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| 脚本・ストーリー 2.8 /5.0(55%) | 1037位 /1304件中 |
| キャスト 3.0 /5.0(60.4%) | 1062位 /1304件中 |
| 演出 2.8 /5.0(55.6%) | 1046位 /1303件中 |
| 音楽 3.0 /5.0(60.8%) | 852位 /1304件中 |
| 感動 2.6 /5.0(51.6%) | 919位 /1299件中 |
| 笑い 2.4 /5.0(47.6%) | 877位 /1299件中 |
| スリル・興奮 2.7 /5.0(53.4%) | 958位 /1297件中 |




シマケンが再登場したと思ったら、最後に顔を見せたのはりんの元旦那である亀吉だよね。何を今更という感じだけど、看護のことで相談だったら、まあ許そう。まさかとは思うけど、たまきのことならぶっ飛ばすべき。
そのたまきだけど、いつの時代も社会に出る時にいろいろ悩むのは世の常。父親になるかもしれなかったシマケンなら、相談には乗ってくれるだろう。でも最後に決めるのは自分だからね。母親の姿に流されず、よく考えるといい。それにしても亀吉がうざ絡みしそうだよ。
今もそうだけど流行ればいろんな人が似たようなことをやり始めるから派出看護がそれだけ認知されてきたってことなんだけどね。ただ評判を落とされるようなことをされたら困るのでこれが看護師免許とかそういう話に繋がるのかなと思う。吾郎さんが亡くなったところに寛太が現れる‥りんや直美の周りにはいろんな男性が入れ替わり立ち替わりくるんだよね。恋愛要素って無くちゃだめなの?次週はシマケンだけじゃなく元夫も現れる予感‥お腹いっぱいです。
りんの言う通り、看護は命に係わる仕事だ。
家事手伝いの延長でやっていたら、そのうち事故が起こる。
でも寛太がやろうとしていることも悪い面ばかりではない。
どうフォローするかというところで、何かあったら近くの直美たちを頼れというのはアリだろう。
セツだけを救って何かが変わるわけではない。
でも、できることからというのは何事もだ。
しのぶさんの心意気が素敵だし、そしてセツさんへの態度がとても優しい。
あんなにしゃなりしゃなりとした動きだし、ふわふわした語り口なのに、出てくる言葉は力強くあたたかい。
女っていうだけでハンデなのはみんな一緒というところで、ちゃんと同士だと見ていてくれている感じも良い。
セツに文字を教えているところも褒め上手だし、いいお母さんなんだろうなと思いながら見ていた。
なのに…またシマケン。
りんとシマケンのパートがただひたすら時間が長く感じるので、そこは駆け足でお願いしたい。
女性が自立して生きるにはいろいろな苦労がある。セツさんに限らずね。限られた選択肢の中で、どうあれ良い縁を選び取る。人生はそれが何よりも大事だったりする。ゆっくりでもいいから読み書きを覚え、算術を覚えれば、今よりは騙されにくくなるし、道も広がる。そこが大事。
そしてなんとシマケンが再登場。実家の方は片が付いたようだ。ここからりんと再びなんてことがあるのかな。
寛太はやはり根っこは悪い奴じゃないんだろうな。
看護婦が儲かること、女性でもできることに目を付けて、弱い立場の女性たちを働かせているのだろう。
女性たちにお金を配る時の声掛けが、とても優しいと思う。
セツさんが自由になれたのは良かったけれど、やはり上手く生活していけなくて女郎に戻りそうだったのを寛太が止めた。
知識のない人たちに看護の仕事をさせるのは危ういのだけれど、それでも大半の命に別条のない病気の場合はなんとかなってしまうだろうし、それで生きていける女性が増えるのは悩めるところだ。
最後にセツが慌てて入ってきたのは患者の急変だろう。
こういうこともあるから正しい知識が必要だ。
締めだすのではなくて教育する流れになるのだろうけれど、先日出てきた柳生さんもきっと関わってくるんだろうな。
