※まだ評価はありません。
脚本・ストーリー 4.0 /5.0(79%) | 343位 /1087件中 |
キャスト 4.3 /5.0(85.4%) | 321位 /1087件中 |
演出 3.9 /5.0(78.6%) | 335位 /1086件中 |
音楽 4.1 /5.0(82.6%) | 146位 /1087件中 |
感動 3.9 /5.0(78.6%) | 116位 /1082件中 |
笑い 3.2 /5.0(63%) | 379位 /1082件中 |
スリル・興奮 3.6 /5.0(71.2%) | 332位 /1079件中 |
脚本・ストーリー 4.0 /5.0(79%) | 343位 /1087件中 |
キャスト 4.3 /5.0(85.4%) | 321位 /1087件中 |
演出 3.9 /5.0(78.6%) | 335位 /1086件中 |
音楽 4.1 /5.0(82.6%) | 146位 /1087件中 |
感動 3.9 /5.0(78.6%) | 116位 /1082件中 |
笑い 3.2 /5.0(63%) | 379位 /1082件中 |
スリル・興奮 3.6 /5.0(71.2%) | 332位 /1079件中 |
見事なさよならコンサートでした。やっぱりブギウギはこうでなくっちゃ!音楽シーンが満載でいつも真剣で本当に面白かった。朝からコンサートを見る思いで明るく楽しかったです。物語は歌が大好きな女の子が歌で成功したお話。でも本当に知りたかったのはこのあとのような気もします。歌わなくなった鈴子の人生ってどんなものだったのでしょう。大好きだったものと離れてどんな気持ちだったのかな。歌を取ったら面白いことはなんにもないなんて言われそうですが特別編でもいいので見てみたいです。
スズ子の最後のコンサート、最初はしっとりと、そして彼女らしい弾け方に変わるところなど、本当にご苦労さまと言いたくなりました。何よりも演じる趣里さんのお母さんである伊藤蘭さんがキャンディーズを解散した時の、ラストコンサートと重なるようなシーンもいくつかあって、かつてキャンディーズを愛した人たちにとっても、何だか嬉しくも懐かしい感じがしました。佇まいや雰囲気など、やっぱり母娘なんだなとしみじみ思いました。全体を通しても、とても面白い朝ドラでした。それぞれの役者さんはもちろん、脚本も演出も気が利いているところが多く、羽鳥さん、いや服部さんの音楽も素晴らしかった。拍手です。
羽鳥先生とのやりとりに丸々一回分使うなんてとても贅沢で見応えがあった。まりさんが少し前に2人のことを嫉妬してしまうと言っていたけどそうだろうなと思った。まりさんとの絆とは違う土俵で2人のしっかりした尊敬や絆を見ることができる。まりさんは鈴子にはなれないし、その逆も無理なのだ。ここまで運命の人に出会えることは奇跡だと思う。明日はいよいよラスト、またまた圧巻のパフォーマンスが見らるのかと思うと今からズキズキワクワクしている。
スズ子は羽鳥先生の音楽の一部でいることが大好きだったんだな。羽鳥先生はブギを自分のものにして表現するスズ子のことを最初はきっと嬉しかっただろうのに、表に出て称賛されるスズ子に少し嫉妬するようになっていたからこそのあの反応だったんだな。お互いにとって特別な関係。素直に気持ちを話し合う姿はちょっと恋人のそれに似ていて。会見だけでは足りないと言って、もう一度二人で楽しむことに決めた舞台はどんなだろう。待ち遠しくて仕方がない。
