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| 脚本・ストーリー 2.7 /5.0(53.6%) | 1040位 /1275件中 |
| キャスト 3.0 /5.0(59.2%) | 1081位 /1275件中 |
| 演出 2.8 /5.0(55%) | 1031位 /1274件中 |
| 音楽 2.9 /5.0(58.6%) | 907位 /1275件中 |
| 感動 2.5 /5.0(49.2%) | 951位 /1270件中 |
| 笑い 2.2 /5.0(43.8%) | 944位 /1270件中 |
| スリル・興奮 2.5 /5.0(49.6%) | 1018位 /1268件中 |




昭和ですら医者の言うことは絶対だったのに、あんな風に個人の思いを入れる余地なんてあったんだろうか。
どんなにひどい最後であっても医者を神様のように拝んでいた姿を思い出す。
今とは違って保険もなかったはずで、退院したいと言ったら引き留めるなんてこともなかったのでは。
違和感は横へ置いておくとして、日に日に弱っていく大切な人を見ているのが辛くて病院へ行けないというのはわかる気がする。
そのことを察して余計に弱っていくというのも。
ただ、りんのしていることは一線を越えたと思うし、おそらく問題にされるだろう。
医者の指示は絶対だし、それに従えない看護婦は、やはりその場を失うしかないのだろうと思う。
昔だったら虎太郎一択だっかもしれないけど、なんだか変わってしまった気がする。自分でのしあがった成功体験ができてしまったからなーちょっと強気に出るところもあって今の虎太郎ならシマケンの方が癒しになるよね。お金だって自分が稼げるって考えればますますシマケンかなー。直美にもようやく春が来るのかな?それにしても看護の話って盛り上がらないのだろうか。これなら看護にかこつけて病人を看る時の豆知識みたいなのを披露した方が役に立つかもよ?
直美に会いたくて軍人さんは来ていたんだろうね。
お友達って聞いて嬉しかっただろうな。
直美のモデルの人の旦那さんが軍人だったと聞いていたから、ここでモデルの人に寄せてくるのだろうか?
山本さんのシーン。
送り出してすぐに蝉の声で時間が経ったことを表しているのか。
何か月後とかの字幕を見落としたのかと見直してしまった。
一回目の退院のあと、まだ牛鍋食べに行けていないということで合っているのだろうか?
来年もという約束がいつの時点のことなのかがわからず、ちょっと混乱してしまった。
昔は本人には告知しないのが普通だった。
今のように疼痛緩和も重視されていなかったから、痛みのあまり昏倒したり殺してくれと叫んだりがあった。
告知されなくても末期のガンなんだなと思いながら、気づかないふりをしながらということが身近でもあったことを思い出した。
りんも直美も恋の予感。というか、りんの「私のトンビ」って言葉はこれまでのシマケンの話を考えると、ほぼほぼ告白に近いよね。
山本さんだけど、かつてはインフォームドコンセントなんて、ほぼなかったし、昭和の末期でも癌は死病として本人には告知されないことの方が多かった。でもなんとなく気づくんだよね。昔はそんな話をよく耳にした。
山本さんの気持ちも奥さんの気持ちもよくわかる。年を取ると余計にね。
適材適所って大事なことだと思う。
ただ、直美の不器用があまりにも誇張されていてわざとじゃないかと思えてしまう。
りんとの家族ごっこでギクシャクしても、りんのお母さんはちゃんと家族として扱っている。
だから、直美が詐欺師君に転居先を言いよどんだ時に、りんは「家族一緒に」と割って入れたのかな。
