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| 脚本・ストーリー 2.8 /5.0(55.4%) | 1029位 /1304件中 |
| キャスト 3.0 /5.0(59.6%) | 1101位 /1304件中 |
| 演出 2.8 /5.0(55.4%) | 1047位 /1303件中 |
| 音楽 3.0 /5.0(59.6%) | 914位 /1304件中 |
| 感動 2.6 /5.0(51.4%) | 922位 /1299件中 |
| 笑い 2.4 /5.0(47%) | 893位 /1299件中 |
| スリル・興奮 2.6 /5.0(52.2%) | 991位 /1297件中 |




遊郭の主人が言うには、夕顔のお話に同情した人たちがお店におしかけ、客足も遠のき、あげくに闇討ちにあったとか。
今まで散々遊郭通いをしていた人たちからも非難されて、それでセツには戻ってもらったら困ると言う。
シマケンの記事で、セツは解放された。
でも、他の遊女たちは?
働く場を奪われ、解放もされずってことなんじゃないだろうか。
このドラマを見ていてすっきりしないのは、いろんなことが表面的に動いているからのような気がする。
病院側は直属の看護学校を作ることにしたらしい。
当然、今後の見習いの受け入れはなくなるだろうし、良いとこどりをするつもりなのだろう。
梯子を外される形になる彼女たちや学校側はどうするのだろうか。
シマケンが記者ならば、本人に取材もせずに書いたことは確かに誠実さに欠ける。でもあくまでフィクションとして書いている前提なわけで、ここでシマケンが個人的に謝罪するとしたら取材しなかったことではなく、モデルにしたフィクションを書くこと事前に知らせていなかったことだと思う。
それにこれは本当に看護だろうか?
今の時代なら間違いなくソーシャルワーカーなど、看護以外の仕事が混じっている。明治期だし、まだ看護の仕事が確立していない時代だからやむを得ないのかもしれないけど、今の時代に作られるドラマだからこそ、必要な問題提起はして欲しい。
「ばけばけ」のおなみさんを思い出す。
あちらはケロッと明るい女郎さんだったけれど、それでもラシャメンになってでも外に出たいと言っていた。
セツさんは一生分の親切をもらったと言っていたけれど、それは看護だと直美は言う。
少し入れ込み過ぎだし、付き添い過ぎなんだけれど、それでも看護には違いない。
誰でも公平に看護が受けられるべきというのは、この時代には高い理想だ。
シマケンが第二弾の記事を書いた。
夕顔に同情する人たちが増えていく。
女郎さんの立場への理解も少しは深まっているようだ。
文字はたしかに力を持つ。
ただ、取材もせずに書いたことは不誠実だったかもしれないが、そこから何かを得たようにも見える。
シマケンさんの第三弾はあるのだろうか。
なんか夕凪のエピソードになった途端に違和感が多い。直美とのシーンは母親とのつながりもあるから良いのだけど、りんはどうなのかな。シマケンのところも首を傾げる。
ここは母親との関係もあって首を突っ込みすぎる直美と、ちょっと冷静なりんという対比を作った方がよかったと思う。二人がこの先どんな看護師になるのか、見えてくるシーンに工夫すればもっと「日本最初の看護婦」たちの成長がリアルに感じられたのではないかな。
シマケンだけど、日本の近代文学はこの頃。ようやくよちよち歩き。それこそ作家のの表現力やテーマ性なんてものは意図せず生まれるもので、新聞の編集者が言うような書き方は今の放送作家とか脚本家に求められるものだと思う。
夕凪を助けたいというりんたちの気持ちはわからないではない。でもそもそも廃娼運動の件で新聞社を訪ねる前に、そんなことに夕凪が関われば彼女が不利益を被る可能性くらい想像できた筈。自分が考えなしに動いた結果だし、シマケンは自分ができることをやってくれた。それを夕凪の了解も得ず、勝手に動いたりんが批判できる立場じゃない。シマケンを怒るなら、自分自身にも怒るべきだ。
人を助けるなんて簡単に口にするけど、神様でもない、王様でもない、資産家でもない、政治家でもないただの庶民が、誰か他人を助けるなんてそんな容易なことじゃない。他人に出来ることなんてたかが知れている。まずは誰かを助けてやるという傲慢さを捨て、自分がやれることは何なのか、考えてほしい。
