※まだ評価はありません。
脚本・ストーリー 3.0 /5.0(60%) | 815位 /1089件中 |
キャスト 3.8 /5.0(75%) | 672位 /1089件中 |
演出 3.3 /5.0(66%) | 709位 /1088件中 |
音楽 3.1 /5.0(62%) | 744位 /1089件中 |
感動 3.0 /5.0(59%) | 609位 /1084件中 |
笑い 1.5 /5.0(30%) | 1020位 /1084件中 |
スリル・興奮 4.1 /5.0(81%) | 138位 /1081件中 |
脚本・ストーリー 3.0 /5.0(60%) | 815位 /1089件中 |
キャスト 3.8 /5.0(75%) | 672位 /1089件中 |
演出 3.3 /5.0(66%) | 709位 /1088件中 |
音楽 3.1 /5.0(62%) | 744位 /1089件中 |
感動 3.0 /5.0(59%) | 609位 /1084件中 |
笑い 1.5 /5.0(30%) | 1020位 /1084件中 |
スリル・興奮 4.1 /5.0(81%) | 138位 /1081件中 |
スケールの割にしょぼかったなという印象でした。未来への警告や今の世の中への問題提起があるなら1クール目で悲惨な未来を2クール目で再生をと長く丁寧にやった方が良かったのでは?と思う。ツッコミどころは数々あって題名はまさかの待ち合わせ時間だったとは拍子抜けだし、せっかくの見せ場である萱島が大勢のカメラに追いかけられて喋る場面は言葉が足りなすぎてあれだけ見た人にはほぼ通じない作りになっていたし、日本が終わろうとしているのに誰もパニックになってないし意味不明。衝突を避けられたか否かを間宮さんのリアクションだけで納めるのは無理だろう。途中盛り上がっただけにすごく残念でした。
随分とちらかった終わり方だなと思う。設定の甘さがそうさせたのでしょうね。作り手としては白浜と萱島なら大災害が起きても、そこでまた何か小さい奇跡が起こせるかも知れないという希望を持たせる意図だったんだろうけど、これだけ壮大な背景を作り上げて、友情発見ドラマでは拍子抜けする。米澤から田中への手紙もパラドックスだらけだし、畑野を巡る恋愛も中途半端。絶対に整合性を保てとか、ヒロイズムで片付けるなとか、ちゃんと問題は解決させろとかいうつもりはないけど、ただ投げっ放しにするのと、あなたならどうするという問題提起は別物。これだとただの投げっぱなしです。あと萱島が詰め寄るおかしな連中に熱弁を振るうけど、そういう人たちってごく少数で圧倒的な多数は傍観者。物語をこんな風に全世界的問題に広げちゃったら、その多数の傍観者をどう当事者として引き込むかが、嫌でも焦点のひとつになる。その結果があの熱弁の内容では弱すぎますね。脚本家は話のスケールによって提起される問題の質が変わることを無視しちゃいけない。
荒廃した未来世界も、3年ズレたけど舞い戻った現代社会も、どちらも違う意味でサバイバルで、生きにくいというのは皮肉ですね。戻った彼らはある意味で未来人でもあるわけで、未来の人が現代を見て、絶望するような社会だというのは頭の痛い話です。まあもしこんな事態が起こったとして、マスコミもネットも好き勝手なことを書くのは間違いないでしょうが、もう少し冷静な人が多いと願いたいですね。なんにしても未来予知にはパラドックスがあって、うまく回避されると予知は外れたと批難される。これはそれと似た構図。どうやっても彼らは報われない可能性が高いのだけど、どう決着をつけるのでしょうか。
無事に現代に帰ってきてやったー!で終わらないところに深く考えさせられました。もしかしたらこの作家さんはここの場面を見せたかったのかなとも思いました。この世界は救う価値があるのか?そう問われているような気がします。何もかも人が人の暮らしをよくするために出来上がった社会の中にいるはずなのに、そこにいる人たちは人の心をこれほどまでに痛めつけるやり方を知っている。1番怖いのは人間。あと半年で誰が振り向いてくれるのだろう、未来にいていい人間がどれほどいるのだろう。滅びてしまえと思われる人間になりたくないな。
私も単純な方だしそっちに行けば助かるなんて思えばすぐにでもワームホールに飛び込みたいと思っちゃうけど、突然放り出されたのと違って覚悟できるのも怖いもんだと思う。あの暗い穴の中に入ったらどうなるのか、先に行ったみーぽんのように吹き飛ばされて怪我したり死んだりするかもしれないと思えば躊躇するのも分かる。ただそんな描き方はされておらずただグズグズしてる人みたいに描かれたことは残念だった。白浜さんが信用できるかできないかの話ではないのに、と思った。
