※まだ評価はありません。
脚本・ストーリー 4.2 /5.0(84.6%) | 178位 /1163件中 |
キャスト 4.4 /5.0(88.2%) | 236位 /1163件中 |
演出 4.3 /5.0(85.4%) | 157位 /1162件中 |
音楽 4.1 /5.0(82%) | 165位 /1163件中 |
感動 4.1 /5.0(82.6%) | 86位 /1158件中 |
笑い 3.9 /5.0(78.8%) | 125位 /1158件中 |
スリル・興奮 4.1 /5.0(81%) | 151位 /1155件中 |
脚本・ストーリー 4.2 /5.0(84.6%) | 178位 /1163件中 |
キャスト 4.4 /5.0(88.2%) | 236位 /1163件中 |
演出 4.3 /5.0(85.4%) | 157位 /1162件中 |
音楽 4.1 /5.0(82%) | 165位 /1163件中 |
感動 4.1 /5.0(82.6%) | 86位 /1158件中 |
笑い 3.9 /5.0(78.8%) | 125位 /1158件中 |
スリル・興奮 4.1 /5.0(81%) | 151位 /1155件中 |
蔦重の母親はやっぱり蔦重と同じように人たらしだったんだ。
あの親にしてこの子ありという言葉を思い出してしまった。
アイデア豊富で才のある人たちの中に入ったら、真面目で堅物と呼ばれる人が肩身が狭く感じるのはわかるような気がする。
ていが出ていこうとしたのも仕方がないと思う。
ただ、それを止めた蔦重の言葉がとても良かった。
あんな風に言えるようになったんだなとも思う。
瀬川とはまた違った同士のようなていだから素直に言葉にできたのだろうか。
形だけの夫婦から本当の夫婦に。
良かったねと言いながら涙する歌麿が少し切なかった。
夫婦って、互いに見つめあうだけの夫婦もいるけど、共に同じ方を向いて歩む夫婦もいる。蔦重とていはその後者。個人的にはその距離感の方がいいと思う。
瀬川は確かにいい女だったし、華やかさもあった。でも蔦重に合うのはていの方だなって気がする。
問題は歌麿。「生まれ変わるなら女がいい」というセリフからして、蔦重に思いを寄せているのがわかる。ゲイとか言うのではなく、彼の生い立ちを考えれば、男も女もないんだろうけど、蔦重は違うからね。歌麿の生い立ちをあんな風に描いたのはこの伏線でもあるわけだ。
よく考えられた脚本だなと思います。
米の値段が去年の2倍だって!?今とそっくりじゃないか!出し渋って値を釣り上げているのもおんなじ、いつの時代も泣くのは庶民だね。米も作り出せないって蔦重は言っていたけど、だからこそできることを考えるところがかっこいいよね。周りをどんどん巻き込んでいく蔦重に、ていさんはいつのまにか惚れてたんだろうね。そして似つかわしくないと身を引こうとした。いじらしいねぇ。ていさんが笑えば歌麿が泣く、モテモテだ。それにしても引き合いに花魁を出すあたり、ていさんは誰かから何か聞いたのかねぇ。
鶴屋との和解がここに出てくるのか!天変地異すら機転一つでそれこそ金が降ってくるような出来事にしちゃうんだから蔦重はすごい。気取ってる町はよく言えばみんなが品良く、悪く言えば停滞したりするもんだ。そこに灰でもなんでも面白がってしまおうとする蔦重がくればまた違う化学反応が起きる。日本橋としたって悪い話じゃないよね。嫌っていた吉原に自ら出向き暖簾をプレゼントする鶴屋の粋に感動。メガネなしのていに感嘆。見せ場がたくさんあって飽きないね。