詐欺師君との縁が続くのが良いことには思えないけれど、直美の母が安産願って生んでくれたことを知れて良かったんだろうと思う。
シマケンは思わぬ方へ才能が花開いたようで、でも本人はまた悩みの中へ逆戻りかな。
トンビをまたいくつ飛ばすのだろう。
ちょっとぎくしゃくした感じのりんと直美でしたが、引っ越しと共にいつも通りに戻りました。まあ家族なんて、血がつながっていれば良いってもんでもないし、もう直美は間違いなく一ノ瀬家の家族でいいんじゃないかな。
直美はりんが指摘した通り、リーダー気質。それぞれが出来ることをやればいいのもその通り。でもだからといって任せきりはプロとしてダメ。りんも直美も苦手なところを自覚したなら、せめてマイナスにはならない程度の力は身につけないと。
虎太郎ほど割り切れるかはともかく、生徒の退学は少なくともりんのせいではない。
どんなことでも最初から万全の準備がされているわけはない。特にそれが日本初ということならばなおさらだ。それくらいのリスクを理解した上で、覚悟して入学してこないとね。あの学生は甘い。
りんの方も学生時代の同級生からもドロップアウトした者が出ているわけだし、教員になったからといって自分の在り方にフィードバックしすぎない方がいい。立場も生い立ちも生き方も思いもすべて違う他人と目的共有できるのは、同じ方を向いているから。違う方を見ている者に合わせる必要はない。
それにしても本当に偉い人たちが無責任すぎる。現場に責任があると言うなら、管理者にも別の責任がある筈。困った人たちだね。
優等生ほど折れやすいのは今も昔も同じだろうか。
親も反対していたらしいから、まだ手探り状態の看護の道には乗れなかったということか。
それよりも希望が持てなかったという方が確かなのかもしれない。
ツヤを救えず、自分で抱え込んで猛烈に働く。
ツヤに弱音吐けなかったと心寄せていたりんなのに、さらに周りに壁を築いてしまった。
医院長がりんを総取締から外すのはわかるのだけれど、直美さんに兼任とは。
直美さんの方が要領が良いからだろうが、直後のりんの言葉は完全に直美との間に線を引くものだ。
孤独になった直美さんが心配だな。
りんはツヤさんのことがショックでそれを忘れるために仕事に没頭しただけだから学生が辞めるって言い出しても意味が分からないんじゃないかな。それほどりんにとって看護が楽しい仕事なのだと思う。そんなワーカホリックなりんを見てそこまでできないと辞めていくことは悪いことではないよね。向き不向きがあるし、同期だって何人も辞めているしね。柔軟な考え方ができない人は向いてないしあの学生は遅かれ早かれ壁にぶち当たると思うよ。
まあ、確かにりんはやりすぎだよね。本来の業務外のことも引き受けるならば、あくまでも自分の手が回る範囲にすべきで、食事の時間や寝る時間を削ってまでやるのは、むしろ無責任だと思う。それで疲れから決定的なミスを犯す可能性があるからね。とはいえ、医療人の過重労働は今も問題のひとつなんだけど。
それと今の会社社会なんかでも通じるんだけど、指導する立場の者があまりなんでも自分でやりすぎるのは良くない。適度に周囲に任せるのも先を行く者の役割だと思う。
ツヤの件を引きずるのはわからないではないけど、自分ひとりではどうにもならないこともある。また学生が自分を見てやめると言い出したことも、個人的には「あっ、そう」で構わないと思う。働き方なんて人それぞれあるというのは、りん以外の看護婦を見ればわかるわけで、そういう頭が働かない者はそもそも医療の世界なんて向かないしね。
りんはツヤが解雇になったことに責任を感じて、そのこともあって仕事に没頭しているのだろう。
それに後輩を導くために凛としていることも自分に課していそうだ。
