※まだ評価はありません。
脚本・ストーリー 4.0 /5.0(79%) | 360位 /1195件中 |
キャスト 4.4 /5.0(88.4%) | 234位 /1195件中 |
演出 4.0 /5.0(79%) | 343位 /1194件中 |
音楽 3.7 /5.0(74.8%) | 377位 /1195件中 |
感動 4.2 /5.0(84.2%) | 73位 /1190件中 |
笑い 3.2 /5.0(63.2%) | 404位 /1190件中 |
スリル・興奮 3.8 /5.0(76.8%) | 236位 /1187件中 |
脚本・ストーリー 4.0 /5.0(79%) | 360位 /1195件中 |
キャスト 4.4 /5.0(88.4%) | 234位 /1195件中 |
演出 4.0 /5.0(79%) | 343位 /1194件中 |
音楽 3.7 /5.0(74.8%) | 377位 /1195件中 |
感動 4.2 /5.0(84.2%) | 73位 /1190件中 |
笑い 3.2 /5.0(63.2%) | 404位 /1190件中 |
スリル・興奮 3.8 /5.0(76.8%) | 236位 /1187件中 |
赤池が何らかの病気なんだろうとは思っていたけど、バッドキアリ症候群という病気は初めて聞いた。
頑なに事情を話さない赤池だけど、だからこそ思うことが山ほどあるのだろう。
赤池の独白シーンみたいに、さまざまな問題に事前に気が付いても、世の中が動きだすのはそれが明確に問題化してから。たとえば年金だって少子化だって、専門家の間ではこのままではまずいと40年前に叫ばれていたし、温暖化だってそう。なので赤池にはある種のあきらめみたいなものがあるのかもしれない。
徳重が弟子として、総合診療医として、どう導くのでしょうね。
どんな病気も治せるお医者さんが目標のみずきに終末期は辛いだろうと思っていたけど、真摯に向き合い最後まで涙を見せることなくよく頑張った!人が死ぬということを丁寧に見せてくれるドラマはあまりない。子供も交えて見たらすごく良いんじゃないかな。私は自分が苦しいのに息子を心配する父親の姿が、亡くなった祖母と重なり泣けて仕方がなかった。苦しむ親の背をさすりながら「大丈夫だ」と声をかける息子の姿も泣けた。あの世に送り出す試練の時、どうか穏やかにと願わずにはいられない。でもあんな風に死ねたら本望だよね。
終末医療で家での看取り。
望む人が多いような印象だけれど、結構大変だよね。
今はもう死が身近じゃないから、苦しむ姿をずっと見続けるのってつらいということに対する覚悟ももちろんいるし、自分の心も体力も削られる。
歳と経験とともに慣れてしまうのかもしれないけれど、医師だってやっぱり心削られるよね。
総合診療科の先生がターミナルケアに関わってくれるのは安心だなと思う。
徳重先生が救急出身だからこそ余計に。
赤松先生からのノートの空白のページ。
やっぱり何か末期の状態なのかな。
ターミナルケアか。人に唯一平等なのは必ず死ぬということ。だからこそ向き合わなきゃいけないことなのに、なかなかタブー視されるし、ケアする側も大変だ。
いつも気になるんだけど「ケア」だから、本来は福祉的なことなんだよね。ただ医療行為が必要とされることが多いから「医療的ケア」という形になる。制度面での課題もあるよね。
石橋蓮司さんと今野浩喜さんがいい芝居を見せてくれました。
ここでターミナルケアの話だし、赤池も先が短いのかな。徳重と何を語らうのでしょうね。
徳重が救急出身というのは患者にとってありがたいし納得だね。救急はどんなバックボーンを抱えている患者かも分からず処置に入らなきゃいけない場面が多いから洞察力を試されるし全体を見る力もいる。その人が総合診療に来てくれたら心強い。心はどこにあるっていうのも不思議だよね。見つからないのに絶対的にある目には見えない臓器。人間そのものが心なのかもしれない。親子の確執も、親を恨みながらもその言葉が今生きているというのがなんか憎いなと思った。
自分の親の手術するって、どんな関係性だったとしてもやっぱり心に来るだろうな。
親の思い通りに生きないことって意外としんどい。
