※まだ評価はありません。
脚本・ストーリー 4.0 /5.0(79%) | 344位 /1088件中 |
キャスト 4.3 /5.0(85.4%) | 321位 /1088件中 |
演出 3.9 /5.0(78.6%) | 335位 /1087件中 |
音楽 4.1 /5.0(82.6%) | 146位 /1088件中 |
感動 3.9 /5.0(78.6%) | 116位 /1083件中 |
笑い 3.2 /5.0(63%) | 379位 /1083件中 |
スリル・興奮 3.6 /5.0(71.2%) | 332位 /1080件中 |
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キャスト 4.3 /5.0(85.4%) | 321位 /1088件中 |
演出 3.9 /5.0(78.6%) | 335位 /1087件中 |
音楽 4.1 /5.0(82.6%) | 146位 /1088件中 |
感動 3.9 /5.0(78.6%) | 116位 /1083件中 |
笑い 3.2 /5.0(63%) | 379位 /1083件中 |
スリル・興奮 3.6 /5.0(71.2%) | 332位 /1080件中 |
ここでお父さんが香川に帰るというのはこれ以上クズ親に振り回されるのを見たくないという視聴者には朗報だったと思う。だけど娘としてはそんなに簡単にはいそうですかとは言えないんだなと思った。そこにはツヤさんや六郎を亡くして同じように悲しんでいるのに一向に自分の方を向いてくれないお父ちゃんへの愛情確認も含まれているんだなと感じた。お父ちゃんとしたらこれ以上何もない東京で娘の世話になり続けるなんて耐えられなかったのかもしれない。でも親として何にもしてない今、ではない。鈴子を思い切り可愛がって2人がいないことを一緒に嘆いて、香川に行くのはそれからでいいと思う。
六郎を戦争で亡くした姉の鈴子が開戦のニュースで万歳をする。すごいなと思った。六郎が飼っていたペットはなんでもよかったはずだけど亀にしたのも感慨深い。小さい頃から一緒だった亀の方が長生きするなんてと考えると、若者を亡くすということがズドンと乗ってくるような重みを感じる。そして万歳。ヒロインが声高に戦争反対を言うのではなく万歳するのだ。戦争があるから弟は死んだのに。それを言えない時代があったのだ。人々の興奮も嘘ではなかったようだ。いつだって狂気の時代は誰も気づかないうちににやってくるのだ。
お母さんの危篤の時も亡くなった後も歌い続けてきたスズ子も、六郎の戦死通知には歌えなくなった。順番が違うということももちろんあるけれど、どんな最後だったか何もわからないということ、覚悟もお別れも何もできなかったということがどれだけ大きいか。米英との戦争が始まることで高揚する民衆の横で、戦争がどういうものか身に染みてわかったスズ子の万歳がもう辛過ぎて。高揚しているように見える人たちの中にもスズ子のような人がきっといたんだろうと思うと悲しくなる。大きな波に巻き込まれるというのはこういうことなんだろう。抱きしめてくれる小夜の存在が救いだ。
近しい人の急死はなかなか実感が生まれてこないものです。亡骸と対面できればまだしも、当時の日本だと戦死の場合は何も戻ってこない。遺品があれば良い方で、骨壺に石ころが入っていたという人もいました。そしてついに太平洋戦争の開戦。こんな風に多くの人は本気で勝てると思っていた。でも猪瀬直樹の「昭和16年夏の敗戦」を読めば、開戦3ヶ月前、総理直轄機関のエリートたちは緻密なシミュレーションの結果、日本の「必敗」を予測していたそう。そんな愚かな戦いでこの国はたくさんの命を失う。そんな中でやけくそ気味に万歳を叫ぶスズ子は何を成していくのでしょうか。