直美のように自分が率先して休憩を取らないと後輩たちは取りにくいと思いが巡らせられる余裕があれば。
本当にこの二人は足して2で割るとちょうどよい関係だと思う。
それにしても、りんのような看護婦が良い看護婦なら自分は無理だと早々に判断したところは頭が良ければこそなのだろうか。
少なくとも4人は看護婦がいて、それぞれスタイルも違っているように見えるのだけれど、比較するということはしなかったのだろうか。
限界まで働くことが美徳とされたのは結構最近までだったように思う。
だから、りんのような人もたくさんいたし、それで辞めるという判断をするのが少し腑に落ちない。
ツヤさん解雇になっちゃったか。
失敗も間違いも許されない現場だということは嫌というほど分かっていただろうけれど、無理が重なってしまったからね。
だからといって許されるわけじゃない。
りんも疲れているだろうことはわかっていたはず。
どうするのが正解だったんだろうね。
仕事を減らしたら受講料も払えないし、生活も成り立たない。
看病婦のままだと先細り。
医院長の言う通り社会の仕組みの問題ではあるのだけれど、こういう問題を切り捨てていった先に良い世界が待っているようには見えない。
りんが渡した先生の置き土産の本。
やっぱり少しりんはズレているのか、それともあれで発奮できるツヤさんなのか、どちらなのだろう。
見ていて少し嫌味に感じてしまった。
ツヤが解雇になってしまったのは切ないけれど仕方ない。患者にとっては看護婦だろうと学生だろうと寝不足だって関係ないからね。見せしめではないけれど学生たちの気も引き締まるだろう。やればできる、という体験をしてきた人は他人もそうだと思いがちなところがある。りんにとっても気付きを与えてもらったと思って精進してほしいね。看護の仕事の線引きだけど病室から動けない人の手紙を出すくらいは臨機応変にしてあげてもいいと思う。頭でっかちは看護に向いてないよ。
りんは婚家で苦労はしたけれど、基本的には優秀な才女っぽいからね。
先生や喜代さん、フミさんの言おうとするところが理解できないんだろう。
読み書きが難しい人に、さらに禅問答のような「看護とは何か」という読み物まで与えて負担を増やす。
もう何日も帰っていないと指摘されても、その先が想像できない。
根本的に何かが足りていないような気もする。
ただ、新人看護婦が看護婦見習いを束ね指導する。
いっぱいいっぱいなんだろうなというところはわかるからそのせいだと思って見ていたらいいのかな。
これって単純にプロとしてどうこうという話ではなく、根本はどこからどこまでが医療であり看護か、どこからどこまでが福祉か、どこからどこまでが奉仕か、という問題であり、現在でもそれをはっきりと線引きするのは難しい。しかも看護ははじめキリスト教的な博愛精神が根本にあったから、きよみたいに奉仕の面も強かった。
更に個人レベルに落とし込むと、あの看護師はここまでしてくれたのにこの看護師はやってくれない、という個的なサービスの差で患者からのクレームにつながり得る。
それらの問題に、どれくらい突っ込むのかで、この朝ドラの意味が問われかねない。
そしてツヤだけど、りんはまだ指導者としては未熟だね。でもそれはいきなりの立場だし、仕方がない。問題はここから何ができるかだと思う。
教えることの難しさ、学ぶことの難しさ、その両方が見えてきました。
包帯を巻くにしても、ただ巻くだけなら子どもでも出来る。でも看護として巻くのは別。幸い学ぶ気持ちはあるようだから、よかったけどね。
ツヤは懸念していた通り、基礎学力のところで苦戦している。戦中や戦後すぐだと小学校もろくに行けなかった子もいた。ましてや明治、ましてや女性、ましてやバツイチ。頑張って欲しいけど前途多難だ。
