※まだ評価はありません。
脚本・ストーリー 4.0 /5.0(80.4%) | 296位 /1127件中 |
キャスト 4.2 /5.0(83.4%) | 398位 /1127件中 |
演出 4.1 /5.0(81%) | 251位 /1126件中 |
音楽 3.8 /5.0(76.6%) | 298位 /1127件中 |
感動 4.0 /5.0(79.6%) | 113位 /1122件中 |
笑い 3.6 /5.0(71.8%) | 220位 /1122件中 |
スリル・興奮 3.9 /5.0(78%) | 205位 /1119件中 |
脚本・ストーリー 4.0 /5.0(80.4%) | 296位 /1127件中 |
キャスト 4.2 /5.0(83.4%) | 398位 /1127件中 |
演出 4.1 /5.0(81%) | 251位 /1126件中 |
音楽 3.8 /5.0(76.6%) | 298位 /1127件中 |
感動 4.0 /5.0(79.6%) | 113位 /1122件中 |
笑い 3.6 /5.0(71.8%) | 220位 /1122件中 |
スリル・興奮 3.9 /5.0(78%) | 205位 /1119件中 |
派手な再会からの一気に夫婦になろうとするまでを夢見心地で見ていました。ここで所帯染みちゃうのも面白くないし、瀬川はどうやって退場するのだろうと思っていたので別れは納得でした。検校が大きな愛で瀬川を手放したように、瀬川も大きな愛で身を引いた。綺麗に決まったのではないでしょうか。江戸の粋というものがそこかしこに散らばっていて、さっぱりと気持ちのいい話になっていますね。去るものもいれば来るものもある。からまるが登場しそうでわくわくします。
やはり瀬川は離縁になったか。鳥山検校はあっぱれな振る舞いでした。頭ではわかっていても感情が許さないことってあると思うけど、しっかりと感情を抑えられる。幕府の連中よりよほど人が出来ている。
その瀬川も蔦重のもとを去ったけど、まあそうなるだろうね。でなければ厚顔無恥と揶揄され、蔦重の評判にも響く。
実際の江戸っ子ならむしろそうなった方が、いろいろ面白がっただろうと思うけど、現代人の感覚ならこういうオチになるかな。でもまたいつか再会できそうな気もするけどね。
検校はここにきても瀬以の望むことを叶えようとする。
それは深い愛と呼ぶべきものなのだろうか。
瀬以の言葉と検校の少しの微笑みで、そこにちゃんとお金を介さない心があった気がした。
四民の外とさげすまれる吉原者。
そのせいで土地を買ったり本屋仲間に入れなかったりする。
その上、妬まれ恨まれる検校の妻であった瀬以が蔦重の側に居たら、さらなる足かせになるというのはその通りなんだけれど辛いな。
あれだけ嫌味たっぷりで見ていて嬉しくなかった亡八の集まりが、今となっては平和で文化的で癒しになるとは。
源内さんまで怒りっぽくなってきて、癒しからは遠くなってきてしまったし。
去年に引き続き戦のない大河だけれど、本当にドラマチックだし、生きていくって戦争なくても戦いなのかもと思い始めている。
検校が行きすぎているのは分かる、だから取り締まるっていうのもいい。だけどさ、根本的な問題には目を向けないんだよね。お武家さんが娘を売ったり首が回らないほど借金をしたりしてるっていう異常事態を変えられるのは幕府でしょ?ほんとこれ今と一緒。生活が苦しくて闇バイトに手を出すのに闇バイトばかりを取り締まったって解決しないのよ。どうしたら民が潤うかを考えるのが御上の仕事なのにね。検校とセイも切ないな。セイのために自分では読むこともできない本で部屋をいっぱいにする。愛なのにいきすぎて苦しい。なんでも普通の人以上に感じられちゃうのも不幸なんだな。
瀬以も鳥山検校もどちらも辛いな。
お互いがお互いを思っているのに。
ちゃんと心の内を見せて、きっと通じ合ったと思うのだけれど、そこへ調べが入るとは何という間の悪さ。
瀬以にもう少し幸せな時間をあげたかった。