自分の歌いたい歌を歌うためには自分の楽団を持つというのは良い判断だろうと思う。世間からの批判もすべて自分の責任において受けることになる。ただ、警察などからの取り締まりは当然受けるし、いったん定まった評価を覆すのは並大抵のことではない。公演先が決まらないのも時勢柄仕方ない部分もあるだろう。茨田さんも羽鳥さんも息苦しそうで、きっとこの時代は表現者にとっては生きていくのが難しい時代だったのだろうと思う。やけっぱちのスズ子が歌うのはやっぱり最初に自分らしく歌えた曲で、それが明るい曲調なのになんとも物悲しいのはスズ子の心を表しているからなのだろう。とうとう六郎の…サブタイトルでわかってはいたけれど辛いな。
国民全員が軍歌を歌ったからって、それで戦争に勝てるわけでもないのに、統制国家というのは何でも管理しないと安心できないものなんでしょうね。まあそれだけ自分たちの行いに自信がなかったことの裏返しなのかもしれませんが。何にしても本当に嫌な時代です。茨田さんもつい津軽弁でキレてたし。そして六郎が戦死してしまったようです。予想はできましたがいいコだっただけに残念です。戦争はいい奴だからと弾丸が避けてはくれない。とはいえ戦死する政治家はほぼいない。やっぱり嫌な時代です。
やはり梅吉のケンカの原因は、スズ子のことを悪く言われたからでしたか。いくらダメ男で酒に飲まれて大虎にはなっても、暴力を振るったりしてなかったしね。もちろん褒められたことではないけど、理解できなくはない。そしてスズ子の思い切った決断。自分の楽団を持つって、マネージャー的な人がいないと素人にはいろいろ大変な筈。梅丸との関係もあるしね。梅丸と契約を結ぶのか、羽鳥あたりに相談するのか。いずれにしても、もっと戦争の影がスズ子に降りかかってくるのも時間の問題ですが。
「湖畔の宿」がダメで「蘇州夜曲」がOKだというのは、曲調うんぬんよりも中国に侵攻している日本軍の行為を、中国の蘇州の歌でちょうどよく柔らかく覆い隠してくれるかもという軍の思惑があったのだろうね。作った羽鳥たちにその意図はなかっただろうけど、羽鳥はその思惑に気が付いているからこそスズ子に歌わせたくなかった、という深読みも出来そうです。梅吉のケンカもおそらく原因はスズ子に対する悪口か何かを聞いたのだろうと推測します。警察も無駄に偉そう。国家権力が威張る時代はロクな時代じゃないのがよくわかります。国とか地方とかの首長や議員が偉そうな今の時代も、どんなものなのかと考えてしまいます。
とうとう楽劇団が解散か。やはり芸術やエンタメは平和であってこその世界なんだと思う。当然、戦争など悲惨なことを表現することも含まれるのだけれど、それを発表するには平和で穏やかな世界でないとダメだということ。スズ子はこれからどうするのだろう。どうしようもないお父ちゃんを抱えて身動き取れなく見える。お父ちゃんはスズ子がいろいろな束縛の中で戦いながら舞台を続けていたことを分かっていたのだろうか。悲しみに浸る暇もなく、世間と警察とに縛られて思うように活動できていなかったこと、もしかしたら警察に捕まったことで初めて知ったのではと思ってしまう。このこときっかけにお父ちゃんが少し立ち直ってくれることを祈る。
ツヤさんが亡くなって悲しかったり、会いたかったりするのは梅吉さんだけじゃないのだけれど、何もかもツヤさん任せだったから気が回らないのだろうな。スズ子を連れ帰った時もすんなり受け入れた梅吉さんだからこそ、小夜ちゃんのことを受け入れて仲良くなってしまうのは当然なのだろう。警察からの取り締まり、一般の人たちの正義の暴走、その板挟みにあって辛島さんの辛そうだし。スズ子もお父ちゃんのことどころじゃないというのが本当のところだろう。今の状況を一番ツヤさんに相談したいのはスズ子だ。家主さんが優しく側にいてくれて本当に良かった。
