※まだ評価はありません。
脚本・ストーリー 1.6 /5.0(31%) | 1082位 /1088件中 |
キャスト 2.1 /5.0(41.8%) | 1073位 /1088件中 |
演出 1.6 /5.0(32.4%) | 1077位 /1087件中 |
音楽 1.9 /5.0(37%) | 1061位 /1088件中 |
感動 1.6 /5.0(32.6%) | 1044位 /1083件中 |
笑い 1.3 /5.0(26%) | 1053位 /1083件中 |
スリル・興奮 1.8 /5.0(35.4%) | 1043位 /1080件中 |
戦場は命のやり取りの場であるのにまるでゲームか何かのようで。忍者たちが城をおとすからといって、どうしてあのような軽々しい音をつけたりできるのだろうか。狼の遠吠えもどきですっかり興が冷めてしまった。巴が氏真の気性を諭し、瀬名に女の生き方を説いたところや、元康が少しずつ成長している様子や細かく仕込まれたクセなど一人一人はそれなりなだけに全体がこれなのは残念だ。
今川氏真は史料としては微妙な「甲陽軍鑑」寄りのダメな奴に描かれていますが、史実としては氏真が凡愚だったというより、父親の勇名が大きすぎたのでしょうね。氏真は結果的に最後は家康に庇護されるような形になるわけで、いずれ立場が逆転します。皮肉と言えば皮肉な話です。半蔵による上ノ郷城攻めはフィクションとして面白くはあったけど、鵜殿氏は長照以外の一族は家康についたのが史実で、おそらくは今川と家康を両天秤にかけた。なので息子たちは人質交換で今川に行くけど、今川が没落すると家康に仕えている。個人的にはそういう歴史の皮肉なところが面白いのですが、ドラマとしては忍者に活躍させたかった方が派手なのでしょうね。家康の爪を噛んだり貧乏ゆすりする癖など、細かいところは再現させています。またお腹が痛いというのは、三方ヶ原の有名な事件のフリでしょうか。
CG多様により大河ドラマならではの迫力が欠けてしまっている。若者うけを狙ったのだろうが若者は大河を見ない。歴史を知らない人は家康やこの時代を誤解してしまう。もっと忠実にそして迫力ある大河が見たかった。前回の鎌倉殿が良かっただけに残念。
「ちょっと死んでくる」ってセリフがすごいなと思いました。命がそれくらい軽いものだったからこそ自分が死んだ後残される家族を思って銭にこだわったのかもしれませんね。半蔵がその親分風ではなく半ば嫌がりながら頭領をやっていたのが意外でした。ただ忍びだって家康だって生まれたところに逆らえないだけ。それを思えば蔑むのはおかしいと思いますけどね。瀬名一家もとうとう明日をも知れぬ命となりました。のんびり育ったお母さんには嘘は見抜けなかったのですね。悲しい運命が近づいている気がします。
嫌われ者の正信が描かれている間はコミカルで楽しい描写でしたが、半蔵とその一派は命がとても軽かったことを再確認させられる胸詰まる内容でした。半端に軽く描いている場面が多いだけに、忌み嫌っている忍者に命を守られ、生き延び苦悩する半蔵が重々しく異質に感じられました。今川に最後まで執着していた巴様が田鶴に話してしまったのですね。対象者が多ければ密は綻びを生じやすくなります。そもそもここで成功しないことはわかっていましたが、半蔵と忍者の関係や正信と周りの関係などを恐ろしいエピソード作って上手く説明したなと感じました。
ここであえて服部半蔵を登場させたのは、後の伊賀越えへの布石なのでしょうね。これまでと同じく通説と俗説を適当につまんだストーリーは、変わることなく極めてマンガ的です。とにかくマンガ路線のシナリオで突っ走るつもりなのでしょう。しかしドラマとしては、これまでの回よりは落ち着いていました。それは皮肉なもので、家康の出番が少なく、甲高い声で大騒ぎする場面が少なかったせいだと思います。またなぜこの場面で家康は皆の止める本多正信を使ったのか、単に窮鼠猫を噛む気持ちにすぎなかったのか、そこが描かれていないので説得力に欠けました。
若者視聴者を増やそうとする狙いのドラマですね? 紅白歌合戦と一緒だなと感じます。
家康だからとても楽しみにしていましたが若者ではない私は毎回「なんか違う」とドラマに入り込めません。ハリボテの舞台を見ているような風景とか劇画風のメイクとか。