座頭金の問題はこのころ大きくなって、武家が苦しくなっていったのはおそらく経済中心の世界について行けなかったという面もあるのではないだろうか。
武士は食わねどなんて言葉もあるけれど、実際にはそうはいかない。
高金利をすべて取り締まるって言っても、それは闇に潜るだけじゃないのかななんて思ってしまう。
鱗形屋も二度目だと潰れてしまうのだろうか。
蔦重への恨みがこれ以上高まらないで欲しいのだけれど。
鳥山検校のコンプレックスというか、孤独と苦悩がよく伝わってきます。卑屈すぎると感じる人もいるかもしれないけど、人それぞれ身体的でなくてもハンディキャップみたいなものを感じることはある筈で、そこで抱く、暗く歪んだ情念を自覚する人なら、わからなくはないなと思うことでしょう。
検校たちの金儲けもそもそもはハンディキャプのある人間が生きていくためには、金の力が必要だったことが始まりだし、一方的に悪いとは決めつけられない。むしろ無能な幕府の政策がもたらした失敗を、背負わされたというのが正解だろうね。強欲とはいえ気の毒な感じもする。
さて瀬川はどうなることやら。
いやー去年の平安の宴も雅で美しかったけど、吉原のお祭りも華やかで素敵だったねー。山車も見事であれが1ヶ月も続いたらそりゃ一度は見に行きたくなっちゃうよね。やっぱり塀に囲まれた独立したような形の吉原だからこそ1ヶ月もできるんだろうな。そこで神隠しとは粋だけど、逃げてその先はどうなるのだろう。うつせみとしんさんが幸せになってくれる絵が見たい。あの世で‥なんては見たくないよね。源内先生のお力でなんとか、できないもんかなー。
俄まつりへ向けての大文字屋と若木屋の対立。
祭と喧嘩って根底には、向いてるベクトルは違うような気がするけれど同じようなものが流れているのか。
すずめ踊りでの対決は面白く、迫力もあって、そりゃこれが1か月も続けば人の口の端には上るだろうし、人も集まるだろう。
その熱気をお土産にできる絵に閉じ込めるとは蔦重はすごいこと考えるなと思う。
欲得ではなく、どうしたら吉原が盛り上がるかということが根っこにあるからこその発想なのかな。
人真似でなくて独自の道をいくのは難しいし厳しいけれど、根っこがしっかりしていればこそ歩き続けられる。
大文字屋と若木屋が最終日に持ち物を取り替えるシーンはなんだか感動したな。
身近にこういう迫力ある祭がないから余計かも。
対立してたって、両者ともこの祭りを盛り上げたいというところでは一緒だったんだろうし、これからも対立があってもいい関係でいるんだろうなと思わせられた。
うつせみと新さんは…大丈夫かな?
前回の足抜けで、幸せにはなれないとわかっている2人だからこそ大門を出てどうなるのか心配になる。
火事と喧嘩は江戸の華。火事で日本橋から日本堤へと移転させられた吉原で、喧嘩仕立てで、伊達男の由来となった伊達藩ゆかりのすずめ踊りとなれば、それはもう粋ってもんで、話題になっただろうね。
蔦重の方は吉原を盛り上げることが目的だから、他の版元と争う気はないのに対し、鱗形屋の方は完全に違う。でも自分のやっていたことを棚に上げての話だし、ある意味で逆恨みだからね。あまり同情はできない。家族を使ってなりふり構わない様子も引く。商売人なら、そして出版人なら、もう少し自分の才覚で頑張るべきかな。
馬面太夫を引っ張り出すために検校に繋がるってすごい脚本だなと思った。察しのいい検校だからとっくに蔦重と瀬以の思いには気づいているだろう。2人の声が聞こえると気が気ではないよね。脈をとるシーンが怖かったなー。その後馬面太夫に知らせが届くけど、あれは寛容なところを見せて2人に自分の存在をアピールしていたんだろうなー。それにしても蔦重のアイデアはすごい。それも人の心を掴むアイデアが降って湧いてくる。そういう人じゃないと時代の寵児にはなれないよね。
そりゃ毎度毎度当たってたら出来過ぎだと思うし、今回の本は高額商品だしなかなか売れないというのは仕方ない部分もあるだろう。
よっぽどお金が余っている人以外、こういう生活とは離れた部分にお金を出せる人っていないもんね。
花魁を指名できる人くらいなものかな?