ツヤに対して同じ看病婦のフユが微妙な視線を送っていたけど、その視線が羨望なのか心配なのかだね。
羨望ならわかりやすい。でも心配の方はちょっと重い。りんたちと違って学習期間が1年なら相当ハードに学ばなければならないし、そもそも普通に英語も理解できる学生たちだからね。直美が言っていたようにレベルが高い。そこで学ぶのはどれだけ実践経験があっても、ツヤには荷が重そうに思える。プロだからこそ、意欲だけではダメだしね。
まあ給料は仕方がない。いきなり海外のプロと同等とはいかないだろう。
そしてシマケン。ようやく納得がいくものが書けたらしい。さて周囲の評価はいかに。
昔は代用教員など、十代で先生なんてケースもあったし、パイオニアの人材を有効に活用しようというのはわからなくはない。そもそも明治のパイオニアたちなんて、わずかな期間外国で見聞したくらいでも専門家扱いされたわけだしね。
ちょっと生意気そうな学生もいたけど、教えるという行為は案外自分たちの学びとして返ってくる部分もある。この先、そんな展開になるのかな。
安、結婚辞めるのやめたってすぐに撤回してちゃんと結婚できて良かったね。主人公じゃないからっていうのもあるけど白無垢姿は見たかったなー。りんたちの卒業写真は歴史上残っているものにそっくりで胸が熱くなったけど看護の部分といえばそれだけ。みんなでお出かけも頓挫するしここはいい場面になりそうだってところが削られるのはつまらないよね。で、看護より恋。コタロウが今まで独身だったってことにも驚いた。農家の子って結婚早そうだからさ。
シマケンVS虎太郎ですか。バツイチ子持ちであっても、りんはもてますね。
虎太郎は出世イコール幸せに結びつけちゃったけど、果たしてそれが吉と出るか凶と出るか。いざ結婚するとなると、経済力はあった方が良いとはいっても、極端に貧乏というほどでないのなら、価値観の一致の方が重い気がする。特に女性も職業をもっていればね。
別にどっちとゴールインしてもいいんだけど、再婚しないのもありだと思う。
安の恋愛話が終わって、いよいよ看護婦としての勤務の話かと思ったら、次はりんの恋話か。
仕事一辺倒にはできないのはわかるけれど、さすがに寄り道が多いかな。
りんの周りだけではなくて、もう少し直美の心の変遷とかを丁寧にやって欲しい気がする。
モデルと設定を大きく変えた理由があるはずだから、余計に気になるのだ。
家庭というものを知ったというのが今週の変化なのだろうけれど、それが今後の看護の話と繋がっていくのだろうか。
虎太郎はずいぶんと上昇志向が強いようだけれど、恋話ではなく、どこかでりんたちの夢を財力で後押ししたりする関係で出てくると良いなと思う。
どんなことでもファーストペンギンになる人は、多くの人に支えられてそうなるのだと痛感させられます。りんたちの努力はもちろん大事ですが、バーンズ先生はもちろんのこと大山捨松などの支援者のみならず、看病婦たちや患者たちにも支えられていたわけで、そのことは今の現実の世の中でも大事な視点だと思います。
安は無事に槇村兄と結婚に至るようですが、やっぱりあの騒動は蛇足だった気がします。
バーンズ先生、夢半ばで母国へ帰るのか。
学校もなくなって、教える場そのものがなくなるから仕方ないかな。
生徒たちに夢を託したけれど、引き継ぐのは4人だけ。
結婚したい人が看護婦を続けるのはやはり無理だったし、奉仕寄りの人も仕事と割り切るのが難しかった。
ただ、もう少しそのあたりの葛藤を描いてほしかったかな。
更に二人、看護師への道を選ばなかったか。でもそこはやむを得ないかな。人それぞれ事情があるし、少なくともある程度は自分で選択できる余地があったことは、この時代の女性たちとして考えればラッキーな方だろう。
