※まだ評価はありません。
| 脚本・ストーリー 2.1 /5.0(42.8%) | 1142位 /1228件中 |
| キャスト 3.5 /5.0(69.2%) | 859位 /1228件中 |
| 演出 2.5 /5.0(49.6%) | 1070位 /1227件中 |
| 音楽 2.3 /5.0(46.2%) | 1094位 /1228件中 |
| 感動 2.1 /5.0(41.4%) | 1067位 /1223件中 |
| 笑い 2.3 /5.0(46.8%) | 849位 /1223件中 |
| スリル・興奮 2.3 /5.0(45.6%) | 1051位 /1220件中 |



最後までイライラしたなー。ほぼ同じキャストで同じ脚本家でNHKとフジでこんなに違うとは!結局最初からシェークスピアが分からなかったし、最後まで久部のことが好きになれなかった。まぁストリップ劇場で時が止まったようなことしかやってこなかった人たちにとって久部が来てからの日々は価値観を大きく変える刺激的な毎日だったのだろう。そしていい時だけを切り取って今楽しんでいる。公民館での稽古は楽しそうだったけどあくまで内輪ウケなのよ。このドラマで響いたって人はどのくらいいるのだろう。
最後まで首を傾げるだけだった。正直、どこが面白いのかわからない。演劇人ってこんななの?と眉をひそめてしまうだけかな。三谷さんの脚本だから何かあると思って見ていたけれど、残念ながら理解も共感もできなかった。
久部にしても、リカにしても、もっと魅力的なキャラなら、めちゃくちゃな行動も後々あんなふうに懐かしむ人がいるのかもしれないけど、そこまでの魅力がない。たとえば久部を演じるのが、若き日の萩原健一さんとか松田優作さんだったとしたら、もっと違う形で納得できたかもしれない。菅田さんがダメというのではなく、カオスを演じるにはそれに飲まれないカオスを抱えていないと対抗できないかな。その意味で昭和のテイストが欲しくなる。
最後に久部のもとにシェークスピア全集が戻ってくるけど、舞台を降りても、人生そのものが舞台だから終わっていない、というメタファーなのだろう。でも懐かしんでいる時点でそれはもう終わっているとも言えるのでは?
キャストが全部鎌倉殿に繋がるんだよ、それがいいって人もいるけどそれこそノイズになって気が散ってしまう。そしていつまで経っても久部が好きになれない。あの時代にいてもおかしくないけど、それを懐かしむほど時は経っていないしおじさんを見るような嫌悪感がある。久部は伴さんが言うように自分というものがないのだろう。今もリカにがっつり操られていることを分かってない。支配人の奥さんがしたことは悪いけどだからって久部が頭になりたいと本気で思っていたのか。これは失敗だと思う。
菊地凛子 = 3人の魔女、クベ = マクベス
つまり最終回ではとんでもない悲劇が待っている、ということ?
最終回でハムレットとマクベスをどうまとめるのか期待
ホントによくわからない。この登場人物たちにはまったくシンパシーを感じない。
支配人夫婦を追い出したのはいいけど、このままだと久部は蓬莱に反旗を翻され、また劇団を追われる形になるんじゃないの。それでも多少は成長し、こういうことを繰り返しながら本物になっていくみたいな感じでまとめるのかな。
脚本の意図はわかんないけど、所詮、小劇場っていうのは、東京だから成り立つ芝居。人口が多く、地方の100万都市なら10人しか集まらないものでも、東京なら200人くらい集まるから、それなりに評価されているように錯覚する。少なくとも久部にはそれがわかっていない。
何にしてもこれが当時の演劇人のバイタリティを評価したものだとしたら、舞台演劇の人気が広がらない理由がよくわかる。
これは大失敗でしょう。1980年代の小劇場の世界は興味のない人は何も惹かれないし、これだけのキャストを集めてしまったからモブにはできないけど掘り下げるには時間が足りない。かといってウイットに富んでいるかというと、現代の感覚からはずれてしまっている。肝心なストーリーも何も残らない。
あまり興味のない世界でのドタバタを役者の実力のほんの一部をつぎはぎして繋げ、昔の感覚での笑いの要素しかない物語を、大変なコストをかけて作ってしまったものを見せられているのではないか。
残念過ぎます。
今回も久部の下心(今月のノルマ達成)のためにてんやわんやの回だった。でもみんなが演技やここでやる演劇に目覚めた今だからこその臨場感とチームワークがあってすごく面白かった。誰よりも真面目に演劇に向き合ってきたトニーさんがここでフェイドアウトは悲しいな。久部がOKしなくてもオーナーの言うことには逆らえなかっただろう。手を握り合う2人は事の重大さを分かっていたんだね。今や離れたくない居場所となった劇場を汚さないように離れていくトニーが悲しかった。
展開の仕方が、より舞台演劇っぽくなってきたね。舞台にハプニングはつきものだし、昔、芝居に関わっていた時、トニーとは理由が違うけど、役者が電車の遅延で着かず、こんな風にいろいろ引き延ばした経験もある。だからこの失敗とそれでもやり遂げた充実感とのハザマにいる感じはわかる。
で、オーナーが飛んじゃった。このくらいの時代には、夜逃げみたいなのがまだあったからなあ。それよりトニーは大丈夫だろうか。大瀬も警察官を辞めちゃったし。
最後に小栗旬さんが蜷川幸雄で登場。ここは笑うべきなのか?
