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脚本・ストーリー 4.5 /5.0(89.2%) | 74位 /1087件中 |
キャスト 4.6 /5.0(91.4%) | 141位 /1087件中 |
演出 4.5 /5.0(89.2%) | 82位 /1086件中 |
音楽 4.5 /5.0(89.8%) | 52位 /1087件中 |
感動 4.5 /5.0(89.4%) | 29位 /1082件中 |
笑い 3.9 /5.0(78%) | 129位 /1082件中 |
スリル・興奮 4.3 /5.0(86.8%) | 62位 /1079件中 |
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キャスト 4.6 /5.0(91.4%) | 141位 /1087件中 |
演出 4.5 /5.0(89.2%) | 82位 /1086件中 |
音楽 4.5 /5.0(89.8%) | 52位 /1087件中 |
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笑い 3.9 /5.0(78%) | 129位 /1082件中 |
スリル・興奮 4.3 /5.0(86.8%) | 62位 /1079件中 |
寅子は共著者として、優三の代わりに夢を叶えることができて良かったですね。きっと優三もあの世で喜んでくれるでしょう。そして星さんの序文も良かったです。店内でそれを聞いて拍手をしてくれたのは、ほぼ女性たちであり、社会的弱者となりやすい人たちでした。その人たちを守る盾となりうるものが新しい民法だという象徴的な場面でした。星を演じた平田満さんは、出演場面こそ少なかったですが、温厚そうでいて、人生の機微も感じさせ、印象に残る役であり、芝居でしたね。
有名人のひと言の影響力って、いつの時代もすごい。小橋の言う、半人前なのに目立つことへの風当たりはどんどん強くなるんじゃないかと思う。寅子の様子を見ていると父を思い出す。当時の男性的な働き方をしているのだと思う。ただ、優未が時々見せる寂しそうな顔が後々の問題になりそうだ心配だ。
寅子、すっかり有名人ですね。それにしても昭和らしい無茶な働き方だ。今の世だったら、どこもかしこもブラックと言われるだろう。才能も知識も知恵も、まずは体力がないと話にならない時代だったもんな。実体験で60日ちょっと休みなし、毎日9時から21時過ぎまで働いた時もあった。その合間に車で700キロ日帰り営業をしたし。ひとりで今の二人分働いていたんだから、人口減少だけじゃなく、そりゃあ人手不足にもなるよ。それはいいとして、寅子のモデルとなった人物の経歴からすると、星は先々の再婚相手だろうか?それにしては前途多難な出会いだなあ。まあ恋愛なんてそんなもんだけど。
多岐川の呼び出しに寅子が去って、梅子と花江の2人になってしまった設定は上手いなと思った。家中心の生活をしてきた先輩である梅子との会話で、花江の幸せがはっきりとし、そして素直に子どもたちに伝える。きちんと人間関係を描かれてきたからこそなるほどと思えた。花江の手抜きはそれほど手抜きでないかもしれない。それでも手伝ってもらえるという安心感は大きいだろう。またニコニコ笑顔の花江が戻ってきて嬉しい。そして梅子のおにぎりがヒャンちゃんにも届いた。かつての仲間が集う日が来るかもと期待を持ってしまう。
花江ちゃん、どんだけ直道が好きなんだよーと涙が出る。戦争さえなければ2人の幸せが続いていたかと思うとやるせないですね。急激に変わる世の中で戦前ならば全財産を継げた長男が大暴れするのも分かる気がします。それと同様に平等と言われて戸惑う女性たちもいたでしょう。その中で交通整理をする寅子たちの役割は重要ですね。男女平等は家の中でも、です。花江ちゃんが1人でなんでもやらなくていい。手抜きと言ったけど、みんなが担うことは手抜きじゃない。いい変化ですね。