スズ子と羽鳥の静かだけれど、本音のぶつかり合いでした。羽鳥の嫉妬はわからなくもないですね。プレーヤーであるスズ子は歓声などを直接受けるからダイレクトにいろいろ伝わるけど、裏方の羽鳥には間接的にしか伝わってこない。だから歌がスズ子のものになっていくのに思うところもあるだろう。でもスズ子の人形でいいというのは正直なところよくわからない。まあそこは人それぞれの感性の問題だし、わからないからといって否定はできない。ただ想像するに純粋な歌い手というものはそういう部分もあるのかなと思う。最後の二人のステージが楽しみです。
鈴子の記者会見は昔は普通だったけど、今見るとヒリヒリしてるなと思いました。ああいうやりとりは昭和だからできたのかな。良くも悪くもコミュニケーションが密であけすけな時代。芸能人にプライバシーなんて無かったし、記者が意地悪なのもそれが仕事だと割り切って付き合っている感じもあったもんね。歌手を辞めるのは相当な決意がいっただろう。これからは役者でっていうのはちょっと役者の方を下に見ている気がして引っかかったけど鈴子の判断は悪くないと思った。
スズ子と羽鳥に対する茨田の独特の距離感が、彼女らしくて良いですね。基本的にはマイペースだけど、言葉に嘘がない。それは羽鳥の奥さんも同じです。二人ともじれったい想いを抱きつつ、見守る姿勢も似ています。それにしてもスズ子もわざわざ歌を引退するなんて会見しなくてもいいのに。他者に求められる仕事をするのもプロ。歌を求められたらば歌えばいいし、オファーがなければそれはそれ。終わり時を自分で決めるのは潔いのかもしれないけど、本当にそれでいいのかな。
羽鳥先生とスズ子の関係はやっぱり特別だったんだなと。思い返せば、初めて会った頃の「僕のやりたい音楽」というものを表現してくれた人ということなのじゃないのだろうか。スズ子がいて初めてスイング・ブギは世の中に出て認められた。りつ子の言うように音楽の一部ということもできるのだろう。周りの人を勇気づけ元気づけてきた音楽だけれど、表現するのにもパワーがものすごくいる音楽だとも感じる。これまでの感謝を伝える場として会見を開こうと提案したタケシを少し見直した。りつ子との関係も麻里との関係も素敵で。スズ子の裏表のない性格がそうさせるのだろうなと思う。明日の会見しかと見届けます。
スズ子の歌手引退宣言ですが、羽鳥が絶縁だという気持ちもわかりますね。いかにカバーで上手く上手歌える人がいても、羽鳥は曲とスズ子を重ねて、スズ子のために書いたともいえます。だからスズ子と共にその曲は終わりだというのは、とても正直な気持ちなのだと思います。そもそも歌が好きで歌手になったんだから、引退なんて言わず、単に歌える機会があれば歌えばいいと思うんだけど、時代の申し子というべき人は、私のような凡人とは違うのかもしれない。でもそこは凡人なみの図々しさがあっていいと思うのだけど。
かつて愛子ちゃんに子守唄のように優しく歌っていたヘイヘイブギー。やっと内面から爆発するようなパワフルな舞台で見れてすごく嬉しい。水城あゆみは歌も踊りも上手いんだけれど、お客さんを楽しませることと自分が楽しむこと、それが中から物凄いエネルギーで湧き上がってくるっていう、その部分でやっぱり違うんだよね。スズ子にすっかり貫禄があって受け止める力もある。股野さんはそういうのわかった上でスズ子に頼んだのかなって、拍手している姿見て思った。
周囲の新旧対決なんて煽りとは関係なく、スズ子は存分に自分らしく楽しめたようだし、アユミはスズ子の凄さを目の前で見て、いろいろ納得したと共に、目標を越える気持ちが生まれたのではないかと思います。どちらも良い歌唱だったのではないでしょうか。まあ実際のところはアユミのモデルとなった美空ひばりが、その後大ブレイクしていくわけですが、天才はいつの時代も、出て来た時は異形の人です。好かれるのと同じくらいに批判もされました。それを暗示させるようなアユミのどこか不敵な感じと、その奥に感じる純粋さが、よく演じられていると思います。
