『何曜日に生まれたの』でのシシド・カフカ (来栖久美役)の演技はどうでしたか?あえて2択で評価してみて下さい。
シシド・カフカ (来栖久美役) は 「2023年7月期 勝手にアカデミー賞」にノミネート中 (→ 今、何位?)
カフカさんはミュージシャンというよりもすっかり女優ですね。「ハムラアキラ」の演技はとても良かったんですけどね。この久美という役はもうひとつです。編集長という立場だけでなく、公文を心配しているのは「言葉」としては理解できます。しかし妹まで送り込み、すいたちを巻き込むフィクションにまで加担しながら、すいには公文の妹の件を話してしまう。その行動のどこに久美としての信念があるのか?ただ都合のよい「窓口」という感じです。役割を決められて作られたキャラなのかもしれません。なのでどこか支離滅裂で信念が感じられない。そんな編集長もいるのかもしれないけど、どうあれその立場に見えなければ芝居としてはダメ。
すいにとってすごくショッキングな出来事が分かってしまいその父である黒目さんに謝るシーンで全然気持ちがこもってなくてびっくりした。編集者としてというかその場の責任者として形だけ謝ったイメージ、子持ちで子供を傷つけられた気持ちというのが全く想像できてないと思った。
少しクセのある喋り方が気になる時もありますが自己肯定感が強い、私は私という強い感じがするのでいいと思います。誰よりも俯瞰的に見ることができるキャラなので落ち着いた喋り方が合っていると思います。でも子供に父親がいない分3倍愛してるのは独りよがりかな。シングルマザーキャラもありですね。
すいちゃんのことを現実で逃げたいことからも逃げずに踏ん張って生きているシングルマザーとして言う言葉は少し荒っぽいけれどそうだよなーと思うような意見でした。すごくシンプルで悪気もなくて気持ちのいい言い方だったので良かったと思います。
カフカさんはミュージシャンというよりもすっかり女優ですね。「ハムラアキラ」の演技はとても良かったんですけどね。この久美という役はもうひとつです。編集長という立場だけでなく、公文を心配しているのは「言葉」としては理解できます。しかし妹まで送り込み、すいたちを巻き込むフィクションにまで加担しながら、すいには公文の妹の件を話してしまう。その行動のどこに久美としての信念があるのか?ただ都合のよい「窓口」という感じです。役割を決められて作られたキャラなのかもしれません。なのでどこか支離滅裂で信念が感じられない。そんな編集長もいるのかもしれないけど、どうあれその立場に見えなければ芝居としてはダメ。
すいにとってすごくショッキングな出来事が分かってしまいその父である黒目さんに謝るシーンで全然気持ちがこもってなくてびっくりした。編集者としてというかその場の責任者として形だけ謝ったイメージ、子持ちで子供を傷つけられた気持ちというのが全く想像できてないと思った。
少しクセのある喋り方が気になる時もありますが自己肯定感が強い、私は私という強い感じがするのでいいと思います。誰よりも俯瞰的に見ることができるキャラなので落ち着いた喋り方が合っていると思います。でも子供に父親がいない分3倍愛してるのは独りよがりかな。シングルマザーキャラもありですね。
すいちゃんのことを現実で逃げたいことからも逃げずに踏ん張って生きているシングルマザーとして言う言葉は少し荒っぽいけれどそうだよなーと思うような意見でした。すごくシンプルで悪気もなくて気持ちのいい言い方だったので良かったと思います。