瀬川が去った吉原は次の一手を探さないと客が減っていくと心配になるのは親父さんたちものようで。
市中の本屋と取引がしたいと抜けていった人たちも根っこは同じなのだろう。
女郎を吉原の外に連れ出して馬面太夫に合わせるというのにはかなり驚いた。
でも、四民の外のある意味同じ立場だからこそ通じることもある。
当時の立ち位置を自然と説明調にならずにセリフに組み込んでりつが話すシーンは、なんだかハッとさせられた。
脚本書いている人、よく勉強しているね。ここで富本節の富本牛之助こと後の富本豊前太夫をもってくるとは。
富本節を知っているなんて人は少ないし、蔦重との関係を知っても、このドラマでは北尾重政でさえ端役だから、ちょっと触れるだけかと思いきや、うまく鳥山検校らとうまく搦めて出してきたのは見事だと思う。
吉原に肩入れしすぎだったけど、それをうまく生かした形になっています。なかなか面白い展開でした。
吉原にだって普通の生活がある。外で子供が遊び花魁が本を読む、そんなことを知っている蔦重だからこそ出せた本なのだろう。一生に一度の絵になった瀬川を送り出した蔦重。花魁道中が見事で震えた。大門の前で待つ蔦重の妻になることは叶わなかったけれど、同じ夢を見た同志はその志を忘れなければ永遠に繋がっていられるのだ。瀬川が大門を出た先で待つ検校の耳にも蔦重の声は聞こえただろう。目の見えない検校に見えない本の話、皮肉にも聞こえた。
瀬川の道中は見事だったな。
大名跡継いだだけのことはあると思わせる貫禄と華やかさ。
他の方が一緒に歩くことで、その差が余計に際立つ構成が素晴らしい。
何より、歩いた跡の八の字の美しさには鳥肌が立った。
その前の、蔦重と松葉屋の会話の粋さ、そこからの蔦重と瀬川の会話の切なさ。
だからこそ、道中最後に視線も合わさず大門を出ていくところで何とも言えない気持ちが込み上げてきた。
話がつまらないわけではないけど、蔦重とくれば歴史に残る浮世絵画家たちの登場が興味の対象になる。ここまでは北尾重政と勝川春章が端役で出て来ただけ、磯田湖龍斎はどうだったかな?
今後は喜多川歌麿、太田南畝、山東京伝、東洲斎写楽など、更に有名どころと関わるだけに、出版の商売話だけでなく、蔦重の浮世絵への想いがもっと描かれてもいい。でないと写楽の斬新な大首絵に繋がらないと思うんだけど。
瀬川の最後の道中は華やかだったし、彼女の笑顔は寂し気だけど、悪くなかったかなと思います。
そして田安賢丸こと、後に松平定信の評価はいろいろ難しいね。それは田沼意次もそうだけど。この脚本家がどういう歴史観で描くのか少し見えてきたけど、あまり最新の研究成果は反映されてはいないみたいです。
吉原は着飾った花魁がいて優美な世界なんていうのは表の顔、あれは人身売買の地だからね。そのリアルを存分に見せられた今回はずしんと思い回でした。まぁあれで蔦重と年季が明けた瀬川が一緒になるなんて本なら御伽噺もいいとこなのでこれで良かったと思います。それにしても瀬川が身請けを受けないと言った直後からの追い込みは凄かったですね。なんせ一億ごえの身入りのある話だから消えてもらっちゃ困るのでしょう。うつせみの腕の傷は見ていられなかったです。
女郎と若造が足ぬけをして、しかも江戸にもいられないとなれば、蔦重とくれば手に職はなし、大坂あたりまで逃げられたとしても、余程の運がない限り、花の井が夜鷹をするか、一緒に心中するか、確かに幸せな未来など夢のまた夢。
マブ同士でひと時、美しい夢を見られたことに今のところは満足するしかないけど、この後、鳥山検校は失脚するし、いずれ二人は再会して・・・という展開かなと予想する。
まあ希望的観測も込めているけど。