1週間がとても短く感じた昨年までの大河が懐かしい…。
早くも信長、秀吉、家康が揃いました。秀吉の卑屈さは想像の上を行きましたが、あの頃生まれたところが全ての世の中ではあのくらいでなければ登ってはいけなかったのかなと思いました。一方今川方にいる瀬名の運命はなかなかしんどいですね。殺されてしまうかもしれないと思えば寝屋にお守りを持って行くのも分からなくはないけれど、わざわざ家康にもらったものを持っていかなくてもいいのにとドキドキしてしまった。氏真、そりゃ怒るよね。
誰がターゲットなのか。歴史的に誤りばかりで子供や知識のない人には誤解を与えるから見せたくないし、登場人物を絞っている割に構成が悪いので知識がないとわかりにくい。歴史好きからしたらゲームや漫画、娯楽映画ならファンタジーと思って楽しむが、今さら三英傑など目新しくないし大河枠に期待することではない。大河なら渋沢栄一や鎌倉時代のように他で扱われない題材を取りあげるか、三英傑なら最新の研究成果を反映し、今までの娯楽作品の誤ったイメージを払拭してほしい。間違いだらけの作品は教育に良くないだけでなく、エンタメとしても楽しめず面白くないことを理解してほしい。
ちょっとあまりの酷さに絶句。いくらなんでもお市の方と家康をくっつけようとするのは無理があるのでは?通説ならお市の方はこの頃13歳、数え年だから今なら12歳くらい。北川景子さんのせいではないけど、いくらなんでもあの大人っぽさはないし、同盟とはいっても織田が優位な立場なのに、人質になり得る者を嫁がせるわけはない。逆ならわかるけど。信長がお市の思いを叶えようとしたという捉え方もできるけど、むしろ蛇足。そして今川氏真。家康に限らず、三河の者たちが次々離反している中、裏切り者とはいえその妻を寝とったなんてあの時代だって醜聞だし、余計に離反される。何よりも大河ドラマを見ている人たちの多くは、こういうのを見たいわけではないと思うのだが。これは大河の歴史に残る駄作になるかもしれない。
ずいぶんと柔らかくは描かれているけれど、いよいよ血生臭い感じになってきた。実際、大国の間に挟まれた三河はたくさんの犠牲を払っていたし、どちらの大国についても反対側への最前線になり、命を削られる。それが嫌だとどちらにもつかなければ挟まれて消える運命。いよいよ覚悟を決めて織田方として今川と戦うことにした。その覚悟を決めさせたのは氏真の文であり、血文字であり、首の落とされたうさぎだ。氏真としては脅して今川方に戻すことを狙ったのだろうけれど、そこは道化を演じていた元康の芯の部分と、信長のオーラともいうべきカリスマ性を見誤ったということだろう。
あの時代の妻子の扱いは描かれているものとは少し違う気がする。庶民は別かもしれないけれど、政略結婚も多く、離縁も再婚も状況が変わるたびに起こり得た。だから、今川方の駿府に置いてきた妻子にこだわり判断を拒む元康には少々疑問が残る。瀬名と共に残る女性たちも誰かの妻であったりするのだから、そこまで元康が妻子にこだわるのが普通ならば、当然他の女性の夫である人物もある程度今川方に残ることを選択するだろうと思うから。なのにそうではないのは元康がメジャーな考えではなかったと表現したいのかな。駿府の女性陣に危機感がないのも不思議だ。義元を討った織田方との最前線に残された元康たちを心配するでもなく、もうすぐ帰ってくると楽観している。そんなに情勢に疎くて生き残れるだろうか。於大の方が出てきて、元康と涙の対面の延長線上で織田方へ寝返ることをささやく。いかにも戦乱を生き抜く女性だ。ああでないとやっぱり生き残れないだろうなとつくづく思った。
今家康は何歳なの?この時代に生まれ、殿と呼ばれる人物としてこんな感じでいいの?自分の立場ややるべきことや矜持みたいなものが一切見えないのはまだ若いからなの?この人が後々天下を取るなんて今は想像もできない情けなさ。これが家康ではなかったら誰も見向きもしないドラマだろう。今川の屋敷で家臣の妻たちを集めて楽しいことを考えたり、その妻たちが捕らえられたら全力で抗ったりする様子を見ていると奥さんの方がよっぽど人の上に立つことを理解しているように見える。これでいいのか家康!と喝を入れたくなる。