浅間山の大噴火による降灰の影響が日本橋にも出ていたけれど、本当に大変なのはこれからなんだよね。
少しだけ新之助夫婦が映ったからちょっと心配だな。
そして意知の若年寄への話が上様から出たり、誰袖へ渡した扇子に「死」の文字があったり。
いよいよ近づいているんだなと思ってしまう。
蔦重は困りものの灰ですら自分の糧として、自分を表現する道具にしてしまった。
本やお店への情熱、嫌なことでも遊びに変えて頑張れてしまう性格。
あの鶴屋さんからも笑顔を引き出し、おていさんをも強力な協力者に変え伴侶としてしまった。
婚礼の場での鶴屋さんからの暖簾のプレゼントには本当に感動した。
鶴屋の対応はなんだかんだで江戸っ子らしいかな。けんかっ早くて、意地を張るけど、野暮を嫌う。あそこで暖簾を用意するなんて、なかなか粋だと思う。
蔦重とていの関係はまだまだこれからというところだけど、徐々に心を通わせていければいいね。
問題は誰袖だ。いろいろと危ういところに踏み入れ、危険な雰囲気がぷんぷんする。彼女がこの後、幸せなるとは思えない。過ぎたるは猶及ばざるが如し、と言う。ちょっとやりすぎかな。
あの頃町人はわからないけど商売のために政略結婚とかよくある話だったんじゃないの?だから本屋のために結婚しませんか?っていうのも今より突飛な発想ではない気がする。でもその相手が前の夫を狂わせた吉原者っていうのが気に食わないんだろうね。まぁていさん自身もど真面目っぽいし水と油。でもそこからどうやって夫婦になっていくかってところが見どころになっていくから面白いんじゃないの?あの横浜流星を見かけ倒しと言っちゃう大河ドラマ、恐るべし。
蔦重とていさんって目指しているもの、願っているものは同じなんだよね。
それがどうすれば伝わるのか。
一度男に騙されているだけにガードは相当堅いだろう。
あんな風に商売のために夫婦になっちゃいましょうなんて、さすがに普通は無理だと思う。
ただ、恋愛感情なしで仕事を発展させるって一点突破を目指したのは間違ってない気がするんだけれどね。
どこかで裏表なく書籍を愛していることが伝わればすべて上手くいくんだろう。
そして田沼の坊ちゃん、いよいよ危ない感じになってきた。
松前の弟君だけでなく、松前公本人登場。
えさに食いついたのか、食いつくふりをしているのか。
あんな危ない人物と取引だなんて誰袖花魁にだって危害が及ぶのでは。
気が気でなくて、ハラハラが止まらない。
ていに対しての蔦重の言動は、とても合理的かもしれないけど、心情として思いやりに欠けている。良くも悪くも蔦重の基準はすべて吉原なわけで、町娘として育ったていには受け入れがたいものがあるに決まっている。
江戸時代、女性の地位は低かったけれど、地位の低さがイコール弱いとはならない。武家ならともかく町人は「銘々稼ぎ」といって、夫婦でもそれぞれ仕事を持ち、自立している者が多く、夫婦のものでも相手が何か自分のものを盗めば罪に問うことができた。三行半といわれた離縁状だって、女性の側から請求するケースも少なくない。離婚率も現代よりはるかに高いしね。
だからいろいろ不自由だから唯々諾々と後添えになんていうほど江戸娘はおぼこじゃない。脚本家もそこはわかっているんだろうね。だから本屋を続けるということで二人の距離が近づくようフラグを立てているんだと思う
吉原もんと蔑まれ雨の当たる外に座らされるところは吉原の地位を思い知らされるようでとてもよかったです。中にいる人にとっては世の中になくてはならない場所(男たちにもそうだし、売られるしかなかった娘たちにもそう)だと思っているが、外に人にとってはそうではない。前に蔦重が言っていた女の股で食わしてもらっているところなのだ。そこから日本橋の本屋が生まれる。痛快じゃないか。鶴屋の隣ってところがまた面白い。未来の嫁さんとの対面も一筋縄ではいかない気配、楽しみだ。
