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| 脚本・ストーリー 4.2 /5.0(84%) | 191位 /1305件中 |
| キャスト 4.8 /5.0(96%) | 37位 /1305件中 |
| 演出 4.2 /5.0(84%) | 183位 /1304件中 |
| 音楽 4.4 /5.0(88%) | 68位 /1305件中 |
| 感動 4.4 /5.0(88%) | 43位 /1300件中 |
| 笑い 3.6 /5.0(72%) | 240位 /1300件中 |
| スリル・興奮 4.4 /5.0(88%) | 63位 /1298件中 |




4.20 / 5.0 (回答者数5人) 154 位 / 1302件中
| 脚本・ストーリー 4.2 /5.0(84%) | 191位 /1305件中 |
| キャスト 4.8 /5.0(96%) | 37位 /1305件中 |
| 演出 4.2 /5.0(84%) | 183位 /1304件中 |
| 音楽 4.4 /5.0(88%) | 68位 /1305件中 |
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少しマイルドに描かれてはいるけれど、当時としてはやはりふしだらだと噂されても仕方がない行動だったのだろうなと。
島村先生がどういう処罰を受けたのかはわからなかったけれど、あの拒絶具合を見ると二度目はないと言われたのだろうし、やはり先生業が今と違って正しきもの敬うべきものだった時代だから余計だろうと思う。
母親が働きに出ると言っていたけれど、若くしてお嫁に来て働いたことはないだろうし、このころの女性の給料は微々たるものだろう。
どうやってまだ幼い弟や妹を食べさせるか。
守が自分まで笑いものになっていると言っていた。
どこへ行っても「ふしだら」という言葉は珠について歩くだろう。
これはさ、年頃の娘に節度を教えなかったおかかが悪いよね。そばにいて理解者のつもりかもしれないけど親である以上もっと注意するべきだった。職員室を見たって女の先生は珠ひとり何かにつけて目立つ存在なんだし、自覚を持たないと後に続く女性たちにも良くないよ。本人は初めての恋に盛り上がり周りが見えなくなるのは仕方ない。ただ恋は1人じゃできないはず。明日彼の反応次第で株が上がるのか下がるのか、既婚者だったなんてオチだけはやめてほしい。
風邪のお見舞いだけならまだしも、お年頃の娘が足しげく男性のところへ通っていたら。
それも朝帰りなんてしたら、そりゃすぐに噂が広まっちゃうだろうと思う。
今と違って娯楽もないし、他人のうわさ話ほど楽しいものは無いからね。
それに時代背景考えても、破廉恥だのふしだらだの言われても仕方がない。
仕事柄、子どもたちに背中見られているし、模範となれと言われていただろうし。
こういうことがバレたら当然女性の方が処罰は重かっただろう。
謹慎だけで済むとは思えない。
珠の舞い上がっている姿が幸せそうなだけに、余計に落差が辛いことになりそうだ。
たとえふしだらと言われるようなことは何もなかったとしても、誰も見ていたわけじゃないからこそ、邪推されるのは仕方がない。この時代に若い独身女性の朝帰りだからねえ。今の世の中だって、都会の一人暮らしならともかく、それ以外なら大抵は近所の噂話になっているし、親だって黙っていないと思うけど。リョウは何も言わなかったのかねえ。
個人的にはいつの時代であれ、教師だからといっても独身同士なんだし、まったく問題行動だとは思わないけど、世の中、ひとりで生きているわけじゃないからね。批判は批判として甘んじて受けなければいけないところもある。
そもそもどう生きても世間の目はあるからさ。ここで開き直れる強さが見たいな。反省して畏まるより、その方が面白い。
モデルになった宇野千代さんは、ハプニングでラブレターもどきが相手に渡ったのではなく、確信犯として生徒を仲介役にラブレターを渡したらしい。そのやり方は教師としてどうかと思うけど、この時代には考えられない熱量と個性を感じさせます。そういう人がいたから、今の女性たちは自由に恋愛できるようになったわけだしね。
なので個人的には珠も、それくらい強烈なものを出しても良かった気がします。まあ今も十分、この時代の田舎にしては凄いですけど。
周りの目が厳しい中でかばってくれた島村先生のことが気にかかるのは当然の成り行きかな。
漢字を読むことに興味を持ち始めた次郎の前に落としたことは不運だったとしか言いようがない。
島村先生もまんざらでもなさそうだし、これは次郎君は偶然とはいえキューピットだったかな?