愛子がかけっこが速い子が転校してきたから学校に行きたくないって言った時の鈴子の答えが今のドラマらしい答えでなんかむずむずしてしまった。昔のドラマならお母さんも頑張るからあなたも全力でぶつかってみろみたいなことをいいそうだけど、挑戦するのもいいし逃げてもいいという全方位に気を使った答えでなんだか笑ってしまった。ここまで気を使わないとドラマも作れなかくなったのかと愕然とした。優柔不断すぎてあんなアドバイスは困るだけだよね。
アユミのモデルである美空ひばりは、結果的に戦後日本の昭和歌謡界最大の巨星となるわけですが、笠置シヅ子と不仲説もあったようだけど、その原因はマネージャーとか周囲の人たちの母の強引さに起因するところが大きい。まだローティーンだった美空に野心はあってもマネージメントはできない。まだ持ち歌が少ないからって、許可も取らず勝手に他の歌手の歌を唄うのはマナー違反だからね。ドラマは美空が後に大物になると知っている後付けで作っているから、スズ子がアユミを脅威に感じているように描いているけど、実際は美空に批判的な目も相当あったと聞くし、むしろ同時代の人の本音がどうだったのか描いて欲しかったかな。
ここに来て義理と人情の心情が鈴子の首を絞めているように感じます。なんでも許した方が楽なんですよ。小田島の件だって許して雇えば自分はいつまでもいい人で気分いいでしょ?面倒なことは許容するって方向に向いていた気がします。だから自分の大事な歌を取られそうになっても嫌だと言えなかった。先生にその決断をさせるのはやっぱりずるいし、先生だってそれだけ思い入れのある曲を軽く見られたようで悲しかったでしょう。でも誰にでも似たようなところあると思う。だから複雑な気持ちになった。
カバー曲全盛期の今の感覚ではわからないだろうけど、かつて持ち歌というのはその歌手の宝物みたいないもの。だからカバーするなら外国の曲というのが普通だった時代だからね。柴本の言い方や態度はちょっと尊大ではあるけど、股野の頼みもちょっと当時としては首を傾げるものです。明らかに大和の縁に甘えている。きっと大和なら娘の主張に首を横に振った筈です。まあ実際の笠置さんは、特に因縁のない美空さんが自分の曲を歌うのを許したのだから、器がでかかったのでしょうね。
誘拐未遂を起こした小田島を受け入れるスズ子は確かにツヤや梅吉の娘なんだと、久々に聞いた「義理と人情」という言葉にも懐かしさとなんとも熱いものを感じた。それにしてもタケシはかつての小夜のように、自分の力ではないのに調子に乗って自分が大きくなったような気でいるんだろうなと。小夜はまだスズ子のことが大好きで心配という下地があったけれどタケシにはあるのだろうか?股野さんや大和さんのことを思うとその娘の申し出は受けたいだろうけど、スズ子にとっても「らっぱと娘」は特別で。戦争の中でも大切にしてきて、愛助さんと一緒に踊った曲でもあるし、二つ返事という訳にはいかないだろうな。
ここで因縁のライバル登場ってことですかね。モデルは美空ひばりさんだとか?その人物を美空さんにするのではなく大和さんの娘さんにしたところがすごいと思いました。ライバルを憎い存在だけにしないのがすごい。人情味が溢れる鈴子としては、あの子がこんなに大きくなって〜と感慨深いものもあるだろうし大和さんのすごさを身をもって知っているからこそ脅威になると言えるでしょう。嫌いと片付けられない相手にした行方を見守りたいです。