死ぬも地獄生きるも地獄とはこのことか。そんなに好きでもないけれど一緒に死のうと言われたらそれもいいかと毒を飲む。そのまま死ねればどれだけ楽だったことか。女郎1人逃したところで世間は変わらない。遊郭が無くなった今だって体で稼いでいる人はいるし根は深い。そして逃したことが分かったら凛たちだけじゃなくトレインドナースの研修も続けられないかもしれない。やることは人助けだけど借金の踏み倒しでもある、結構なピンチだな。
直美の母親探しだと思っていたら、廃娼運動につながっちゃったか。広く見れば女性の自由な権利の獲得という点で結びつきはするけど、せっかくなんだから看護という視点をもっと掘り下げた方がいい気がする。廃娼運動だと人権とか法律の問題になるし、貧しさから身を売る人が多かったわけで、廃娼するなら同時に貧困の問題も解決しないといけない。となると政治がらみの話になって、看護というところから焦点がボケてしまうんじゃないかな。
まあこれからどこまで踏み込むかだけど、当時の世相や抱えていた問題を取り込むのはとても良いと思う反面、手を広げすぎず、そのテーマをできるだけ丁寧に描く方が朝ドラには向いている気がする。
直美の母と思われる人物と同じ名前を持つ遊女が心中事件で運ばれてきた。
彼女の言葉からだと、無理心中に近くも聞こえる。
死にたがってたのは亡くなった彼の方。
夕凪にはヒ素なんて毒物を用意できなかったんじゃなかろうか。
それでも、生き残ったら迷惑料やら入院費やらそっくり借金に上乗せされて今まで以上に客を取らされるのだろう。
生きても死んでも地獄。
どうして助けたという言葉がどれだけ悲しみを持っているのか。
りんは瑞穂屋へ助言をもらいに行く。
社会が変わらなければと、新聞を見せられる。
怖いもの知らずの行動派なりんは書き手へ会いに行く。
そこで何を知り、感じ、どう動くのだろう。
女郎だからというのは、突き詰めれば家が貧乏だったということ。今の日本は財政は厳しくとも国民皆保険のおかげで、ある程度貧しくても医療を受けられるけど、先進国であってもアメリカなど多くの国では貧しければ医療は受けられない。医療は決して平等ではない。
このドラマでは、それを過去のことにしない普遍的な問題として踏み込んでほしいね、この国だってそのうち、アメリカのような金持ち優遇独裁国家になって、自己責任という名で弱者を切り捨てる日がくるかもしれないし。
吉江から見る直美は大きく成長している。同年代の同じ目標を持つ友だちが出来たことで、彼女がこれまで知らずに育った充足感を感じ取ったのだろう。
一方、安は姉とは違う価値観を披露した。この時代、その考え方は別に間違いではない。同じ姉妹でも父親をあんな形で看取り、婚家でひどい目にあった経験を持つりんと、そのどちらも経験していない安では考えが違って当然だろう。
まさにそれらも含めて、向き不向きなんだろうと思う。
実習とは自分の適性も見るところだからゆきの判断は間違っていない。そして人の死というものを体験した人としていない人とでは大きく違うのも尤もだと思った。そこで自分がどう感じどう気持ちに折り合いをつけていくかが人間として成長することでもあると思う。ゆきが乗り越えられなかったとか弱かったとかじゃない。自分を俯瞰で見て違う道をと決断したゆきは強くて賢いと思った。憧れと自分の職業は別なことは多い。ちゃんと自分のことを決められるゆきは幸せになると思う。
病気も死も、誰にでもどんな人にでも公平にやって来る。
その理不尽をトメは知っていた。
知り合った人の死は誰でも辛く悲しい。
でもそれが耐えられないのであれば看護婦は続けていけないだろう。
助けたいという気持ちが人一倍強い人がなる職業であり、それでいながらたくさんの人を見送らなければならない仕事。
自分が続けることは患者さんに誠実ではないと言い切ったゆきは本当に看護婦という仕事を大切に思っていたのだとわかる。
だからこその撤退に涙でハグした先生。
向き不向きの大きな職業だからこそ憧れだけでは難しいんだなと思った。
人って、出来ることとやりたいことがなかなか一致しない場合って多い。いくら好きでも、どんなにやりたくて努力しても、さまざまな理由でうまくいかないことは山ほどある。だからゆきのように自分には出来ないと決断するのも難しいし勇気がいる。
どんなことにも向き不向きがあるし、それでも頑張るのも美徳、潔く諦めるのも美徳。いずれにせよその結果に自分が納得できることが大事なんだろうと思う。
ゆきが違う道で良き人生を歩めるといいですね。
小野田さんが亡くなった。
ゆきさんは、やはり入れ込み過ぎていて落ち込みようがひどい。
同じように小野田さんに接していたように見えるトメさんだけれど、彼女は少し患者さんと線を引いていたように思う。
ナイチンゲールに憧れて看護婦を目指していたゆきさんだけれど、患者さんが亡くなることもあることを理解してなかったのだろうか。
