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脚本・ストーリー 4.3 /5.0(85.8%) | 146位 /1087件中 |
キャスト 4.5 /5.0(90%) | 177位 /1087件中 |
演出 4.3 /5.0(85%) | 153位 /1086件中 |
音楽 4.0 /5.0(80.8%) | 183位 /1087件中 |
感動 4.4 /5.0(88.6%) | 34位 /1082件中 |
笑い 2.9 /5.0(57.8%) | 521位 /1082件中 |
スリル・興奮 4.1 /5.0(82.8%) | 110位 /1079件中 |
脚本・ストーリー 4.3 /5.0(85.8%) | 146位 /1087件中 |
キャスト 4.5 /5.0(90%) | 177位 /1087件中 |
演出 4.3 /5.0(85%) | 153位 /1086件中 |
音楽 4.0 /5.0(80.8%) | 183位 /1087件中 |
感動 4.4 /5.0(88.6%) | 34位 /1082件中 |
笑い 2.9 /5.0(57.8%) | 521位 /1082件中 |
スリル・興奮 4.1 /5.0(82.8%) | 110位 /1079件中 |
とても感動し、また考えさせられたドラマだった。こういうドラマが増えて欲しい。
この3ヶ月のドラマで一番成長した主人公はこのドラマの志子田先生だったと思う。一人の子供の死に囚われすぎて泣いたり、子供のためと言いながら自分が持ちきれない真実を話してしまったり、初めの頃は正義感や実直さがありながらまだ青くて脆かった。それが最後には現状を分かりながら的確に患者を励ませるようになり、惜しくも亡くなってしまった命を糧にするようにみんなで話し合うことができるまでに成長した。清々しい気持ちで毎回見ることができた。災害に立ち向かう時、幼馴染4人で電話を繋ぎながらただ食事を摂るシーンが一番好き。これから立ち向かう現場を前にエネルギー補給。無言だけどお互いを励ますようで力強いシーンだった。
搬送時間の問題を浮き立たせるために冬の地震だったのか。子どもが救出されないまま凍死だなんてドラマといえども悲しすぎる。対立していた共立大病院も協力して受け入れてくれても、それでも救えなかった命。きっと一つ問題をクリアしても、また新たな問題が出てくるんだろうなと思う。2つ目のPICUを作ってお互いにバックアップするというのは少し光が見えた。圭吾君の再手術が上手くいったし、なかなか良い着地点だったなと思う。医療の地域間格差は北海道だけの問題ではないとは思うけれど、北海道で痛感する問題もたくさん含まれていてとても良いドラマだったと思う。できれば何年か後に続編が見たいなと思った。
ベストを尽くしたとはいえ、救えた可能性のある未来ある子どもの命がひとり失われたことは、丘珠病院の皆だけでなく、鮫島知事にしても、対立していたように見える札幌共立大学の渡辺にしても、無念であり、改善すべき点があると考えたということなのでしょう。それは責任ある立場の者として、ひとりの大人として、見事な選択だと思います。志子田だけでなく、悠太も成長したし、ある意味で植野も成長した。実際もこうやって地域医療が見捨てられるのではなく、うまく充実していって欲しいですね。地方に住む者としては痛感します。個人的には今期のドラマの中で一番よい作品でした。
やっぱりさ、誰かが死んで悲しくなったら涙を流して泣いた方がいいよね。ちゃんと悲しみと向き合った方がいい。山田先生に抱きしめられて泣けて良かった。人の温もりって赤ちゃんの頃から人間には大事なものだったんだね。抜け殻のようになっても仕事の電話一本入ればキリッと顔つきまで変わるし、圭吾くんや患者さんの前に立てばちゃんと笑うこともできる。泣くだけ泣いたら少しずつ日常に流されていけばいい。志子田先生の努力も実りそうな予感もあった。勉強して頭を下げて人に聞いて撒いた種は確実に育っていた。きっと南さんも喜んでいるだろうな。
山田先生、飄々としていながらも、気を遣わせない優しさを感じます。また桃子の出産といい、父親のいない志子田にとって、こういう出会いは子どもの頃に知らなかった父性を、少しずつ学んでいく過程でもあるのかもしれません。植野もまた学ぶものが多かったようですね。改革者は理解されず孤立すると決めつけていたのは、彼自身だったのかもしれません。そして圭吾くんに訪れたチャンスに大きな地震。心が折れてもおかしくない。でも地震の多い日本では各地で医者と患者がそうやって踏ん張っている事実を忘れてはいけないなと思います。