茨田と寅子のやりとりがよかったですね。違う分野だけど、自分の歩みたい道を先頭を切って進む二人らしい邂逅でした。そして花江。彼女もまた形は違うけど、しっかり自分の道を歩こうとしていました。手抜きなんてむしろ当然。経験っていうのはイコール手の抜き方とか加減を覚えるということでもあるんだしね。直道と夢で会えてよかった。ナレーションでは「愛のコンサート」をきっかけに、と言っていたけど、むしろ梅子の踏ん切りが、いろいろ空気を変えた感じがします。梅子にはこれから楽しんで生きて欲しいです。
女子部でもみんなの潤滑油となってうまくやっていた梅子さんの人生が失敗だったはずはない!と思うけれど家の中ではどうだったのか。夫に冷たくあしらわれ子供は姑に取り上げられた挙句夫の介護要員になる。徹太は祖母の面倒も母がいれば大丈夫とたかを括っていただろうし、次男もどんなにわがままを言っても母がなんとかしてくれると思っていただろう。でも彼ももう大人だ。手を離すのもいいだろう。財産くらいもらいなよとも思うけど、そこがかっこいいんだよね。
梅子が夫から見下され、いい加減に扱われているのを見て育った息子たち。3人は、母をはけ口に生きてきた部分があるのだろう。あたりが優しく上手く立ち回れてしまう梅子だからこそ、家に利用されてきたのかもしれない。母の反乱を見て息子たちが団結し和解したのは良かったけれど、そこに梅子がいないのは悲しい。それでも優秀な梅子だから、ここから自由に羽ばたくのだろうと思うとそこは楽しみだ。寅子は一番身近にいる人のこともう少し考えて欲しいなと思っていたら今日は一緒に甘味処へ。少しは気分転換になっただろうか。
ブラボー!なんと茨田りつ子降臨!いやあ、まだ半年前なのに懐かしさを感じる。こういうコラボは楽しいですよね。もっとやってください、NHKさん。さて梅子ですが、何だかんだいっても、最後までどこかで信じていたんだよね、家族のことを。でも血のつながりなどと言っても所詮は他人。個の自由すべて捨てて一緒に生きなきゃいけないということはない。それにしても三男くん、「すべて奪ってごめんなさい」などとほざく奴が良い人な筈はない。別に悪い女にほれちゃいけないわけじゃないが、それを周囲にも理解してもらおうなんて思っちゃいけない。傲慢だよ。それがわからないところがまだ子どもなんだよね。
田舎だと今でも家長制の影響が強くてうんざりしますからね。個人的にも末子なのに長男ということで、都合よく「一番年下」と「長男だから」という方便を使われて、良い思い出はひとつもない。いろいろ面倒を背負わされるわりに、遺産相続となると、みんな最少の負担で最大の利益を得ようとするし、まさにエコノミックアニマルだなつくづく実感させられます。梅子だけじゃなく、多くの日本人が都合よく使われる家長制に振り回されている。この国の伝統とか言うけど、実際はそうじゃないしね。それにしても花江さんが何か心配。彼女は本当に頑張っているから、悪い展開でなければいいけど。
梅子さんとの再会、怖い顔で寅子の存在を無視してからの泣き笑いの再会に胸が熱くなりました。出会い方は最悪ですが心強い同期がたくさんいるのだから梅子さんにいい未来が待っていると信じたい。愛人は早々に消えたけれど怖いのはここから。血縁者の争いは醜くて嫌なものです。長男と次男と梅子さんが親子として分かりあう日は来ないだろうなと思うと悲しいです。愛のコンサートですが、ここで福来スズ子の名前が!!こういうリンク大好きです。実現はしないだろうけど出演したような演出も見たいなと思いました。
梅子が寅子と2人になったとたんに何とも言えない笑顔で少し嬉しい。みんなと一緒に話していれば、あの頃と違いは内容なのに、時間も置かれた立場もまるっきり違ってしまった。それでも、梅子には轟もよねもついていて心丈夫だろうと思う。妾の目論見は崩れたように見えるけれど、これからだという梅子の言葉が重たい。弁護士でありながら旧法の恩恵を受けようとする長男&姑との争いが待っているということなのだろう。愛のコンサートの企画ではコロンコロンやスズ子の名前が。同じ時代の前作の影がチラチラ見えるのは、時代の両面を見ているようで楽しい。