セツさんが再登場。確かに女郎をやめて一時は自由でも、人は生活していかなきゃいけないからね。学もない、家柄もない女性がひとりで自立するなんて、いまだって簡単なことじゃない。結局は逆戻りということもある。実際、寛太がいなければそうなっていたんだろうし。
寛太は決して善人ではないけれど、人の世の機微がよくわかっている。そもそも看護婦に関する法律や規制があるわけじゃない時代だし、犯罪行為というわけではない。その線引きは必要としても、じゃあ帝大病院にいた看病婦と何が違うということにもなる。
ともかくセツたちのような女性を助ける道は必要だよね。働く気がないわけじゃないんだし。いつの時代も本人のせいではない不幸は、少しだけ社会が手助けしてあげられればいいんだけど。
再登場の柳生ですが、実は看護婦会のことをすでに調べているようだし、彼には彼の思惑がありそうだね。まあ省庁が動けば、それはひとつのルールになるから、資格をどうするかなど、考えるべきことは沢山ありそうだ。
しのぶは若い頃よりもフットワークが軽くなったね。それに強くなった。りんや直美とは違う道を歩み、違う経験をしたけれど、ちゃんと成長している。これからも貴重な戦力になってくれると思うよ。りんたちにとっては心強い仲間がパワーアップして帰ってきたというところかな。
少し有名になれば、必ず二番煎じが出てくる。それが良いものなら互いに切磋琢磨していけばいいけど、粗悪なものだとその業界自体がしぼんでしまいかねない。こういうのは本来は行政が規制しなければならないんだけど、いつの時代も行政の動きは遅くなる。だからといって殴りこむわけにもいかないしねえ。
それにしても環はすっかり大人。明も随分成長した。そのわりに若いりんと直美。無理に老けさせる必要はないけど、もう少し工夫があってもいいかな。
虎太郎は生きていて良かったけれど、ある種のPTSDみたいになっていますね。まだ1970年代くらいだと似たような症状のじいさんが時々いたし、ベトナム戦争帰りの米兵にもあった。確かに虎太郎の言う通りで戦争は人を選ばない。でもそれは病も同じ。だから吾郎のような犠牲も生まれる。まあ少なくとも海軍で脚気は少なく、軍医総監である高木たちはすでに世界で初めてビタミンの存在に思い当っていた。でも陸軍の森林太郎が強硬に否定したことで、陸軍に偏った脚気の死者が出たのだから人災でもあるけど。
捨松の嘆きもわかるものの、ナイチンゲールもクリミア戦争で評価されたわけだし、人は自らが何らかの痛みを感じてはじめて悟ることもある。ここからもう一段、ステップアップしないとね。
虎太郎は戦線よりずいぶん後ろにいたと言っていた。
それでもカラスの鳴き声にすら怯えている。
どれほどの緊張感の中にいたのかと想像してしまう。
何もできなかったという無力感。
生き残ってしまったという罪悪感。
いろんな思いを紛らわせるためのものが、人によって仕事だったりお酒だったり。
捨松がこれからこそ看護婦としての戦いが始まると言っていた。
今までは知ってもらうための努力。
そして、これからは中身を問われることになる。
戦って死ぬ人よりも栄養失調で死ぬ人が多かった??この頃からそんなことが起きていたのだとしたら第二次世界大戦なんて勝てっこないって普通に考えられなかったのだろうか。もしかしたら怪我をして戦いに出られない兵士には満足に食事も与えられなかったのかもと考えると胸が痛い。明と入れ違いでこの世を去った吾郎はさぞかし心残りだったろう。我が子に会いたい、お母さんになった直美に会いたい。2人がお似合いだっただけに悔やまれた。
吾郎さんは脚気だったのか。
当時、特に陸軍では脚気は感染症説が唱えられていて死亡者が多かったと聞く。
脚気だとわかっても治すすべがなかった。
ビタミンB1不足によるものだというのは、日露戦争の後でわかったことだ。
吾郎さんも悔しかっただろうけれど、多江さんたち医療関係者もどれだけ悔しかっただろうと思う。
台湾に転戦し、崖から落ちる前からおそらく脚気の症状が出ていたのだろう。
ボタンの謎も解けた。
吾郎さんは少し子どもっぽいところがあったんだなと思う。
だからこそピリッとして優しい直美に惹かれたんだろう。
文句を言いながらボタンを付ける。
涙の向こうに笑顔でまたボタンを取る吾郎に馬鹿と声をかける直美。
