『鎌倉殿の13人』での大泉洋 (源頼朝役)の演技はどうでしたか?あえて2択で評価してみて下さい。
大泉洋 (源頼朝役) は 「2022年10月期 勝手にアカデミー賞」にノミネート中 (→ 今、何位?)
演技が大げさすぎて どれを見ても同じように見える ということは演技が下手
頼朝さんは、たぶんあんな人、と思った!!!
何を役っても変わらない俗にいう金太郎飴。個性が出すぎる日常を目にしているゆえだろう。例えばやり過ぎで浮き過ぎた紅白での一人遊び。紅白は君の為の舞台ではない。本物の役者がやるべき役柄だと気付かされた。
無断任官者24名をネチネチなじる・・・この時の頼朝の顔って、もう、大泉以外に思い浮かばない
圧倒的な存在感でお見事!カッコよく見えたり 弱いかと思いきや強く無情、ある時はお茶目、ある時は残酷、最期はサイコパス入ってて恐かった。 忙しい役を本当に本人かと思うほどの見事な演技だった。
存在感がものすごくあった。本当に偉そうだった。
三嶋大祭りの行列に参加した大泉さんをテレビで見て、ロス再びでした 頼朝=大泉さんは不動です(*^^*)
天命を失ってからの頼朝が、弱さだったり懺悔だったり足掻いたりといった不格好なことが表に出ていて、より人間臭くて良かった。最後の光の中で政子に語り掛ける顔が穏やかで、髻を落として決してすっきりした出で立ちではないのに神々しくて、すべてを受け入れた感が出ていて良かったと思う。
頼朝にとっての最終回、いろんな表情が見えてとても良かったです。義理の母のりくにも流し目しちゃう女好きの顔、政子とどうしようもないことで屈託もなく笑う顔、時政と今までのことを回顧するような顔、どれも素敵で名残惜しくなってしまいました。
関東の武士団の絶妙なバランスの上に、天命でもって乗っかって時代の頂点まで上り詰める。自前の力がない中、大きな不安は常に内在していただろうし、平家を討伐するまでのイケイケどんどんなうちは小さくても、みなの目標がなくなった後は無視できないほど大きくなって誰をも信じられなくなっていったのだろう。大泉さんが演じることでとても人間臭くて、良い面も悪い面も見られてこういう人いたのかもと思えた。
頼朝という人物は歴史的評価も難しいところがあるし、人物像も徳川家康とか豊臣秀吉などと比べてもわかりにくい。どうやら三谷幸喜流の解釈では、自力で時代を切り拓いたというよりは、天命を受けて時流に乗せられた人物ということなのでしょう。なので源氏の頭領として天命を感じるがゆえに非情なところと、本来の彼の性格であるただ女にだらしないだけのちゃらんぽらんさが混在する、複雑な人物像となっているのだと思います。そこで非情さとちゃらんぽらんさを同居させられる役者として、大泉さんに白羽の矢が立ったのでしょう。その二面性は良く出ていたかなとは思いますが、どちらもちょっと中途半端だった気もします。もっとメリハリが強くて、エキセントリックなくらいの方が、やはりあの義経と兄弟なのだなと思わせて、より深くなったのではないでしょうか。でもとにかく難しい役柄だったと思うので、敢闘賞という意味合いで〇にします。
気持ちを押し殺しているときや決断のパワーが 時の権力者頼朝 と強く感じている。
絶大な権力を握ってもなお、いつもなにかに怯えているのが分かる。ほんとは誰からも信頼されていないと思っており、自分も誰も信じてはいない。その苦しい生き方を早く終えてしまいたいと思っているように切ない顔をする。これが史実なら苦しかっただろうな。