内容に首を傾げます。家康はそもそも人質として今川にいた人間です。松平本領の地である岡崎が手に入る状況ならば手にするでしょうし、斜陽の今川と手を切って独立するのは必然的です。そうなれば水野信元との縁もあるし、今川に勝った織田と同盟するのは当然とも言えます。たとえそうなっても築山殿とその子らは、今川として人質にできるから簡単に殺したりはしません。あんなに激情にかられる必要はない。むしろ戦いの先兵とされ多くの犠牲を出した三河衆の、今川に対する恨みの方が大きかった筈です。また些細なことですけど、ライフリングがない当時の種子島銃で、いくらチート設定の信長でもあんな精密射撃はできません。
前回の終わりのせいで信長がどう描かれるのか少し不安もあったのだけれど、今までと大筋では変わらず家康に生き抜く力を与えた感じになっている。ちょっとキャッチーなセリフが多いけれど、アニメ的というか平面的な表現が多いのでその延長線上にあるのかなと感じた。こういう演出方法もあるのだろうけれど、せっかく豪華な役者陣やセットが用意できる大河なのだから、長年の大河ドラマファンとしてはもう少し生々しい感じが良かったな。ただ、まだ家臣たちがバラバラな感じはある意味リアルな表現なのかもとは思った。
あの1市民であった渋沢栄一だって子供の頃から父や母に人間としての生き方を教わり人のために何をするか考えてきたのに、今の家康ときたら自分のことばっかりで呆れてしまう。こんな情けない人物だったのかとがっかり。ただ子供への言葉がけって大事だなってところだけは学んだ。卯年に生まれたとしてもそれを隠して、虎年の虎の日虎の刻に生まれた強い子と言われて育ったからこそ出た力。それを卯年に一年かけてやるなんて粋だね。お寺で知った言葉を大事にこの世を極楽浄土にするまで頑張ってほしいもんだ。
史実に基づいているのは家康が桶狭間の戦い後に岡崎城に入ったことくらい。もちろん歴史であれ、ドラマなのだから不明な部分はフィクションでいいのだけれど、あり得そうなフィクションとあり得ないフィクションがあり、このドラマは完全に後者。そもそも信長もあんなマッチョなタイプじゃない。近年の信長はこのドラマに限らず、ゲームやマンガの影響を受けすぎている。へたれなのに火事場のバカ力を出す家康もマンガ的すぎる。人生は選択の連続であり、家康を通してその選択に焦点を当てているのは面白いと思うけど、民放で12回くらいのドラマならともかく、1年間の枠はきついように思う。
この時代は大河では良く扱われている印象だ。子役スタートではなく、桶狭間直前からのスタートというのは少し斬新だけれど、歴史に詳しくない人には背景などがなかなか理解しにくいかなと思った。コメディタッチに思えるけれど、明らかなCGが多くて、そのせいで全体的に嘘くさい感じが漂う気がする。これから先、幼い頃とか挟みつつ進行するのかもしれないけれど、この作り物感がどういう風になっていくのか。まだ全体がまとまらずバラバラな感じが、家康がのし上がっていくにつれて纏まるのかなと想像してみたり。それにしても乗馬シーンくらいはリアルな感じが欲しかったな。
これでいいのか?と不安になるスタートでした。殿と呼ばれる立場にありながら人質であったから教育などちゃんと受けていないのか?一人ぼっちだったから一人遊びが上手くなったのは想像できたが、おままごと遊びのシーンは何歳の設定なのだろう。もっとかわいい子供が演じてもよかったのではないだろうか。その後すぐに結婚したからどうにも子供が子供を作った印象しかなくて気持ち悪かったし、家臣がいるのに戦場をほっぽり出してしまうような軟弱さが受け入れられなかった。
マンガ的ともいえるデフォルメを加えた徳川家康で、意欲作だとは思います。ただ歴史ファンも見ることが多い大河ドラマでやらなくてもという気がします。大河ドラマもいろいろと模索しているのはわかるし、より多くの若い層に見て欲しいのかもしれませんが、今は昔より簡単にいろんなことを調べられるから、若い歴史ファンは案外マニアックで博学。むしろもっと違う方向で工夫した方が良い気がします。まずは脚本が安易すぎます。平和なんて言葉も概念もない時代にこれを強調するのはどうかと思うし、いくらなんでも家康が軟弱すぎ。人質としてあえて能力を隠す処世術というよりは、ラノベにありがちなスローライフしたいんで目立ちたくないみたいな感じです。いずれ数正が離反する理由にはなるかもしれませんが、それ以外に説得力がありません。