これも一応時代ものに入るのだろうか。昭和は遠くなったんだなとこれを見て思う。嘘と虚勢にまみれた主人公はギラついていて今の時代にそぐわない。脚本家が古いんだろうな。それとも定番の昔は良かって的なやつなんだろうか。これを見て昭和最高!になる人はいないだろう。むしろ大正とか昭和初期の慎ましく日々を丁寧に暮らす方が今の時代には受け入れられるのに勘違いが甚だしい。ドラマは私物じゃない、脚本家を喜ばすものでもない。どの方向を向いているのか考えた方がいい。
これだけの主役級を集めて、いつ面白くなるのか、我慢して観ている。
もう後半、このままゴールか?
偽物でも、本物だと思い込む圧倒的な力が、現状を打破するってことは確かにあるだろう。久部を演じる菅田さんのすさまじいまでの熱量が、この理不尽でわけのわからない展開の中で説得力を持っていたのは確か。情熱や熱弁で大きな世界の流れは変わらないかもしれないが、目の前の小さな世界は変わり得る。そういうことなのかな。
とは言うものの、相変わらず面白さがいまいちわからない。脚本の三谷さんはいったい何を描きたいんだろう?そもそもそう考えなきゃいけない時点で、ドラマに入り込めてないし。
久部の横領で一気に醒めた。舞台に関しての情熱は独りよがりではあるものの一定の評価はしていたし、昔の仲間に見栄を張りたいとかモテたいとかそういう人間らしい欲にまみれてはいるけれどそこまで悪い人だとも思ってなかった。それなのにその仕打ちはないだろう。その大金をフォルモンさんにあげたところで飲んで食べて終わってしまうのは目に見えているし、それなら舞台が続けられる資金にしようとしたのだろう。でもやってることが人でなしすぎるよ。全然笑えなかった。
はるおは有名人である父親の前であれ、フォルモンには毅然と怒って欲しかったんだと思うね。あんなとってつけた青春劇のような別れを望んではいなかったんだろう。
それにしても久部、あの金はダメだろう?笑えないし、同情もできない。何よりも続けることが一番の才能だと思うし、どんなことをしてでもあがきたいのはわかるけど、これはちょっと違うんじゃないかな。
いろいろ混沌としてきたけど、これってちゃんとまとまるのだろうか。
リカさん一回シェークスピアをやったぐらいでめっちゃ語るじゃん。演出壊してスリラー踊った人が演劇論とかマジ勘弁だわ。八分坂で大真面目な芝居をしたところで白けるだけだから時事ネタもってことで分からなくはないけどぶち壊したと言われても仕方ないでしょう。そしてうる爺の件、先生と慕ってくるうる爺、先生の書いたセリフ通りにやるのが1番いいんだと素直に練習を繰り返すまで久部に心酔してきたのにそれはないよね。あのまま死ななくて良かった。
リカと樹里のバトルは久部に対するさや当て合戦?なんか唐突な感じがするけど、どちらも恋愛感情というよりは、女性同士の牽制という感じもする。更には1回芝居をしただけなのに、演劇について語り始めるリカだけど、こういう奴いるんだよねという三谷さんの皮肉もあるのかな。
うる爺の件だけど、誤解というか、こういう人たちって実はエゴとかプライドを隠しているから面倒くさいよね。久部のせいというより、年齢や社会経験からして、うる爺がもっと冷静にならないといけないんだけど、いかんせん舞台人は役者でも芸人でも熱くなりがちだからねえ。