ワームホール発生には負のエネルギーが必要とされています。電力でどうにかなる話ではない。また素粒子レベルなら時間は曖昧になるし、過去に戻るというしかない現象は起こるけど、普通の物質レベルでは起こらない。だからそこは物語上のフィクションとして受け入れるけど、よくある異端の科学者ならまだしも、大学の学者に語らせる設定にすると、信じてしまう人がいないかちょっと気になります。さて元の世界に戻るか、戻らないか、というより戻れるかもしれない賭けに乗るか乗らないかになってしまいましたね。それだといろいろ意味が変わってくるから、殊更、白浜のリーダーシップを煽る形になる。でもそれは上官の命令は絶対という軍隊的な発想で、白浜の意味不明な行動力頼みの裏付けや根拠の薄いもの。玲奈にしても、田中にしても、もう5分ずつでもいいから、その内面の変化を象徴するシーンが、事前に欲しかった。そうしないと萱島や玲奈と田中の違いや、田中の行動の真意が伝わらないと思う。そして何より白浜。リーダーシップってこれでいいの?正直、首を傾げてしまう。
やっと今の生活が落ち着いたところまで来たら、自分探しではないけれど自分のいたところに向かうっていうのはなんか分かるような気がしました。小春ちゃんの妊娠はそうかなと思っていたので想定内。彼の1番先に思ったことがお父さんに怒られるっていうのはリアルすぎる感想でしょう。2人とも高校生だし前途は多難でしょうね。そして急に現れた過去へと通じる穴!まさかそっちのドアを今まで一度も開けたことがないとは!いつでも帰れたんじゃーんと拍子抜けしました。
萱島は本当に「戻れない」と思っているのではなく、実は「戻りたくない」気持ちが強いのでしょう。うまくいかない日常や思い通りにならない感情など、元に戻されることで失う自由に怯えている。だから田中に自分と同じだと言われると、同じにされたくはないと思いながらも、同類だと納得する部分もある。でももっとシンプルに考えるべきだと思うけどね。カエサルの物はカエサルに。ところでこういう目の前のリアリズムと戦う展開の中に、おとぎ話のようなワームホールを出してくるのはどうだろう?ワームホールは理論上、実在するけど、このドラマで言っているようなものではない。このドラマのものはマンガやラノベ設定でよく使われているガジェット。他にもタイムパラドックスも無視しているし、ここだけチープな張りぼて的な印象を持ってしまう。そこは変な理屈は付けず、曖昧なままでの展開にした方がよかった気がします。
やられる前にやる。人間とはなんて愚かなものだろう。一度疑いがかかれば叩き潰さないと安心できなくなる。争いを愚かだと見るのは勝手だけど、人間が平和に暮らせるのは豊かな生活環境があってこそだと思い知る。でも広い土地であの人数しか生き残らなかったとしたら潰しあうことで何が生まれるだろう。腰抜けと呼ばれた米澤が渾身の思いをこめて争いを止めたのには感動した。しかし人間が滅んで何年かは知らないけれど、人間よりも野生動物の暴走とかそういう方が心配だけどそういうのはないのね。どこまでも人間本位だわ。
基本的には面白いし、なかなか展開が読めないのが良い。ただここにきて物理学者がなにやら列車消失について探り始めたので、興ざめな物理現象とは言えないオカルト的解釈はやめて欲しい。さて、そもそも過失とはいえ、人を殺め、更にチンピラ3組や植村の暴走を止められないのに、新しい王国だの語っている山本は、自分が一番現実逃避して、妄想の世界にいることを自覚していない。だからこそ彼に従う連中の気持ちがわからない。暴力による支配の方がまだ理解できる。その上、5号車でどんな役割を果たしているのかもわからない萱島を口の利き方だけで批判したが、そんなことを言える立場ではない。また山本の他にも元の世界より良いという人が何人かいるけど、アウトドアキャンプのレベルじゃないんだし、現実にこの状況になってそんなことをいう人はすでに心が壊れていると思う。
まず5号車と6号車の文明の違いに驚いた(笑)偶然に乗り合わせた人たちの組み合わせで同じ日に飛ばされたはずなのにこうも生活が違うなんてある意味すごいし興味深かった。でも何やら一癖も二癖もある危険人物が多いようなので私は5号車希望かな(笑)今のところ未来人はいなくてこの二つの車両の人しか残っていないのにその中でまた争いが起きてしまう予感。それは悲しいし虚しい。お風呂に入ったみたいだけど着替えはない‥同じ服着るの嫌だなー。
金髪の死体ということは、それが本物の死体だと仮定すれば、殺人鬼の死体か、あるいはその犠牲者かの可能性が高い。何にしても山本は胡散臭すぎる。畑野を襲ったのがチンピラ3人組の独断だったとしても、あの死体が本物なら6号車の乗客が1人減っていることに気が付かないとおかしい。それを黙認しているとしか考えられない。田中の情報を鵜呑みにし、5号車との交渉もせず、強引に石を探しているあたりも信用できない。元の世界に戻れるかどうか希望を持つのも、持たないのも自由だけど、この厳しい状況や環境と戦うのではなく、人間同士で牽制し合う。本当に人間というのは愚かだなと思う。