梅吉、これはいかん。本当にツヤが好きだったのなら、彼女が好きだったものを守らないと。だからこそスズ子に言って良いことと悪いことがある。仮にも父親ならば、しかもスズ子に関してはいろいろと因縁があるのだからこそ余計にそう思う。多少、酒に飲まれることがあっても、大事な者を自ら傷つける奴はただのバカ。それとスズ子への抗議文だけど、ただ世論に流されているヤツもいるだろうけど、厳しい時代だから本当に笑えない人だっている。それは梅吉と行動は逆だけど似た心理だと思う。本当の自由って両論ある中でそれを貫く、茨田が見せているような矜持のことなのだと思う。
六郎からの手紙、お父ちゃんと姉やんと亀に向けたもので。ツヤさんが亡くなったこと六郎に伝えたんだと驚くと共に悲しくなった。敵をたくさんやっつけるから頑張ってとお母ちゃんに言っていた六郎。軍隊にいて自分の心を支えるものが無くなったのじゃないかと心配にすらなる。当然、手紙は検閲もあるはずで、差し障りのない亀のことしか書けなかったのか、亀を思い出すことで自分を支えていたのか。命のやり取りがないだけスズ子たちは良いけれど、上からの抑えつけも横からの同調圧力の暴走もあって生きにくい時代だ。
まだ警察の指導のうちはいいけど、憲兵や特高がらみ案件になったらヤバいしね。まあ茨田のモデルになった淡谷さんは後に憲兵に楽譜を押収されたみたいだけど。茨田に食いかかるご婦人方の姿は、大正デモクラシー時代からみても民主化とか自由な思想が後退している。そういう傾向が強い時代は危険だと、現代人は再認識した方がいい。そしてスズ子に弟子入り希望者ですか。戦時下であれ、自分の根っこというか、初心を忘れないためにも、素直な弟子の視線は自分を見つめ直す良い鏡になってくれるかもしれません。
いつの世も正義だと思った人は止められない。戦時下のこういう圧力は過去の狂った歴史だと以前は思っていたが、それはコロナ禍で繰り返された。人々が楽しく幸せそうにしていたら戦地に送られる兵隊さんは辛いだろうからってことの予定調和。思いやりや正義という名の押し付け、日本人が好きなやつ。平和じゃなくなるとエンタメはすぐに押しつぶされる。六郎の手紙が唯一のほっこりポイントだったけど、その陰にはたくさん書けないことがあるのだろうと想像すると悲しくなった。
お父ちゃんの気持ちは分かるけどイライラしてしまった。そうやっていつまでも悲しんでお酒に逃げて現実逃避してられるってある意味幸せなのよ。飲み屋で転んで倒れても誰かが助けてくれて娘が迎えにきてくれるんだもの。娘だって悲しいのに毎日を一生懸命自分の足で立って生きてるじゃない。六郎なんかもっともっと辛いところで頑張ってるのにいつまで甘えてるんだか。こういう人を見ると嫌になる。憎めないクズとかそういうのはいらないな。
お父ちゃんのカラ元気がいつまでも続くわけもなく、もうお尻を愛情でもって叩いてくれる人もいないのだから、しばらくはお酒を飲んで飲まれての生活になるのは仕方ないかもしれない。自分自身で不甲斐ないと思っているだろうし、だからこそさらに飲むだろう。ただいよいよ規制と自粛と監視の時代に入ってきた。物もどんどん無くなっていくし、自由もらしさも無い戦い一色になっていく。スズ子も三尺四方の内で歌うことを求められ、客と当局の板挟みになっている。茨田は自分を貫き通そうとしているがスズ子はどうするのだろう。今のところ茨田ほど信念があるようには見えない。いろいろ悩むんだろうな。
バカな時代ですよね。呼び方を変えたところでサックスが尺八になるわけじゃないのに。そもそも日中戦争で中国とも戦っているんだから、漢字だって敵性語だろうに。最近みたいに日本人も英語をと言い過ぎる奴も似たおかしさがある。踊る範囲が狭ければおしとやかで、銃後の女性には相応しいなんて、前戦じゃどうでもいい話。太平洋戦争中も普通とさほど変わらずに娯楽を楽しんでいたアメリカと比べれば、余力の差を痛感します。なんにして梅吉は本当にだらしがない。しゃきっとしろとまでは言わないけど、ただのお荷物ではツヤさんがうかばれません。