吉原者は四民の外、このところ忘れていたが葬式の様子で痛いほど思い出した。
個人や遺族は良くても、参列者が良しとしない。
そんな吉原者の作った本がどれだけ素晴らしくても、やっぱり第1選択にはならないのだろうな。
1つしか手に入れられないのなら、身元確かな物に手が伸びるのは仕方がないのかも。
今の蔦重に足りないのは身元の確かさなのかなと思う。
それが日本橋ということなのだろう。
吉原を捨てて出ていくのではなくて、吉原者でも日本橋へ行けるという前例を作るためでもある。
親父さんに蹴落とされて、血を流しながらも一歩一歩上って説得するくだりは心底カッコが良かった。
江戸土産は日本橋でというのが、この時代の定番だからね。田舎者にとって吉原は敷居が高い。花街に行くなら深川とか岡場所になる。だから日本橋に店を出すのにこだわるのは正解。
ひとつだけ脚本として気になるのは、忘八だと言ってるんだから、親孝行なんて言葉を使うのはどうなんだろうか。「孝」は八徳のうちだからね。それなら忘八にだって八徳はあるって、並べ立てるか。逆に八徳は無くても、こういうものがあるって違う例えを出すかした方が、筋が通ると思う。
今で言う出版社の忘年会のようなものって宴会を開いたのが蔦重が始まりならすごいことだよね。自分の仕事にプライドを持っている人の集まりだからぶつかることもあるだろうし、化学変化が起きて今までにない何かが生まれるかもしれない。春町だって一皮剥けたじゃないか。蔦重はその化学変化を起こす天才かもしれない。心配なのは誰袖花魁だね。身請けをせがむ姿は哀れでもある。いくら着飾ったってやることは一緒、地獄の中にいるんだなと再確認してしまう。幸せになってほしいな。
春町のこと、喜三二も歌麿も気にかけていて、ちゃんとフォローしてくれる。
蔦重の周りは才能の集まりでもあるけれど、気の良い人たちの集まりでもあるんだよね。
文化というかそういうものを愛する人たちの集まり。
だから春町が拗ねて筆を折っても、きっと戻ってくるだろうと信じているし待っている。
とても真面目な人だけれど愛される人なんだよね。
それに応えてふんどし一丁で踊る姿は少し滑稽だけれど真面目さが面白さに化けた瞬間かな。
それにしても春町文字。面白かったな。
江戸の諧謔がとてもよく描かれていたように思います。階級社会が定着している時代だけに、こういった即興的な皮肉やナンセンスは、今のラップに近いものがあるように思います。世の中をチクリと皮肉るというのは体制批判にもつながるわけで、田沼失脚後に寛政の改革でこの宴会にいた多くの者が処罰されるのも、そのためですからね。
一方で松前藩をめぐる陰謀ですが、誰袖までもそれに加担するとは。意知に身請けさせて、どうしようっていうのかわかりませんね。歴史の陰に女ありと言いますが、何を考えているのでしょうか?
蔦重のバックグラウンドはやっぱり吉原ってところが大きいのだろう。客をどうしたら喜ばせることができるか、どうしたらたくさんの人が来てくれるのかを考えることができる場所にいたっていうのが大きい。思考が柔軟でいいも悪いも混ぜこぜの世界を乗りこなすことができる体力とへこたれない心があることが強みだろう。いいっすねー俺それ見たいっす、なんて言われたらいい気持ちになっちゃうよね。春町は真面目だから戸惑っているのだろう。これで一皮剥けちゃうんじゃないの?