何度も描かれてきた不器用でも真剣に手慣れた手つきでボタンをつけるシーンに心動かされる日が来るとは思いもしなかった。
吾郎は戦死じゃなく、脚気による病死か。陸軍の白米至上主義による脚気のせいで、戦死者以上の病死が出たのがこの戦争。間違いなく陸軍の軍医総監だった森林太郎(森鴎外の本名)に責任の一端はある。文人としては一流だったけど、隠れた戦犯と言ってもいい。
りんが明を預かったのは、まさにひとりで泣いてこいという心遣い。泣けなかった直美が、しっかりと泣けてよかったね。
戦争が終わったからといって、すべて平和になってみんなが戻って来るわけではない。
地方では小競り合いが続いているところもあるだろう。
吾郎さんは台湾に渡り、そこで怪我をして広島に運ばれた。
台湾から広島はずいぶんと遠い。
いったいどれくらいの時間をかけて運んだのだろう。
たった1ヶ月のことで吾郎さんは明に会えなかったのか。
この時代、まだ抗生物質などはなかったと記憶している。
戦死もあったけれど病死が多くて、昭和の初期でもどんな傷でも命を失うこともあった。
私の曾祖父も若くして子どもたちを残し敗血症で亡くなっている。
それでも泣いている暇もなかったと伝え聞いていた話と、表情なく子どもの世話をする直美の姿に曾祖母の姿を重ねて見た。
直美さんは母親になることがきっと怖かっただろうな。
母親に甘えたことがない、名前すらもらっていない。
それが文さんの愛情だったということがわかっていても、同じようにひとりで生まなければならない日が来そうな予感は心が潰れそうになるんじゃないか。
自分の不安や心の内をさらけ出して、吾郎さんも直美さんのぐちゃぐちゃな感情の中に強さやたくましさを見てというシーンななかなか良かったと思う。
思っていることを口の端に上らせることをあまりしなかっただろう明治の人たちだけれど、あの夫婦に限っては元から異質だからありだろう。
言い合ったから、明るい未来にたどり着いた。
そして愛おしい名前もついた。
直美さんと子どものためなら戦えると言っていた吾郎さん。
名前まで決まっていればなおさら力は出るだろう。
でも、近衛師団。
どうか生きて帰ってきて欲しいと切に願う。
吾郎がいよいよ出征です。本当に死んでほしくないなあ。子どものためにはもちろんだけど、孤児だった直美のためにも、そして本人のためにも。でも戦死するフラグだよなあ。とはいえ、この大事な場面で平蔵も出てきているし、怪我をして障害を負うけど生き残るっていう可能性もある。
「明」という名前、確かに何でも明るい方が気持ちは少し楽になる。良い名前だ。だからこそ明るい父親として戻って欲しい。ここから軍人には厳しい時代がやってくるけど。
上官だかなんだか知らないけれど目をつけられている人のところにわざわざ行ってあれこれ世話を焼かなくてもいいのに、と思ってしまった。多分なんであいつばっかりという子供じみた考えで文句を言ってるだけだから刺激しないのが1番、部屋を変えたっていいのにね。言っても分からないやつは分からないよ。自分もお世話になってるのに意味不明だわ。あなたは看護は要らないのねって別の部屋に移動してもらうのがいいかも。男の嫉妬はめんどくさいわ。
結核を患った先妻の子って、大山信子だね。徳富蘆花が「不如帰」という新聞小説のヒロインにしたてあげたことで、後妻の捨松があることないことバッシングを受けた。後に芝居や映画にもなったようだ。今の時代におこる風評による炎上に似ているかな。青空文庫で読めるから、気になる人は読んでみてください。
でもさすが反骨の人でもある捨松だ。自ら動き、言うべきことは言う。こういうふうに陸軍大将夫人の肩書をうまく使うこともまた、その地位に見合った仕事だと思うね。
直美がおめでた。よかったね。吾郎は優しい父親になりそうだし、直美は厳しいけど強い母親になりそう。でも戦争がねえ。とにかく吾郎が心配だ。何となく虎太郎は日清戦争に巻き込まれて亡くなり、吾郎は日露戦争の203高地あたりで戦死しそうな気がする。とりあえず吾郎に子どもの顔を見せたいよね。
捨松は赤十字関係か、それとも従軍看護婦の話かな。いずれにせよ妊娠中の直美は無理だから、りんが動くことになるのだろうね。