金曜日の展開は急すぎてちょっと力技だったかなと思いました。急に現れてあなたはどこの誰ですって言われても信用できないし、その場で結婚を決めるなんてあり得ない。だけどあの場合どうしたらベストなのかも分からない。まぁはな湯をどうにかしなきゃいけないし、権兵衛さんは主役じゃないんだし丸く収まって大阪編がきれいに終わるならそれでいいかという気持ちになりました。はな湯がなくならないでそこにあるっていうのが大事なんですよね。来週からお父ちゃんがクズになる展開は嫌だな。
相手が独身のままかどうかも確かめずに求婚までは流石にやりすぎ感はあるけれど、ゴンベエさんが名無しの権兵衛さんのままなのは気になっていたから、ツヤさんの置き土産と思えばまあ許せるかな。梅吉さんじゃお風呂屋さんは続けられないのは明らかだったし、思い出の場所も残るし。親子だから当たり前だからこそ感謝は要らないというスズ子と、当たり前だからこそお礼を言うべきという梅吉と。わかっていることではあっても口にすると思いはより伝わるし、何より間に流れる空気感が気持ち良い。六郎の大切な亀も首から下げて、紙吹雪自分で用意している梅吉さんが梅吉さんらしい。
ツヤが亡くなれば、梅吉ひとりで風呂屋をやっていくのは確かに無理でしょう。運良くというか都合よくというか、銭湯を引き継いでくれる人が現れたので、思い出の場所が残ったのは嬉しいことだし、権兵衛さんも記憶は戻らなくても、自分を知る人に慕われていて良かったですね。それにしてもスズ子と住むのは別に構わないけど、梅吉は知り合いもいない東京で、どうするつもりなんでしょう。年寄りだから子どもの元へ行くというのは自然なようでいて、よく考えると実は不自然なこと。年をとっても自分も何かやりたいことがあればいいのだけど。でないとトラブルの種になるかも。何せ高確率でダメオヤジが出現する朝ドラですしね。
スズ子、間に合って良かったですね。血のつながりがどうだろうと、心からおかあちゃんと呼べる人が、その人にとっての母親なんだと思います。だからこの二人は間違いなく母娘です。最期に歌も聴いてもらうことができた。「恋はやさし野辺の花よ」ですか。選曲にどんな意図があったのかはわかりませんが、ツヤさんはまさに野辺の花のようし、たくましくもやさしく咲き誇る花のようでしたし、彼女への手向けとして良い歌だったと思います。
スズ子とツヤさんのやり取り、いいな。甘えも無茶も言える関係。死が迫っているからこそ、それを感じればこその無茶。言われていることは本当に無茶苦茶だけれど、そんなことを言ってもらえるのも自分だけだと少し嬉しかったのではないかと思ってしまう。聞いてられなくて入ってきてしまうお父ちゃんも良い。最後に歌ったのが子どもの頃から歌ってきた歌だというのが、今までの折に触れて歌われてきていた様々なシーンがよみがえり余計に悲しく切なくて、そして素晴らしかった。本当に素敵なお母ちゃんだったな。史実では会えなかったみたいだけれど、こういう変更は大歓迎だ。
血のつながらない兄弟だと言いながら、本音を吐露できるのは姉ちゃんだけ。頭が少し足りないように見えて、今から何が起こるのかちゃんとわかっているのが余計につらい。スズ子のうるんだ瞳にこちらまでもらい泣きした。ツヤさんの思いもとても分かって辛い。自分の知らないスズ子をキヌが知るのが辛いと言っていたけれど、自分が見たかったスズ子の活躍を喜びあうことができるかもしれないのが堪らなく辛いのだろう。竹田さんも羽鳥さんも本質的には同じことを言っているのだけれど、スズ子の意思の入り込む余地があるのが羽鳥先生の言葉だ。舞台のスズ子にはいつにも増して凄味があった。全編見たかったな。