まさかよってたかって殴る蹴るしていた忘八があんなに心強い味方になってくれるなんて世の中何が起きるか分からないもんだね。着飾ったおしゃれな社交場は床に入るまでのもの、その後の労働の辛さをここまで描いたドラマは珍しい。稼げなくても地獄、稼げても地獄。吉原という特異な世界をちゃんと描いてくれているところがいい。蔦重にとって女郎は大切にしたいとか労わりたい存在であっても恋するまではいかないっていうのは切ないね。瀬川の気持ちが報われる日が来るといいな。
新しい細見が売れて、吉原に人が来るようになって良かったとばかり言えないのが悲しい。
新しく瀬川を襲名した花ノ井見たさに来る人も多いということは、それだけ相手をしなければいけないということ。
店は潤うけれど、それは身を削ってのことだ。
周りからは陰口叩かれる盲人・鳥山検校。金貸しで財を成していて、障害はあっても裕福そうだ。
見えないから退屈だろうと物を用意しているあたりも遊び慣れてるようにも見える。
この検校に瀬川は破格の金額で身請けされるんだよね。
蔦重に心を寄せていたようだけれど、蔦重にはその気はなさそうだし、そもそもご法度だっただろう。
蔦重から本をもらったことで、少しは踏ん切りつく…わけないか。
地本問屋たちは吉原に出入りできなくなったわけだけれど、これで争いが終わるとも思えないし、そちらの行方も気になる。
蔦重は花の井に対して、感心がないとか鈍いという感じではない。近くにいすぎて当たり前の人なので、落籍された時のことをリアルには想像できていないか、あるいは忘八らしく、あえて遠ざけ、彼女のことを友としてしか思わないようにしているか。どちらかといえば前者なのだろうね。いろいろ理屈をつけてはいるけど、忘八のくせにウブって感じがする。
結局、史実で花の井改め瀬川は鳥山検校に落籍されるわけだけど、その時の二人がどう演出されるのか見物です。
江戸期に蔦重という頑張っている人がいたのは理解できる。でも、頑張って客が増えて店が繁盛しても、考えてしまう。
こういう文化があったのは間違いない。
辛い思いをした人が沢山いたのは知るべき。
でも、日本を担う自分たちが見たいドラマではないと思う。
NHK、取り上げる内容を考えて欲しい。
不倫のドラマも多い。
近代だけど、プロフェッショナルに出ているような人達のドラマが見たい。
さすがに中にいる人と、外から通ってくる人では情報の収集量は違うだろう。
瀬川の襲名が際立って描かれていたけれど、おそらくそれだけではなかったはずだ。
それに吉原を活気づかせようという他の者には真似できない気概もある。
仲間に入りたい人と入れたくない人たち。
そのせめぎ合いがとてつもなく面白い。
鱗形屋も解放されたようだし、このままでは終わらないだろう。
細見を薄く見やすく、それでいて情報量は多く。
蔦重のキラキラした眼を見ていると、こちらまで元気になってくる。
天下のNHKで女の股で食わしてもらってるなんてセリフを聞くとは思ってなかったよ。すごいセリフが出てきたもんだ。でも蔦重の熱い想いは伝わったよ。ぐうの音も出ないオヤジ様たちが良かったねぇ。女たちはオヤジ様たちが逆立してもできない仕事を毎日毎晩やってるんだ。そこで胡座をかいてるだけの男どもに目の覚めるようなことを言ってくれて嬉しかったよ。他の本屋にとっては蔦重の熱い想いや今までにない発想は脅威だろう。頑張ってほしいね。
この大河ドラマは池井戸潤さんっぽいビジネスとヒューマンドラマを、江戸時代を舞台にやってしまおうというコンセプトなのかもしれないですね。
田沼意次による問屋株仲間の公認などの積極経済政策ともからめて、江戸で半沢直樹とまではいかなくとも、ビジネスバトルをくりひろげることになりそうな気がします。そこをどこまで面白く描けるかですね。