南さんの最期は思うよりあっけなく呆然としてしまった。東京の医者に診てもらおうとやってきて最後の東京観光をしていく人もいるのだと思うとなんか切なくなった。よく遺書で亡くなった人の思いが明かされることがあるけれど、そうじゃなくて面と向かって今までの感謝やありったけの愛を伝えるところがこの親子には合っていたしとても良かった。個人的には武四郎が一人で喪主を務める場面に泣いてしまった。うちにも一人息子がいる。せめてその子が家族を持つまでは夫婦共々元気でいようと思った。
延命だけに重きを置かれていた時代の癌末期の話はいろいろ見聞して知っているから驚く内容ではないが、南さんと武四郎の演技のやり取り、言葉のやり取りから南さんにとってどれほどの重さのある事だったかとか、そういうのが伝わってきて涙が出た。武四郎は辛かっただろうけれど、南さんは愛する人にそっくりの息子に自宅で最期を看取ってもらえて辛かっただろうけれど幸せだったんだろうと思う。働くことでなんとか自分を保とうとしている武四郎にとって圭吾君のことは辛いなんてものじゃないだろう。どちらも医者の無力さを嫌と言うほど感じてしまう。頭でわかっているということと、心でわかっているということは別だ。きっと時間が必要なんだと思う。そうは思っても心配だ。
志子田もついに折れてしまいました。医者は神様じゃないから、すべての人を救えやしないのは彼だってよくわかっているのでしょうが、医者になった以上、諦めたくない気持ちもわかる。まあ母親の末期がんに関する思いだけでなく、圭吾くんの件も含め、命と向き合うことはすなわち、生きることと向き合うことだから、それこそ生きることの質、QOLとは何なのか本気で考えなければならないですからね。でも結局、どう生きるかはそれぞれ個々によって違うわけで、まさに個と向き合わなくてはならりません。同じ病気でも、患者の人生は異なるし、患者のまわりにいる人たちの思いも違う。志子田も一度くらい折れてもいい。悠太だって一度は折れた。何度でもやり直せるのも生きているということなのだから。
嘘をついたらいけないと子供を育てるけど志子田先生を見ていたら分からなくなった。何が何でも正直に言うのがいいとは限らない、全てを飲み込んで優しい嘘がつけるのが大人なんだね。圭吾くんに顔色ひとつ変えずに向き合えた志子田先生は大きく成長したなと思った。お母さんとの向き合い方も素敵。いつか親は先に死んでしまうと思っていてもなかなか受け入れられないもんだよね。自分が医者なら尚更もがきたくなる。でも医療は万能じゃない、看取りも医療のうちなのだと奥深さを感じた。
病気に対する覚悟、見送る・見送られる覚悟をする時間が取れるという意味で、病気は事故よりもある意味幸せだと言われることもある。それはお互いが納得できるかどうかということなのだろう。病気にかかったことを納得できるとかではなくて、何をしたか何を考えたか。圭吾くんはまだ小学生なのに、本当にたくさんのことを考えていて凄いと思う。嘘の苦手な志子田先生が彼の生命力を潰さないために懸命についた嘘。本当にたくましくなったと思う。南さんへの言葉も成長が感じられて。ハッピーエンドばかりじゃないところがリアルで考えさせられる。
大人は時として嘘をつかなければいけないこともある。でもそれは優しい嘘でないとね。志子田の嘘はそんな優しい嘘でした。けれど医者として考えなければならないのは、圭吾くんと変わらない年齢で不治を知らされている子どもたちはたくさんいて、その子たちは自分の残り少ない生や死と向き合っている事実です。子どもにだって残された命を何に使うか決める権利はある。そのことも忘れないで欲しいです。仕事として嘘をつけるようになった志子田も母親には嘘がつけなくて、諦めきれない気持ちを訴えたけど、結局、死とは残される側の問題でもあると痛感させられました。
「悠太の命は悠太のもの」と言った南さん、自分の命は自分のものって言いたかったのでしょうね。それはそうなんだけど、武四郎の家族としての気持ちも痛いほど分かります。カルテ一つで病状は全て分かり、どのような予後が待っているのかもすぐに想像できてしまう。辛いだろうなと思います。ただ南さんにもそれなりの経験があって自分の身の振り方を考えている。その膠着状態の間をすり抜けてくる植野先生の言葉が沁みる。こんな寄り添ってくれる医師がいるなら頼ってみたいなと思った。