吾郎は軍人だから仕方ないにしても虎太郎の出征は志願なんだよね。まだ出生が幅を効かせる時代だから虎太郎はうんと頑張らないと出世できなかったんだと思う。たくさん苦労があったんだろうな。シマケンよりよっぽど男らしく、自分の道を切り拓いていく賢さと度胸があるよね。多少モラハラっぽいところもあったけど今となっては無事に帰ってきてほしいと思うばかりだ。直美と吾郎夫婦が好き。すごーく幸せそうな雰囲気がいいんだよね。直美には安息の地だからお別れはない方向でお願いしたい。
シマケンはいったい何者だったのだろう。
あっさりと一ノ瀬家へ入り込み心の中に住み着いて、それでいて何者でもない。
いいとこのボンボンで人当たりが良いからこその立ち位置だったようにも見える。
何も詳しいことは語らず去ってしまって、何事もなかったように日常が2年も続いている。
ただただ戦争の足音が近づいている。
虎太郎はきっとご維新前のご家老の娘と小作の息子の関係から抜け出せないのだろう。
どこまで上り詰めたらそのコンプレックスは消えるのか。
傍から見たら十分に頑張っているし、出世もしているように見える。
それでも本人にしたら不十分なのだろう。
虎太郎のこともだけれど、吾郎さんのこともこの先を考えると心配だ。
個人的主観ながらドラマ始まりのツカミ失敗して離脱しかけたけど看護学校辺りから盛り返して来たりしたけど基本的にトーンが静かというか活気がないという雰囲気や脚本に多少イライラもする中、主役それぞれの美貌さ楽しみにしようと思ったらやたら恋愛話になり始め、直美の相手の軍人役の役者がどうも好きになれなくて一気に冷めてしまい、正式に離脱しました…ごめんなさい
大本営を設置し、朝鮮に兵を送ったということは、あとおよそ一年後には日清戦争となる。いろんな説はあるけど、戦死者の約10倍の病死者が出る。まあ太平洋戦争も戦闘による死以上に餓死や病死が多かったんだけど。何にしても多江のような看護婦は間違いなく必要とされる。ナイチンゲールも看護婦としてしられるのは戦争のせいだしね。
どう見ても虎太郎とりんの別れは、虎太郎が戦争に巻き込まれて亡くなるフラグだよね。吾郎も出征するんだろうな。平蔵じゃないけど、手柄なんていらないから、生きて戻って欲しい。といっても日清戦争のあとは10年もせずに日露戦争があるし、生き残る気がしないんだけど。
これがシマケンなりのけじめなんだろうね。りんもシマケンについて行ったら行ったで、それなりに幸せだったんだろうけど、自分のやりたいことに気づいてしまった以上、追いかけて行くという選択肢はないだろうし。
まあシマケンが実家のことを片付けて、生活の基盤を作り、まだその時、りんが独り身だったら、改めて口説くというのもありなのかな。もてるりんがどうなっているかはわからないけど。
シマケンと別れるしかないでしょ。これで直美が詐欺師を使いシマケンの兄貴を見つけ出しみんなハッピーは流石に見たくない。そもそもシマケンの新聞掲載もスポンサーのご子息作品の横やりでありシマケンの作品そのものの評価が左右したのだろうか?そこを曖昧にされてだれも怒らないのはなんかもやっとする
シマケン、悲恋の予感。だってりんが浜松に行くわけないよ。直美ひとりでは回らないし、環や母親のことだってある。そのうえにシマケンの実家の尻ぬぐいだなんて受け入れられないだろう。いくら愛だの恋だの言っても、二人で乗り越えられる部分なら、貧乏でも忙しくてもなんかなる。でも二人だけでどうにもならない部分は、それこそどうにもならない。
残念ながらシマケンはこれにて退場かな。でもりんが虎太郎と結婚するとは思えないし、横沢もないと思うんだけど。
ここまで引っ張って新聞に載るところまできて落とすのは気の毒よ。のらりくらりと生殺しにして本人が諦めるのを待ったのかもだけど、もっと早く忠告してくれる人がいれば違う道もあったと思うとかわいそうになってくる。ただ芸術はいつ生まれるか分からないから困るよね。次の作品が当たるかもしれないと思うと身を引く時が分からなくなってしまう。ただお兄さんが失踪し実家の借金の問題もあるし、今がタイミングなのかもね。りんとはお別れなのかな?