京での直衣姿 お似合いでした よく見る頼朝の絵姿で。 コメディ部分は奥方の 「征夷大将軍~‼️」を 最後に見られなくなったと 思っていたらば どうしても比奈の寝所へのくだり(笑) それで命拾いとは‥ 身内をも信用ならぬ 今後は死へ向かって行くのですね これは脚本の問題ですが 義時始めご家来衆が毎度々々 「鎌倉殿」と云うだろうか? 他に殿はいないので 「殿」だけの方が自然に聴こえる
刺客が来ているとも知らず政子の目の届かないところでヒナにちょっかいを出そうとしている頼朝がいつもにもまして間抜けな顔で良かった。そのあと騒動が起きて命からがら逃げ帰った時の魂の抜けたような表情。大泉さんの頼朝はとても人間味があって好きです。
なんでこの人が主役❓ 貫禄はないし生真面目さも感じられず、良く源氏の頭領の役にすえたなぁと思う 見ていて感情移入ができない
多分、義時と八重が2人で並んでいるだけで幸せそうに見えたから嫉妬して昔のことをネチネチと言い出したのだろう。その顔がなんともイヤらしく気持ち悪かった。男はいつまでも昔の恋人は自分の方を向いていると思いたい生き物だものね。サガを見た思いだ。
大泉さんの頼朝にはカリスマ性は感じない。なんなら義経の方が荒削りだけどカリスマ性は感じる。だからこそ人を信じられず少しでも邪魔だと思ったら殺してきたのだろう。そういう意味で言えば大泉さんの頼朝は成功だったのだろう。
大泉頼朝を見ていると、実際の頼朝さんはあんな人だったかも、と思わせるくらい演技が上手ですね!!
人のことを駒としか考えず冷徹卑劣に殺せと命じる頼朝は仕事モードの顔。だけどそこに娘が入ってきてしまった。そこは弁慶の泣き所だったのだろう。これはだめだと政子に諭す時にはすっかり狼狽え、娘の懇願に弱り慌てるただの父親になっていた。
誰も信じないから誰からも信じてもらえないことにどうして気づかないのだろう。過酷な幼少期に生きていくために、人間としての大切な何かをどこかに忘れてきてしまったのだろう。サラッと無表情で上総を殺せと命じた。上総の手紙で人間の心は取り戻せるのか?最後の沈んだ声が見事だった。
八重に「来ちゃった‥」って言った頼朝は最高に間抜けで笑ってしまった。いろんな苦難や重圧がある中常に世の中のことを考えいい人であり続けるなんてありえないからこういう頼朝もいいと思う。ちょっと人間味が出過ぎちゃうといけないのかもだけど、私は好きだな。
しっかり焼けてしまった家を見て「ここまでやるか?」って言った顔はマヌケそのもの。時代劇では見たことない驚きの表情だったけどさもありなん。ほんとはそんな風に驚いたかもね(笑)多分この時点では政子の怒りに度肝を抜かれていたのだろう。思い知ったか!!といい気味だった。
たまーに渋い顔して頭領らしいことを言ってみたり、2割くらいハッとするようないいことを言ってみたりする。そしてあとの8割は自己中心的な考え方だったり女にだらしなかったりする頼朝になっている。なんとも人間らしい頼朝が吉と出るか凶と出るか。私は案外好きかもしれない。
政子が屋敷にやってきたシーンとか義経との再会のシーンとか、みんなに感動的な場面を演出するのは得意なんだけど全然そうは思ってないって顔がいい。パフォーマンスが命だとでも思っていそう。あの頃兄弟なんてそこここにいただろうし、それが本物かなんて調べもできない時代。警戒心ありありの顔と余裕綽綽なパフォーマンスのズレがいい。
大河ドラマはコメディ色を云々する学術番組ではないと思う。歴史上の人物像の描き方を楽しみながら映像で観れるのは面白いことだと思う。大泉洋さんの表情が場面場面で切り替わるのを観てなかなかのものだと思う。