瀬川の名跡を継いだ花の井ですが、史実では鳥山検校が1400両で身請けし、後に鳥山は罪をなし、瀬川がどうなったのかはわかりません。このドラマではどう描くんでしょうね。
武元も酷いよね。財政が苦しい時は知らん顔で田沼のことを金金言ってる汚いやつだと蔑んでいたくせに、田沼がやっと財政を持ち直したところ人の働きを褒めることもせず今度は金のかかる寺社を詣でたいと言い出すんだからたまらない。その上で田沼を馬鹿にしてほんといけ好かないじいさんだこと。で、蔦重も鱗形屋が自分のことをどう使おうか考えているところを聞いてしまう。いつの時代も世知辛いねぇ。でもお天道様は見ているのかねぇ。このチャンスをモノにできるか、腕の見せ所だね。
鱗形屋が偽本という後ろ暗いことをやっていたこと、西村屋と結託して蔦重をいいように使うつもりだったこと、それだけわかっていても告げ口しなかったのはこれまでの恩もあったからだろうな。
危ないからやめろ、と言えるのは知っていると鱗形屋に伝えることでもあるし、言わなかったというより言えなかったというのが正しい気もする。
長谷川が言っていた、上からの指示というのはどこかの家中をかばうための尻尾切りなのだろうか。
田沼家のこれからの悲劇への布石もされたし、なかなかに見どころが多かった。
それに、棚から牡丹餅、濡れでに粟は、たとえ気が引けても有り難くいただくというのはなるほどと感心した。
事情がどうあれ、鱗形屋はやっちゃあいけねぇことをやっちまったわけだし、蔦重としては後の鬼平こと長谷川が言う通り、棚から牡丹餅ならぬ粟餅を美味しくいただく他にないだろうね。史実としても鱗形屋の不祥事に乗じたような形になっているし。
それにしても松平武元は老害のように描かれているね。江戸時代最長となる老中を32年間も務めたほどの人物であり、田沼意次とも関係が悪かったという話は聞かない。意次を再評価しようという意図なのだろうけど、そのために違う人物を下げるのは違うと思うのだけど。
唐丸は誰だったのだろう。
傷のある侍に脅されていたから、きっと何かやったんだろう。
でも、あの頭の良い穏やかな唐丸が自分の欲で何かをやったとは思えないから、やむを得ない理由なんだろうな。
燃え上がる建物をぼーっと見ていた姿が思い出される。
侍を道連れに川に飛び込んだけれど、見つかったのは侍だけ。
きっとどこかで生きていると信じよう。
大人になって、ふらーっと現れる。
そして錦絵を描く。
吉原流の良い想像で先を待っていよう。
唐丸〜、とうとうどこの誰だか分からないうちにいなくなってしまった。ずっと蔦重のそばで支えていくバディみたいのを期待していたから、こんな唐突で悲しい展開になるなんて思わずとても驚いた。蔦重と花の井がやっていた妄想ごっこのようなものは一種のセラピーで親しい人を突然なくした時の対処法として有効だろう。ここにはいないけどどこかで幸せに暮らしていると考えることで自分も救っているのだ。死体は上がっていないのだからまた再開できると信じている。
これはフリかな。いずれ大人になった唐丸と再会し、彼は東洲斎写楽になるって寸法だね。まあそれなら蔦重があれだけ豪華な雲母摺の大首絵を、いきなり新人に描かせた理由にはなる。おそらくそんな展開になるんだろう。
それにしても簡単に開国なんて話が、先見性がある人の言葉のように描くのはいかがなものか。開国の気運が高まるのはアヘン戦争で清朝が敗北したのが大きい。それ以前の田沼意次がそんなことを考えていた筈はない。
それに江戸の町人文化が本当に花開くのは文化文政期で、この直ぐあとのこと。成金が華やかだっただけの元禄は違い、まさに江戸に生きる普通の町人たちが作り上げたもの。それこそある意味で文化的な市民革命だった。そこが蔦重を取り上げる面白さなんだと思う。
そういえば、このころは株仲間っていうのがあったんだったかな?