沼袋のモデルは和田勉かな。だとしたら中村倫也さんでは2枚目過ぎるよ。まあ強烈なキャラの持ち主でしたからね。水城アユミはあの大和の娘ですか。それならスズ子はいろいろと複雑な思いを抱くでしょうねえ。憧れの人であり、導いてくれた人でもあるし。モデルはおそらく美空ひばりなのでしょうから、生い立ちの背景は完全なフィクションということになります。アユミを演じる吉柳さんですが、歌唱シーンはあるのですかね?いずれにせよひばりさんのようなオーラをどう見せてくれるのか注目です。
実際のところは分からないけれど愛子が手元にいて誘拐事件にもなってない恐喝ってなかなか緊迫感に欠けると言うか、朝ドラ風にマイルドにしたってことですかね。確かに子供になにかあったらと恐怖ではあるけれど犯人も間抜けそうだし入れたくないエピソードなら省いても良かったんじゃないかと思いました。愛子と鈴子の溝ですが友達作りに苦労しなかった親との溝に見えました。鈴子は猪突猛進型で成功した人ですが、だからこそ見えない視点がある。親として気をつけなければいけない部分ですね。
この誘拐未遂事件は実話を元にしている。ただ違うのは犯人が金を欲しがったのは、結婚するための資金欲しさだったこと。実際に子どもを誘拐された芸能人もいたし、残念ながら殺された子どもいた。経済格差が激しい時代だったというのもあるけど、単純にちやほやされて金持ちになった芸能人への理不尽な妬みも多かった。母と娘の成長を描くのは構わないが、誘拐事件に重ねるのはちょっと首を傾げる。愛子に友だちが出来ないのは、時代感覚の問題として、中卒で働く人も多かった時代だし、嫌でも子どもたちはいろいろ理解し、大人になるのが早かった。でも明らかに愛子は幼くて、無知だ。無垢と無知は違う。内藤剛志さんの登場はパロディとして楽しかったが、この週の全体的な内容はもうひとつかな。
これぞ昭和!もう朝ドラがパロディ状態ですね。昭和の刑事ドラマの定番、取調室でのカツ丼。しかも最初に刑事が食べるって、ほとんどドリフのコントかという展開でした。笑うシーンではないのに、もう笑うしかない。誘拐というシビアな場面ですが、それはスズ子たちと犯人たち親子の姿を描き出すためのものなので、必要以上に深刻なものにしたくない演出家の意図でしょう。良い方法だと思います。ただ愛子の性格だけは相変わらず今っぽい。昭和の子どもたちは嫌でも速く大人になっていたから、我儘を言うにしてもこういうタイプのものじゃないんだよね。まあ現代と通じる要素を入れないと見てもらえないから仕方ないんだけど。
おっと!NHKに捜査一課長が登場だ!これはびっくり。まさか朝ドラに刑事役で内藤剛志さんが出てくるとは。それだけでテンションが上がりますね。さて愛子の誘拐騒動ですが、犯人はあの子の父親か。当時は何歳で終戦を迎えたか、親の状況などで人生が大きく違う。親が内地で軍のお偉いさんや物資関係の部署だと、物資を横流しして大儲けした奴もいれば、教育も受けられず浮浪者になるしかない人もいた。時代と言ってしまえばそれまでだけど、平和でないと国も国民も富まないということ。果たしてどんな顛末になるのか。
うわーマミーの愛が重すぎる。これは愛子がグレても仕方がないよ。愛情が偏りすぎて根腐れを起こしてるんだよ。自分で砂糖漬けって分かっていてあれだけ周囲の人にやめろと言われてもできないんだから鈴子の頑固にも呆れてしまう。愛子も可愛がるだけで困りごとを全く理解してくれない鈴子にイライラしてるのだろう。スターの子として色眼鏡で見られることをどうして分かってあげないのだろう。あれで子育てしてるつもりならどうかしてるわ。