梅子は苦労したんだね。まあでも介護要員の妻って、今もない話じゃないからね。ある意味で現代的な問題とも言える。しかし梅子の長男も次男もクソだねえ。特に長男は弁護士なのに。でも弁護士なんて、依頼人の利益を最大にする人であって、公平にあるべき形を探る人ではない。道徳の最低限でしかない法を、都合よく振り回す輩とも言える。だからこそより人間的であり、人間しらなければならないのだと思う。その点を轟たちはちゃんとしっている。寅子も法は等しく人のためにあることを示して欲しい。
新しい制度が一般的になるまでには時間がかかる。だから愛のコンサートのアイディアは素晴らしいと思う。混乱期だから人員も足りず、寅子たちへの負担は大きいのは仕方ないとはわかっているけれど、どこかしわ寄せで潰れてしまわないか心配だ。物事を成すには勢いが必要だけれど、下支えしている花江がとくに気にかかる。そして大庭家。籍が入ったままだったことも驚きだけれど、妾が遺言書の検認なんて言葉を知っていて違和感。だが梅子さんが新しい民法を理解していることは少しホッとする。
お騒がせな多岐川ですが、福来スズ子が出てきて歌ってくれたら最高なんだけどね。そして寅子と梅子の再会。まあこの場で喜ぶわけにはいかないから、とりあえずは知らぬふりは仕方がないでしょう。梅子は改正民法をちゃんと勉強していたようです。そこはさすがというべきですかね。かつて梅子が心配した通り、一番下の子以外は父親に似た偏った性格になっているように感じられる。まあお姑さんもそんな感じだものね。寅子と梅子の素直な再会の喜びをみたいなあ。
ここでお寿司屋さんが再登場してくれたのは嬉しかったですし、道男にとっては一番いい道だったのでは?これから師弟愛が始まるんでしょうね。ちょくちょく顔を出してもらいたいものです。戦災孤児の問題は20年続いたと言っていましたね。こないだ戦災孤児になってそのまま無戸籍だった人のニュースを読んだばかりで驚きました。親を亡くしたのは自分のせいじゃないのにどこからも厄介払いされる子供たちが全国各地で生きるために戦っていたことは忘れてはいけない歴史だと思いました。
戦後の話には孤児の問題も出てくるのだけれど、道男のように上手く新しい環境に慣れられない子どもたちもたくさんいたのだろうなと思うと悲しくなる。はるさんの心に触れて、他者を拒絶しない道を選んだ道男には寿司屋への住み込みという未来が拓けた。よねは本当に寅子のことが好きだったのだと思う。だから、何も相談されなかったこと知らされていなかったことで、とても傷ついて心閉ざしてしまったのだろう。轟が言うように離れたり交わったりするはずだから、次の機会には頑なな心が少しほぐれているといいな。
道男はよかったですね。袖振り合うも他生の縁と言いますが、ちょっとした縁がつなぐ未来もある。それなのによねのように頑なに縁を切りたがる人もいる。どちらがより賢明なのか、わかりきっていると思うんだけどね。でも出会った事実は消えないから、轟の言うようにどこかでまた交わるかもしれません。そして梅子が再登場するようです。家裁がらみでお姑さんみたいな女性も出て来たから、離婚というより死別でしょうか。梅子のリベンジに期待したいところです。
はるさんも逝ってしまいましたか。大きな愛情をもった人でしたね。あらためて家族というものを考えさせられますよね。今、猪爪家にいるのは寅子と弟の直明、死んだ兄の嫁である花江とその子ども、そして道男。今なら確実に3世帯に分かれている関係性だろう。それが良いとか悪いとか安易に言えることではないけど、家族という形はいかようにでも変わるということだけは間違いない。相変わらずのよねだけど、かばうばかりが正解ではない。本当に道男を思うなら自分に何ができるか考えるべき。はるのように母性をというわけにはいかないのなら、勉強を教えるとか、やれることはある。そろそろよねも一皮むけて欲しい。