熱を出した先生の元を訪ねる。
別に変なことではないけれど、この時代のことを考えるとやはりいろいろ噂が立ちそうな気はする。
お互いが思い合っていたら問題はないような気はするけれど、あの堅物が教頭先生だから大騒動になるんじゃないかな。
このころの代用教員、しかも女性の場合はいくらくらいの給料だったのだろうか。
守の感想が男性から見た素直な感想なんだろうなと思う。
それでもありがたいと母は言ってくれるのが救いだ。
気になる生徒の家庭訪問も許されず、また子守りと言われてしまうのは女だからと侮られているからなのだろう。
珠は化粧をして出勤することを思いつく。
彼女にとっては鎧のようなものなのだろうか。
思いがけず他所から赴任してきた先生に肯定してもらえてまんざらでもなさそうだ。
自由恋愛など夢物語だった時代。
それでも、珠にはその気配が近づいているような気がする。
珠が代用教員になった頃って、もう大正時代でしょ。教頭くらいの年齢なら祖母は江戸期の人だろう。それこそ眉を落として白粉塗ってって人だっただろうし、化粧の派手さは相当なもの。明治期は西洋の影響でナチュラルメイクの時代ではあるものの、別に化粧をしなかったわけではない。単に西洋風に変化していただけ。この教頭の母親だって太眉に無鉛白粉だった筈。紅を差した程度で風紀うんぬんはどうかな。
まあそれは軍国主義の足音が近付いていることと、男性的権威社会の象徴として出したかったのだろうし、島村との「自由恋愛」によって校内に嵐を呼ぶ予兆というか、フラグなんだろうけどね。
子供は間違えて怒られたら次から発言自体をしなくなってしまう。それは成長の目を摘むことになってしまう。あの頃貧しいことが理由で学校に行けなかった子供もいたと思うが、学校に行かせるからにはしっかり勉強してこいという時代だったんじゃないのかな?遊びに行かすような親はいなかったと思うけどね。珠はゆっくりできるようになったらいいと言ったけど、複数人のクラスでは難しいのでは?もう少し時代背景や教師の仕事など考えてほしかった。
珠は無事に女学校を卒業した。
父が亡くなった後も本家からの支援は続けられたということなのだろう。
そして、小学校の代用教員になった。
このころの小学校が学力というか家庭環境でクラス分けされていたことに驚いた。
当然のように中学校など上の学校を目指す良いところの育ちの者と、家の手伝いなどをしてしばしば学校を休む者。
珠は後者の担任になった。
子守りだという言葉が現実を良く表している。
でも、珠は諦めていないように見える。
文字を書くことも、算学ができることも、本来生きて行くためには必要なことだ。
ただ野良仕事を手伝うだけにしても、生きて行くには物を買ったりいろんな場面でついて回ることだ。
出来の悪い子を切り捨てることは簡単だけれど、寄り添ってフリガナ書き添えて読めるようにしてあげるだけでもずいぶん違う。
この珠の行動は子どもたちをどう変えていくのだろうか。
農民に算術はいらない、なんて少なくとも江戸時代にはそんなことはなかったというのが、今の研究結果だけどね。そもそも年貢やら何やら、計算ができないと払えないし、騙されて損をする。だからこそ農民にとって最低限の計算は必須。もちろん町人は当たり前。というか計算ができる人が多くないと貨幣経済は成り立たないし。農民への偏見は明治以降強くなったのだと思うよ。
まあそれは良いとして、自由恋愛か。宇野千代さんの生涯を思うと、文学と同じくらい恋愛は切り離せない。その萌芽が生じるエピソードを、自分ではなく親友に託すあたりは脚本家のうまさかな。
珠の声だけが清治に届いたのが切ないなと思う。
きっと今までも苦しかったのだと錯乱しているのを見て思う。
父が亡くなったことで今まで禁止されていた外遊びができるようになった。
下のふたりの子どもたちが子どもらしく遊んでいるのを見るとホッとする。
珠も重しが取れたようにやりたいことが心を占める。
それぞれが思い思いの格好をして写真を撮る。