上総広常との場で遅参を咎めるシーン。今までの軽々しい演出があるからこそ、傾いているのがわかる。ああやって腹の底を探り合っていたのかもと思った。
ある時は祭り上げられて大変だなと思い、ある時はその自由奔放さに苦笑させられる。ちょっと間が抜けた大泉さんがやると頼朝だって人間だものねと笑えてしまう。首を取るか取られるかって時に女を連れ込んじゃうまぬけぶりにお付きの人は大変だろう。小栗さんがマスクに全部大泉のせいって書くの分かる気がするなー(笑)
明らかに不適当なキャスティングに感じる。或いは脚本がまずいのか、軽すぎて不愉快。
コメディ色強すぎるかな~と思っていたけれど、ここにきてそれが気にならないくらい頼朝ってこうやって生き延びてきたのかも…と思わせる底知れなさを感じる。読経しながらニヤっとするシーンなど少し恐ろしかった。
三谷幸喜とか福田雄一とかの作品にはもう出ないほうがいい。紅白も滑ってるし、本人が悪いというより、どうでしょうファンとか、大泉洋をいじれば受けると勘違いして起用して面白がっているおじさんたちの感覚が古くて寒い。昔は好きだったのに、露出すればするほどつまらなくて不快になる。演技力はある俳優さんのはずなので、しばらくコメディ成分のある作品から離れ、舞台とか目立たない所で頑張ったらいいんじゃないかと思う。
自分の子を殺されてもこの世の中じゃ不思議じゃないと思うほど殺伐とした世の中に生まれ諦めも見せたのに、その次にはそれを示唆した人を殺せと命じた。スッと表情を変えるのがとても上手い。だけど、どうしても小池さんとのシーンは口先が笑っているように見えて仕方ない。いいコンビなんだけど、コントっぽくなりすぎないでほしい。
舞台や映画では、バラエティとは違うカッコいいシリアスな演技も魅力的なのに、『真田丸』のときは『水曜どうでしょう』と結びつけたがるファンが多くてウザかった。それでもまだ真田丸のコメディ演出は、ギリギリ大河の許容範囲内だったけど、『鎌倉殿』はまるで、どうでしょうファンに媚びるかのような「バラエティの大泉洋」で不愉快。もちろんラストのように、ブラックな頼朝の見せ場もこれからたくさんあるのだろうけど、コントパートが邪魔で、シリアスな場面にも入り込めない。こんな使い方ならもう、この人を大河ドラマに出して欲しくない。
演技が大げさすぎて どれを見ても同じように見える ということは演技が下手
頼朝さんは、たぶんあんな人、と思った!!!
何を役っても変わらない俗にいう金太郎飴。個性が出すぎる日常を目にしているゆえだろう。例えばやり過ぎで浮き過ぎた紅白での一人遊び。紅白は君の為の舞台ではない。本物の役者がやるべき役柄だと気付かされた。
無断任官者24名をネチネチなじる・・・この時の頼朝の顔って、もう、大泉以外に思い浮かばない
圧倒的な存在感でお見事!カッコよく見えたり
弱いかと思いきや強く無情、ある時はお茶目、ある時は残酷、最期はサイコパス入ってて恐かった。
忙しい役を本当に本人かと思うほどの見事な演技だった。
存在感がものすごくあった。本当に偉そうだった。
三嶋大祭りの行列に参加した大泉さんをテレビで見て、ロス再びでした
頼朝=大泉さんは不動です(*^^*)
天命を失ってからの頼朝が、弱さだったり懺悔だったり足掻いたりといった不格好なことが表に出ていて、より人間臭くて良かった。最後の光の中で政子に語り掛ける顔が穏やかで、髻を落として決してすっきりした出で立ちではないのに神々しくて、すべてを受け入れた感が出ていて良かったと思う。