やっと六郎の本音が聞けました。一見無邪気なだけに見えても、やはり彼なりの想いがあったんですね。それを病気の母には我慢して見せず、姉にだけは抑えられない心情を語るあたりに、彼の優しさと切なさを感じます。そして親の死目に会えないですが、当時の芸能界だけでなく、今でもエンタメ業界では時々耳にする話です。でもそういうのが常識みたいなのはやめて欲しい。舞台を守りたい人、親に会いたい人、それぞれでいい。あと「行ってまいります」ではなく「行きます」の話がまたありましたね。有名な戦陣訓はこの2年後だけど、当時の記録を読むと日清戦争や日露戦争の戦勝に国民の多くも酔っていました。往々にして悲劇は悲劇の顔をしていないものです。
ツヤさんはダメか。梅吉がつい怒鳴ってしまう気持ちもわかります。こういう時は六郎の無邪気さが気に障るのも確かでしょう。その六郎も彼なりにいろいろ感じることや考えることはあるのでしょう。ツヤへの甘えは何かを感じているからだと思うし、スズ子に会いに来たのも思うところがあるのだと感じます。六郎はスズ子に何を伝えるのでしょうね。ここからの戦争は軍部の暴走もあるし、政治の見誤りもあるけど、国民の支持も大きかった。それは梅丸のお偉いさんや演出家のような消極的な支持であったとしても、戦争を支持し後押ししたのは間違いない。戦後になると急に国民は被害者面するけど、わずかでもこういうドラマで国民の無知が何をもたらすのか感じるのは良いことだと思います。
あんなかわいい子を誰が戦地に行かせたいと思う?よく戦争に行く人をみんなが万歳で見送ったって聞いたことあるけどどんな心境?って思ってた。だけど今日のそのシーンを見て、万歳でもしなきゃやってられないんだなと思った。お国のために選ばれた我が子!すごい!めでたい!とでも思わなきゃやってられないでしょ。あんなにかわいい我が子と離れられないわ。お母ちゃんも病気でかわいい息子も戦地へ行くとなればお父ちゃんの悲しみは深いよな。
熱々先生が家庭のこともちゃんとわかっていて、ツヤさんの良いようにしてくれている。昔は医者との関係が今より近かったなと思い出す。六郎とスズ子には知らせたくないツヤさんの気持ちも、わかっていても神頼みに走り出してしまうお父ちゃんの気持ちも痛いほどわかる。地域の人たちに守られながら成長した六郎が、いきなり社会の一番きついところに放り込まれる。嫌な未来しか思い浮かばない。今生の別れになるとわかっていても表に見送りすら出ていけないツヤさんの表情。そしてつらそうなお父ちゃんの顔を見て、こちらまで涙が出た。
六郎、赤紙であんなに喜ばないでよ。きっと今まで馬鹿にされることが多かったのだろう、みんなと同じように評価されたことがないのかもしれない。そんな彼に届いた赤紙。認められた!って思いからあんなにはしゃいだんだろうけど、その後のことを想像できてないところが心配でたまらない。喜んでいるのに水を差すわけにもいかずつやも声をかける。なんと悲しいやりとりなんだろう。戦地に行ったら体よりも先に心が壊れてしまわないかとても心配だ。
せっかく自分の居場所を見つけたスズ子も羽鳥も戦局に翻弄されそうな雲行きだ。あのエネルギー溢れる舞台が制限されるのはとても残念だし、ひどい時代だったのだと改めて思う。ところどころに笑いが仕込まれているから見ていられるけれど、六郎の赤紙のシーンもツヤさんの複雑な表情も悲しい。少し変わっていて、どんくさい六郎が初めて他人に認められたのが甲種合格で、それでもなお赤紙が来ないだろうと揶揄していた人たちがいたということも、意味も分からず赤紙が来たと喜ぶ様子も、すごいと言ってあげるしかないツヤさんも本当に本当に悲しい。