吉原の店だって同じだろうけれど、蔦重は経営側じゃないから知らなかったのかな。
一生懸命に働いて、成果をかっさらわれた形だけれど、まあ良い勉強だったんじゃないかな。
どこかに奉公して、そういう経営側のことも勉強することになるんだろう。
それにしても、絵を描き直した少年は、のちの歌麿だろうか。
刷り上がった錦絵はさすがに美しかったな。
自分が生まれ育った世界が全ての今よりも知識を仕入れる場所も限られているし似たような人しかいない世界では情報が限られているから蔦重の失敗はいい勉強だと思って出直すしかない。とは言え世知辛い。江戸時代は今よりもずっと親ガチャが全て、貧しくて吉原に売られてくる娘もそこに生まれたから大店の旦那になるぼんくらも生まれた場所が全ての結果。急に違う仕事を始めようなんてしがらみだらけで難しいんだね。騙されてタダ働きに怒る、蔦重。怒れ怒れ!今の人にはそれが足りないような気がする。
蔦重、ちょっと無知すぎないか?江戸っ子で情報通の蔦重が、いわゆる「株仲間」のシステムを知らないってことはないと思うんだけどね。
当時の商売人にとって常識に近いことだし。これを強く推進したのは田沼意次だけど、享保の改革でも公認しているわけだし、商売をしている者にとっては、当たり前の情報だ。
だからこの展開だと蔦重がはめられたというよりも、吉原細見をほぼ独占していた鱗形屋に、吉原に明るい蔦重が取り入ってさまざまな出版に関するノウハウを学んだというのが正解だろう。
だから修行の時期っていう描き方でいいんじゃないの。いろんな出会いと学びを得るって形でね。ちょっと格好良く若き改革者のように描きすぎ。
横浜さんと小芝さん、若い二人の演技はいやらしさがなくて、テンポも良く見ていて清々しいです。一つだけ気になるのは、子供に聞かせたくない言葉、居てほしくない場面に子供が居るというのが、実際はそうだったのだろうけど、テレビで放送されると考えるとそこは配慮してほしかったです。
今よりもずっとずっと縦のしがらみが強かった時代。
自分の頭を超えて動き回る蔦重に駿河屋が鉄拳制裁を下すのは想定内。
でもそれで縮こまらずに動き回れないと大物にはなれない。
二文字屋に間借りして一目千本を思いつき作るくだりはワクワクした。
ただただ、女郎の姿絵を並べても途中で飽きるし、見るだけで満足してしまう。
花に見立てたことで、この花に例えられるってどんな女性だろうと見に行きたくなる。
誰もが出入りするところに見本として置くこと、馴染みになった人だけもらえること、すごいアイデアだと思う。
馴染みということは少なくとも2回は通わなくてはいけない。
ただ、今回の本は鱗形屋を通していない。
同じ本でも面白味も旨味もないし、話題になればなるほど苛立ちも募るだろう。
ここからの蔦重との関係がどうなっていくのか気になるところだ。
これって結局人気が下火になった風俗街をどうにかしようとその町に暮らすボーイがなんとかするって話なんだよね。そう思うとそれを大河でやるのか‥と疑問が湧く。子供の歴史教育にもなるのが大河じゃないのかねぇ。御上に助けを求めるんじゃなくてまずは自分たちでやれることをやってみろ!っていうのも今の時代に通じるものがあってなんとも世知辛い。今回は蔦重のやりきった笑顔に救われたけど、相変わらず暴力も多いし治安悪いしなんかついていけない。
蔦重はこの時代の江戸の町人らしい、いろいろ制約があるなかでしたたかにやりたいことをやるところがいい感じで出ていますね。
江戸の人は見立てとか判じものが好き。現代人ではピンとこないかもしれないけど、とんちとか皮肉のきいた凝ったものがたくさんあった。まあ見立てや判じものならどうとでも取りようがあって、権力者を揶揄しても、言い逃れができるからね。本当に江戸らしい文化だと思う。