「才能がない」というのはシマケンにとって相当ショックだよね。こうなると兄のこともあるし、りんのことは諦めて、実家に帰ってしまうかもしれない。
それにしても「才能」ってよくわからないなあ。特に「力が感じられない」ってただの主観だしね。特に明治の頃は近代文学の萌芽期であって、何が文学的な正解なのかよくわからなかったように思うし。たとえば夏目漱石は今でも読めるけど、森鴎外は正直読みにくいし、よくわからない。
いずれにせよ、しっかりりんと話すべきだね。独りよがりはやめたほうがいい。
シマケンは恵まれている部分もあるけれど、やっぱり何事も続けないと花開かない。連載決定はまさに粘り勝ちだね。これでひとつ結果が残せた。彼にとってはようやく虎太郎たちと横並びになれたというくらいかもしれないけれど。
りんが元家老の娘だという肩書は、やはり役に立つんだね。まあ今だって良い大学卒とか、金持ちの子女とかは、それだけで社会的に信用される。でも使える武器は使った方がいい。それも自分のものだから。
まさかまさかの直美の結婚!こんな日が来るなんて、文さんにも見てもらいたかったね。相手の方は立派そうだけど結婚になっても出てこないってあの時代あったのかね?内々のお披露目ってことでしょうかね。そして三津さんの退職。もしかしたらだけど体が悪かったりするのかしら。まだまだ元気なおばあちゃんでいてほしいわ。そしていよいよ来週はりんの恋の話になるのかしら?シマケンさんと進展なるか、楽しみだわ。
直美と小川が結婚か。直美は良い人を選んだし、吉江さんの嬉しそうな顔が最高でした。家族縁の薄い直美だからこそ幸せな家庭が築けるといいですね。とはいうものの、ここからの日本は戦争の影がずっと続く時代になる。小川は軍人だし、日露戦争への出征は確実だろう。戦死なんてことにならなければいいけど。
そしてりんとシマケンの方はどうなることか。
お嫁に行っても家族には変わりないという言葉。
きっと直美にとってはとてつもなく嬉しかっただろう。
小川と一緒になるお祝いに、同期がみんな集まって。
そこへ吉江先生まで。
初期のころには考えられないほどの幸せの中に直美がいる。
最後の瑞穂屋での会話を考えるとここから地獄に落とされる展開になるのだろうか。
戦争の足音が聞こえる人には聞こえる時期に差し掛かっているということなのだろう。
りんも直美も、恋心を打ち明けられて戸惑っているようですが、明治時代となれば奥さんは家に入って旦那を支えるという世相。でも二人はこれからやりたいことがあり、黙って家で待つ妻にはなりたくないのだろうと思う。
ここで必要なのはパートナーの理解。それは今の時代もまだ問われているところでもある。だから女性たちの物語ではあるけど、男性の在り方も問われているんだよね。
横澤はいい意味で空気読まないし押しも強いしめげないし。
きっとなんど断られてもプロポーズし続けそうだ。
でも、りんは他人に自分の幸せを委ねたくないと思っているから、そこはずっと平行線な気がする。
恵風看護会は順調そうに見える。
無料の看護も始めたけれど、不公平となったりしないだろうかと少し心配になる。
環境が良いとは言えない状態の中にいる喘息の患者。
発作を抑えるのは至難の業だろうなと思う。
布に膏薬を塗った湿布は懐かしいな。
いつもより少し早く眠れたと言っていたし、周りも少しは眠れただろう。
ただ、この時代、医学も科学も浸透していなかったから、周りはどう見ているのかが少し気になるところだ。
横沢からのプロポーズですか。もちろん本人次第なのでしょうが、りんには合わないかなあ。横沢って、考えてみてと言いながら、あまり相手の話を聞かない。それって自分の価値観が良くも悪くも固まっているから。りんは直美のような行動力はもたないけど、これまで自分の芯となる部分は譲らない。だからちゃんと話し合える相手がいいと思う。
個人的な一押しはやはりシマケンかな。生活力に欠けるし、頼りないところもあるけど、りんには合いそう。
え?黒川先生のところで働いている様子は全カットなの??もう少し看護の部分を丁寧に描いてほしいなー。当たり前だけど一年経った気がまるでしない。派出看護は大盛況って割にはナースの人数も少ないしシャボい感じが拭えない。ミツさんの腰痛が病気の前触れになってないといいけど。久しぶりに出て来た妹はご懐妊か。それにしてもこの時代に何年も結婚もせずに好きだなんだってやってる人たちっているのかね?みんな気が長すぎだろう。