今の人にとって当たり前の「夢」だけど、この頃はまだ寝床で見る夢なんだね。時代の変化がよくわかる。
それにしてもたまきはあの年齢で如才ないね。大したものだ。家族だけでなく、いろいろな人に面倒をみてもらった子どもは、良くも悪くも大人になるのが速いもんね。
「結婚やめる!」から「結婚やめるのやめる」までの間に宗一さんの気持ちも動くからねぇ。破談を無しにする方へ「いいですよ!」と返事してくれればいいけど。でも奥様になりたかったとか恋なんかしなくても幸せになる道をとか言う安は素直でいいと思う。漠然とあがりになっちゃうより自分の素直な気持ちを言えてよかったんじゃない?それを宗一さんが面白がってくれるという新しい一面に恋が始まったみたいだし。とにかく安が可愛い!若いっていいな。
改めて…最初重くて暗くてイライラしながら我慢して観てたら盛り返してきたから耐えてたけど、また何かイライラしだして思った。話の内容も全員の喋り方も明るさポップさが基本無いから益々重く感じてイライラするんやこの朝ドラーっ!!…また離脱寸前な訳で…
おや、理解力と優しさにあふれる槇村兄の素顔を知って、安は再び結婚に前向きになりました。まったく現金なものですが、憎めないのはまだ彼女がうぶな少女ともいえる年齢だからでしょう。覆水盆に返らず、にならなければいいのですが。
シマケンに記者にならないかと勧める新聞社の人の言い分だけど、個人的には記者と小説家は全然違うと思う。これって婉曲に小説家になるなんて諦めろと言っている。さて、どうする、シマケン。
安は変化を怖がっているのか、それとも環が心配なのか。
結婚を辞めると言い出した。
今と違って、嫁ぐということは他家へ入るということで、完全に相手のしきたりに従わなければならない。
りんの失敗もあって、余計に不安になったのだろうか。
それにしても宗一さんは革新的な考えのように見える。
結婚に対して積極的でないのはいつの時代にもいただろうけれど、親を挟まないで話し合うなんてのはこの時代には考えられないことだったのでは。
たとえ見初めたとしても、仲を取り持つ人を立てて、それから縁談へという流れだと思うのだけれど、さすがにシマケンさんではその役は不適当だと思うのだが。
どちらにせよ、結婚を辞めるのを辞めるなんて言い出して、上手く取り消せるのか。
宗一さんがどのように親に話をしたのか、それともまだなのか。
話し方によっては義両親の心証がずいぶんと悪くなるんじゃないのかな。
安ちゃんそれはマリッジブルーだよ。自分から好きになった相手でも結婚が決まるとほんとにこれで良かったのかと悩んだりするもんだよ。それにしてもあれほど一ノ瀬家や武士の出を重んじていたのに婿を取らないんだね。安が出て行ってしまったら環に家を継がせるのか?母上がそこら辺のことをこだわらないのが不思議。相手も適齢期だから結婚するみたいな言い方は適切ではない。せめて安が好きだから結婚するって言ってほしいよね。
ほんのちょっと前までは「奥様」がすごろくのあがりで正解だと強弁していた安が、結婚直前になってそれに疑問を持ったようだ。今もマリッジブルーってあるし、人生の大きな岐路だからこそ、それまでに考えなかったことや見ていなかったものが気になってくるのだろう。まあ結果はどっちでもいい。女性がまだまだ自由には生きられない時代に、自分で自分の人生を真剣に考える人が増えたことが未来につながっていくのだから。
そしてバーンズ先生が大山捨松に会いに行った。この頃だと旦那の大山巌はまだ伯爵かな。いかに伯爵夫人でも帝大に圧力をかけるわけにもいかないし、りんたちの働くところをあっせんしてもらうのが目的だろうか?
