※まだ評価はありません。
脚本・ストーリー 3.0 /5.0(60%) | 843位 /1161件中 |
キャスト 3.4 /5.0(68%) | 854位 /1161件中 |
演出 3.1 /5.0(62%) | 824位 /1160件中 |
音楽 2.8 /5.0(56%) | 910位 /1161件中 |
感動 2.5 /5.0(50%) | 861位 /1156件中 |
笑い 1.7 /5.0(34%) | 1035位 /1156件中 |
スリル・興奮 2.9 /5.0(58%) | 744位 /1153件中 |
脚本・ストーリー 3.0 /5.0(60%) | 843位 /1161件中 |
キャスト 3.4 /5.0(68%) | 854位 /1161件中 |
演出 3.1 /5.0(62%) | 824位 /1160件中 |
音楽 2.8 /5.0(56%) | 910位 /1161件中 |
感動 2.5 /5.0(50%) | 861位 /1156件中 |
笑い 1.7 /5.0(34%) | 1035位 /1156件中 |
スリル・興奮 2.9 /5.0(58%) | 744位 /1153件中 |
この話にはいろいろなメタファーがあり、そこについてはいろいろな意見や見方があると思うので、それぞれが考えればいい。
ただかえるくんのように大ミミズと戦わないまでも、どこかのかえるがミミズを食べた、あるいは誰かが捨てられていた空き缶を拾ったという行為が、バタフライ効果で未来の何かを大きく変えるかもしれない。その意味でこの世界に無力な存在なんてないのだろう。
ただそれは救いばかりではなく、悪夢も生み出しているのかもしれないけど。
神様は空に打ち上げられたフライだって取らせてくれないし、熱心な信者の癌の痛みさえ取ってはくれない。地震が来たって津波が来たって、未知のウイルスが来たって何にもしてくれない。それなのに神を信じ神に祈れって言ったって無理な話だろう。そして完璧な避妊をしたのに何度も妊娠する母。どんなあばずれだよ。それを理由にあなたは神の子って恐ろしくてなんにも言えないわ。そんなこと言われてきっと神様だって迷惑してるだろうよ。
完璧な避妊をしたのに子どもができたから神の子か…
思わずキツネの子を思い出した。
戦前生まれの人から良く聞いた言葉だ。
それらはよく聞くと化かされた話とセットになっていて、暗黙の裡に望まぬ妊娠をした場合に使われるのだと理解した。
それが、「避妊」という現代的なワードと組み合わさって根拠とされるとこんなにも大きな違和感になるのか。
面と向かって母から聞かされる子どもは素直に受け取れるとは思えないのだが。
宗教の盲目さと相まってそれが救いになることもあるだろうか。
目が覚めた時、残酷さだけが残っているような気がするのだけれど、どうなのだろう。
原作との違いは触れないとして、これは奇跡が起きなかった「フィールド・オブ・ドリームス」だね。村上春樹さんはサリンジャーやキンセラが好きだし、それを意識したものということになるのかな。
何にしてもキラキラネームというわけではないけど、子どもにとっては負担にしかならないというか、呪いをかけられるような名前というのはある。その名づけの理由も、ある意味でふざけるなという感じだろうし。
でも救世主を求める側と、救世主あつかいされる側のさまざまな葛藤が見えた。
とはいうものの個人的にあまり面白くはなかったかな。
大切な人が冷蔵庫の下敷きになったのだろうかと思ったが、自分がその中に閉じ込められて窒息して亡くなるという夢を繰り返し見るからだったのか。
大切な人を失って空っぽになる気持ちも少しだけだけれどわかる気がするし、あの焚火の魂は自分の魂でもあり亡くなった人の魂でもあるのかな。
大切にされなかったことで空っぽになってしまった女性とは年齢も性別も関係なく親和性が高すぎた。
おそらく言葉を交わすたびに心が近づいて行ってしまったのではないか。
初めて二つになった魂が消える時、2人はこの世から消えようとしている。
それは奇しくも東日本大震災が起こる日だ。