地域の中で育ったスズ子にとって、今置かれている愛子の状況に想いが至らないのだろう。自分で自分のことを特別だとは思っていなさそうだけれど、周りとは大きな壁があることに気づいていない。自然と人が寄ってくる場所にいたスズ子と、呼ばないと人が集まらない場所にいる愛子。スズ子の心配はわかるけれど、もう少し時間をかけて愛子なりの歩みを陰から支えるくらいで良いと思う。砂糖漬けにしたいのは良くわかるけれど。かかってきた電話はとても不穏で。愛子に危害が加えられないことを祈ります。
今の感覚で見ても過保護だなと思うんだから、当時の感じだったら相当に過保護でしょうね。時代といえば子どもの営利誘拐も非常に多い時代だった。実際に芸能人や有名人の子どもも狙われたケースがあったし、時には最悪の事態になることもあった。愛子の誘拐騒動のきっかけは、間違いなく鮫島の記事だろう。それを読んだ奴が考えたのに違いない。だからプライベートな記事は制限されるべきという方向になったんだけど、今の人はそれを知らないからネットで平気で晒すんだよね。とにかくまず愛子の無事だけど、すべてが済んだら鮫島をとっちめて欲しい。
茨田さんとスズ子の東京ブギウギでのダンス競演とは、とても貴重なものを見ました。文句を言いつつ、茨田もしっかり足が上がっていたし、なかなか素敵なダンスでした。スズ子を演じる趣里さんはもちろんですが、茨田を演じる菊地凛子さんも、女優として日頃から肉体訓練をしているのがわかります。さすがプロですね。羽鳥はいつもより更に浮かれ度合が激しかったです。めでたい席でもあるし、楽しそうでよかったと言うべきかな。三人のバランスが良くて、ずっと見ていたくなる楽しいシーンでした。
スズ子には強力な周りの人たちがいるから、このところ親の存在が薄くなりがちだったけれど、やっぱりお父ちゃんはスズ子の根本にたしかにいることを再確認できたこの話の流れはとてもスッと心に入ってきた。明るくて愛される性格は間違いなくお父ちゃん譲りのもの。ただそれだけでなく、産みの母との関係も愛子ちゃんに伝えることでスズ子の中で整理できたように見えた。かつて渡された時計が愛子ちゃんに渡されることで、いろんな人のいろんな思いも引き継がれていく様に思えた。
梅吉が亡くなり、スズ子は本当の母親であるキヌと再会しました。どちらも母娘だとわかっていても名乗れない二人の、ぎこちないながらも互いに何かを訴えかけるような目が印象的でした。愛子のあどけない質問で、スズ子が「マミーのマミー」と答えた後の晴れがましさ、そしてキヌの喜びと戸惑いに満ちた表情は、趣里さんと中越さんの名演技だったと思います。育ての両親は亡くなったけれど、生みの母がまだ元気であることは、スズ子にとってもひとつの支えになることでしょう。
女性の水着写真ばかり撮っているって、なんだかとても梅吉らしいね。しかもそれがとても良い表情の素敵な写真ばかりというのは素晴らしい。でも梅吉はその向こう側に誰を重ねて見ていたんだろう?やっぱり奥さんだろうね。梅吉が死んだら六郎のカメはどうなるのだろう?愛子が飼うと言ってくれたら、梅吉も喜んでくれると思うのだけど。スズ子も心の中に引っかかっていた棘が抜けて、本当の父娘として看取れることは、悲しいだろうけど幸いだったと思います。
小夜ちゃんは登場せず、帰国したら、いきなり梅吉が余命僅かとなっていました。まだ亀を飼っていたんですね。スズ子も大事な娘だけど、やはり本当の子である六郎のことが忘れられないのでしょうか。昔はこうして自宅で看取られることが多かったし、死にゆくさまを親族で見守るのが普通でした。愛子のような子どもにとって、そういう体験はいろんな意味で学ぶことがあると思います。梅吉も最期に孫と呼べる唯一の存在と触れ合うことができて良かったですね。