頼朝にとっての最終回、いろんな表情が見えてとても良かったです。義理の母のりくにも流し目しちゃう女好きの顔、政子とどうしようもないことで屈託もなく笑う顔、時政と今までのことを回顧するような顔、どれも素敵で名残惜しくなってしまいました。
関東の武士団の絶妙なバランスの上に、天命でもって乗っかって時代の頂点まで上り詰める。自前の力がない中、大きな不安は常に内在していただろうし、平家を討伐するまでのイケイケどんどんなうちは小さくても、みなの目標がなくなった後は無視できないほど大きくなって誰をも信じられなくなっていったのだろう。大泉さんが演じることでとても人間臭くて、良い面も悪い面も見られてこういう人いたのかもと思えた。
頼朝という人物は歴史的評価も難しいところがあるし、人物像も徳川家康とか豊臣秀吉などと比べてもわかりにくい。どうやら三谷幸喜流の解釈では、自力で時代を切り拓いたというよりは、天命を受けて時流に乗せられた人物ということなのでしょう。なので源氏の頭領として天命を感じるがゆえに非情なところと、本来の彼の性格であるただ女にだらしないだけのちゃらんぽらんさが混在する、複雑な人物像となっているのだと思います。そこで非情さとちゃらんぽらんさを同居させられる役者として、大泉さんに白羽の矢が立ったのでしょう。その二面性は良く出ていたかなとは思いますが、どちらもちょっと中途半端だった気もします。もっとメリハリが強くて、エキセントリックなくらいの方が、やはりあの義経と兄弟なのだなと思わせて、より深くなったのではないでしょうか。でもとにかく難しい役柄だったと思うので、敢闘賞という意味合いで〇にします。
気持ちを押し殺しているときや決断のパワーが 時の権力者頼朝 と強く感じている。
絶大な権力を握ってもなお、いつもなにかに怯えているのが分かる。ほんとは誰からも信頼されていないと思っており、自分も誰も信じてはいない。その苦しい生き方を早く終えてしまいたいと思っているように切ない顔をする。これが史実なら苦しかっただろうな。
京での直衣姿 お似合いでした
よく見る頼朝の絵姿で。
コメディ部分は奥方の
「征夷大将軍~‼️」を
最後に見られなくなったと
思っていたらば
どうしても比奈の寝所へのくだり(笑)
それで命拾いとは‥
身内をも信用ならぬ
今後は死へ向かって行くのですね
これは脚本の問題ですが
義時始めご家来衆が毎度々々
「鎌倉殿」と云うだろうか?
他に殿はいないので
「殿」だけの方が自然に聴こえる
刺客が来ているとも知らず政子の目の届かないところでヒナにちょっかいを出そうとしている頼朝がいつもにもまして間抜けな顔で良かった。そのあと騒動が起きて命からがら逃げ帰った時の魂の抜けたような表情。大泉さんの頼朝はとても人間味があって好きです。
なんでこの人が主役❓
貫禄はないし生真面目さも感じられず、良く源氏の頭領の役にすえたなぁと思う
見ていて感情移入ができない
多分、義時と八重が2人で並んでいるだけで幸せそうに見えたから嫉妬して昔のことをネチネチと言い出したのだろう。その顔がなんともイヤらしく気持ち悪かった。男はいつまでも昔の恋人は自分の方を向いていると思いたい生き物だものね。サガを見た思いだ。
大泉さんの頼朝にはカリスマ性は感じない。なんなら義経の方が荒削りだけどカリスマ性は感じる。だからこそ人を信じられず少しでも邪魔だと思ったら殺してきたのだろう。そういう意味で言えば大泉さんの頼朝は成功だったのだろう。
大泉頼朝を見ていると、実際の頼朝さんはあんな人だったかも、と思わせるくらい演技が上手ですね!!