それが誰かに見つかったときのことを思うと少し心配ではあるけれど、今は楽しそうな満開の笑顔で良かったと思う。
いいも悪いも子供は右も左も分からない時から親を見て育っ。どんなに周囲が悪人だと言ってもたった1人の父親、珠は清治を見ながら最後まで心を通じ合わせたいと頑張ったと思う。清治が暴れた時、珠を見てふっと安心したような表情を見せる。それだけで珠は愛されていたと認識しただろう。珠は父のようにはならずその影響を違う形で昇華できそうだけど、守はどうだろう。父の形をそのまま継承しないでくれたらいいな。清治が死んだ。家族はそれぞれいろんな感情を持って生きていく、穏やかに過ごせるといいな。
清治は後妻のリョウはわからなくても、娘である珠のことはわかった。やはりなんだかんだ言っても、珠のことだけは嫌っていなかったらしい。あの作文のおかげかな。清治の「何も」という言葉の後はなんだったのだろうか。世間に対して「何も成していない」なのか、珠に対して「何もしてあげられていない」なのか、そこは見る側の想像に任せるということなのだろう。
父親が死んで清々しているという言葉だけど、口には出せないだけで、様々な事情からそう思う人は案外いると思う。それは冷たいとか、薄情とかいうのではなく、ただ率直なだけ。率直だけどその中には複雑な人の愛憎が詰まっている。そこを文学に変えていくことで、彼女のこれからにつながるのだと思う。
史実は10日だったが、それを超える3日で帰ってきたとはなかなか面白い。相手に大事にされないとかこの先も報われることはないと思ったらあれくらいの俊敏さで逃げるってことも必要だと思う。なかなか痛快だった。おとと様は放蕩の末死んでしまうのか‥本人はここらが潮時かもしれないけど残った妻子は生きていかなきゃいけない。いつか珠がここから逃げたと言っていたけどおとと様が原因じゃないとするとその他の家族と何かあるのか?かかと揉めるのだけは見たくないな。
珠の中で大きくなった「いらん!」という言葉。
若いからこそ耐えられなかったんだろうなと思う。
父のような理不尽なら耐えれただろうけれど、存在そのものの否定に無視は最上級なんだろう。
清治があまりにあっさりと受け入れたのは怒る元気もなかったのか、それとも珠を思えばこそか。
学友たちとも仲直りして、すべてが元通りかと思ったけれど、史実通り清治は弱ってきている。
ガラスに映った自分の姿が自分を罵倒する。
弱ってきたからこそ内部の葛藤が表面化したようにも見えて少し気の毒に思った。
やはり珠の縁談は清治自身の健康問題の影響だったようだ。英男と取っ組み合いのようにはなったけど、嫁や子どもに対して身体的な暴力を奮うシーンはなかったし、昔の男にしたらまだ良識的かもしれない。少なくとも私が知る昭和十年代のおっさんたちの中には、もっと酷いのがいくらでもいた。
そして譫妄による錯乱。何の病かはっきりしないけど、強い薬で幻を見ることはあるし、麻酔から醒めたときにも変な状態だったこともある。いずれにせよ長くないんだろうな。
おお、素晴らしい。あの父親に育てられ、あれだけ従順だったのに、あっさり婚家を飛び出した。これも「青鞜」のおかげかな。とはいえ、単純にらいてうの影響というよりも、これが珠の本質なのだろう。旦那の弟とのフラグも立ったし。
問題は父親か。史実からすればあと2年くらいで亡くなることを考えると、実は彼自身、自分の体調悪化を感じているのかもしれない。もしそうなら珠の縁談も自分の都合とか、食いぶちを減らすといった糸だけではなかったのかもしれない。もちろんそこは脚本家次第だけど。
何にせよ、史実ではわずか10日ほどで実家に帰ったみたいだし、ただ耐えるだけのヒロインにはない思い切りぶりが面白い。
父の17回忌まで仕送りをするって話だっただと??清治はその後はどうしようと思ってたの?まさか娘を結婚させてその家にお金を入れてもらうんじゃなかろうね。史実では14で嫁に行ったらしいから自分の将来なんて考える暇もなく親の決めた結婚をし粛々と家事をこなす人生が一般的だったのだろう。全く息苦しい世界だ。それがまだ100年前までの普通だったのだから恐ろしい。同人誌が一冊しかないのに捨てられてしまったことはとても残念。誰か助けてくれても良かったのに残念だ。