スズ子のアメリカ修行はあっという間に終わりですね。小夜ちゃんが出てくるかと思ったんだけど。出国前には登場するかな?これは同時に愛子の修行期間でもあります。多くの人が出入りする家のわりに、愛子はちょっと内弁慶だし、片親のせいもあるのかもしれないけど甘えっ子過ぎるかな。まあまだ子どもだし、仕方がない部分はあるけど、スズ子に限らず、戦後は貧しくて働く母親も多かった。だからいわゆる「鍵っ子」もたくさんいて、正直、今の子どもよりも何でも出来たし、ずっと大人だった。そんな中、小学校に入れば愛子はいろいろな意味で必ず浮くだろう。だからもう少しだけ大人にならないとね。
スズ子の物語だから、スズ子のアメリカ公演をもっと大々的にやるのかと思ったら、スズ子と愛子ちゃんとの関係に重きが置かれていて、ある意味ホッとして見ていた。華やかな世界の人も人間だもの。歌と家庭の間で悩むだろうし、この時代のアメリカは果てしなく遠かったから子どもと歌のはざまで苦しんでいることがリアルに見える。大野さんがいい人だったからできた決断だともいえるけれど。お見送りのショーがあったことでもアメリカの遠さが実感できる。今日の東京ブギウギは戦後すぐのものとはまた違った趣で、愛子ちゃんがどんな思いで見ていたのだろうかと思うと切なくなった。
日本人の海外旅行自由化は1964年だからね。1950年だと政府の役人とか、特別な人でないと海外へ行くのは許されなかった。しかも1ドル360円だったから、相当な金持ちじゃないときつい時代。まさに夢だというのはあながち間違ってなかったと思います。愛子のことは心配であっても、スズ子だってひとりの人間として生きている以上、夢だって希望だってある。こんな絶好の機会を逃すのはもったいなさすぎる。アメリカに行けば、小夜に会えるかもしれないしね。絶対に行くべきです。
自力で柴本の信頼を勝ち取ったスズ子。本当なら山下がちゃんと指導すればいいんだろうけど、昭和の時代は「習うより慣れよ」が普通で、社員研修なんてほとんどやらなかったからなあ。就職には今よりもコネが大きかったし、だから雇う側も雇われる側も仲介してくれた人との関係もあって辞め辛かった。終身雇用が成り立っていた背景にはそういう事情もある。何にせよ未来ある若者をプロの魂で揺さぶり、行くべき道を示したんだから、格好いいし、大したもんだと思います。「買い物ブギ」は今聴くと、ラップ的な要素があって格好いいですよね。
山下さんの後任は彼の甥ですか。山下さんが引退するのは仕方ないし、若い後釜を育てるのも正解だと思うけど、即戦力ではない以上、しばらくは間違いなくスズ子の負担になります。愛助に強い思い入れがある山下さんが、愛助が命がけで愛したスズ子に紹介するにしては杜撰すぎるかな。せめて半年くらいは山下さんの下で働かせてみて、いろいろ学ばせてから引き継ぐのが、昭和の正しい社会人のやり方だと思います。これなら、このネタではなくタナケンとか羽鳥とか、違う絡みの方が良かったのでは?この展開で良かったと思わせてくれる今後に期待します。
タケシは山下さんの代わりにはならないだろうな。山下さんにも当然それはわかっているだろう。音楽のことも羽鳥先生のことも、もしかしたら芸能のことも本当はまるっきり知らないのではないか。でも上手く調子を合わせて話をはぐらかしている。知らないどころか興味もなさそうに見えるのはちょっとまずい。山下さんがそうそう変な人を紹介するとも思えないのだけれど。スズ子といると元気が出るという話を山下さんが大野さんとしていたけれど、何かあってもどん底でも立ち上がってケロッと前を向いて歩いて行けるのがスズ子の良い所。スズ子の影響力でタケシが化けていくのかもと少し期待。