風呂須の冷静なコメントは味があったけど、小林薫さんというアングラの大道である「状況劇場」出身の役者が語るからこそ味わいがあるね。
久部さんの中にあるシェイクスピアを完璧に表現できるようになるまであの苦悩が続くと思うと人生が苦行に思える。自分の産んだ子どもだって思うように育たないのに他人を思い通りに動かそうなんて無理。いくら青筋立てて捲し立てたって熱い思いを語ったって、あそこまでのシェイクスピア愛を分かち合える人はいない。かわいそうっちゃかわいそう。だから都合よくリカが頷いたりするとすぐ絆されてしまう。若い、の一言で片付くなら簡単だけどこの人はどんな中年になっていくのだろうと行く末が見たくなった。
初日の演出家の気持ちはよくわかる。ホント、もう何もすることがなくて、不安だけがのしかかってくる。まあこれだけハプニングがあれば、暇とはいえないけどね。
そもそも無理があるとわかっていてやったんだから、久部があそこまで落ち込む理由がわからないな。落胆はそれだけどこかで期待していたってこと。それは役者たちへの信頼というより、自分の才能に期待していたんだろう。
「彼女たちは脱がされているんじゃなく、自分で脱いでる」みたいなセリフがあったけど、彼女たちはその意味でプロ。少なくとも久部よりも、人に見せるということではプロな連中に、あれでは駄目だと思う。
菅田さん、そういう役とはいえちょっと叫びすぎ。
八分坂のストリップ劇場と蔑まれている人たちがいい感じに刺激されて、目覚めていく様子に興奮する。シェークスピアに取り憑かれた男とシェークスピアをまるで理解していない人たちの温度差さえも個性になって見たことのないいい舞台が出来上がったのではないだろうか。それにしてもお巡りが邪魔すぎる。自分ではいいことを言っているつもりだろうがそんなことは誰でも知ってるし、だからこそ言われたくないのに笑顔で塩を塗りつける。自分の仕事もしないで他人のことに首を突っ込まないでほしいわ。
みんなが徐々に役者になっていくというのは、それぞれすべての人が人生という芝居のキャストになっていくという意味なのですかね。まあそこは見る側が好きに考えればいいことですが。
素人劇団も様になってきました。もちろん本当に現実で素人がやれば、こううまくはいかないけどね。
二階堂さんとか、完全に舞台演劇の発声や動きになっていたし。
群像劇として、それぞれがいろいろ成長していく話なのはわかった。起承転結の起承までは進んだ感じ。問題は転。どう変化させるのか。
映画の方が良かったのではないかと思う。「ながら見」の人が一定数以上いる地上波ドラマではこの内容では広まらないと思う。
ただここまで大々的にやったのはフジの戦略のような気がしてきた。スポンサー離れがひどいフジはよりを戻すため必死だろう。
25年ぶりに三谷さんを民放地上波引きずり出し、この面子を集めて力がまだあることを誇示。この内容は営業上も武器になっただろう。そうだとすると放送開始になった時点でフジの目的の大半は達成しているのでは。
そんな風に勘繰りたくなるほど散漫な内容だ。
三谷作品なのにあまり面白みがないように感じます…
ところでなぜ反日のアンミカが出ているのかがわからない…
日本は世界の恥と仰っていたので、さっさと日本から出ていけばいい!!
なぜ世界の恥である日本にいるのかわからない!!