国内初めてのトレインドナースの話に期待していたが看護の話よりも横道が多くて内容が薄まってしまって残念だ。明治時代に女性が外で働くことの大変さや人身売買で体を売る女性の話など、その時代の女性の生きづらさをあっちもこっちもかいつまんでいくからぼやけてしまう。虎に翼みたいな職業を突き詰める感じがないところや同志の結束力も弱いところが人の心を掴まない。直美も母がいた遊郭の主人にまで辿り着いたのに肝心なことは聞かない。全体的にながら見で済んでしまう軽さだ。
帝都大学病院に看護科ができることで、次年度以降に女学校の看護科の生徒たちを見習いとして受け入れることは無いと先生たちにも伝わった。
きっと病院側は、もっとギリギリまで隠しているつもりだっただろう。
それがバーンズ先生の堪能な日本語のおかげで早くに知れたということか。
今の見習い生たちが大学病院に就職することも無いように先生たちの間では話していた。
卒業しても仕事をする先が無いということか。
女性が一人で生きていくための仕事として看護を選んだ直美とかを思うと、まだまだ辛い道があるのかもと思えてきてしまう。
新しい道を切り拓くって、やっぱり順調にはいかないもので、たくさんの壁があるんだなと思う。
帝都医大のやり方は汚いけど、先駆者は道を切り開き、2番手や3番手がその道を広げる形になる。残念ながらそれが世の常。バーンズ先生の「お褒めにあずかり、恐悦至極」というかしこまった言い方は、彼女のプライドと同時に外国人にそう言わせる校長への当てこすりでもあるのだろうね。
槇村弟の求婚には驚いたが、納得させられたのはシマケンの「助けたんじゃない。助けられる自分でいたかっただけ」という言葉。これは夕凪を助けたかったというより、りんを助けたかったってことだろう。虎太郎もやってくるようだし、これはいよいよりんを巡る恋愛話が花開きそうだ。
夕凪の件は結局、結果オーライだっただけで、脚本としてはあまりにもご都合主義。個人的には納得がいかない。
たまたまシマケンの記事が功を奏しただけで、看護についても、廃娼運動についても、直美の母親についても、あるいはシマケンの文学論についても、すべてが中途半端。どれひとつ、ちゃんと向き合っていない。まるで目次とかヘッドコピーだけのような薄っぺらさを感じる。
もう少しちゃんとどれかに踏み込んだ内容にして欲しい。
遊郭の主人が言うには、夕顔のお話に同情した人たちがお店におしかけ、客足も遠のき、あげくに闇討ちにあったとか。
今まで散々遊郭通いをしていた人たちからも非難されて、それでセツには戻ってもらったら困ると言う。
シマケンの記事で、セツは解放された。
でも、他の遊女たちは?
働く場を奪われ、解放もされずってことなんじゃないだろうか。
このドラマを見ていてすっきりしないのは、いろんなことが表面的に動いているからのような気がする。
病院側は直属の看護学校を作ることにしたらしい。
当然、今後の見習いの受け入れはなくなるだろうし、良いとこどりをするつもりなのだろう。
梯子を外される形になる彼女たちや学校側はどうするのだろうか。
シマケンが記者ならば、本人に取材もせずに書いたことは確かに誠実さに欠ける。でもあくまでフィクションとして書いている前提なわけで、ここでシマケンが個人的に謝罪するとしたら取材しなかったことではなく、モデルにしたフィクションを書くこと事前に知らせていなかったことだと思う。
それにこれは本当に看護だろうか?
今の時代なら間違いなくソーシャルワーカーなど、看護以外の仕事が混じっている。明治期だし、まだ看護の仕事が確立していない時代だからやむを得ないのかもしれないけど、今の時代に作られるドラマだからこそ、必要な問題提起はして欲しい。
「ばけばけ」のおなみさんを思い出す。
あちらはケロッと明るい女郎さんだったけれど、それでもラシャメンになってでも外に出たいと言っていた。
セツさんは一生分の親切をもらったと言っていたけれど、それは看護だと直美は言う。
少し入れ込み過ぎだし、付き添い過ぎなんだけれど、それでも看護には違いない。