赤痢を通して村の人は病院で診てもらうことや看護してもらうことのありがたさを知り、りんは看護に復帰する大きな転換点を迎えました。感染症を正しく怖がることは感染を広げないための大事なことだと現代の私たちもコロナ禍を通して学んだことなのでとても身近に感じました。とにかくあささんが生きて戻れて良かった。黒川先生もりんに救われた部分が大きかったからこその太っ腹な提案だったのでしょう。環ちゃんはあと一年の辛抱、頑張ってほしいです。
アサが病み上がりなのにご馳走作っているのかと思ったけれど、後から感染して重症化した人もいただろうし、後の消毒とか片付けとかあって、すっかり元気だという設定なんだろうなと思いなおした。
怪しげな東京からの患者は今でいうところの厚労省の役人か。
上に報告しておくと言っていたから、これから看護婦の資格とかそういうところで関係してくるのだろうか。
直美の本来の目的であるりんを誘うという話もできたし、黒川の病院で看護師を育てるという話も破格の条件でまとまった。
なにより校長先生のお話が現実と夢とそれを追う人と見守る人と、どう違ってどう行動すべきかをよく表していた。
あの女学校の生徒たちは幸せだなと思う。
来週は黒川病院の話かと思ったら、もう東京へすっ飛ばす感じか。
教えるということは自分の中を整理し、さらに高めることだから見たかったなと思う。
黒川医師がりんに太っ腹な報酬を約束したのは、彼女への感謝以上に看護婦の必要性を痛感し、その価値を評価したんだと思う。だから自分で示した価値として、堂々と受け取ればいい。
村の人たちも助かった人ばかりではないけど、ちゃんと自分たちが誰に救われたのか理解しただろう。こういう積み重ねでしか、迷信とか妄執というのは消えない。明治という時代に限らず、新しい時代というのはこういう地道に種をまく人がいるから花開く。最後にそれを結実させた人ばかりが注目されがちだけど、その背後にはたくさんの先人や理解者がいたことを忘れないでいたいね。
病気が長引き気力も体力も限界でもう死んでしまってもいいと思うくらい精神的にも追い詰められた時子供の声が聞こえる。これはもう泣くよ。これもコロナ禍を経験してきた私たちだから胸に響くものがある。お母さんが心配で病院のそばをうろうろしちゃう気持ち、垣根越しにしか送れないエール。もう何もかもが分かりすぎる。こんなことが何度繰り返されてきたのだろう。情報がない中、病気を恐れる気持ちは計り知れない。自分がかかるリスクを承知で看病してくれる看護師さんは今も昔も変わらない。ほんとに頭が下がる思いだ。
こういう時、直美の行動力とか他人を巻き込む力は頼りになるね。特に日本最初の看護婦として先のことを考えれば、リーダーシップをとれる能力を持っているというのは重要だと思う。もちろん先に黒川医師とりんや看病婦たちの献身があってこそだけど、直美の言葉が村の女性たちを動かし、流れを変えそうです。
横沢はちゃんとした記者のようですね。ちゃんと見て、ちゃんと声を聞いて、記事を書く。それが本当のジャーナリスト。今もネット記事の引用ばかりせず、自分の足でネタをとって欲しいね、記者さんたちは。
りんはいつかナースに戻ってもらわないと話にならないと思っていた。それが赤痢に喘ぐ村とは絶好の舞台だろう。感染症には清潔が欠かせない。どうしたら移るのかを知らないと看護はできない。そこに経験と知識を持ったトレインドナースがバチっとハマる。病人を病院へ連れ出す今では当たり前の行為も村人から非難され石を投げられる。意味不明すぎるがそれが当時の認識で医師は助けてくれる存在ではなかったということか。赤痢で村を救ってがらっと態度が変わるのだろうか。
この村の者たちのように、無知であることや違う意見を持つことは、いつの世でも起こることなので仕方がない。だからといって石を投げつけたりするのは違う。今もSNSとかで他人を叩く人がいるけど、正しく批判(非難ではない)し、感情的にならない態度をとってこそ大人だと言える。この村では赤痢に罹患した母親の子どもが一番大人だ。
そして直美がやってきた。黒川が知らせたのだろうか?ここで彼女の登場は戦力として大きい。そして柳生は何者なのだろう?