久部の熱量に誰も追いつけなくて彼のシェイクスピア愛が届かない。とても利己的ではあるけれど、それでも見ていくうちにこれだけの思いがあるのに誰にも分かってもらえないのは辛いだろうなと久部に同情的になってしまった。とはいえ演劇を見ようって人からも難解すぎて敬遠される久部の演出をストリップ劇場で見てわかる人はどれほどいるのか。それで売り上げを上げるなんて夢のまた夢だと思うが果たして。このドラマの面白さもイマイチ伝わらない。三谷さんが久部にならないことを祈っている。
オーナーの口から「状況劇場」の名前が出てきましたね。なつかしいです。赤テントでの公演を見ましたけど、アングラ劇全盛期のカオスぶりは凄かった。ひとつの社会現象でもあったし、若者のトレンドでもあった。
ドラマの方だけど、芝居好きでもなく、やる気のない人に役者をやらせるのは至難の業。久部は粘り強く、やる気にさせようとすることで、蜷川幸雄のコピーから脱却するということなのかな。ストリップ小屋の連中は、何かを演じることで自分たちの可能性に気付くみたいな。
いずれにせよ、今時にはない内容のドラマだけど、見続けたいほど面白いかと問われると微妙。
脚本家を中心に主演級キャストが囲んでいる告知がこれ見よがしだしハードル上げすぎ。その期待に届いていない。
40年も前の演劇界には興味ない。そうすると設定がただ古いだけになる。笑いのセンスもずれてるし、懐古主義の物語。
神木や浜辺がこのまま終わるとは思えないけどもう少し何とかならないものか。
覗きや盗撮みたいに見せなくない人をターゲットに自分は顔を隠して犯罪を犯すより、ストリップ劇場に足を運んでダンサーさんと顔馴染みになるくらいの距離で接することができる人の方がよっぽど人として成熟していると思う。ダンサーだってそこでしか仕事ができないわけでも売られてきたわけでもないんだし、劇場でしか脱がないならいいと思うけどね。汚いものを全部排除して綺麗な顔してすましている。その捌け口が犯罪なら、やり方を間違えたとしか思えないね。
この頃は単純でわかりやすいストーリーで、キャラもどこか極端で子どもな中二病タイプのドラマが多いんだけど、これはいろいろと猥雑で、キャラも中二病ではない。そこは三谷幸喜さんらしいなと思う。でも個人的にはまだ面白いとまでは評価できない。
確かにこの時代、いわゆる小劇場の第三世代が人気にはなったけど、本当に売れたのは野田秀樹、如月小春、鴻上尚史らごく一部だし、劇場だってスズナリが100人ちょっと、本多劇場が380人くらいだよ。毎日公演して客が集まるわけがないし、儲かるわけもない。まあ第四世代で映像活動が多い三谷さんには、第三世代へのちょっとした憧れがあるのかな。
何にしても支配人の話は考えさせられるね。昔みたいに客の芸を見る目が肥えるのではなく、単に刺激や過激を求める時代に変わっていく。お笑いとかyoutubeなんかも、そうなっているし、三谷さんの本音なのかもしれないなと思う。
これが大御所の力だ!ってぐらいの豪華キャストが盛りだくさん。セットもガチャガチャと凝っていてお金かかってるねーって感じ。三谷さんの脚本で出たいって俳優さんはたくさんいるから集めるのには苦労しないだろうけど、なんか権力の塊みたいで白けませんか?そして時は1984年だって?どうせギラギラしていてあの頃はアツかった!とでも言いたいんでしょ?だいぶ老害出ちゃってるでしょ。あの頃みたいに活気のある日本に!とでも言いたいのか?めんどくさ。
これだけのキャストを集めて千葉に巨大なセットを作ってやりたかったのがこれ?
全然面白くない。何も響かない。
舞台は1984年ってことらしい。あの頃の喧噪とか猥雑さは出ているけど、この速度感は平成とか令和だよね。あの時代はもっと腰が据わっていたというか、軽薄なのに重しがあるような感じだったように思う。だからこの時代に野田秀樹の「夢の遊眠社」みたいな早いセリフ回しの芝居が破壊的インパクトを与えたわけだし。
久部みたいな蜷川幸雄かぶれって、演劇人にはいたよね。下北沢あたりにはたくさんいた。妙に無頼を気取ったり、意味なんかわかっちゃいないのに、とにかく灰皿を投げては、勝手な理屈をわめいていたなあ。世間知らずでぼったくられるのもお決まりだ。
全体的に随分とごちゃごちゃしてるけど、群像劇を意識しているのだろうし、ちょっと舞台演劇的な演出の匂いもする。まあそれらはすべて確信犯に演出しているのだろうけど。
それにしても小池さんと二階堂さんのダンスは妖艶だった。
ドラマとしては、もう少し見てみないと、何とも言えないかな。