それともわかっていても、なのだろうか。
看護婦になって、患者さんが亡くなることも度々あるだろう。
時代も時代だし、そんなに今のように医学が進歩しているわけではない。
毎度今回のように落ち込み寝込んでいては仕事にならない。
先生の特別授業で何を語るのだろうか。
ゆきの純粋さもショックもわかる。でもそれをカバーするトメの強さや冷静さも褒めてあげたい。二人の生い立ちや育ちの違いはあるのだろうけど、一方の優しさも一方の強さも、共に人として大切な部分だからね。二人に限らず看護師である前に人としての振舞い方が一番大事。
さてバーンズ先生ですが、どんな「授業」をするのでしょうね。ナイチンゲールはクリミア戦争の従軍看護婦だったし、日本もこの後、戦争がある。そもそも戦争はなくても、人は必ず死ぬ。医療に関わる以上、それと向き合う必要があるからね。
フユさんの旦那さんが〇〇なんてが口癖になってしまったのは分からないでもないよね。自分が怪我さえしなければフユさんや子供を外に出して働かせることはなかったという負い目がそうさせるのだ。フユさんのことを貶めたくて言っていたんじゃなくて口癖になってしまっていたのかも。でもそれが2人をもっと窮屈にしてしまっていた。直美とりんが来ることで風通しが良くなって2人にも風が吹いた。人と関わっていくって大事だなと思った。
直美は母親を見つけてどうするんだろう?おそらく本人の言う通り、ただ会ってみたいだけで、それ以上のことは考えていないんだろう。それはさておき、まさかこの詐欺師とくっついたりはしないよね?ドラマだし、この後、彼が改心しないとは言わないけど、現実社会なら間違いなくやめておきなさいと忠告したくなる。
看護師と看病婦の関係だけど、こうやって仕事を通してや身の上の共通項を知ったりして、距離を縮めるのが正解。
水を飲んでいないことを伝えたことと飴を持って行ったこと。
それくらいで乗り越えられる壁だったのかな。
それよりも、旦那さんが自分の仕事を蔑まなくなったことの方が大きかったか。
手術介助は家事のようにというフユの言葉がなるほどと思う。
また何かの伏線になっているのだろう。
看病婦と看護婦のギクシャクが取れていく一方で、患者さんの容態が気になる。
看護と奉仕は違うと以前先生も言っていたけれど、寄り添うことと入れ込むことはやっぱり違う。
亡くなることを避けられない患者も当然いる。
悲しむなとは言わないけれど、あんな風に落ち込んだり泣かれたりしたら看護されたくないかもしれない。
少しずつ慣れていく過程を描くのか、それとも乗り越えられなくて辞める道を描くのか。
直美が自分は不器用だから外科には向いていないと言っていた。
特殊な仕事だから適性はもちろんあるだろう。
今更言っても仕方ないんだけど、もうちょっと学校編がしっかりしていたら良かったと思う。看護とはという精神論だけじゃなくその時代の看護の勉強をもっとしっかり見たかった。それがないから訓練されたと言われても根拠が弱いし、ただ換気して折り鶴を配る少し面倒見のいいお姉さんくらいにしか思えない。ナース服もどうしてその形なのかとかあればフユさんの家に行く時着ていくのももっと納得できただろう。みんなが着物の時代にあれで歩くには勇気が入ったはず。なんか浅いんだよね。
飴ちゃんのシーンみたいに、自然な付き合いの中で仲良くなっていけばいいし、本来ならフユさんの旦那のことじゃなく、患者さんのことで気になることを伝え合えるようになるといいんだけどね。
信頼とか、信用とかいうものは、最初からあるものではなく、日々の積み重ねからしか生まれない。なので皆、気負わずに、それぞれ仕事として必要なことを伝え合うところから始めればいいと思う。
それにしてもフユさんの旦那だけど、トイレに行く回数を抑えようとする気持ちはわかる。相手が妻であれ、看護師であれ、なるべく他の人に面倒をかけたくないと思ってしまうよね。
休みのたびにフユさんの家へ旦那さんの看護をしに行く。
悪いことではないし、フユさんが看病婦としてスバラシイことを旦那に言うのも良いとは思うのだけれど、それで手術介助の仕事を習おうとするのは違う話じゃないのかな。
看病婦と看護婦が分かり合えるのは仕事を介してでないととも思うし。
それに、見て覚える、はつい四半世紀前まで当たり前のことだった。
教えてくださいではなくて、見学させてくださいとか、見て学ばせてくださいじゃないのかなと。
直美の元に例の詐欺師君から手紙が来た。
母親のことが何かわかったのだろうか。
え?フユさんの旦那の看病をしちゃうの?