まさかとは思うけど、実家から金がもらえなくなったので、珠を金持ちに嫁がせて仕送りでもさせようという魂胆じゃないよね。だとしたら救いようがない。まあ当時はまだ子どもは親の道具扱いのところもあったし、特に女性は縁づくりの道具でもあった。結果として良き縁ならいいのかもしれないけど、所詮は結果論だからね。
同人誌は残念。何が良妻賢母だ。すべては男側の都合だよねえ。その一方で悪夫愚父の方は好き勝手生きているんだから。
やはり女性が主役の朝ドラでは、平塚らいてうが出てくる率が高いねえ。あらためてすごい存在だったんだなと思う。なんでらいてうが紙幣のデザインにならないのか不思議なくらいだ。
父親は相変わらずだけど、世の中、本当に何も変わらないということはない。変わらないように感じても、時を重ねた分、いろいろ変わってくる。だからいつまでも気にし続ける必要はない。それが吉と出るか凶と出るかはわからないけど、珠も好きなことをしてみるといい。どうしても譲れないものが出来たとき、自立に向けて袂を分かつのもまた親子の在り方のひとつなんだと思うし。
今の言葉で言えば夫はフキハラだし、妻はワンオペで家事と4人の子の面倒を見ている。その母が寝込めば長女の珠が下の子を背負い面倒を見るヤングケアラーにもなる、問題山積みの家庭だ。福祉なんてものは皆無だったけど、お使いにいけば優しく声をかけてくれる人たちがいる。なにより珠の前に進もうという強い力に圧倒される。不幸だなんて決めつけてはいけない。自分の不幸に名前をつけて立ち止まってはいけない。前を向こう、おかかと珠のようにそばにいる人と手を取り合い生きていこうと思った。
あんな森の深いところへ一人で入っていったら、やっぱりどこかで恐ろしさが湧いてくる。
母を救うためとはいえ、孤独で父の言葉を思い出し、母の元へ走っていく気持ちは良くわかる。
母がいるであろう家に向かって思いのたけをぶつける。
どんな気持ちであの家を去ろうとしていたか考えただけでやり切れない思いになる。
たとえ理不尽に慣れていても、さらなる孤独に潰されそうだったのではないか。
この母とは思いが通じ合っていると思わせる手の表現が重なって、家に戻る勇気に繋がった。
チビ珠のあどけない様子からの手つなぎの後ろで父が微笑んでいる。
この父は、珠のことを思っていないわけではないのだと改めて思う。
女ふたりが力を合わせて歯向かってまでここに居たいという。
「好きにせい」と言う心の内は嬉しかったのではないか。
何もしないというより、本当は何も出来ない父親と、義母ながらも、慈愛と決意に満ちた母親と、なかなかディープな少女時代だった。義母はともかく、ダメ親父に関しては、昭和40年代くらいまでよくある話でもあるけどね。
いずれにしても、珠にとってダメな父親であれ、義母であれ、父と母が揃い、弟がいることが家庭であり、家族の形だったのだろう。危ういバランスの上にある脆い形ではあっても。
成長し、女学生になった珠ですが、ここから本格的な彼女の生き方が見えるのでしょう。どうなることやら。
それにしても渡部篤郎さん、なんかギリギリの危うさを出すのがうまいなあ。
前半の珠の作文は誰にも見えていなかった清治の内面を見事に描写したものだった。だからあれほど清治が喜んだのだろう。後半のカナリヤ騒動は見ていられなかった。大の大人のあの殺気を感じてはリョウはその場にいられない。幼児を何人も連れて身を隠すだけでも大変だったはず。珠様のことを忘れたわけではなく、それほど切羽詰まった状況だったのだ。それなのにお前は置いていかれたと珠の心を踏み躙る。誰からも愛されないと不貞腐れているように見える清治は自分が誰も愛していないことに気づいていない。憐れだと思える日まで頑張れ!珠!