道男の花江ちゃんへの告白は急に昼ドラ展開で焦ったけど、真意はもうちょっと純粋なものだったと信じたい。優しくされることに慣れていない少年が変わろうとしていた矢先、花江が涙ぐむ姿を見て優しくしたいもっと何かしてあげたいと思う気持ちが湧いたのではないか。本気で旦那になろうなんて思わないだろう。直明だって花江の子供達だって一歩間違えれば道男と同じ境遇だったかもしれない、そのことを考えれば接し方は変わってくるのにね。道男がいつかいい男になるのが見たいなー。
まだサンフランシスコ講和条約締結以前のoccupied japanの話だからね。忘れている人も多いけど、この頃の日本は国際的に独立国ではない。だからこそこの時代は明治維新以上にドラスティックな変革が必要だった。でも目の前の作業に追われる人に、多岐川の理念はなかなか届かない。仕方がないところではあるね。そして道男。そもそも彼は母性も家族愛も知らずに育っているわけで、いきなり家庭に放り込まれても、トラブルになるのは目に見えている。本来は国民にも戦争責任を負っている筈の国が、生活の面倒をみて、教育を施さなければならないんだけどね。ほぼそれを放棄した当時の政治家は無責任だと言われても仕方がない。まあ政治家なんて今も大して変わらないけど。
戦争を挟んで旧友との再会が続くがなかなかいい再会とはいかず残念。よねは傷つきやすいのは分かるけどトゲトゲしすぎ。若い頃はまだ許容できたけど30過ぎてそれは痛い。寅子の真っ直ぐさを買って、ついていきたいとか守りたいとか思っていたみたいだけどそれが叶えられなかったからって何年も恨まれても困る。それなら自分で夢を叶えたらいい。香子もそこまで卑屈になることないのにね。なんだか女子って難しいなと思ってしまった。
人間は社会的動物だから、社会に適応するには教育が必要なんだけど、今みたいに当たり前に教育が与えられる社会だと、そこを忘れがちになる。なのでミチオの粗野さは彼の資質というより、孤児で親からもまともに教育を受けられなかったせい。確かにまず腹を満たすことは重要だ。でもそれを与えるだけなら、孤児たちは物乞いと変わりない。結局、ヨネだって口だけだし、何もできていないのと同じ。何もできていない者が、何かをしようとする者を批難するのは違う。そろそろヨネも批難するだけではない人間に成長して欲しい。
よねや轟との再会。轟がしっかり復活していて良かった。でもよねは相変わらずだね。少なくとも戦争がきっかけで起こったことは寅子のせいではないし、人それぞれ生き方があって、それをいろいろ思うのは勝手だけど、批難するのは間違いだ。犯罪を犯したわけでもないのに、その生き方を他人に批難される理由はない。それを認められないのはよねの頑固さというよりも、弱さであるように感じる。戦災孤児だが、公式には12万人と言われているが、実際はもっといただろう。特に東京は学童疎開している間に親が大空襲で亡くなり、孤児になった者も多い。ちゃんとした追跡調査もされていないし、孤児たちの多くが、後に反社や娼婦になるか、労働力としてもらわれていったのだろう。本当は戦争の総括として、政府が調査すべきだったのにね。家庭裁判所も大事だけど、彼らを救う施設は少数の私立だったのは忘れちゃいけない。国は事実上、彼らを取り締まることはしても、見捨てたのだから。
弟にいいところを持っていかれて腑に落ちない眉間に皺を寄せた顔は戦前の寅子を思い出させてくれました。少しずつ心の復興もしてきているのかな。寅子が人のことをかわいそうだとなんとかしてあげたいと思うのは恵まれているから。亡くなった家族はいるけど、家も焼けず家族もいる。戦前に作ったスーツを着て家事と育児は母や花江に任せて働くことができる。そのことに気づいているのかな?それと気になったことがもう一つ。花岡さんの奥さん、まんまるなお顔で栄養状態良さそう‥ごめんなさい余計なお世話でした。