六郎に赤紙(召集令状)が来ましたか。召集は陸軍だけだから、この時期だと出征するのは中国方面かな。いずれにせよこれは戦死フラグですね。いいコなのに。国のことって、私に置き換えるとおかしさがわかる。たとえば国の借金が私の借金でもあるというのはどこもおかしくない。でも国のために死んで来いを、私のために死んで来いと言い換えると、何様だと言いたくなるくらいおかしい。今みたいに自殺者が出たり、離婚者が出たりするほど好き勝手に言いたい放題も問題だけど、何も言えなくなるのも怖い。何にせよ極端に行き過ぎる時代は気を付けた方がいい。そんな教訓になります。
スズ子の本当に大切なもの、原点ともいうべきは歌って踊るのがたまらなく好きだということ。松永への思いでふらついたけれど、その好きなものが思いっきりできる環境こそ大切だということなのだろう。母の治療費の心配はもっともだし、それで判断の変わる人も当然いる。でもスズ子はそうはしなかった。それは母がどういうことを大切にしている人かということも当然関係あるだろう。センチメンタルダイナ。前半と後半でずいぶんと曲調が違う。でも今のスズ子にとても合っていると感じた。汽車の中の秋山のタップも素敵。それぞれがそれぞれを応援しているようにも見える演出で、舞台に没頭する形とはまた違った感動があった。
真夜中のせっせっせに泣かされました。文字にするとハタチも過ぎたのに真夜中にすることか?とも思いますが、今まで一緒に頑張ってきた同志が別の道を歩む。明日から1人だなーという寂しさもあるだろうし、今までありがとうの気持ち、これから頑張れよ!のエールもあるでしょう。そういうのを一切言葉にしないで泣き笑いしながらせっせっせをやるってすごいなと思いました。鈴子の歌と秋山のタップがシンクロするシーンもすごく良かったです。
何だかんだいっても給与は大事。他に示す対価がない以上、給与はその仕事とその人への評価に直結するといえます。だから今、日本の給与が低いのは、企業がちゃんと人を評価していないという面もある。皆、もう少し怒った方がいいよ。さて秋山との別れですが、離れたとしても互いに通じ合ったような、スズ子の歌と秋山のタップのコラボは素晴らしかったです。本当に拍手ものですね。同期のふたりとはまた違う絆が生まれたし、是非とも秋山にはこの後も時々登場して欲しいです。
中山さんも豪快に振られましたね。自信満々な彼が膝から崩れ落ちるところが面白かったです。公私共に自分のパートナーになればもっと君は輝けるって本気で思っていたんですかね?きっと亭主関白だし仕事させてくれても家事育児は秋山さんの仕事でしょう。輝けるわけがない。男役としての仕事を取り上げて自分色の女役にしようとしていたところで察しです。まぁ時代が時代ですから仕方ないですが、秋山さんの飛躍を願っていたのでお別れして良かったです。
収まるところに収まったという感じでしょうか。スズ子も秋山もひとつ恋をして、大人になったというところかな。恋愛は自分を見つめ直す良い機会でもあるからね。中山はどうかなと首を傾げるところもあったけど、松永は案外誠実で悪い奴ではなかったし、これはこれで良い出会いだったと思います。秋山が見られなくなるのはちょっと残念ですが。屋台のおじさんの餞別はクジラのコロ。クジラ肉は高度経済成長期頃までは庶民の味で、普通に給食にも出ていたし、とても懐かしいです。今も食べられなくはないけど、当時とは違って高いからね。
今まで脇目も振らず生きてきて初めて恋した人に才能を認められて君ならもっとやれる!なんてそそのかされたら悪い気する人はいないよね。調子に乗っていたって鈴子は言ったけど、あの状況なら誰でもそうだと思うよ。えらいことをやらかした!と気づいた時にはもうどこでも踊れないかもと肝を冷やしたよね。松永さんに振られるのは仕方ないとして、あんな騒動に巻き込んでおいて頬被りまでして身を隠している鈴子をおいて喫茶店を出るってあの時点で恋は覚めたよなー。