人のことを駒としか考えず冷徹卑劣に殺せと命じる頼朝は仕事モードの顔。だけどそこに娘が入ってきてしまった。そこは弁慶の泣き所だったのだろう。これはだめだと政子に諭す時にはすっかり狼狽え、娘の懇願に弱り慌てるただの父親になっていた。
誰も信じないから誰からも信じてもらえないことにどうして気づかないのだろう。過酷な幼少期に生きていくために、人間としての大切な何かをどこかに忘れてきてしまったのだろう。サラッと無表情で上総を殺せと命じた。上総の手紙で人間の心は取り戻せるのか?最後の沈んだ声が見事だった。
八重に「来ちゃった‥」って言った頼朝は最高に間抜けで笑ってしまった。いろんな苦難や重圧がある中常に世の中のことを考えいい人であり続けるなんてありえないからこういう頼朝もいいと思う。ちょっと人間味が出過ぎちゃうといけないのかもだけど、私は好きだな。
しっかり焼けてしまった家を見て「ここまでやるか?」って言った顔はマヌケそのもの。時代劇では見たことない驚きの表情だったけどさもありなん。ほんとはそんな風に驚いたかもね(笑)多分この時点では政子の怒りに度肝を抜かれていたのだろう。思い知ったか!!といい気味だった。
たまーに渋い顔して頭領らしいことを言ってみたり、2割くらいハッとするようないいことを言ってみたりする。そしてあとの8割は自己中心的な考え方だったり女にだらしなかったりする頼朝になっている。なんとも人間らしい頼朝が吉と出るか凶と出るか。私は案外好きかもしれない。
政子が屋敷にやってきたシーンとか義経との再会のシーンとか、みんなに感動的な場面を演出するのは得意なんだけど全然そうは思ってないって顔がいい。パフォーマンスが命だとでも思っていそう。あの頃兄弟なんてそこここにいただろうし、それが本物かなんて調べもできない時代。警戒心ありありの顔と余裕綽綽なパフォーマンスのズレがいい。
大河ドラマはコメディ色を云々する学術番組ではないと思う。歴史上の人物像の描き方を楽しみながら映像で観れるのは面白いことだと思う。大泉洋さんの表情が場面場面で切り替わるのを観てなかなかのものだと思う。
上総広常との場で遅参を咎めるシーン。今までの軽々しい演出があるからこそ、傾いているのがわかる。ああやって腹の底を探り合っていたのかもと思った。
ある時は祭り上げられて大変だなと思い、ある時はその自由奔放さに苦笑させられる。ちょっと間が抜けた大泉さんがやると頼朝だって人間だものねと笑えてしまう。首を取るか取られるかって時に女を連れ込んじゃうまぬけぶりにお付きの人は大変だろう。小栗さんがマスクに全部大泉のせいって書くの分かる気がするなー(笑)
明らかに不適当なキャスティングに感じる。或いは脚本がまずいのか、軽すぎて不愉快。
コメディ色強すぎるかな~と思っていたけれど、ここにきてそれが気にならないくらい頼朝ってこうやって生き延びてきたのかも…と思わせる底知れなさを感じる。読経しながらニヤっとするシーンなど少し恐ろしかった。
三谷幸喜とか福田雄一とかの作品にはもう出ないほうがいい。紅白も滑ってるし、本人が悪いというより、どうでしょうファンとか、大泉洋をいじれば受けると勘違いして起用して面白がっているおじさんたちの感覚が古くて寒い。昔は好きだったのに、露出すればするほどつまらなくて不快になる。演技力はある俳優さんのはずなので、しばらくコメディ成分のある作品から離れ、舞台とか目立たない所で頑張ったらいいんじゃないかと思う。
自分の子を殺されてもこの世の中じゃ不思議じゃないと思うほど殺伐とした世の中に生まれ諦めも見せたのに、その次にはそれを示唆した人を殺せと命じた。スッと表情を変えるのがとても上手い。だけど、どうしても小池さんとのシーンは口先が笑っているように見えて仕方ない。いいコンビなんだけど、コントっぽくなりすぎないでほしい。
舞台や映画では、バラエティとは違うカッコいいシリアスな演技も魅力的なのに、『真田丸』のときは『水曜どうでしょう』と結びつけたがるファンが多くてウザかった。それでもまだ真田丸のコメディ演出は、ギリギリ大河の許容範囲内だったけど、『鎌倉殿』はまるで、どうでしょうファンに媚びるかのような「バラエティの大泉洋」で不愉快。もちろんラストのように、ブラックな頼朝の見せ場もこれからたくさんあるのだろうけど、コントパートが邪魔で、シリアスな場面にも入り込めない。こんな使い方ならもう、この人を大河ドラマに出して欲しくない。