まあ、ある種の縄張りというか、自分の領域を犯されることに抵抗するのは、合併というと自分たちの方が軽んじられていると思いたくない、意地とかプライドみたいなもんが邪魔をする。そこに若人の素直な視線を向けられ、しっかり評価されたことで軟化するというのは、わからないでもないけどね。気真面目過ぎる寅子には納得いかないかもしれないけど。花岡の絵を飾った後の多岐川の話は、まったく同感。人が考え、人の手で作られ、人の手で変えられるものに、人が縛られるようになっては本末転倒。それが変わらないとしたら、立法府である国会に集う議員たちの怠慢です。一般人はそのことを肝に銘じて、選挙に行かないとね。
寅子の有り余る母性がそうさせるのだと思うけどきゃんちゃんのことも花岡のことも一言で言ってしまえば大きなお世話なのだと思う。きゃんちゃんは好きな人と一緒にいるために祖国を離れ寂しさはありながらも慎ましく好きな人と一緒にいられる幸せを噛み締めてもいるだろう。花岡夫人にごめんなさいというのはお門違いも甚だしい。あんな風に頭を下げられたら妻ならカチンと来るだろう。自分の方が花岡を知っている、自分なら花岡を止められた、などという傲慢さが鼻についた。今日の寅子は嫌いだ。
今回の寅子はちょっと傲慢さが目立った。まずヒャンちゃんこと香子の件は、母親の言う通りだし、多岐川の言う通りでもある。人生いろいろあるのは母親に言われるまでもなく、寅子だってそうだった筈。実際、寅子は劇中で他の人に「いろいろあって」と戦中のことについて多くを語っていない。香子だって旦那の汐見だって、余すことなくすべてを語っている筈がない。言葉以上の苦しみや苦悩があっただろう。そこに頼まれもしないのに寅子が口を出すべきではない。また藤岡の奥さんに対して謝ったのも傲慢だ。家族がどれだけ説得し、苦悩し、悲しんだかを考えれば、自分に何か出来たかもなんて傲慢すぎる。奥さんは「妬いちゃう」とさらりとかわしていたが、人の機微がわかっていない。だから桂場にツッコまれる。寅子は人としてもう少し大人になるというか、かつて優三に愛情を感じ始めた時のように、等身大の人間を見るようにならないとね。
昭和の仕事文化あるあるの「飲みにケーション」ですね。マジで嫌いでした。それで理解が深まることなんてほぼない。酔っているから話なんて忘れちゃう人も多いし。ただ同じ釜の飯を食ったみたいな連帯感が生まれやすいのは確かかな。結局、男は偉そうなことを言っても案外ロジカルな生き物じゃない。義理人情と言えば聞こえはいいけど、感情的な生き物なんだろうと思う。それを批判したところで、何も進まない。きっと理想主義者の花岡とは違い、多岐川は現実主義者として、一歩ずつ理想に近づくことを考えている。人間なんて所詮は不完全なものだし、多岐川のやり方がこの時代には合っているのだと思う。もちろん世の中は変わっていくから、今も通用するわけじゃないけど。
藤岡のことで早速、多岐川に食いかかった寅子ですが、多岐川の言い分も間違ってはいない。たとえば古代中国の叔斉と伯夷のように正しさを貫くために餓死した逸話がある。日本の知識人には儒教の影響か、かつてそういう精神を尊ぶ面があった。でもそれは精神論。国の最高法規である憲法に生存権が規定されている。だから刑法37条には生命などの危機に際しての緊急避難が認められている。だから死ぬまでするのはバカだと言われても仕方がない部分もあると思う。それにしても今は家庭裁判所って何の違和感もないけど、設立の頃はいろいろ論議があったんだね。そういうところは本当に面白い。