義理と人情を語るなら、会社側は桃色争議の時の不人情を棚に上げているでしょ。義理も人情も相互関係あってこそで、一方的なものはただの強制とか強要です。まあ大阪人にとってはある種の方便でもあり、呪縛なのかもしれないけど。茨田は辛辣だけど、間違ってはいない。良いアドバイスだと思う。でもね、戦前の男に免疫のないウブな女のコにいきなり大人になれと求めるのは酷かな。まあ当時ならスズ子の年齢で嫁ぐ人も普通にいたし、社会人なのだからやむを得ないけどね。今の人たちはゆっくり大人になればいいと社会が認めてくれているから幸せだ。そう考えると成人を18歳に引き下げたのは良いのか悪いのか。ドラマとは関係ないけど。
戦争も近いし、六郎の甲種合格って、間違いなくフラグだよね。良いコなのになあ。この予想が外れて欲しい。ツヤの体調もやばそうだし。さて秋山もスズ子も難しい選択を迫られています。秋山に関しては、本人の気持ち次第かな。もちろん女性らしい格好は似合うし、可愛いけど、それはひとりの女のコとしての気持ちだしね。スズ子の方だけど、おでん屋の言う、義理も恋もまやかしだというのは深い。その通りだと思う。でも人はまやかしの中で生きているし、信じ続けるとまやかしも現実も変わらない。さて、どうなることやら。
茨田りつ子との初対面がありました。初回では和気藹々としていましたが、初対面でバチバチだったのですね。今はライバルというよりもみんな仲良くというか許容する文化になった気がするのでいきなりキツく当たるのは昔っぽい感じがしました。それだけ鈴子を脅威に感じているっていう証拠なので面白かったです。秋山さんは彼ができていたのですね。ただこれも昔っぽいというかかなり男性が強い感じ。恋愛初心者なら振り回されっぱなしでしょうね。
恋愛と仕事が絡むと面倒ですよね。秋山の場合、自分のやりたいことは大事だと思うし、けれど彼女の新しい魅力が引き出される可能性もなくはない。問題は中山が彼女の才能を見抜いたというよりも、恋愛的な要素に引っ張られている感じが強い点。スズ子の言う通り、やってみるというのも確かにひとつの手だけど、失敗は恋愛の終わりにもつながりそうな気がする。茨田りつ子は嫌味ですねえ。まあライバル意識があるということでしょうか。菊地凛子さんの芝居は、しゃべり方がりつ子のモデルだという淡谷のり子さんに寄せすぎて、ちょっと聞きづらいかな。
先週も自宅にいながら生の舞台を見られるなんてと喜んでいたが、今日の舞台はもう凄いのひと言。生ものの音楽、舞台に引き込まれて息をするのも忘れそうだった。秋山のタップもさすがにキレッキレでカッコよくて見惚れたけれど、スズ子とバンドマンたちの音のやり取り、ペットが前に来てからの盛り上がり。客席の盛り上がりは作られたものではなくて、自然発生的なものに感じた。自分までそこに居合わせたのではと錯覚してしまうほどだった。惜しむらくは生歌でなかったこと。あのパフォーマンスだから、ものすごかったのではと思ってしまう。新聞で知った大阪の方々は本当に嬉しかっただろうな。
こういう歌とか踊りとか、エンタメ要素があるドラマや映画って、その部分が圧倒的に良くないと興ざめするところがあります。「NANA」とか「ソラニン」とか、そこが良いから傑作が生まれる。その意味でも東京での初舞台はとても良かったと思います。特にスズ子はジャズが流行するアメリカのローリングトゥエンティー時代を彷彿させる、フラッパーな女性の雰囲気がよく出ているし、エネルギッシュで楽し気な中で人を惹きつけるスズ子の魅力と個性が炸裂していました。この歌唱シーンは何度でも見たくなる名シーンだと思います。ただツヤの健康が気になりますね。
松永さんって軽いしキザっぽいけど、本質的には優しくて真面目なのかも。辛島さんはスズ子にジャズの起こりを教えようとしていたけれど、求められているのはそういうことではなくて何を表現するかということ。優しく感情の発露を促す松永さんって、頭の回転もすごいと思うし、何より羽鳥のこともスズ子のことも信じているんだと思う。自分が感じないと相手に伝えることができない。体裁だけ整えた美しい音楽・楽しい音楽を求めているのではなくて、内からズキズキワクワクする音楽を作りたいのだろう。日にちも迫る中、少しジャズに近づいてきたスズ子の「らっぱと娘」の完成形を早く聞きたい。