ずっとずっと「思い」という見えないものと戦ってきたんだろう。
でも親だから、子どもだから。
まだまだ生きていかないといけないのに、どこかで閉じ込めるのではなくて整理しないと心が暴発する。
総合診療科が今回は心理カウンセラーみたいなことをしていたけれど、この作業って結構厄介だけれど大事だよなと思う。
徳重はただ優しいのではない。しっかりと訓練されて能力を持ち、冷徹に医師の目で病を見つけ、そのために優しさを道具にしている。それは悪いことでも偽善でもなく、総合診療医として必要なスキルであり、資質なのだろう。茶屋坂も徳重の医師としての能力と、人としての度量を評価したんだろうね。
それと技術だけをみると小手先だと批判する人って、どんな世界にもいるけど、技術は大事だ。茶屋坂にしても徳重にしても、医師としての技術があるからこそ、互いに正面から向き合えたんじゃないかな。
営業職の人の食事問題はあるあるなんだろうなと。
付き合いで食べたり飲んだりで、体壊すほど太ってしまった知人もいたし。
奥さんが体のことを考えてお弁当を作ってくれていたとしても、まだコッソリ捨てていてくれた方が体のためには良かった。でも愛情があるのと、申し訳なさから食べてしまう。
これが一番ダメなんだよね。
ケンカが増えたとしても言いたいことが言える間柄って大事なんだなと改めて思う。
そういうことでは関係性が壊れないという信頼があってのことだけれど。
うだつの上がらない無口を通り越して置き物のようになった旦那と怒り散らしながらいつもキレている妻。どうして一緒にいるんだろうと不思議に思う夫婦も多くは初めからそうであったわけじゃない。そもそも愛情がなければ栄養の勉強だってしないしお弁当だって作りはしない。まして通院に付き合うなどしないだろう。反応が返ってこないから焦れて強く出るしかなくなったのだ。病院は病気を治すところで夫婦のカウンセリングの場ではない。でもカウンセリングの場が増えれば病気になる人が減るのかもとも思った。
お弁当の件は、外回り営業の人あるあるだよね。自分もせっかく作ってくれた嫁さんに申し訳なくて、得意先の人との食事の後に、営業車の中で食べた経験が何度かある。やはりそれを妻には言わなかった。まあそのうちお得意さまには「愛妻弁当があるので」とオチャラケ気味に断るようになったけど。
確かに大事な人だからこそ言えないこともある。でもそれで仲がこじれたら意味がない。相手のことを思っての行為なのに本末転倒だ。
たとえ少し声を荒げられたとしても、言うべきことは言わないとね。
患者だって治りたいし、医師だって治したい。でもあんな風に切らせろって言われたらどうだろう。命を助けてやるんだから声なんてってあんな勢いでこられたらたまらない。あれはもう盗賊よ。ここで徳重にセカンドオピニオンを求めて違う方法で元気になりましたとならないのがいいなと思った。病気のためには一刻も早くだけど、心の準備に待ってくれるお医者さんは貴重だ。津田さんの名演も相まって声を失う怖さが伝わってきた。それでも生きると前を向いて手術に挑む強さに勇気をもらった。
ツダケンさんが喉の病気で、声が人生みたいな設定がツダケンさん本人とダブってしまってなんだか辛すぎる回だった。
ドラマと中の人が変にダブってしまって、演技も良かったからだと思うのだけれど冷静には見れなかった。
治療を始めるのって納得が必要なのはとてもよくわかる。
どれだけ絶望的でも納得しているのとそうでないのは全然違う。
最後、ちゃんと納得して手術が受けれて本当に良かった。
医療は科学だし、最後は確率論になる。だから「絶対」とは言えない。むしろそれが真摯な態度だと言える。
患者側からすれば確率は低くとも、予想外の事態や、失敗、深刻な副作用など、ババ抜きでババを引くのが自分かも知れないと不安になる。
このジレンマは医療にとって永遠の課題なんだろうね。唯一の解決は患者の覚悟だけなんだけど、それが難しい。
そして赤池だけど、ちょっと引っかかるところがあるね。自らが病気か、あるいは引退するのだろうか。気になります。
知り合いにヤングケアラーだった人を知っている。
やっぱり心病むよね。
なんというか介護要員のコマとしか見られていなくて、自分というのが無くなる。