誰でも公平に看護が受けられるべきというのは、この時代には高い理想だ。
シマケンが第二弾の記事を書いた。
夕顔に同情する人たちが増えていく。
女郎さんの立場への理解も少しは深まっているようだ。
文字はたしかに力を持つ。
ただ、取材もせずに書いたことは不誠実だったかもしれないが、そこから何かを得たようにも見える。
シマケンさんの第三弾はあるのだろうか。
なんか夕凪のエピソードになった途端に違和感が多い。直美とのシーンは母親とのつながりもあるから良いのだけど、りんはどうなのかな。シマケンのところも首を傾げる。
ここは母親との関係もあって首を突っ込みすぎる直美と、ちょっと冷静なりんという対比を作った方がよかったと思う。二人がこの先どんな看護師になるのか、見えてくるシーンに工夫すればもっと「日本最初の看護婦」たちの成長がリアルに感じられたのではないかな。
シマケンだけど、日本の近代文学はこの頃。ようやくよちよち歩き。それこそ作家のの表現力やテーマ性なんてものは意図せず生まれるもので、新聞の編集者が言うような書き方は今の放送作家とか脚本家に求められるものだと思う。
夕凪を助けたいというりんたちの気持ちはわからないではない。でもそもそも廃娼運動の件で新聞社を訪ねる前に、そんなことに夕凪が関われば彼女が不利益を被る可能性くらい想像できた筈。自分が考えなしに動いた結果だし、シマケンは自分ができることをやってくれた。それを夕凪の了解も得ず、勝手に動いたりんが批判できる立場じゃない。シマケンを怒るなら、自分自身にも怒るべきだ。
人を助けるなんて簡単に口にするけど、神様でもない、王様でもない、資産家でもない、政治家でもないただの庶民が、誰か他人を助けるなんてそんな容易なことじゃない。他人に出来ることなんてたかが知れている。まずは誰かを助けてやるという傲慢さを捨て、自分がやれることは何なのか、考えてほしい。
死ぬも地獄生きるも地獄とはこのことか。そんなに好きでもないけれど一緒に死のうと言われたらそれもいいかと毒を飲む。そのまま死ねればどれだけ楽だったことか。女郎1人逃したところで世間は変わらない。遊郭が無くなった今だって体で稼いでいる人はいるし根は深い。そして逃したことが分かったら凛たちだけじゃなくトレインドナースの研修も続けられないかもしれない。やることは人助けだけど借金の踏み倒しでもある、結構なピンチだな。
直美の母親探しだと思っていたら、廃娼運動につながっちゃったか。広く見れば女性の自由な権利の獲得という点で結びつきはするけど、せっかくなんだから看護という視点をもっと掘り下げた方がいい気がする。廃娼運動だと人権とか法律の問題になるし、貧しさから身を売る人が多かったわけで、廃娼するなら同時に貧困の問題も解決しないといけない。となると政治がらみの話になって、看護というところから焦点がボケてしまうんじゃないかな。
まあこれからどこまで踏み込むかだけど、当時の世相や抱えていた問題を取り込むのはとても良いと思う反面、手を広げすぎず、そのテーマをできるだけ丁寧に描く方が朝ドラには向いている気がする。
直美の母と思われる人物と同じ名前を持つ遊女が心中事件で運ばれてきた。
彼女の言葉からだと、無理心中に近くも聞こえる。
死にたがってたのは亡くなった彼の方。
夕凪にはヒ素なんて毒物を用意できなかったんじゃなかろうか。
それでも、生き残ったら迷惑料やら入院費やらそっくり借金に上乗せされて今まで以上に客を取らされるのだろう。
生きても死んでも地獄。
どうして助けたという言葉がどれだけ悲しみを持っているのか。
りんは瑞穂屋へ助言をもらいに行く。
社会が変わらなければと、新聞を見せられる。
怖いもの知らずの行動派なりんは書き手へ会いに行く。
そこで何を知り、感じ、どう動くのだろう。
女郎だからというのは、突き詰めれば家が貧乏だったということ。今の日本は財政は厳しくとも国民皆保険のおかげで、ある程度貧しくても医療を受けられるけど、先進国であってもアメリカなど多くの国では貧しければ医療は受けられない。医療は決して平等ではない。