羽鳥がいう通り、大和は二人いりません。どうあれ結局、それは大和の魅力なのだから。そもそもただ歌が上手いというだけだったら、プロでもアマチュアでもたくさんいます。でも問題はそれが魅力的かどうか。音楽にしても演劇にしても、芸能の世界で成功するには他のサムシングが必要なのだと思います。少なくとも松永はスズ子にそのサムシングを感じている。そして羽鳥もまた彼女に自分の音楽を表現してくれる可能性を見出しているのでしょう。問題はスズ子自身がそれを意識して引き出せるようになれるかどうか。プロなら自分で表現を操れるようにならないとね。
いやー厳しい。羽鳥さんは天才タイプだから言わないでもできるだろうと思っちゃうタイプなんだと思うけど、ブギなんて急に言われたって知らない言葉だし今の時代のようにすぐにググれるわけじゃないしニュアンスを掴むったってお手本がないしでめっちゃ大変だろうな。多分羽鳥さんの中では完成形があってそれを歌うこともできるだろうけど敢えてしないで鈴子の開花を待っているようにも見える。でも知らない曲をその場で楽譜を見ながら歌える鈴子はすごい!朝から元気をもらいました。
趣里の実力に脱帽。
能年玲奈以来の衝撃を受けている。
笠置シヅ子なんかどうでもよくなった。
趣里が凄い。
二世と言うことで甘く見ていた。
33歳。
無駄に歳喰ってないね。
羽鳥さんは楽譜にすべて描かれていて、それをスズ子がどう表現するかを待っているだけという感じかな。初めて出会う音楽をいきなり表現しきることは無理というもの。何度も自分の中で繰り返すことで、徐々に自分に馴染んでいっている段階なのだろう。秋山も実際の男と男役の違いに戸惑っているようで、2人とも試練の時ですね。それでも松永の珍しく神妙な面持ちの「頑張って!」が、彼女たちの伸びしろを信じて連れてきたという真面目な部分が少し見えたような気がして。ただただ軽いだけの人でなくて良かった。
どこかで天海祐希さんが、男役は娘役が普通よりもより娘らしく演じてくれるから、男役が男に見えるんだと話していました。秋山も大阪ではそういう要素もあったけど、東京では本物の男性と向き合わなければならないのだから大変だろうと思います。スズ子も500回も歌うって、普通ならのどが炎症を起こしますよね。ともあれ二人とも恋とまでは言えないくらいだけど、ちょっとしたときめきを抱くことは、芸の肥やしになるかもしれません。それにしてもスズ子のお父ちゃん、郵便局にたくさん貢献してくれそうな勢いですww
東京編が始まって、また個性的なメンバーが出てきた。みんな総じて笑顔だけれど、何を考えているのかわからない人もチラホラ。大阪編でもUSKのレヴューが本格的で素晴らしかったので、東京編でもどんな舞台が見れるのか楽しみだ。ダンスも曲も華やかだろうなと想像するだけで楽しくなる。ただ、時代が時代だけに、戦争の影がチラチラ見え隠れしているのは気になる。ジャズなど敵性音楽だろうし。それでも男女混成のミュージカルへのワクワクした思いや空気感を、大星さんが体現していて心が軽くなる。
緊張している状況で、反射的に投げキスへ飛びつくなんて、スズ子は大物だww。普通なら大人の男性でも間違いなく緊張して言葉を呑み込み、身体はがちがちになってしまうところ。松永はそんなスズ子の度胸とかノリの良さも評価したのかもしれませんね。羽鳥がやろうとする新しい音楽や楽劇団が目指す新しい舞台、それらを成功させるには、彼女くらいのテンションやパワーがないと難しいのでしょうから。ここから羽鳥とのコンビでどこまでぶっ飛ぶのか楽しみです。