錦絵を作るということが絵師や彫り師の腕だけではなくて、どれだけ手間がかかることなのか何となくはわかっていたけれど、なるほど指図も大切なのか。
本当にたくさんの人の力が結集して初めてできることだったのだ。
蔦重が作るにはまだ経験も知識も足りなかったということだ。
でも、歌麿が興味津々で学んでいたからどんどん良くなっていくんだろうなと楽しくなってくる。
絵師が作家をやったり逆もあったりというのも初めて知ったから、みんな多才だったんだなと感心する。
春町が拗ねてしまったけれど、そこでのタイミングの良い放屁には笑ったし、それを狂歌のネタにしてしまうのがすごい。
知っている和歌が屁バージョンになっていたり、ものすごい知性あっての遊びだよね。
春町先生が拗ねて筆を折ってしまったけれど、本当にもう書かないつもりなのか心配。
なかなか強烈な松前道廣ですね。「遅れてきたもののふ」と言うよりも、ただのサイコパスですね。
松浦静山の有名な著書「甲子夜話」にも道廣がロシアと内通していて、永蟄居となったことが書かれていますし、蟄居中にも関わらずいろいろやっていた困った人物のようですが、戦国時代のように派手な合戦などが描けない時代だけに、ちょっとした刺激と変化をつけるための演出というところでしょうか。なかなか上手い出し方だと思います。
恋川春町がへそを曲げてしまいましたが、彼は武士ですからね。武士でありながら町人文化を盛り立てたというのは、ある意味で相容れないもの同士の板挟みになっている存在とも言える。田沼失脚後の春町の境遇を考えると、それを予感させるシーンでもありました。
市中の本屋が蔦重のところの本を仕入れる言い訳ができて蔦重のところの本が一気に出回り商売も一気に広がる。いい本を作っていればこその展開、運が回ってきたというより蔦重のビジネスの才覚がすごいってことだよね。大河ドラマらしく御上の上の方の話もちゃんとやってとてもバランスよく今までの歴史好きなファンも取りこぼさないようにしているところがすごい。狂歌の集まりも面白かったねー。そこで蔦のからまるって名前を咄嗟に出す蔦重の粋、かっこよかったなー。
見てて震える
狂歌というものがあるのはもちろん知ってはいたけれど、なるほど流行る訳だと思った。
洒落ていてエロなんぞもぶち込んで、それでいて顔色一つ変えず大真面目にやっている。
その姿がとんでもなく滑稽で洒落ていて面白い。
本歌取りなんていうのもサラッとやってのけて、知識があってもなくてもそれ相応に楽しめる。
その場のノリだと言われるのもわかるけれど、それをどう本に落とし込むのか。
見ていればこそ面白いという雰囲気のようなものを表すことこそ蔦重の真骨頂のような気がする。
祭の時のごとくやってくれそう。
狂歌の流行はいかにも江戸らしいね。識字率は高くなったけど、庶民にとっては武家や公家がやるような敷居の高い趣味は敬遠される。でも狂歌は敷居が低いし、その中にちらりと諧謔やナンセンス、そしてエロをぶちこめるから、江戸の庶民にとってはちょっと粋な遊びになる。
蔦重も狂歌からみで大田蜀山人と知己になり、次は鶴屋と組んでる山東京伝ってことになるのかな。どんどん陣容が固まってきて、あとは歌麿のブレイクと写楽の登場が待ち遠しいです。
鱗形屋から蔦重に版木が渡されうちの本を読んだ子が本屋になるって感動していたけど、これはこの時代なら胸アツなんだろうなと思った。だいたいが親の家業を継ぐ時代、それが当たり前だったし身分はなかなか越えられない。市中で大きな顔して商いしている鶴屋だって世襲だろう。吉原の旦那衆だってそう。その中で自分の好きな道を見つけて頭角を表している蔦重は眩しかったろうね。そこが出る杭となって打たれるけど、跳ね除ける才覚がある。爽快だね。
鱗形屋は店じまいをするにあたって須原屋から細見のいきさつを聞く。
それで今までのわだかまりが溶けていく様子は詳しくは描かれずとも見えるようだ。
元々馬の合う2人であり、才能を認めていればこその関係。
そこから周りにバレないように春町をかっさらう算段を付ける様子がとても楽しい。
焼け残った1枚の版木を大切に抱いて涙を流す蔦重と、その訳を聞いて同じように涙する鱗形屋。
初めて買ったその本がどれだけのものを支えてきたかをドラマを見てきた我々は十分すぎるほどわかる仕掛け。
2人の涙を見て心がじんわりした。
ついに鱗形屋退場ですか。まあいつの時代も商売は栄枯盛衰。それについては仕方がない。