せっかく心臓移植に前向きになったのに今度は腎臓が悪くてというのは辛い展開だな。移植を待ちながら亡くなる子どももいるし、そういうのを思うとこの展開はリアルなんだろうなと思う。だからこそ見ていて辛くなる。南さんの病気のこともとうとう志子田の知るところとなった。紙を見ただけで状況が全部把握できてしまってというのは医者ならではだと思うし、それが酷ければ子どもとしては気持ちが先走ってしまって冷静ではいられない。植野先生の家庭訪問は良かったし、言葉もとても優しい。今はいろんな治療があるので、痛みが少しでも和らぎますように。
南さんの気持ちもわからなくはありません。かつてのガン治療はペインクリニックなんて存在せず、多くの末期患者は日々激痛に苛まれて、いっそ殺してくれと言ってきたり、死に際も安らかとは程遠い苦悶の表情で逝ってしまうようなことがありました。そんな姿を見てしまった人は、自分なら無理矢理生かされるよりも苦痛を受ける時間は短くていいと思う人も少なくはありません。でも今は植野の言う通り、緩和ケアやターミナルケアといった分野も整備されてきているし、もう少し歩み寄って欲しいですね。問題は圭吾くんですが、やはり北海道だけに和田心臓移植事件がちらつきます。そちらに向わなければいいのですけど。
どうしても小児の患者だと親の思いが優先されてしまうところがあるけれど、患者自身の生きる気持ちがないダメなんですよね。何度も自分も死の淵に立っているからこそ心臓移植のその心臓の持ち主のことを考えてしまう。違う臓器なら自分があげる立場になるかもしれないと思うのかしら。子供だって経験値が違えば違う価値観を持つものです。生きてほしいと推してもダメ。自分で生きたいと思えるように修学旅行を企画した、しこちゃん先生はすごいと思う。
重い心臓病の子ども。何を思い何に絶望し何を願っているのか。ちゃんと子どもの目線に立てる志子田はある意味すごいのかもしれない。発作を起こして、そこから目覚めた時が一番怖いとは思いもしなかった。それを子どもの口から聞き出せる力。目を覚ましてホッとするのは周りだけなのだ。そして子どもでもドナーへの思いがちゃんとあって、命をいただく意味をわかっている。だから自分を諦めると言うのはあまりに悲しい。どうしても生きられなかった子どもの命をいただいて、その子の分まで生きたいと思わせる。それが志子田の修学旅行計画だろう。楽しかった日々を思い出す素敵な趣向だった。それにしても、子どもが頑張って戦っている姿を見ていると演技だとはいえ泣けてくる。
子どもの心臓移植問題というよりも、子どものQOLをどう考えるかというテーマでした。大人とは違い、子どもの意思をどう判断するべきかは難しい。なので意思というよりも子どもの生きる質を問うたこのやり方は、ちゃんとした患者管理がなされている中では良い方法だったかもしれません。圭吾くんの次の問題はドナーですね。実際の話として渡米しての移植だと円高もあって費用は5億円にもなるそうだし、ドラマでは国内での移植になるのでしょう。北海道で心臓移植といえば、悪名高き和田心臓移植事件を思い出します。もしかしてシナリオを書いている人はそれも意識しているのでしょうか?
病気の子供を持つ母が捨てる命があるのならこの子にその命を分けてほしいと思う心も痛いほど分かるし、心神喪失となり自分の命を自分で終わらせようとしてしまう悠太の気持ちも分かった。命を扱うものとして自殺はいけないことと倫理的に諭すのではなくその背景にまで目を配り寄り添う姿勢がとても素晴らしいと思った。悠太の命は悠太のものと言ったお母さんの真意はどこにあるのか、自分も大きな病気を隠していそうなのでとても気になった。
北海道に限らず、地方の医療は拠点となる設備が整った病院までの距離が、絶望的に遠かったりする。ドクタージェットは確かに理想的だけど、理想論だけではどうにもならない。コロナでもそうだったが、救える可能性があっても、事実上、見捨てられる命がある。それが現実。最前線にいる医者がそれで悠太みたいに心を痛めない筈がない。結局、医療は人と向き合うことだから。そして南に起こった異変はすい臓がんの可能性が示唆されました。すい臓がんは生存率の低い難しい病気です。武四郎は医療人として、今度は肉親と向き合わなければならなくなるかもしれません。でも南の言う通り、他者の命は他の誰のものでもなく、本人のものです。本当の患者ファーストは何なのか考えさせられるものになりそうです。
悠太はやはり自殺だったのか。消えそうな命をつなぐことが仕事で、日々ギリギリのところで戦っている子どもたちを見ている志子田の怒りもわかる。悠太はSOSを出していた。それをちゃんと聞き出せなかった自分への怒りも志子田は持っただろう。そういう当初の怒りを越えて、目を覚ました悠太との会話は素敵だと思った。