あのまま浜にいたら…冷蔵庫の中ではないけれど呼吸ができないという意味では夢どおりの最後を迎えるのかもしれないし、それ以前に2人ともこの世から消えるのかもしれない。
こういう風に消えるために生きている人がいるんだと思うと苦しくなった。
阪神の震災を経験して冷蔵庫が部屋に置けなくなる。家族を押し潰されたのだろうか。エピソードを繋ぎ合わせていく中で三宅の体験を想像させるストーリーは時にはがゆくもっと知りたいと思いつつも想像力が試されて面白い。浜辺で心の傷と向き合いながら焚き火をする三宅と、自分のことを空っぽという順子が火が消えたら一緒に死のうかと話すところで終わる。それが東日本大震災の日とも知らずに。その日の午後あの二人はどうなったのだろうか。津波を前に生きたいと逃げ仰たのか、はたまた‥。物語が終わっても自分の中で物語が続いていた。
村上春樹らしくないセンチメンタリズムに溢れた描かれ方だけど、ドラマとしては良かったと思う。堤真一さんの演技力があってこそだけど。
知り合いに阪神淡路大震災と東日本大震災の両方を経験した人がいた。でもそれについて多くは語りたがらない。
人は人生の中で多くのものと出会い、失ったりするけど、似たような心の空白を抱えても、最後はどれも個的なものだから、まともな作家がこの後に二人の自殺を暗示しているわけではないだろう。
生きていれば失われていくのは当たり前だし、死んでもその因果に組み込まれるだけで、関わった誰かに因果を押し付けるのは美しくもないし、ただ無責任だからね。
むしろ繰り返される震災の悲劇の更にその後、失われてもどう生きていくののかが問われるのだろう。
村上春樹さんの作品はハマる人にはハマると聞いてはいたけれど、今まで読んだこと無かったので興味を持って見ました。
さすがに文学作品だけあって、今どきのドラマと違って難解。
神戸の地震のニュースも当時を思い出させるような稀にみるリアルな感じで、当時奥さんと同じように食い入るように見ていた。
ああいう見方は魂持っていかれてしまうんだよね。止めないと…と思っていたら離婚。
旦那の無関心も気になったけれど、どうしても自分事でないとああなりがち。
なんでも自分事にしてしまう人は心病むし、どっちもどっちなんだよね。
どうして行き先が釧路だったのだろう。
そもそも本当に奥さんはいたのだろうか。
何もかも幻のようで現実味がなくて、幾通りにも解釈できそうなお話だなと思った。
分からん、さっぱり分からん笑。最近とんとこの手のふわふわした真意を掴めないような難しい物語から遠ざかっているから最後までモヤの中にいるような感覚になった。分かりやすいものばかり見ていちゃ退化するんだなと実感。取り憑かれたように災害のニュースから離れられなくなった奥さんはどこへ行ったのか?あの箱の中身は奥さんの骨だったらどうしようなんて思いながら見ていた。初対面なのにぐいぐいくる女子たちが怖くて引いた。
村上春樹さんが原作ということですが、これまで村上作品の映像化はあまりうまくいかないというのが定評です。オムニバスの単話ということで、それぞれどう表現されるのか気になるところです。それにしてもNHKはなかなか冒険的ですね。しかも唐田えりかさんをキャスティングしています。
さて初回ですが、主人公と奥さんのすれ違いが決定的になったのは、阪神淡路大震災のニュースなわけですが、
ここで問題になるのは、テレビを通してということでは同じ距離感にいる二人なのに、そこから受け取るものには差があるという点です。もちろん主人公の方だって心を痛めてはいるのだろうけど、それは自分の日常を侵食するほどではない。でも奥さんの方は食事もしなくなるほど侵食されていた。
もちろんこれは家出の単なるきっかけに過ぎないけど、主人公にはわけがわからない。その距離感を釧路への旅で自分の肉体にまで侵食してくることで理解していく感じでしょうか。
原作が文学作品だからか、ちょっと意味深かつ丁寧に描こうとしていたのかもしれないけど、全体的に間を取り過ぎてちょっと冗漫だったかな。もっと序盤は普通に自然に描き、最後の方でゆっくりめにした方が、マジックリアリズムっぽくなったように感じます。