そして恋川春町も蔦重の元へ。蔦重のところに少しずつ人材が集まってきましたね。劇中で名前が出たから、次は大田南畝でしょうか。
でも鱗形屋はまだよかったかもしれません。松平定信の寛政の改革時代になれば、蔦重はもちろん春町も歌麿も処罰されるし、朋誠堂も藩主にお叱りを受けてやめてしまうんだから。まさに田沼時代と共に花開き散る。
今はつぼみの時期を楽しみましょう。
いくら子供が憎いからって言葉で呪いをかけないでほしい。親の言葉は体の奥まで染みてしまう。自分が底にいるからって子供まで浮上することを許さない、言葉で呪いをかけて未来永劫縛りつける。誰も幸せにならないんだよ。死なないから生きてる、そんな捨吉がかわいそうで涙が止まらなかった。蔦重と出会って良かったね。べらぼうではそんな捨吉が歌麿として後世まで世に残るなんて素敵な話に昇華させてくれるのか、世の中捨てたもんじゃないと思えて嬉しい。
唐丸の今と生い立ちがわかったけれど、それは本当に辛いものだった。
自分を罰するために身を売る。
そして早く死ぬことを願う。
なんと悲しくて寂しいことだろう。
蔦重ではないが、死んだ人たちには申し訳ないが生きていて良かったと思う。
そして、生きているからこそちゃんと生きて欲しいと思う。
出ていってしまった人の人別を自分の物として、蔦重と新しい人生を生きる。
歌麿との作品が出てくるのが楽しみだ。
てっきり唐丸は東洲斎写楽として復活するのかと思っていたら、喜多川歌麿としての復活でした。
まあ歌麿の前半生はよくわかっていないし、ありっちゃありかな。もっともこの時代の浮世絵師なんて、ほとんどがよくわかっちゃいない。わかっている部分も大田南畝の「浮世絵類考」によればというのがほとんど。だからこういうフィクションが成り立つ。
歌麿ほどでもそうだから、浮世絵が偉そうな芸術というよりも大衆文化だったというのがよくわかりますね。
ここからの歌麿の活躍が楽しみです。
それにしても朋誠堂、おバカでいいね。江戸らしいどこか刹那なナンセンスさが最高です。
蔦重のアイデアの豊富さには驚いてしまう。
たしかに自分の関わったものって、ひとに話したくなるし、薦めたくなるし、何なら自腹を切ってでも配りたくなるものだ。
それが本当に良いものなら人づてに評判が評判を呼び、どんどん売れることになる。
それが一過性の流行ものならともかく入門書や指南書の類なら、かなりの期間堅調に売れ続けることになる。
人と人がつながる拠点にいる蔦重はとても良い所にいるといえるし、それを活かした。
そして、良い版木を彫る人材まで抱え込んだ。
市中の本屋にとっては脅威だろうな。
そのうち蔦重と組もうとする人たちが出てくるだろうか。
次郎兵衛が指摘した通り蔦重の顔つきが変わってきました。本を出せて嬉しいのは今もだろうけど、この商売を大きくするにはどうしたらいいかってところまで来たのでしょう。田沼の方でも源内のアドバイス通りの町が潤い賑わって、蔦重の耕書堂もすくすく伸びている。二人が別の場所からその種を蒔いた源内さんを思い偲んでいるところがグッときました。報われる作りにいいですよね。別れがあれば出会いがある。戻ってきてくれないねーかと願った人は現れるのか?楽しみだ。
江戸時代末期の日本の識字率ってものすごく高いからね。江戸に限らなくても、地方に目を向ければ商売はできる。江戸は上方などに比べて侍が多いし、それが当たり前の連中は蔦重の狙いがぴんとこなかったのでしょう。
田沼意次ですが、かつてとは評価が大きく変わった人物ではあるけど、随分と政治力が弱いし、隙が多いね。そんな人物ではなかったように感じるんだけど。でもこの時代から先の御三家は策略ばかりで実がない。それが江戸時代を終わらせたという一面もあるなと痛感させられます。
自分の中に溢れんばかりのアイディアがあってたくさん広めたいのに何をしてもうまくいかない。政府の要人である田沼にもハシゴを外されやぶれかぶれだったのだろう。そこに手袋の秘密を明かされたくない輩が幽閉したっていうのが今回の説。心身ともに弱っていたところにタバコを使って薬漬けにでもしたのだろう。もっともっと成し遂げたいことがあったろうにと思うと無念だよね。蔦重の才能を伸ばしてくれた恩師のような存在の源内さんがここで幕を引いた。狂ったようにこの世を去り、源内さんはあの世で何を思うのだろう。
今回は源内劇場。