これは山下さんが悪い。いきなり後継者を連れてきたからってすぐ引退はないでしょ。しかも甥っ子はズブの素人でヤル気だけあっても仕方ない。手取り足取り自分につかせてマネージャー業を叩き込まなきゃ鈴子に迷惑かけるでしょ。今じゃ鈴子がマネージャーの面倒を見ているよう。病気で動けないとかじゃないんだから一生面倒見ますって言った気概はどうした?って感じ。無責任に映ります。買い物ブギがもうすぐ完成。ショーが楽しみだわ。
トミさんが亡くなって、スズ子もショックだっただろうけれど山下さんの受けたショックは物凄かったのだろう。描かれてはいなかったけれど、マネージャーとしての素養をつけたのはトミ社長の下だったみたいだし、厳しくても愛情込めて育ててもらったという思いもあるだろう。一人息子を預けられていたくらいだから、元々信頼度も厚かったのだろうし。スズ子を支えてきた山下さんだけれど、ここで世代交代は仕方がないのかな。あの物腰の柔らかさとあたたかい語り口が好きだったから、これからもちょこっとで良いので出てきてくれるといいな。
山下さんの気持ちもよくわかります。人間、本当にプツンと気力が切れてしまう瞬間があって、その後はいくら気持ちを奮い立たせようとしてもダメなことはある。年齢もあるかもしれないけど、そうなるともうダメなんだよね。また新しい人たちとやるべきという意見も一理ある。表現者は新しいものを恐れてはダメ。山下さんの安心感がなくなるのは残念だし、スズ子にとっては愛助とつながる人間が身近からいなくなるのは悲しいものがあるとは思う。でも恩返しだと思ってここは離れるしかないでしょう。
タナケンの言う通り、どんなスターであれ、代わりはいくらでもいる。まあ違う人だから完全な代わりというわけではなく、正確には穴を埋める人と言った方が良いのかもしれないけどね。それはどんな世界でも一緒。社会という視点ではそうなる。でもその人が家族や極めて親しい、あるいは大事に思う人だった場合は、決して代えのきかない唯一無二の存在になる。なのでマスコミが待っていようと、スズ子はとみの葬儀にはいかなければいけないのでしょう。愛子にとっては数少ない血のつながった存在だから。
大野さんの過去はなかなか厳しいものがあります。でもスズ子はこれまでの生涯において、ほとんど血のつながりとは関係ない形で家族を作って来たわけで、彼女にとって大野さんが母親に間違われたとしても、それを否定する理由がない。きっと大野さんも家族として受け入れ、たくさんのことを育んでいけるんじゃないかと思います。そう考えるとスズ子って凄い人ですね。情が深くて、懐も深い。大野さんのおかげで愛子も良い感じで育ちそうだし、新しい家族の誕生ですね。
鈴子は猪突猛進タイプだから子連れで仕事に行くのもなんとも思ってないんだろうな。だけどあの家政婦さんがいなかったら試写会にも連れて行く気だった?と思うとちょっと無神経かなと思いました。ただ過保護な思いは愛助さんの残してくれたたった1人の家族を自分1人で守る!という意気込みの表れだったのですね。それを思ったら今までよく頑張ったとも思いました。でもうちでしっかり見ていてくれるならその方が鈴子も仕事に打ち込める。やっと落ち着いて見れそうです。
さすが茨田さんの紹介だけあって、信頼できそうな家政婦さんです。過保護と愛情深いとの境界線は人によって違うだろうし、簡単に線引きはできないけど、ちょっとした怪我とかいたずらは子どもなら誰でも経験すること。ちょっとスズ子は過敏になりすぎていたから、とても良い出会いになったのではないでしょうか。茨田さんと同郷のようなので、どんな関係なのかちょっと気になるけど。ここからの愛子の成長が楽しみだし、スズ子もどう変化していくのかも楽しみです。