北海道の広さを考えた時、網走や函館の子どもが丘珠で入院するということの大変さは想像を絶する。搬送も、介助も。それぞれお金の問題も絡んでくる。そういうところもちゃんと描かれていて、どうなっていくのかとても興味深い。
志子田先生は押しが強いし視野が狭いしちょっとなーと思って見ていたけれど、みんなが視野を広くお母さんの立場で見ていたからかもしれないと気がついた。志子田先生はたった一人裸ん方で病気と闘っている赤ちゃんの味方だったんだね。お母さんに会いに来てほしい、触ってほしいと声に出せない声を代わりに訴えていたんだね。あんまり物分かりのいい大人になってしまうのもいけないんだなと納得。ただ産後のお母さんに全てを背負わすのは酷。逃げた男が恨めしかった。
子どもを産んだからと言ってみんながみんな母親になれるわけではない。シコちゃん先生は、まだ人生経験が少ないし、少し思い込みも強くて暴走しがち。ただ悪意がある訳ではないから、余計に強いと言うか人を追い込むこともある。あのお母さんからどうしてこんなに真っすぐすぎる子どもが育ったかは謎だけれど、いい意味でも悪い意味でも真っすぐ。許してくれた綿貫先生は優しい。自分なら根に持ちそうだ。自分の子どもがいつまで生きていて、最後の瞬間は誰がいたのかを知りたいと言う綿貫先生の気持ちが悲しい。医者である前に一人の人間だし、一人の母親だ。知る方法が裁判しかなくて、値段をつけるというのが余計につらそうだ。
志子田の綿貫に対する言動は、いくら子どもの目線に立っているとはいっても軽率なことを言い過ぎ。大人がなぜ大人かといえば年齢の問題ではなく、人生経験の差であり、そこには安易に踏みこんではいけない領域を持つ人もいる。知らなかったからで済ませてくれた綿貫だが、彼女の心を不用意にえぐった志子田が、被告側を怒るなんてあまりに衝動的で自分勝手。母親の気持ちはわからないと言いきってしまうのもどうか。それを言ったら他人の気持ちなんてわからないという不可知論になる。子どもだったことはあるから子どもの気持ちはわかるというけど、それは志子田個人の気持ちであって、すべての子どもに通じるわけではない。医療や福祉の世界では同じ症状や同じ問題を抱えていても、同じ患者としてくくるのではなく、その人たちそれぞれの事情を見なければいけない。だから志子田の理屈には首を傾げる。
網走で事故に遭った子供が瀕死の状態で悠太のところにやってきた。そこに偶然武四郎がいてPICUまで辿り着くことができた。だけどそこの人手不足でケアが十分にできないからと安全策の肺全摘を選ばれたが、人手不足を解消したことで男の子は全摘にならず元気に回復。運といえばそれまでなんだけど、いろいろ考えさせられます。命さえ助かればと思ったのに今度は元通りを願ってしまうのはみんな共通ですね。助からずに運がなかったと諦めきれる命なんてない。やっぱり最後には運しかないのかなー。
医師の選択の難しさを痛切に感じました。そして術後管理も大変なのですね。地方は医者に限らず、医療従事者が不足がちです。地域医療は限界に近い。ある程度、マンパワーと設備があれば、もっと子どもたちだけでなく、たくさんの人が救えるんですけどね。それは同時にその家族をも助けることになる。植野の「コロコロ意見を変える」というのは同感です。医師のような大変な仕事でなくとも、人はこだわり過ぎると、本質を見失うことがある。意地を張り過ぎず、良いものには素直に従うというのは、人として優しい選択だと思います。
その子供の保護者であるお母さんと主治医の先生が子供に病状を言わないと決めた時からこれは志子田先生が言っちゃうやつだなと勘付きましたが、あの場で子供と一対一で向き合った時の逃げ道ってないよね。りこちゃんに病状を軽く話した時嘘を上手に隠せる綿貫さん、必死に笑顔を作っているけど笑えていない羽生さん、目を合わせられない志子田さんとみなさん三者三様で性格が出ていて綿密に作られたキャラ設定がとてもいいですね。結果自分のちっぽけな正義でみんなを混乱させた志子田さんは怒られたけど、大人になって真剣に怒られるって大事です。凹んだり泣いたりしながら成長する志子田さんを楽しみにしています。
すごく良質の映画を観たような1時間でした。他の地域に住む人が知り得ない北海道の現状とそれじゃいけない!変えたい!と思う人々の祈りのような熱意に胸を打たれました。子役の子が体調を崩して車で運ばれる時に半笑いにも見えたスタッフが最後は運転しながら号泣、不謹慎にも見えたけどそれほど子供の小さい体と命は急変しやすく儚い存在だということがよく分かりました。失敗を教訓にといってもその子の死は一つしかないわけで、辛く苦しい失敗です。それでも逃げずに最後の砦になろうと頑張ってくれている医師に頭が下がります。