『麒麟がくる』での板東玉三郎 (正親町天皇役)の演技はどうでしたか?あえて2択で評価してみて下さい。
板東玉三郎 (正親町天皇役) は 「2021年1月期 勝手にアカデミー賞」にノミネート中 (→ 今、何位?)
溢れる気品
品性は、演技でどうこうできるものではない。その人の本質そのもの!
この方を拝見したいが為の45分。
声だけでも品と高貴さが伝わってきた
半沢にしても昨今の大河にしても優れた作品には熱演というものがあってよい演技とはそういうものだと思っていました。名優さんたちの熱演に演技の「すごさ」を感じていましたが、このような静かな所作やセリフから演技の「すごさ」というものをこれ程まで感じるとは思ってもいなかった。 これが人間国宝の力なのか。歌舞伎には疎いですがTVドラマに出ていただいてありがとうございます。 熱演は数あれど このお方の演技は他に代えがたい
マチャアキ 蔵之介 鶴太郎 見習っておくれ この素晴らしい演技を
淡々とした演技なのににじみ出る妙味 香り立つ気品 素晴らしい役者さんだと思う
『麒麟がくる』では各々の役者が声を荒げ躍動することで感情の起伏を表現していたのに対し、坂東玉三郎さんは瞬きすることなく、眉一つ動かすこともなく無表情のまま怒り等の感情を表現しています。静寂の中での立ち居振る舞いは、まさに他の共演者と一線を画したものでした。
高貴が人のかたちになったらきっとこんな姿であろう、御方。至高の身分の帝から見れば、争い奪い合い死に急ぐようにして月に登ろうとする武家たちは、桂男のように哀れで儚い生き物のように見えたんだなあ。一見無力に見える朝廷もこの人の演技だけで、存在感が半端ない。
帝の神々しさと静かな凄みが身体中から滲み出ているようでした。言葉の発し方も佇まいも本当に美しく素晴らしかったです。実際の玉三郎さんの生活もおそらく一般芸能人とは一線を画しているのだろうなと思います。ぴったりなキャスティングだと思います。大河ドラマに出るのは初めてだなんて信じられないくらいです。(弟役の小朝師匠との対比も絶妙だったと思います。)
天子とは竜が人型になった姿。雲上人などとは次元が異なる至高の存在。これまでの日本のドラマや映画で、これほど美しく恐ろしい帝を見た記憶がない。慈悲深く同時に冷徹で、強欲で醜悪な弟宮を「朕は哀れだと思う」と言い放つけれど、肉親の情で言ってはいない辺りが怖い。信長に対しても「褒められたそうにしていたので」褒める。蘭奢待にも執着せず(そもそも天皇の御物だし)信長と敵対中の毛利にさらりと下賜する。天子とは人であって人でない存在。あの澄み切った天子の眼には、この世がどのように映っているのか。ヒタヒタと畏敬の水位が上昇中です。
最初は豪華なカメオ出演だけだと思ったら、とんでもない。NHK、どでかい燃料投下してきた。本気だよ!存在自体が美しい帝。ただその美しさが恐ろしい。透明に見えてとてつもなく深い深海のようでもあり、光に見えて漆黒の闇にも見える。慈悲深いように見えて酷薄にも見える。ラスボスを超えた究極の支配者ってこんな感じなんでは?
声やゆったりとした話し方も含めて醸し出す品の良いたたずまいはさすが芸を極めた人間国宝だなと思います。昔からの憧れの人だけど舞台は敷居が高くて見に行けないのでドラマで会えるなんて感激!アップでの顔の輪郭は年齢を感じさせて少しツライかなとは思いますが、それはそれで役には合っていて別の魅力があるかも。
帝について、ドラマ内で「美しい」というのは表現をされていたので、誰が演じるんだろうとワクワクしていましたが、玉三郎さんが出て来て、震えました。存在感半端ないし、落ち着き、気品、話し方、どれをとっても納得したし、この人しかいないよなあと思いました。 権力を持ちながら何もしてくれない弟を思い、信長に攻められても仕方ないと話す、憂いを帯びた演技にも脱帽です。
容姿も発せられるお言葉も品がありその当時の帝がそのまま演じておられるかのような錯覚さえ覚えます
美しい帝、というものがイメージできなかったけど、これだ…という感じ。美しいうえに慈悲深く、何より怖すぎる。「…褒められたいようであったので…褒めた…」まるで深海に住む竜が井戸端のヒトの子を見るような視点。久しぶりに演技だけで「超越者」を演じる人を見てしまった。
心の奥底が見えない正親町天皇。それは濁っているからではなく、澄み切った深海のよう。赤い長袴に小直衣をくつろげた、帝専用のカジュアルウエアが地上にただ一人の存在感よ威厳を際立たせる。超越した公人、苦悩する個人を一身に表現するのはさすがとしか言いようがない。
内の上におはしましては、いみじうきよらになむおはします。凄いです、圧倒的な気品。壮年の男性の姿というのは見慣れない姿ですが、言葉で表現するとつい敬語になってしまうっ!御簾ごしの対面、御引き直衣とわずかな所作で帝であることがひしひしと伝わる。恐るべし人間国宝。
溢れる気品
品性は、演技でどうこうできるものではない。その人の本質そのもの!