このドラマでは、それを過去のことにしない普遍的な問題として踏み込んでほしいね、この国だってそのうち、アメリカのような金持ち優遇独裁国家になって、自己責任という名で弱者を切り捨てる日がくるかもしれないし。
吉江から見る直美は大きく成長している。同年代の同じ目標を持つ友だちが出来たことで、彼女がこれまで知らずに育った充足感を感じ取ったのだろう。
一方、安は姉とは違う価値観を披露した。この時代、その考え方は別に間違いではない。同じ姉妹でも父親をあんな形で看取り、婚家でひどい目にあった経験を持つりんと、そのどちらも経験していない安では考えが違って当然だろう。
まさにそれらも含めて、向き不向きなんだろうと思う。
実習とは自分の適性も見るところだからゆきの判断は間違っていない。そして人の死というものを体験した人としていない人とでは大きく違うのも尤もだと思った。そこで自分がどう感じどう気持ちに折り合いをつけていくかが人間として成長することでもあると思う。ゆきが乗り越えられなかったとか弱かったとかじゃない。自分を俯瞰で見て違う道をと決断したゆきは強くて賢いと思った。憧れと自分の職業は別なことは多い。ちゃんと自分のことを決められるゆきは幸せになると思う。
病気も死も、誰にでもどんな人にでも公平にやって来る。
その理不尽をトメは知っていた。
知り合った人の死は誰でも辛く悲しい。
でもそれが耐えられないのであれば看護婦は続けていけないだろう。
助けたいという気持ちが人一倍強い人がなる職業であり、それでいながらたくさんの人を見送らなければならない仕事。
自分が続けることは患者さんに誠実ではないと言い切ったゆきは本当に看護婦という仕事を大切に思っていたのだとわかる。
だからこその撤退に涙でハグした先生。
向き不向きの大きな職業だからこそ憧れだけでは難しいんだなと思った。
人って、出来ることとやりたいことがなかなか一致しない場合って多い。いくら好きでも、どんなにやりたくて努力しても、さまざまな理由でうまくいかないことは山ほどある。だからゆきのように自分には出来ないと決断するのも難しいし勇気がいる。
どんなことにも向き不向きがあるし、それでも頑張るのも美徳、潔く諦めるのも美徳。いずれにせよその結果に自分が納得できることが大事なんだろうと思う。
ゆきが違う道で良き人生を歩めるといいですね。
小野田さんが亡くなった。
ゆきさんは、やはり入れ込み過ぎていて落ち込みようがひどい。
同じように小野田さんに接していたように見えるトメさんだけれど、彼女は少し患者さんと線を引いていたように思う。
ナイチンゲールに憧れて看護婦を目指していたゆきさんだけれど、患者さんが亡くなることもあることを理解してなかったのだろうか。
それともわかっていても、なのだろうか。
看護婦になって、患者さんが亡くなることも度々あるだろう。
時代も時代だし、そんなに今のように医学が進歩しているわけではない。
毎度今回のように落ち込み寝込んでいては仕事にならない。
先生の特別授業で何を語るのだろうか。
ゆきの純粋さもショックもわかる。でもそれをカバーするトメの強さや冷静さも褒めてあげたい。二人の生い立ちや育ちの違いはあるのだろうけど、一方の優しさも一方の強さも、共に人として大切な部分だからね。二人に限らず看護師である前に人としての振舞い方が一番大事。
さてバーンズ先生ですが、どんな「授業」をするのでしょうね。ナイチンゲールはクリミア戦争の従軍看護婦だったし、日本もこの後、戦争がある。そもそも戦争はなくても、人は必ず死ぬ。医療に関わる以上、それと向き合う必要があるからね。
フユさんの旦那さんが〇〇なんてが口癖になってしまったのは分からないでもないよね。自分が怪我さえしなければフユさんや子供を外に出して働かせることはなかったという負い目がそうさせるのだ。フユさんのことを貶めたくて言っていたんじゃなくて口癖になってしまっていたのかも。でもそれが2人をもっと窮屈にしてしまっていた。直美とりんが来ることで風通しが良くなって2人にも風が吹いた。人と関わっていくって大事だなと思った。