せっかく家基急死に手袋が関係あると探り当てただけに、意次に止められても突き放されても忘れられなかった。
それどころか、筆でもって一矢報いようとした。
源内の見誤ったところは、普請の図面を頼んできたのが意次だと思い込んでいたところ。
実際は、反田沼派が事件を嗅ぎまわっていた源内を危険視して見張る口実を作っていたといったところなのだろう。
その中で事件の顛末っぽいもの書いてしまった。
吸わされていたのも煙草にアヘンを混ぜていたのだろうし、それもわからないように少量ずつだったのでは。
鼻はすぐに慣れてしまうから、蔦重がクンクン嗅ぐほどでももうわからなかったのだろう。
それにしても、源内の最後はいろいろな説もあるようなのだけれど、上手くいろいろなものの要素を取り込んでさもありなんと思わせられた。
最後の最後、意次を守るために自ら飲んだんだろうな。きっと。
差し込む光が怪しかった。
なるほど源内は、反田沼の一橋にはめられたか。もちろんフィクションだけど面白い設定だし展開だと思います。もちろん毒殺のからくりに気付いたほどの源内が、アヘンの知識をもってないはずはないけど、自分が狙われる心当たりがなければ、こういう結末もあり得るよね。また田沼意次がどこまでも幕臣であるところもいい。
まあ源内を演じた安田顕さんって、そもそもどこか怪しい雰囲気があるし、こういう狂気じみた感じを出すのが本当にうまい。それは必ずどこか哀愁が隠れているから。名演でした。
爪を噛む癖がここに繋がるのかと興味深かった。世襲の時代は死ななきゃそこの席が開かなかったのだから、こういうことが沢山あったんだろうね。その死の謎を解き明かすうちに白眉毛と田沼が心を通わすことになったんだから怪我の功名というべきか。ただその手袋の毒を少なからず二人ともが吸ったんだろうね。せっかく二人が手を取り合えば世界が変わったかもしれないのにそれは不可能になってしまった。それもまた運命なのだろう。ところで田沼って本当にそんなに善人だったの?と疑問が残った。
今回も盛りだくさん。
時間があっという間に過ぎてしまう。
源内さんは天才であるがゆえに一つのことに邁進できなかったタイプなのかなと見ていて思う。
意外とそういう人、今の世の中にもいるんだよね。
いよいよ怒りっぽくなってて、刀まで抜いちゃってて見ていられない。
そろそろ退場が近いんだろうな。
家基急死の真相は、意次が用意した手袋を献上することを知って利用した誰かということか。
治済公の人形を操る姿が怪しくて恐ろしい。
せっかく意次と白眉毛の心が通じたと思ったら今度は白眉毛が亡くなった。
手袋を持ち出す姿が描写されていたから、こちらも誰かの陰謀ということなのだろうか。
幻の蔦重と瀬川の所帯。
それでもその話をきちんと青本にして出そうとしている。
その心をくみ取ってアドバイスしている喜三二がとても素敵だなと思う。
早くできた本を見たいと思った。
平賀源内という人物は多芸多才の天才だけど、それゆえひとつの事に邁進できなかった器用貧乏でもあるんだろうと思う。
そして田沼意次を失脚させようとする陰謀ですか。まあ権力争いはいつの世もあるし、将軍家でも天皇家でも、本当だろうかと首を傾げたくなる史実とやらもある。明治維新も含め、いかに大義名分を掲げようとも本質は単なる権力争いであることに変わりはないからね。
本筋の蔦重も田沼の後の寛政の改革によって潰されていくわけだから、無関係ではないわけで、庶民はいつの時代も権力の犠牲になる前兆というところかな。
派手な再会からの一気に夫婦になろうとするまでを夢見心地で見ていました。ここで所帯染みちゃうのも面白くないし、瀬川はどうやって退場するのだろうと思っていたので別れは納得でした。検校が大きな愛で瀬川を手放したように、瀬川も大きな愛で身を引いた。綺麗に決まったのではないでしょうか。江戸の粋というものがそこかしこに散らばっていて、さっぱりと気持ちのいい話になっていますね。去るものもいれば来るものもある。からまるが登場しそうでわくわくします。
やはり瀬川は離縁になったか。鳥山検校はあっぱれな振る舞いでした。頭ではわかっていても感情が許さないことってあると思うけど、しっかりと感情を抑えられる。幕府の連中よりよほど人が出来ている。
その瀬川も蔦重のもとを去ったけど、まあそうなるだろうね。でなければ厚顔無恥と揶揄され、蔦重の評判にも響く。
