を思ったのでしょう。いつかのお万との会話が思い起こされます。頼りない旦那を持つと妻は賢くならざるを得ない。そうなるとこの先の悲劇は家康のせいで起こるのかもしれないですね。
信長は三好三人衆についた雑賀衆や石山本願寺との戦いで、やられる側として鉄砲の威力をよく知っていた。それは本願寺の勢力の中心が武士ではなく、普通の門徒だったため、彼らが戦力となるための策だった。信長はそれをより洗練された形で兵力にした。一方、武田勝頼は本願寺のように鉄砲を多く駆使した相手と戦ったことはない。才能の差というより、経験の差だったのかなと思う。信長が一番警戒すべき相手として家康の名を告げましたが、朝倉も三好三人衆も武田信玄も北条氏康もいなくなったとはいえ、本願寺の顕如と上杉謙信は健在だし、武田と北条も消えてしまったわけではない。この段階で家康を警戒するのは早すぎるかな。築山殿と信康の死に絡めたいのはわかるけど。
設楽原の戦いでした。酒井の夜の長距離行軍がキモだし、あらかじめ下準備されていたこととか、近年では鉄砲の弾が徳川の領土から産出されたものを使用されたということとかもわかってきているので、そういうのを踏まえた上で話が進むとばかり思っていました。残念だな~。あれだと鉄砲を大量に用意したことを知らなかった風だし、酒井の命がけの移動もギャグで終わってしまってガッカリ。武田の次に脅威になるのは徳川だからと五徳に見張るように言いつけていたけれど、あれだと最近否定されてつつある説をそのまま踏襲かな。
どうする家康、面白い。が、ムロツヨシの下手な演技で台無しに。
不勉強なので強右衛門という人物を知らずにドラマを見たので最初の設定だとそこから逃げ出したくて岡崎にいくと言ったように思えました。仲間への忠義は岡崎について腹いっぱい飯を食い、亀姫に勇気を讃えられ目覚めたように思えました。でもそのようなひ弱な男が殺気を纏っている信長に意見したことに驚いたし、武田に捕まった後も泣きながら嘘をついたところに人の弱さを見て、その後やっぱり思い直してみんなを勇気づけ磔されて恐怖と緊張の中殺される時にはすっかり強右衛門にハマっていました。強右衛門の御子孫の方はどう思ったか分かりませんがすごく魅力的な人に描かれていて私はもう忘れないだろうなと思いました。
ムロツヨシさんの、天然パーマにしか見えない髪型はどう見ても変。
戦国時代にパーマはないのでは。かつらを使え。
セリフも大声で言わなくてもいいのでは。