別に休みの日なら、それ自体は悪くないけど、そこから看病婦との和解に進むとしたら、展開としてはどうなのかな?
この時代だし、丁寧に教えられなくても、見て盗むというのが普通だと思うんだけど。その状況の中で和解していくのが自然だと思う。
ここはちょっと中だるみかな。もっと個々の看護師見習いたちのドラマに踏み込んだ方がよかった気がする。
フユさんの言葉も、旦那さんの言葉も、この当時の看病婦の立場の悪さや世間体の悪さを表しているように思う。
そんな中でもフユさんは努力して早く仕事が終わるように頑張っていたんだなと、あの台所を見ると感じる。
旦那さんの言葉はフユさんを労っているようで見下しているようにも聞こえる。
自分のことも。
生きていくことに必死で自分たちの気持ちは置き去りになっているのだろう。
本を読むことが好きなようだし、そもそもはそれなりの生活をしていたのだろう。
身体が思うように動かないことは心を少しずつむしばむ。
りんたちはフユさんの家に通うつもりのようだ。
このことで看病婦と看護婦たちの間が上手くいくきっかけになったりするのだろうか。
看護師と看病婦のような問題って、江戸期から明治期の激変期にはたくさんあったと思う。明治期になって制度化したものてせも、多くは江戸期にも同様の仕事があったわけで、たとえば医師も漢方医が一代限りとされ、西洋医にシフトしていった。それを知る医師たちが看護を軽視しているのがよくわからない。自分たちだって古い制度を踏み台にしているのにね。
更にこの時代の女性の職業問題もある。女性が担ってきた仕事が軽視されすぎていて、賃金も低い。いろいろ事情を抱える女性が生きていくには厳しい時代だ。
きっとフユさんからすれば、見習い看護師たちは恵まれていて、眩しくもあるし、鬱陶しくもあるのだろう。果たしてどこまで協力し合えるようになるのかな。
「あなたがいたから寂しくなかった」「あなたが看護婦で良かった」なんて最高の褒め言葉じゃない。まぁ一晩看護婦を独り占めなんてあってはならないと先生は思っていると思うけど、華族の奥方さまだからそれもアリでしょう。りんも心から寄り添える看護ができて良かったね。ただこの時代の手術にはぞっとする場面が多い。医学が進歩したとはいえ今では考えられない理由で命を落とすことも多かっただろう。点滴一つないのはさすがにドラマだからだよね??