実際の江戸っ子ならむしろそうなった方が、いろいろ面白がっただろうと思うけど、現代人の感覚ならこういうオチになるかな。でもまたいつか再会できそうな気もするけどね。
検校はここにきても瀬以の望むことを叶えようとする。
それは深い愛と呼ぶべきものなのだろうか。
瀬以の言葉と検校の少しの微笑みで、そこにちゃんとお金を介さない心があった気がした。
四民の外とさげすまれる吉原者。
そのせいで土地を買ったり本屋仲間に入れなかったりする。
その上、妬まれ恨まれる検校の妻であった瀬以が蔦重の側に居たら、さらなる足かせになるというのはその通りなんだけれど辛いな。
あれだけ嫌味たっぷりで見ていて嬉しくなかった亡八の集まりが、今となっては平和で文化的で癒しになるとは。
源内さんまで怒りっぽくなってきて、癒しからは遠くなってきてしまったし。
去年に引き続き戦のない大河だけれど、本当にドラマチックだし、生きていくって戦争なくても戦いなのかもと思い始めている。
検校が行きすぎているのは分かる、だから取り締まるっていうのもいい。だけどさ、根本的な問題には目を向けないんだよね。お武家さんが娘を売ったり首が回らないほど借金をしたりしてるっていう異常事態を変えられるのは幕府でしょ?ほんとこれ今と一緒。生活が苦しくて闇バイトに手を出すのに闇バイトばかりを取り締まったって解決しないのよ。どうしたら民が潤うかを考えるのが御上の仕事なのにね。検校とセイも切ないな。セイのために自分では読むこともできない本で部屋をいっぱいにする。愛なのにいきすぎて苦しい。なんでも普通の人以上に感じられちゃうのも不幸なんだな。
瀬以も鳥山検校もどちらも辛いな。
お互いがお互いを思っているのに。
ちゃんと心の内を見せて、きっと通じ合ったと思うのだけれど、そこへ調べが入るとは何という間の悪さ。
瀬以にもう少し幸せな時間をあげたかった。
座頭金の問題はこのころ大きくなって、武家が苦しくなっていったのはおそらく経済中心の世界について行けなかったという面もあるのではないだろうか。
武士は食わねどなんて言葉もあるけれど、実際にはそうはいかない。
高金利をすべて取り締まるって言っても、それは闇に潜るだけじゃないのかななんて思ってしまう。
鱗形屋も二度目だと潰れてしまうのだろうか。
蔦重への恨みがこれ以上高まらないで欲しいのだけれど。
鳥山検校のコンプレックスというか、孤独と苦悩がよく伝わってきます。卑屈すぎると感じる人もいるかもしれないけど、人それぞれ身体的でなくてもハンディキャップみたいなものを感じることはある筈で、そこで抱く、暗く歪んだ情念を自覚する人なら、わからなくはないなと思うことでしょう。
検校たちの金儲けもそもそもはハンディキャプのある人間が生きていくためには、金の力が必要だったことが始まりだし、一方的に悪いとは決めつけられない。むしろ無能な幕府の政策がもたらした失敗を、背負わされたというのが正解だろうね。強欲とはいえ気の毒な感じもする。
さて瀬川はどうなることやら。
いやー去年の平安の宴も雅で美しかったけど、吉原のお祭りも華やかで素敵だったねー。山車も見事であれが1ヶ月も続いたらそりゃ一度は見に行きたくなっちゃうよね。やっぱり塀に囲まれた独立したような形の吉原だからこそ1ヶ月もできるんだろうな。そこで神隠しとは粋だけど、逃げてその先はどうなるのだろう。うつせみとしんさんが幸せになってくれる絵が見たい。あの世で‥なんては見たくないよね。源内先生のお力でなんとか、できないもんかなー。
俄まつりへ向けての大文字屋と若木屋の対立。
祭と喧嘩って根底には、向いてるベクトルは違うような気がするけれど同じようなものが流れているのか。
すずめ踊りでの対決は面白く、迫力もあって、そりゃこれが1か月も続けば人の口の端には上るだろうし、人も集まるだろう。
その熱気をお土産にできる絵に閉じ込めるとは蔦重はすごいこと考えるなと思う。
欲得ではなく、どうしたら吉原が盛り上がるかということが根っこにあるからこその発想なのかな。
人真似でなくて独自の道をいくのは難しいし厳しいけれど、根っこがしっかりしていればこそ歩き続けられる。
大文字屋と若木屋が最終日に持ち物を取り替えるシーンはなんだか感動したな。
身近にこういう迫力ある祭がないから余計かも。
対立してたって、両者ともこの祭りを盛り上げたいというところでは一緒だったんだろうし、これからも対立があってもいい関係でいるんだろうなと思わせられた。
うつせみと新さんは…大丈夫かな?