茨田さんの鮫島への言葉がすごい。ゴシップの力よりも歌の力。本当は歌の力だけで評価されるべきなのだろうと思う。ただ、戦争が終わって言論統制が無くなって、要らない情報が氾濫することで歌だけに注目してもらえなくなったというのは皮肉というべきか。スズ子と茨田さんが面と向かって話し合えば分かり合える。愛子ちゃんに話し掛ける茨田さんのまなざしがとても優しくて、本来はこうなのだと感じる。子育てと仕事とと無理しながら頑張ってしまうスズ子の性格もわかっているから、一番必要なものを用意してくれた茨田さんはさすがだ。
とても茨田らしいケジメの付け方ですね。茨田とスズ子の関係はライバルとは呼べないけど、互いにエンターテイナーとして理解し合っている感じがします。間違いなく家政婦さんは必要だったし、まったく知らない人よりは、信用できる人の紹介の方が安心できます。子育て経験もあるようだしね。そして鮫島を黙らせた強烈な茨田の矜持が素晴らしい。戦時中でも揺るがぬものを見せていた筋金入りの頑固者。鮫島ごときの揺さぶりなどには動じない。これぞプロだ。
タナケンの気遣いが見事だったし、鮫島の不愉快さは腹立たしいけど、茨田の言葉にも説得力はあります。流行なんてものは、いつまでもひとつのところに留まってはいないから「流」れ「行」くものなのであって、ブギがいつまでも人気というのはあり得ない。だからこそ、常に自らの歌を磨こうとしている茨田から見れば、時代の流れに押されているだけのスズ子は、真摯に歌と向き合っていないように見えるのだろう。もちろんスズ子が手を抜いているわけではないけど、そういう姿勢も含めてプロだと茨田は言いたいのかもしれません。
今までいろいろありすぎて愛子ちゃんと片時も離れたくないのはわかるけれど、さすがにお守り役なしで仕事場まで連れていくと問題も起こるよね。まだ寝て泣いてしている間は山下さんでも何とかなったかもしれないけれど、動き回るようになったらあのお歳では無理がある。どこかでベビーシッターか家政婦かそういう人雇うしかないだろうね。信頼できるそういう人見つかると良いのだけれど。記者さんは何かのきっかけになるのかもしれないけれど、なんだか腹立って。
困った記者だけど、昭和の時代、芸能ニュースなんてまともに信じていた人はほぼいないし、今の文〇砲みたいのとはちょっと違ってた。週刊誌の影響力の違いというよりも、昭和の頃は受け取る側が芸能人のスキャンダルなんてエンタメと変わらないと思っていたからかな。タナケンの言うことはもっともだけど、映画が娯楽の王様だった時代だし、黒澤明を筆頭に予算やスケジュールなんて無視の映画人も多かったww。スタッフも演者より偉そうだったらしいしね。まあそういうことは置いといて、愛子の育て方とスズ子の仕事へのスタンスは考えなければならない大きな問題です。今も昔もシングルマザーの苦悩は変わらない。
やっぱり子連れで仕事に行くって難しいのかなと思いました。愛子ちゃんだって慣れないところでストレスが溜まるだろうし、子供用にできていないところでは危険がたくさんある。鈴子だってそばにいることが安心とも限らず気もそぞろになってしまうだろう。茨田さんの方はこれがキリトリ記事というものか!と納得。いいように質問して答えを誘導して、自分の欲しい言葉だけを切り取っている。記者は茨田さんと鈴子を対立させて面白いものを書きたいだけ。おそろしいね。
鈴子も自分の手元に置いて愛子を育てながら仕事をしたいと本気で思っているのならば、お金もあるんだろうしなんなら経費で愛子ちゃんのお世話係を2、3人雇ったらいいのにと思いました。自分の我を通すことも信念を貫くことも否定はしないけど、それ相応の気遣いと愛子ちゃんの安全を確保できる体制をとらないと使い辛い女優だと敬遠されてしまうと思います。歌も売れて少し天狗になっているのかな。今のままでは誰も幸せにならないでしょう。