今、インフォームドコンセントがちゃんとされる病院なら、手術のリスクについて必ず説明がある。その時にわずかであっても麻酔から目が覚めないとか、万が一の確率が知らされる。そうすると大した確率でなくとも、手術前日の夜にはもしかしたらこれが最期の一日になるかもしれないという不安が押し寄せてくるものです。だから和泉夫人の気持ちはわかる気がします。
そしてバーンズ先生の言葉は大事。看護と奉仕は違う。そこを明確にすることは経費や費用にも関わってくるし、施策のあり方にまで関わる。その先にプロフェッショナルな職業としての確立があるんだと思う。
千佳子さんが手術を決心するまでがすごく丁寧に描写されていて悪くない1週間だった。自ら命を断つことも美徳とされていた武士の世界で、片方の乳房を無くし生きながらえていくのは死ぬことと同じくらい辛く恥ずかしいことだったに違いない。ツンケンした中に夫への愛情が溢れていてかわいらしいと思った。口下手な夫も愛情深い人で素敵だった。次週は千佳子の経過と直美の親探しになるのかな?直美にそっくりな母親は誰がやるのか、そこも気になるなー。
侯爵がりんの父を知っていたことから、奥様の話ができ信頼を得る。
これって、看護をしていた上での観察から上手くいったわけではないということが大事な気がする。
りんと直美の間にまた壁のようなものができそうな気がするのだ。
奥様は乳がんの手術を受けることにした。
手術も勉強のために立ち会っても良いという。
不安だから立ち会ってと言えないのが武家らしいと思う。
本音を隠し、耐え忍び、凛と生きる。
先生は患者は嘘をつくと言った。
身体は嘘をつかないとも。
嘘はここからもキーワードなのかな。
どんな業界も男女どちらかに偏ると弊害もある。入院生活をしているのに髪を結い着物をきちっと着ているご婦人が着物をはだけ胸を見せる。それがどれほどの屈辱か男性にどれほど想像できるだろう。治してやるという上からの意識を感じる医師と治してもらう患者の間で気持ちを察してくれるナースはとてもありがたい存在だと気づく。千佳子が言った、気持ちは変わらないっていうのはすごく分かる。すごろくを通じて本音を引き出す、りんの本領発揮か??いい看護ができそうだ。
りんが武士の娘だとわかったからか、それとも自分を見て思いやってくれていると感じたからか、少しずつ夫人は心を開いてくれてきているように見える。
双六をきっかけに、お互いのことを少し話すことができた。
手術に対する不安も。
おばさんでいるフリをすることに慣れる。
そうなんだよね。
内面の核の部分はそうそう変わらない。
気分転換と称して診察を個室ではなく診察室へと変更に成功したりん。
それだけではまだ手術を受けようとはならないだろう。
背中をさする手を見て、手当てってこういうことなんだよなと思った。
和泉夫人の独白はいつの時代だって、女性の思いそのもの。男性医師にはなかなかわからない心情なのだろう。それは今、いかにジェンダーレスの社会が叫ばれたとしても、変わらない部分なんだと思う。
詐欺師の寛太の言葉だけど、ひとつの真理だと思う。確かにひとりだと最後の最後に踏ん張りきれないところがある。どんなものであれ、ある程度以上に頑張っている人ならそれを実感する筈。別にだから結婚しろとか、家族を大事にしろと言うつもりはないけど、ひとりだと自分の世界から飛び出すのはなかなか難しい。
和泉夫人も自分の思いを越えて、大事にしてくれる家族のためにも、手術に踏み切るのだろうね。
あの時代に乳がんで手術なんて、やっぱりせずに死を選ぶって当たり前にあったんじゃないかな。
今だって抵抗の多いところだから。
そういえば婦人科って言ってたような。
今は外科だけれど、当時は乳がんも婦人科だったのかな。
というより、あまり科の分別が進んでなかったのだろうか。
りんが医者の説明を遮るように物を落としたのはわざとかな?
患者が嫌がっているのを察したとか。
たまたまだったのだろうか。
男性陣のいる前で、胸の手術の話をする。
旦那はまだしも、息子の前で。
やっぱりどう考えても受け入れがたいと思う。
おや、安はシマケンが気になるのかと思っていたら、違ったのか。なかなか競争が激しそうな優良物件だけに、どうなることやら。
医者たちが侯爵には良いところを見せようとしていたけど、あなたたちが見るべき相手は違うだろうと言いたくなる。はからずも医者たちの駄目なところが、りんと夫人の間の距離を埋める一助になるかもね。
何にせよ見習い同士でいろいろ考え、話し合う機会が増えているのは良い事だな。