家庭裁判所が戦後にGHQ主導で作られたこと、それも少年法に明記されていたから準備期間が2カ月しかなかったとは本当に驚いた。新しく出てきたキャラがまたまた濃くて、いい意味で寅ちゃんに刺激を与えるんだろうな。花岡のことをバカだと言われてしまったけれど、世間で死に物狂いで生きている人たちから見ればそう見えても仕方がないのかも。生きていくことが最優先で正しいということは当然花岡もわかっていただろうし。同窓生もまた一人加わって、なんだか懐かしい。最初寅ちゃんの敵っぽく描かれていた人たちが離れている間に大人になって、意外と寅ちゃんのことをちゃんとわかっている感じなのも上手いストーリーだなと思う。
轟もよねさんも生きていた!!とても嬉しい。それにしても戦後2年経って、復員する人もいれば配給だけで餓死する人もいるなんてまだまだ戦いは終わっていないのだなと思います。戦中生まれの父も小さい頃はひもじくていつかお腹いっぱい食べたいと思っていたと言っていました。そんな中で改変される新憲法の一語一句は今聞いても背中を押される言葉が並んでいます。こんなにも力強く弱者を勇気づけるものだと初めて知り、改めて読んでみたいなと思いました。
轟が無事に戻ってきてホッとしたけれど、花岡のことを思うと辛いな。人としての正しさと法としての正しさの乖離。それがわかっていても裁く側にいるから法を順守したいという気持ちもわかるし、ある意味本来の花岡らしいのだろう。それでも生きていて欲しかったというのが周りの心の中じゃないのかな。荒れている轟をよねが見つけてくれて本当に良かった。きっと一番ベストな人だと思う。壁に書かれた憲法が、よねにとってどれだけ嬉しかったかを物語っていて、でもそれが戦争によるものだということを悔しがっているのがよねらしい。轟とよねはとても良いコンビになりそうだ。
花岡のモデルになったであろう山口良忠は、実際に闇米には手を出さず、栄養失調から亡くなったわけだけど、当時もその精神を褒める者、逆に融通がきかないと笑う者、その両方がいたらしい。今も自分に出来ない事を褒める人と鼻で笑う人がいるしね。桂場の距離感ではああ言うしかないだろうけど、寅子や轟らもっと身近な人にとってはそういうことじゃない。いつだって一人称、二人称、三人称の距離感で思うことは違う。何にしても轟とよねが生きていて良かったし、二人が弁護士として、法廷で寅子と再会する日を楽しみにしたいね。
穂高教授は寅子のことを身内のように考えているのだろう。だから、傷だらけになりながら矢面に立って時代を切り拓いていく役割よりも、心穏やかに寅子の能力を活かせる場として家庭教師を勧めたのだろう。伝え方によっては寅子が受け入れることもあったかもしれないけれど、勝手に幸せ不幸せを決められたことが決定打になって逆に寅子の背中を押す形になった。桂場がそれを冷静に見ていたのは、寅子の本質と能力が良くわかっておられるからだろう。寅子らしい「大きなお世話」という言葉で神保教授の言う家族制度をぶった切ったことで、やっと寅子の中の時間が前に進んでいくのだと思った。その心の中に優三がいるのが嬉しい。
神保教授の言い分に賛成はしないけど、でも久藤の言う通り「当たり前」かどうかは、現在のこの国の家族観を見ていると簡単に同意できないのは皮肉だね。私は憲法改正反対派というわけではないけど、日本国憲法の精神は美しいし、賞賛して良いとも思う。でも民法はより市民に身近である法律な筈なのに、いろいろと遅れてきているし、これで良いのかと思うところも多々ある。寅子の頃の起草の精神に戻るなら、憲法よりまずは民法で改正すべきところをやらないとダメかなと思ったりもする。そして花岡の死。自由社会であれ、すべての人が幸せになるのは無理なんだよなとため息が出る。
花岡が再登場してから気になって仕方がない。モデルは闇のものを一切食べずに餓死した裁判官だろうか。顔色も悪くスーツもダボついて見え痩せてしまったように見える。自分が取り締まる側なのに闇のものは食べられないと自分を律することは体はしんどいけれど苦ではないかもしれない。それよりも食べることに困っている国民を闇のものに手を出したからと罰しないといけないところにジレンマがあったのではないか。心の苦しさの方が重症かもしれない。