ただ吉原の凋落は武士の石高が変わらないことと米価の変化、それにともなう町人の台頭と連動していて、豊かになった町人たちは格式が高く、お高くとまった吉原よりも、敷居が低く、小粋な深川の辰巳芸者など岡場所の方に向うようになったという側面がある。その吉原も蔦重の頃には、太夫とか格子といった格式の高い遊女はすでに姿を消していたしね。
固定された階級社会である江戸時代の上位を占めた武家の経済的凋落が、江戸末期の町人文化を産み、それを抑えようとした改革のおかげで更に巧妙かつ強靭になっていくわけだけど、蔦重を通してそこが描かれるのに期待したいです。
安田顕さんの軽妙かつ奥行のある怪しい芝居で最後までもたせたという感じです。平賀源内という奇人をまくしたてる隙間のないしゃべりによってその独特の執着心とか奇矯さを表現し、安田さんらしい哀愁と狂気が少しだけ零れ落ちるような雰囲気が見事でした。
対する小芝さんもこれまでの彼女の芝居では見たことがない艶やかな色気と世馴れていながらも、蔦重にむけているのであろう微かに漂う純情さが良かった。
でもそれ以外はというと肝心の蔦重がもうひとつ。流星さんの芝居がどうというのではなく、蔦重という人物の芯みたいなものが見えない。あそこまで突っ走るにはそれなりの思いが必要。吉原のためとか大きいことを言っても、まるで今、歌舞伎町でアルバイトしている青年が、歌舞伎町の繫栄のためとか言うのと同じで説得力が弱い。もう少し強い動機が欲しいかな。
あの厠の人は平賀源内でしたか。書いてさえくれればいいと言われたって宣伝するのに良さを知らなきゃ書けないよね。でも正体不明のままのお客に大盤振る舞いできるほど蔦重だってお金はない。このままじゃ中途半端になっちゃうーというところで身元がバレる流れは良かった。当の平賀源内が男色化じゃ筆も乗らないかと心配したところに花の井登場も無理がなくていい。お客様のことを理解してそれに適したおもてなしをと考えるところが花魁だなー。
浮世絵はそぎ落とされた美しさや巧みさから気になっていたし、何度も美術館に足を運んだりした。
時代背景はその時に説明されていたものを読んだりはしたけれど調べたこともなかったし、さらにそれを出していた版元までとなると気にしたことすらなかった。
蔦重はのちのそういうプロデューサー的な立場になる人とのこと。
なるほど吉原で表向き華やかなものが集まる究極のところで育ったのか。
光が強くなればなるほど影も濃くなると聞いたことがあるが、花魁であったはずの朝顔姐さんが常念河岸で悲惨な末路をたどるほど厳しい世界でもあった訳だ。
朝顔姐さんの死に対する怒りをどう消化・昇華していくのか。
吉原と文化の繋がり。聞いたことはあっても映像で見るのが楽しみになってきた。
大河で吉原をこんなに丁寧に描いた作品はあったのだろうか。お偉いさんにお酌をして優雅にしている花魁ではなく、そこで働くいろんな人に焦点を当てるってすごく新鮮。売られた子が辛い仕事をするけどご飯は食べられる、それが吉原。なのにそれすらままならないとはこの世の地獄。風呂も入れない女のところに通う男はいない、稼げなければ食えない、最後は裸で打ち捨てられるその現実を余すところなく描く。すごいなと思う。ここから吉原がどう盛り返していくのかとても楽しみだ。
簡単に老中である田沼意次に会えたりするのはどうかと思うし、そんなに女郎思いの好漢だったとも思えないけど、ナレーターの綾瀬はるかさんが化狐で吉原案内をする華やかな趣向があったこともあり、ドラマの良い流れが作られうまい演出だったと思います。
主演の横浜流星さんですが、軽妙さと熱さをうまく演じ分けています。この蔦重がいなければ後の文化文政期の町人文化は花開かなかったと思うし、難しい役柄ですが期待できそうです。