分かる、は言っちゃいけない言葉だった。寄り添うことはできても痛みも痒みも実感することはできないんだし、まして五分五分の治療を受ける人の気持ちが分かるなんておこがましい。りんにはそういうことろが前からあったからガツンと言ってくれる人が現れて少しすっきりした。直美のずるい女じゃなくてずる賢い女っていうのも良かったね。真正面から正論が言えるのは幸せな子よ。りんはここで一皮剥けるチャンスだと思って頑張って欲しい。
りんはいつも相手をすぐに怒らせる。
直美はずる賢い。
一応、対比構造にしているということなのだろうか。
看護は相手をよく観察して理解することが大切だと繰り返し出て来ている。
理解することと、相手のことをわかりますよと伝えることは当然同義ではない。
自分に置き換えて考えることが必要なことも当然あるだろう。
それでも、わかりますよの言葉はおこがましいと言われて当然だ。
何をわかっているのか順番に言ってごらんと言いたくなる。
仕事として理解する。
それの意味を気づいただろうか。
すっかり皆が仲良くなりましたね。友だちというのではなく、同じ戦友、同じ仲間だからこそわかることがあります。お互いを見つめ合うのではなく、同じ方向を向いているから、共通して見えるものがある。仕事も恋愛もそう。
もしかしたら和泉夫人ともただ向き合うのではなく、彼女が求める出口を共に探すことで、治療への道筋が見えるかもしれません。
医院長は難しい患者をりんに任せて、問題が起これば学校のせいにしようという魂胆だと先生も言っていた。
それでも、直美は引き受けたら良いと進言し、りんは引き受けたいと言った。
どれだけ難しいかわかっていないからこそという部分もあるけれど、こういう患者を乗り越えてこそ看護婦の存在意義がわかってもらえると思ったのだろうか。
それにしても、りんは時々大胆というか無神経に発言する。
あの時代に、看護婦が何者かわからないしわかってもらえていない状況で、いきなり脈をとりお通じを聞く。
そりゃ誰だって面食らうだろうし怒りもするだろう。
患者の立場にたつと言っても、あなたの気持ちわかりますよは違うと思うんだけれどな。
それは患者にとって一番腹の立つ言葉だよ。
先週はなんかりんがチヤホヤされて終わってなんだこりゃと思ったけど、今週は看護とはなんぞやってところが見られるかなと期待している。あの時代お偉い方な御殿医だろうと手を触れることができず糸を括って脈を見ていたなんて逸話があるくらいだから気安く触るのは御法度、食べたものさえ話したくないのにお通じなんて絶対知られたくないよね。触られたくないのに胸を診察してもらわなきゃいけない心中を察するとあの態度も分からなくはない。りんの看護がどこまで通じるのかお手並み拝見。
やはりこじれた場合は看護師見習いたちに責任をなすりつけるつもりか。この時代、医者もまだまだだね。患者をちゃんと診ていない。
りんが言った「わかる」は、言っちゃダメな地雷だよ。本当に似たような経験をしているならまだしもだけど、それであっても他人には絶対にわからないことってある。病気の体験、事故の体験、災害の体験、どれもこれも他人にわかったようなことを言われると、「お前に何がわかる」と言い返したくなるもの。
寄り添うっていうのはそういうことじゃないと、りんは良い学びを得ているね。
一見、直美は要領よくやっているように見えるけれど、適当な嘘を混ぜ込んで自分が動きやすくしているだけだ。
それは今まで生きてきた過程で身につけた技なのだろうけれど、どこかで辻褄が合わなくなってピンチになるのでは。
それに患者のためといいながら自分のためが含まれているようにも見えるし。
りんはトンネルの中のようだ。
何か抜けるきっかけがあるんだろうね。
シマケンさんや卯三郎さんとの話の中にヒントがあるのだろうか。
直美さんとりんは医院長に呼び出された。
奥様が看病婦を次々に首にし、もう見る人がいないからだろう。
言わない方が良いことも口にしてしまうりんと、感情がすぐに表に出て嘘もつく直美。
このふたりで上手く看護なんてできるんだろうか。
一波乱も二波乱もありそうだ。
患者の雰囲気が変わり始めたところで、りんと直美の呼び出し。間違いなく和泉侯爵夫人の方に回されるのだろう。
病院側としては、わがまま侯爵夫人付きにして、いざ問題が起こればすべて彼女たちのせいにしようという魂胆かもしれないね。そもそも侯爵夫人の「わがまま」と言い切ってしまうあたりに、看護師以前に医者たちもまだまだ未熟だなと思うけど。
直美は案外悪女の素質がありそうww。うまいこと藤田を掌で転がしている。
りんとシマケンは悩みが深いね。道は違うけど、プロとして世に出るためには多くの研鑽を積まなければならないし、誰かに教えられるのではなく、自らつかみ取らなければならないものもある。まあなんだかんだで相性は良さそう。