花岡は隣に座ってみたら昔のままだったのだろう。寅子の顔つきが穏やかなのでそんな気がする。家族と同じように謙虚という言葉で笑う花岡に寅子は嬉しかったんじゃないかな。変わったとばかり言われる自分のことを変わらないと言ってくれたり、梅子の言葉を送ってくれたり。花岡が自分たちと過ごした時間を大切に生きていることそのものが眩しく、そして嬉しかったのだと思う。変わらざるを得なかった部分、大切にしたい部分どれも自分で。いろんな人たちのいろんな言葉に後押しされても出てこなかった「はて?」が、穂高教授の言葉で出た事、寅子の根幹の部分に触れてしまったからといったところか。幸せかどうかなど他人に決められることではない。「はて?」の続きが早くみたい。
花岡ですが、何か不安にさせる言動だったですね。当時、闇米は確かに法律違反だけど、政治家たちだって配給だけで暮らしていたはずはなく、闇米はいわば必要悪だった。何せお米の自由化は1995年。それまでは農家が直販するお米は闇米という扱いだからね。でも「悪法もまた法なり」だし、真面目な花岡の苦悩はわからなくもない。そして寅子ですが「はて」が戻ってきました。まあ幸せか不幸かなんて、他人が決めることではないし、先生らしくないですね。それこそ自由の本質なのだから。
まぁ寅ちゃんがスンってなっちゃうのはまだ現場に慣れてないだけって感じがするけどね。もう少ししたらエンジンかかるんじゃないかな。それといろんな経験をして大人になったってこともあるんじゃないかな。女がとか男が!とかそんなこと考える前に生きることに必死だったと思うし、男だから戦場に行った兄や旦那さんのことを思ったら男女平等ってなんだ?って思ったりするでしょう。それと一度逃げたっていうけど、そこまで負い目に感じることあるのかな。昔はそうだったのかなー。
立花代議士の言う通り、伝統など言ったところで、そのほとんどがたかだか明治以降のこと。明治維新で古い伝統を一掃しようとしたのだから当然だよね。今、復活が叫ばれる旧皇族だって、ほとんどが明治以降にできたもの。江戸末には四宮家しかないんだから。今舞台となっている終戦直後なら、まだ80年くらいしかたっていないのに、「伝統」って笑わせる。それは国家レベルだけでなく、個人レベルでもそう。「伝統」というか「経験」がものをいうところもある。それが自分の歴史だからね。寅子がどう自分の歴史と折り合いをつけるか、この頃の国と同じでそこが問われている。
いろいろあり過ぎたのと、今まで自分の思いを口にできるような時代ではなかったから余計に委縮しているようにも思える。小橋が言うように今までの寅ちゃんなら相手構わず「はて?」連発していただろう。それだけ心に重いものがたまっているということだと思う。それに法曹界が狭い世界で、新たに自分をやり直すということも難しい。穂高先生に対してもスンッとしたままだった寅ちゃんだけれど、やっぱり背中を押してくれるのは優三さんの言葉なのかな。最後に現れた花岡さんとの再会も喜んでなかった風に見えるし、夢中になる寅ちゃんはまだ先なのだろうか。
慣れない職場でスンとなるのは仕方ないのでは?そこでのやり方やみんなの考え方が分からないうちはその流れを見極めないと自分を出していくのは難しいと思う。職場に女性がいると華やかだねってところまでは許容範囲だった。それさえ嫌っていうのも気難し過ぎるでしょ。華やかだって褒められたって素直に喜んでればいいんだよ。世の中は理不尽なことだらけ。相手はなかなか変えられないんだから自分がスルースキルを持つしかないと思う。
寅子が謙虚だったりスンッとなるのは、背負うもの・守るものができたからというのもあるだろうけれど、やはり一度辞めてブランクがあるからというのもあるような気がする。神保教授は明らかに戦前の法律の象徴のような、以前の価値観を守りたい勢力に見える。寅子への言葉の数々も以前の寅子なら「はて?」の連続になりそうな。どこで以前のような前のめりで貪欲な寅子に戻るのか、そのきっかけが何になるのだろうか。神保教授からのパスなのか、まだ先なのか。明日が楽しみで仕方がない。