りんの故郷でのコレラの時は避病院の中って描写がなかったような気がするけれど、今回は中で働くから状態がはっきり見えたね。
病院とは名ばかりで、ただの押し込み小屋というか隔離施設。
きっとずっとこんな状態で、家畜よりひどい状態でワラの上で寝かされて亡くなるまで放置に近かったんだろうな。
股のあたりにシミのある着物の人までいて、そうだよね…となった。
さっそく換気と掃除と消毒に取り掛かるわけだけれど、何せ指導するのが一人だし、そもそも人手が足りていない。
いっぱいいっぱいの状況での直美の登場。
救いの神に見えただろうな。
ここで立ち向かわなければ、りんは何のために看護を学んだんだということになるからね。
それにしても赤痢か。今なら抗生物質があるから、そう恐いものではないけど、明治時代だとおよそ罹患者の4人に1人は亡くなっていたらしい。まだ伝染病は呪いか何かのように思う人もいたし、水道から清潔な水が豊富に得られる時代でもないから、いろいろやむを得ないんだろうけどね。それでも自分のせいにすればいいと言う黒川医師の姿を見ていると、医は仁術という言葉と同時に、無知は罪だという言葉も思い出す。
これを乗り越えられれば、りんも看護婦として次の一歩を踏み出せそうだし、頑張って欲しい。
黒川先生が遠くの村で赤痢が出たと、りんにも一緒に来て欲しいと知らせに来る。
早めの夏休みとは校長も粋なことを言う。
覚悟を決めたりんはきっと過去のトラウマをあっさりと乗り越えるだろう。
りんは父親をコレラで孤独死させてしまった時のことを思い出す。
同じように避病院が作られ、同じように差別が起き、同じような苦しみ悲しみが起きていることを知る。
こういう時こそ正しい知識や技術を知っていることはとても大切だし、役に立つ。
現在15名ほどという患者がこれからも増えると考えると、トレインドナース1人というのは少々辛い。
直美に応援を頼むんだろうな。
恵風看護の会が始まったと言っても周知されていない今は利用者さんの口コミが命。でもしのぶさんも契約を切られちゃうし前途多難だよね。経営者としての手腕が問われるけれど経営学を学んだわけでもないし難しいだろうな。りんのシマケンさんと環の海辺のシーンはすごく素敵だった。これで2人が結ばれるまではいかないまでもお互いの気持ちは通じたのかなという印象。史実ではりんはシマケンさんは結ばれないみたいだけど、ドラマだし2人がくっついてもいいよね。
直美のちょっと強引なアシストもあって、シマケンなりの告白ができたのかな。その後のりんの顔を見れば、いろいろ鈍い彼女でもシマケンの思いは伝わった気がする。経済的には少し心配だけど、たまきちゃんもなついているし、二人が結婚するのは悪い選択じゃないと思う。
直美の方はりんへの協力を言い出せていない。りんには何か自信回復の機会が必要だ。なのでそんな何かが起こりそうだね。
ばけばけを思い出すような夕日と海といい雰囲気のカップル。
でも、この二人はこの先一緒に歩いていくかわからない。
ただお互いに愛しいという気持ちが通じただけ。
直美は監獄帰りの記者を足止めしてどうしているのだろう。
環を合わせるのも、シマケンを同行するのも直美にとっては本題ではないはず。
りんが少しだけ看護と向き合い始めたことを知って、直美は少しホッとしているのではないだろうか。
りんは看護会のこと上手くいっていないこと、直美の横顔見ていて気付いたかな。
距離が遠いと本心がなかなか言いにくいというのはあるよね。
シマケンは手紙の方が言いたいことが言えると言っているけれど、りんみたいに鈍い人相手だと本心は伝わりにくい。
まあ伝わったとしても、りんは男性に人生を委ねる気持ちはなさそうだけれど。
恵風看護会はなかなかその活動は軌道に乗りそうにない。
一日分の給金を巡ってのやり取りから、もう少し作戦を考えることが必要だと気づいたふたり。
新潟でも常さんが倒れたことで看護に向き合うきっかけができたようだ。
辞めた時よりはてきぱきと動けていたし、脈もやり直しはしたけれど何とかなった。
黒川先生の頼みで「看護のいろは」を書き始めたことで、余計に看護への気持ちを見つめなおすことになるんじゃないだろうか。