その人は祖母を見ていたのだけれど、祖母が亡くなった後、親の面倒は見ないと言って家を出た。
年寄りは老い先短いから終わりが来るけれど、兄弟はそうとは限らない。
自分の人生全部なくなる可能性だってある。
弟のことが好きだったけれど、亡くなってホッとしたというのが切なすぎる。
身体に異常が出てしまうほどの自分の喪失。
気づいてくれた先生たちがいてくれて良かった。
小児科医の先生が兄を見ないようにしていたと言ったけど、それは父も母も同じだろう。母なんか物理的に離れたし、父親もごめんなと気遣いながらも世話を任せきり。弟が亡くなったのは不幸ではあったけれどそれがなきゃ一生兄は解放されなかったのかと思うとその方が怖いと思った。誰もお兄ちゃんとしてしか見ていなくて名前も呼んでもらえないなんてかわいそすぎる。時間は取り戻せないとはっきり言えたのは良かったね。これだけのことをしても真っ直ぐ育ってくれたことに感謝だよ。
この兄はある種のヤングケアラーになっていたんだね。母親にも事情はあるのだろうけど、無責任なのは間違いない。本当なら両親は、彼が高校を中退する前にソーシャルワーカーなどに相談すべきだったんだろう。
徳重の言う通り、人は誰だってヒーローの一面と怪獣の一面を持っている。だからこそその一面だけを評価していては見えないこともある。それはこの兄だけでなく、病院においての徳重のことだったり、総合診療医についても同じなのだろう。
滝野に続き、有松も徳重への評価を変えた。こうやって徐々に連鎖していけばいいのだけど。
総合診療科か。あった方が良いと思うけど、大概はそこに行きつく前に、どこかの病院の診断を鵜呑みにして、いつまでも治らないとか、プラシーボ効果などで自然治癒するとか、そんなところだよね。
実際何年も苦しんでいた症状が手術しなけりゃダメな状態になって、ようやく本当の原因となる病気がわかったっていうケースを、私自身も体験してる。
その時、やはり周囲からは「ストレスのせい」とか「根性が足りない」とか「気にしすぎ」とか言われたし、訳のわからない健康食品や新興宗教を勧められたからね。この患者さんの気持ち、本当によくわかる。
専門性って視野狭窄と紙一重の要素がある。だからかつて学際的とか、総合的とかいって、もっと広い視野を求められた時代があったけど、それも失敗に終わった。そういう能力こそ学ぶのが難しいからね。
せめて医者くらいは待ちが1時間、診察5分というのを良しとしないでもらいたいけど、そのためには医療改革が必要だし、いろいろ難しい。
もうこういうドラマで啓蒙するなんて段階じゃないと思うんだけど。
でもドラマとしては面白いと思います。松潤の胡散臭い笑顔がかえって効果的かな。
総合診療科の話か。
松潤苦手だけれど、中身気になって見てみた。
本当にこんな風に全体を見てくれる総合診療科って今はどのくらいあるんだろう?
以前、足が痛くて痛くて歩けなくなりあちこち回された挙句、精神科を勧められたことがある。
痛み止めが同じように効かず、気が付いたら安定剤のようなものを出されていたことも。
その時に調べたのだが、精神科に付属していたり、内科の中で振り分けるようなところもあって思っていたようなところは無かった。
いまだ都会だけなのかなと思いながらも、一体どこを受診したら良いのかと悩む時にはこういう科があって欲しい。
本当はかかりつけ医がいろいろ診て、適切な科に回してくれるのが理想なんだけれどね。
医者だって人間なのはわかるけれど、地味にダメージくらう言い方する医者が結構いる。
信じて寄り添ってくれる先生って本当に少ないし、病名が分かったときの思わず喜んでしまう感じ凄く共感した。
専門の科ができることでより深く病気を診ることができるってことで始まったんだろうけど、今じゃ自分の専門しか診れないって医者が多すぎる。人間の体はぶつ切りにはならないんだから結果いろんな科をたらい回しにされる。それで気のせいなんて心が折れる。自分が診断できなかったのに心のせいにするのはずるい。自分一人で抱えていた痛みを分かってもらえるだけでも救われるんだよね。本当は専門の科に回す前のかかりつけ医がある程度振り分けできるといいんだけど、今じゃ簡単な定期的に通ってくる患者しか診ない。医師も質が落ちたのかな。