オープニングの映像に何故か懐かしさを感じると思っていたけれど、もしかしたらあれは新聞の活字を模しているのではないか。
あの四角にそれぞれ囲われた文字たちがあの時代に引き連れて行ってくれている感覚になる。
私の父という作文は、さすがたくさん本を読んでいる珠らしい文章だった。
笑っているようで、それでいてもの哀しそうだったと書かれて、清治は自分を理解してもらえているような気分だったのではないだろうか。
カナリアは窮屈な鳥かごの中でもきれいな声で鳴いている。
めげずに鳴いていると捉えるのか、自由を求めて鳴いていると捉えるのか、それとも違うのか。
ただ、その姿に自分を重ねていたのだろう。
だからこそ、しばらく穏やかだったのにカナリアがいなくなって心が保てなくなった。
だからといって、周りにとってはやはり理不尽には違いない。
珠が網を持って出て行ったけれど、上手く乗り切れるだろうか。
いずれ誰かがカナリアを逃がしてしまうだろうとは思っていたけど、リョウさんがやってしまいましたか。
この父親にとってカナリアは、自分自身の分身のように感じていたのだろうね。彼自身は囚われてはいないのに、籠の中の鳥だと思っている。弟曰くの「窮屈」は、見えない籠に飼われた自分だ。飼育されたカナリアは野生では生きていけない。そう思うけど、囚われている感覚も拭えない。ホント面倒くさい人だ。
ポップなオープニングがおしゃれでいいなと見始めるとそこは息苦しい世界。父親の顔を家族みんなが窺いながら息を潜め粗相がないように万全を期す。父親の抱えているものが大きいのは想像できる。大きな家業のあるとこの長男に生まれながら何もかもがうまくいかなかったのかもしれない。家族の揉め事は簡単に離れなれないために厄介だ。父は弟のために貧乏くじを引いたと思っているのだろうか。いくら慮ってみてもあれじゃ家族がかわいそう。親は死ぬまで親、はぁ重たい。
珠様の生きにくさと父の生きにくさ、父の厳しさと珠様の聡明さ。
どちらも関係があるんだろうなと思う。
試験のようなおつかいから見たら、日々の学校の授業は簡単だろう。
足の悪い弟のために酒蔵の跡取りを譲った父。
一生働かないと決めているのはそれのせいだけではないのだろう。
それでも悪趣味な酒席を用意して弟を脅すようなことをして、父の本心はどこにあるのだろうか。
去り際に弟が言ったこと、カナリアが窮屈そうだというのと根っこは同じなのだろう。
父が何に対して窮屈だと思っているのか。
満月の下で背を丸くしてカナリアを見つめる父。
美しくて寂しいその姿を見て、珠様は何と書いたのだろう。
清治は間違いなく珠が間違えるように買い物を言いつけたよね。意地悪というより気晴らしの悪意だ。
弟の清重が「兄貴の窮屈は変わらん」と捨て台詞を吐いていたけど、窮屈から解放されるために自由はあるんじゃない。そもそも道楽というのは仏教で悟りのためにすべてを投げうって修行する生き方であって、何も求めないでふらふらして、籠の中のカナリアを愛で、その姿に自分を投影したところで、清治の感じる窮屈さは変わらないだろうね。
最初に晩年の珠が「ここから逃げた」と言っていたけど、時に逃げるのも正解だ。三十六計逃げるに如かずだよ。しっかりした親なら孟母三遷じゃないけど、子どもが知らずともちゃんと環境を整えてくれる。だから後は本人次第。でもそうでないなら自分で環境を探すしかない。
きっと父親についての作文がそのきっかけのひとつなるのだろう。さてどんな内容なのだろう?
宇野千代さん、バイタリティの塊のような方でしたね。加賀さんの姿には晩年の宇野さんっぽさがよく出ています。さすがです。
そしてこの父親は最悪です。でも昔はこういう人がそれなりにいたんです。今じゃ考えられないけど。かくいう私も父親に蔵ではなく物置に閉じ込められ、やはり本を読んでいました。うちは更にかなり暴力的でしたしね。
宇野千代さんって奔放というより破天荒な印象がありますが、この父親にしてこの子ありなのかもしれません。恋多き女性でしたが、もしかしたら最初に好意を抱いたのは父親なのかな。少なくともこのドラマでは、そんな描き方になりそうな気もします。
「生きて行く私」懐かしい。
新聞の日曜くらぶに連載されていたもので、小学生だったけれど夢中になって読んでいた。
そんな懐かしい思い出の時代から始まり、子ども時代へ。
宇野千代と言えば桜のモチーフも思い起こされる。
橋の上からの桜の美しいこと。
後の千代さんと珠さまが上手くつながっているなと感心する。
そして、今日の晩年の千代さんと桜。
変わるものと変わらないもの、変わらないものの尊さみたいなものまで感じられる。
母親が実母でないことを何度も繰り返し、それでも優しく好きと言い、大切に守ると言うお互いの気持ちが素敵だ。
珠様という母の声が優しくて、線の細い感じが儚さを感じさせる。
そして、周りから「クソ」と言われ働きもしない毒親臭強めの父親。
朝ドラらしい組み合わせだなと思う。
前作以上に明治の香りがぷんぷんする始まりに少し期待してしまう。