気になるのは安の視線。りんを心配してるとか、二人を祝福している視線ではない。安はシマケンが好きなのかもしれない。それを知ればりんなら応援するだろうし、ややこしいことになりそうだ。
看護婦は患者と友達になるのが仕事じゃないからりんはまだまだといったところだろう。患者さんの機嫌に振り回されて自分を見てもらうことから始めようとしているりんは人を看るにはまだまだということ。まぁ看護婦に看護してもらうことがどういうことなのか分かっていないんだから手探りは続くだろう。それにしても素手で触る手術やプライバシーゼロのカーテンすらない病室、あれじゃ治るのも運が大きい。今の時代に生まれて良かったと思ってしまった。
患者が常に本音を口にするわけではないのは、今の世の中だってそう。誰もが素直に理解し、素直に受け取り、素直に返すわけじゃない。だから患者と接する時間の多い看護師がよく見なきゃいけないんだと思う。
それとバーンズ先生が言った、見返りを求めるなということだけど、別に楽しく会話するなとは言っていない。楽しく会話できる患者とはそうすればいい。でも感謝しない相手でも同様に扱う。そこがポイントなんだと思う。
患者が傷口をさすっていたのは、やはり違和感が強くて再手術となった。
りんが言っていたことは合っていたのだけれど、医師たちには取り合ってもらえなかった。
看護婦のことがわからないというだけでなくて、それがどうしてか、という振り返りも必要そうだ。
先生の言うように、患者は治って退院できれば不機嫌だろうと会話ができていなかろうと問題はないし、感謝を求めてやる仕事ではないだろう。
そういう意味でも良い患者で、学びは多かったはずだ。
直美は花瓶の水を変えていたと言っていたけれど、それは慰めのための嘘なんじゃないかな。
しんどい時に構われたくない人は一定数いる。
そこがわからないと同じことを繰り返しそうだ。
医者と看護師、いくら役割の違いだと言っても、まだ文明開化したのは教科書的な知識だけの医者に言ってもわからないだろうね。彼らだって西洋医学については見習いみたいなもんだし、新米なんだけど。
りんがみている患者はきっと痛いのをやせ我慢していたんだろうね。今も理由はいろいろだけど、医者にすべて話さない人もいるようだし。でもこれがなにかのきっかけになりそう。
実習に入りましたね。ただ受け入れ態勢ができていないようでなかなかヒリヒリした展開になりそう。でも自分の職場に触れたことのない知識を持った若くて綺麗な女性がヒラヒラしたかわいい衣装で入ってきたらそりゃ嫉妬しますよ笑。実習生も先輩たちを頭から否定することはこの先を考えるとやりたくないはず。女性同士は難しいからね。まずはどこから攻めるべきか考えた方が良さそう。先輩たちが認める前に患者さんたちが実習生に懐いてしまったら揉めるだろうな。
まあ最初から理解されることはないだろうけど、無理解と無知は別問題だからね。看護のことを何も知らないのは無知。それは教えられていないんだから当然責められやしない。でも他所からのものを、あるいは新しいものを理解しようとしないのは単なる偏見と無理解だ。
病院の者も患者も、知らないのは仕方ないが、看護師見習いたちの行動や言葉に何らかの意味を感じないとしたら、それはいかがなものかと思う。
同時に看護師見習いたちも、初めての実践の場で何を知り、何を学ぶのかが大事。彼女たちも病院の人たちも患者も、皆が学ぶべきタイミングにいる。そう感じます。
看護婦がまだいなかった時代。
看護婦になるのも手探りで難しかっただろうけれど、看護婦を受け入れてもらうのも難しかったんだろうなと思う。
それに近い仕事をしていただろう看病師からは仕事を奪われるとか、邪魔されると思われていただろうし、医者からは体よく便利使いできる駒が増えたと思われたかもしれない。
先生は日本語が堪能なのを病院側には隠した。
それはきっと病院側を油断させ生徒たちを守るためでもあるのだろう。
りんはまた空回っている。
それも間違ったーで解決するのかな。
体温の記録や脈の測り方、換気やシーツ交換などそれ自体ができてもどんな時にどんな風に必要か分かっていなかったってこと?風邪をひいて体が辛い時に消化に良いものを食べるという常識はこの頃無かったとかちょっと理解に苦しむ。明治まで看護に対してそんなに無知だったのだろうか。増して水も与えないとか同じ人間としてあり得るのだろうか。子供を産んだこともある人もいるのにそれではちょっとお話にならない。気が利く部類の子が1人もいないってないよね。