加藤が助かって良かったですね。現実なら切り傷ならともかく縫うほどの刺し傷で助かるとは思えないけど、まあ見た目よりも傷が浅かったことにしておきましょう。萱島の株が上がったのは、今後のためにも良かったのではないでしょうか。彼の現実的な視点と行動力、そして優しさは、彼らが生き残るために必要です。そして6号車の乗客と出会いましたが、リーダー格の山本はかなり胡散臭い。それに山本の隣にいたパーカーの青年は、加藤を刺した奴に見えます。人は集団が大きくなると、多数に飲み込まれます。多数工作がうまそうな山本に翻弄されそうです。
みんなでできることを持ち寄って住まいを整え今日の食糧を確保する。これが働くことの原点、まずは死なないように生きること。老若男女自分が得意なことをやってるのがすごくいい。そして何のために生きるのかは心臓が動いているからっていう答えもすごくいい。現代人はいろんなことに意味を求め頭でっかちになっているように思う。生きる意味なんて考える間もなく生まれてきたのに考えるだけ無駄かもしれない。優しすぎる白浜さんだけじゃ引っ張れなくても萱島さんの力が加われば引っ張っていける。いいコンビになってきました。
私の今季のドラマのベスト3に入ってますが、何か?
現代の方では車両は2両消えたと言っている。つまり白浜たちが乗っていた車両以外にもう1両どこかにある可能性がある。いろいろと役立っていた加藤が刺されたけど、あの環境で腹を刺されれば残念ながら助からないだろう。犯行はどちらかの車両に乗っていた殺人犯なのか、それともあの車両の誰かなのか、加藤をあえて狙ったのか、無差別なのか、少なくとも他に人がいる可能性と何らかの理由で襲撃しようとしている人間がいることを念頭に、態勢を整えないといけない。いずれにせよ当面、食料確保が更に難しくなったし、襲撃で精神的に追い詰められる者も出てきそうだ。
文字通りの着の身着のままで自分たち以外に生きている人もなく助けを呼べる状況じゃないとしたら絶望しかないだろう。まだ状況を把握することにいっぱいで水の確保、これから食事の確保などライフラインの確立で頭がいっぱいだろうけど心配なのはその後ですよね。そこから無限地獄が始まるような気がします。とはいえまだまだ入り口で揉めているような他人の集団がどこまでたどり着けるのか、壮大な社会実験のよう。そうでも思わないと怖くて見てられない。
2日目にしてパニックですか。東日本大震災の被災地にいた身からすると、あまりに早いなと思うけど、ほぼ知人がいない環境で、ストレスだらけの都会人が、水が乏しく、しかもわけのわからない転移をしていたなら、あっという間にパニックになるかも知れませんね。いずれにしても他人のものをくすねたり、水を独占し、強圧的な態度をとったり、それはまだ生存欲というより、日常のストレスの延長上にあるレベル。水源は確保しても食料が不足しているし、本当に生命の危機を感じるサバイバルとなれば、また違う感情が表れてくるのだろう。その時、彼らはどうするのだろう。まあこの時間のドラマでは、さすがにカニバリズムなんてことにはならないと思うけど、実際のサバイバルではそういうことも起きている。ここからが人間性とか矜持とかその人が試される。
ある程度の年齢の人なら漂流教室っていうドラマを思い出すのではないだろうか。あの時は学校丸ごと飛んでくれたので一応生活に必要となる家庭科室や保健室などあったけど、今回は電車だけ‥なんとも心許なく絶望的になりそうな状況ですよね。あの状態で車掌さんを責めるって酷だなと思ったけど一定数ああいう人はいるだろう。そこでブチギレちゃうのも分かるしその弱さも分かる。白浜さんは立派だし理想だけど、そこまでできる人ってどのくらいいるんだろう。人間観察がじっくりできて面白かったです。
こういう荒唐無稽な話は、視聴者に細かな疑問を抱かせる前に物語を進める、スピード感や緊張感が大事です。そこを担っているのが山田さんと、松雪さん、杉本さん、古川さんです。山田さんが大きく動かし、他の三人がそれを揺するように物語を進め、赤楚さんと上白石さんがまとめる感じです。赤楚さん演じる白浜の皆を助けるというのは傲慢かな。誰がどんな知識や知恵も持っているかわからないわけで、だからこそ生き残るためにまとまらないといけない。そこを説ければ本物のリーダーなんだけど。世代の違い、価値観の違い、責任の違いなどパニック系では必須のそれぞれの考え方が、どうぶつかり、変化するのか、そしてこの突飛な話をどう終わらせるのか、役者も制作陣も腕の見せ所です。