この方を拝見したいが為の45分。
声だけでも品と高貴さが伝わってきた
半沢にしても昨今の大河にしても優れた作品には熱演というものがあってよい演技とはそういうものだと思っていました。名優さんたちの熱演に演技の「すごさ」を感じていましたが、このような静かな所作やセリフから演技の「すごさ」というものをこれ程まで感じるとは思ってもいなかった。
これが人間国宝の力なのか。歌舞伎には疎いですがTVドラマに出ていただいてありがとうございます。
熱演は数あれど このお方の演技は他に代えがたい
マチャアキ
蔵之介
鶴太郎
見習っておくれ この素晴らしい演技を
淡々とした演技なのににじみ出る妙味 香り立つ気品
素晴らしい役者さんだと思う
『麒麟がくる』では各々の役者が声を荒げ躍動することで感情の起伏を表現していたのに対し、坂東玉三郎さんは瞬きすることなく、眉一つ動かすこともなく無表情のまま怒り等の感情を表現しています。静寂の中での立ち居振る舞いは、まさに他の共演者と一線を画したものでした。
高貴が人のかたちになったらきっとこんな姿であろう、御方。至高の身分の帝から見れば、争い奪い合い死に急ぐようにして月に登ろうとする武家たちは、桂男のように哀れで儚い生き物のように見えたんだなあ。一見無力に見える朝廷もこの人の演技だけで、存在感が半端ない。
帝の神々しさと静かな凄みが身体中から滲み出ているようでした。言葉の発し方も佇まいも本当に美しく素晴らしかったです。実際の玉三郎さんの生活もおそらく一般芸能人とは一線を画しているのだろうなと思います。ぴったりなキャスティングだと思います。大河ドラマに出るのは初めてだなんて信じられないくらいです。(弟役の小朝師匠との対比も絶妙だったと思います。)
天子とは竜が人型になった姿。雲上人などとは次元が異なる至高の存在。これまでの日本のドラマや映画で、これほど美しく恐ろしい帝を見た記憶がない。慈悲深く同時に冷徹で、強欲で醜悪な弟宮を「朕は哀れだと思う」と言い放つけれど、肉親の情で言ってはいない辺りが怖い。信長に対しても「褒められたそうにしていたので」褒める。蘭奢待にも執着せず(そもそも天皇の御物だし)信長と敵対中の毛利にさらりと下賜する。天子とは人であって人でない存在。あの澄み切った天子の眼には、この世がどのように映っているのか。ヒタヒタと畏敬の水位が上昇中です。
最初は豪華なカメオ出演だけだと思ったら、とんでもない。NHK、どでかい燃料投下してきた。本気だよ!存在自体が美しい帝。ただその美しさが恐ろしい。透明に見えてとてつもなく深い深海のようでもあり、光に見えて漆黒の闇にも見える。慈悲深いように見えて酷薄にも見える。ラスボスを超えた究極の支配者ってこんな感じなんでは?
声やゆったりとした話し方も含めて醸し出す品の良いたたずまいはさすが芸を極めた人間国宝だなと思います。昔からの憧れの人だけど舞台は敷居が高くて見に行けないのでドラマで会えるなんて感激!アップでの顔の輪郭は年齢を感じさせて少しツライかなとは思いますが、それはそれで役には合っていて別の魅力があるかも。
帝について、ドラマ内で「美しい」というのは表現をされていたので、誰が演じるんだろうとワクワクしていましたが、玉三郎さんが出て来て、震えました。存在感半端ないし、落ち着き、気品、話し方、どれをとっても納得したし、この人しかいないよなあと思いました。
権力を持ちながら何もしてくれない弟を思い、信長に攻められても仕方ないと話す、憂いを帯びた演技にも脱帽です。
容姿も発せられるお言葉も品がありその当時の帝がそのまま演じておられるかのような錯覚さえ覚えます
美しい帝、というものがイメージできなかったけど、これだ…という感じ。美しいうえに慈悲深く、何より怖すぎる。「…褒められたいようであったので…褒めた…」まるで深海に住む竜が井戸端のヒトの子を見るような視点。久しぶりに演技だけで「超越者」を演じる人を見てしまった。
心の奥底が見えない正親町天皇。それは濁っているからではなく、澄み切った深海のよう。赤い長袴に小直衣をくつろげた、帝専用のカジュアルウエアが地上にただ一人の存在感よ威厳を際立たせる。超越した公人、苦悩する個人を一身に表現するのはさすがとしか言いようがない。
内の上におはしましては、いみじうきよらになむおはします。凄いです、圧倒的な気品。壮年の男性の姿というのは見慣れない姿ですが、言葉で表現するとつい敬語になってしまうっ!御簾ごしの対面、御引き直衣とわずかな所作で帝であることがひしひしと伝わる。恐るべし人間国宝。