終戦後、花江と同じように複雑な感情を持っている人も少なからずいただろうと思います。ただそれはアメリカ側にも言えることで、戦後の日本復興に関わったアメリカ人の中にも、日本兵に家族を殺された者がいた筈。それが戦争というものなのだと思います。長く続けばそれだけ失うものも増え、恨みも増える。さて妙におとなしい寅子ですが、らしくないですね。首になりたくない、という面だけでなく、つまり労働基準法もないし、労働者の権利なんてなかったという見方もできます。こんなにもいろいろ足りないし、痛みを抱えた時代がたった80年前にあったことを忘れてはいけないなと改めて思いますね。
寅子の新生活、心機一転大黒柱として頑張れ!と新しい朝を迎えた。そこでこんなことを言っちゃいけないが橋本かーと思ってしまった。戦争いかなかったの?ってぐらいツヤッツヤな顔で嫌味を垂れ流してくるってなんなの?数いる同級生の中でここで橋本を出してくる意味が発芽玄米以外にあるのか?後からその意味があると信じてみたい。新キャラもキャラ濃いめで気にはなるけど、そろそろ他の同級生たちの消息も気になってきた。魔女部のみんな元気かなー。
一度やめたのに何故?という問いへの答えが安定した収入というのが今までの寅子らしくないというか。実際に弟の学費を稼ぐという目的があるのには間違いないのだけれど、今までと動機が違い過ぎると言うかちょっと引っかかる。内的要因ではないから、前のようには暴走しそうにはないのが良いような悪いような。新しく登場したライアンさんのうさん臭さたるや。今だって鉄の天井があるアメリカにかぶれた人物というのが余計にうさん臭さを醸し出している。桂場のように表立って反対する人物の方がわかりやすいし、表裏ないことが多いから、ライアンがこれから壁になっていくのかなと思ってしまう。
それにしても同僚は小橋か。戦争もあったのにさっぱり変わってない感じはどうなんだろう?先々、少しくらいは成長した姿を見たいものです。まあ桂場の言葉にもあるように、憲法が変わったからといって、すぐに女性の立場が変化することはないから、まずは小橋ら周囲に同僚として力量を認めてもらえるように頑張るしかない。些細なことだけど、GHQというか、この頃はまだ法律がらみのことってGS(民政局)が担当してたんじゃないのかな?GHQといっても内部でGSとG2は対立していたし、結果的にそれはその後の日本に大きな影響を及ぼしているから、そこがどうだったのか気になる。まあ自分で調べればいいんだけど。
今週は前半の締めくくりといったところだったのでしょうか。見事な初回の回収に目を奪われました。戦争が終わって万人が平等という憲法を見て嬉しくて涙してると思っていた初回、憲法を知るのが焼き鳥の包みだったこと泣いていたのは優三さんを亡くしたからだと知り衝撃を受けました。どん底を知り笑顔のない時を過ごして尚立ち上がる寅子。ただの跳ねっ返りのお嬢さんじゃないところが共感を得ているのでしょう。覚悟を決めた女は強い。来週からは猪突猛進な寅子が見られるかなと期待している。
優三の死と向き合うために買った焼き鳥の包みで新しい日本国憲法に出会う。そこには法の下の平等が書かれていて、それは以前の寅子が心の底から願っていたことだと思う。優三さんが出会わせてくれて、優三さんが背中を押してくれる。そこには居なくても、優三さんの言葉や心は寅子の中に生きていると思える描写だった。法の下の平等とは虐げられていた女性の解放でもあるけれど、背伸びをして男や家長といった重さを背負わなくてもいいと言う男性の解放でもある。あの短い文章を過不足なく理解し素晴らしいと言った寅子はやはりすごいのだと思う。直明も男だからという縛りから解放され晴れて帝大生に。寅子も元気に前を向き歩き出した。これからが楽しみだ。