前回の足抜けで、幸せにはなれないとわかっている2人だからこそ大門を出てどうなるのか心配になる。
火事と喧嘩は江戸の華。火事で日本橋から日本堤へと移転させられた吉原で、喧嘩仕立てで、伊達男の由来となった伊達藩ゆかりのすずめ踊りとなれば、それはもう粋ってもんで、話題になっただろうね。
蔦重の方は吉原を盛り上げることが目的だから、他の版元と争う気はないのに対し、鱗形屋の方は完全に違う。でも自分のやっていたことを棚に上げての話だし、ある意味で逆恨みだからね。あまり同情はできない。家族を使ってなりふり構わない様子も引く。商売人なら、そして出版人なら、もう少し自分の才覚で頑張るべきかな。
馬面太夫を引っ張り出すために検校に繋がるってすごい脚本だなと思った。察しのいい検校だからとっくに蔦重と瀬以の思いには気づいているだろう。2人の声が聞こえると気が気ではないよね。脈をとるシーンが怖かったなー。その後馬面太夫に知らせが届くけど、あれは寛容なところを見せて2人に自分の存在をアピールしていたんだろうなー。それにしても蔦重のアイデアはすごい。それも人の心を掴むアイデアが降って湧いてくる。そういう人じゃないと時代の寵児にはなれないよね。
そりゃ毎度毎度当たってたら出来過ぎだと思うし、今回の本は高額商品だしなかなか売れないというのは仕方ない部分もあるだろう。
よっぽどお金が余っている人以外、こういう生活とは離れた部分にお金を出せる人っていないもんね。
花魁を指名できる人くらいなものかな?
瀬川が去った吉原は次の一手を探さないと客が減っていくと心配になるのは親父さんたちものようで。
市中の本屋と取引がしたいと抜けていった人たちも根っこは同じなのだろう。
女郎を吉原の外に連れ出して馬面太夫に合わせるというのにはかなり驚いた。
でも、四民の外のある意味同じ立場だからこそ通じることもある。
当時の立ち位置を自然と説明調にならずにセリフに組み込んでりつが話すシーンは、なんだかハッとさせられた。
脚本書いている人、よく勉強しているね。ここで富本節の富本牛之助こと後の富本豊前太夫をもってくるとは。
富本節を知っているなんて人は少ないし、蔦重との関係を知っても、このドラマでは北尾重政でさえ端役だから、ちょっと触れるだけかと思いきや、うまく鳥山検校らとうまく搦めて出してきたのは見事だと思う。
吉原に肩入れしすぎだったけど、それをうまく生かした形になっています。なかなか面白い展開でした。
吉原にだって普通の生活がある。外で子供が遊び花魁が本を読む、そんなことを知っている蔦重だからこそ出せた本なのだろう。一生に一度の絵になった瀬川を送り出した蔦重。花魁道中が見事で震えた。大門の前で待つ蔦重の妻になることは叶わなかったけれど、同じ夢を見た同志はその志を忘れなければ永遠に繋がっていられるのだ。瀬川が大門を出た先で待つ検校の耳にも蔦重の声は聞こえただろう。目の見えない検校に見えない本の話、皮肉にも聞こえた。