※まだ評価はありません。
脚本・ストーリー 1.9 /5.0(38.8%) | 1050位 /1076件中 |
キャスト 2.6 /5.0(51.6%) | 1020位 /1076件中 |
演出 2.0 /5.0(39%) | 1051位 /1075件中 |
音楽 2.2 /5.0(43.8%) | 1004位 /1075件中 |
感動 2.1 /5.0(41.2%) | 961位 /1070件中 |
笑い 1.5 /5.0(29.6%) | 1014位 /1070件中 |
スリル・興奮 1.8 /5.0(36.8%) | 1027位 /1068件中 |
おおよそプロが脚本演習してるとは思えないぶっ飛んだ話だったが、幼年期のやんばるの話は好きでした。悪い意味で俳優さんの名前は覚えましたが、まあ今後に期待ですかね。因みにオープンニングは名曲ですよ!
暢子を演じた黒島結菜さんが、良いも悪いも沖縄女性を代表する顔になりましたね!それほど強烈な個性でした。演技の巧拙とは別に俳優さんはその人物に成り切ることが一番大切だと思っています。その意味では黒島結菜=比嘉暢子でした。
昭和47年5月15日、沖縄が日本に復帰したと同じ日に、やんばる地方の高校を3月末に卒業したばかりの18歳の少女―比嘉暢子さんが東京に出稼ぎに出掛けた一代記でした。私の中では比嘉暢子さんは実在の人物のように生きていて、今でも面影は鮮明です。
日本の田舎の中でもど田舎の高卒の女の子が18歳で東京のど真ん中の銀座にいきなり出て来て、田舎言葉丸出しで働き始めるという設定が突拍子もなくてどんどん引き込まれました。日本も東京もまだそんな自由闊達な時代だったんですね!
将来のことは分かりませんが、沖縄は、日本から別れて独立するような予感がします。沖縄は、独立国として立派にやって行けると思います。そして、日本と中国の間に存在する安全保障上重要な役割を果たす事になる筈
12月31日の紅白歌合戦で、暢子がゲスト出演しました。
暢子を演じた黒島結菜さん少し瞳が潤んでいましたね。
最後の最後までご苦労様でした。
ドラマはとっくに終わった。ゲームセットです。
黒島結菜さんが紅白歌合戦にゲストで出るそうです。三浦大知さんの「燦々」の応援でしょう。黒島結菜さんに、暢子が結婚式で着た「琉装」で出演して貰いたいと願っていますが、難しいでしょうね。今年の最後にもう一度、暢子の琉装を見たい。
12月19日午前零時からスーパースターの技術の饗宴を堪能した。メッシ選手vs.エムバペ選手の頂上対決!おそらく歴史に残り永く語り継がれるだろう。朝ドラ「ちむどんどん」の終わった後にW杯カタール大会があったと記憶しておこう!
私は暢子を演じた黒島結菜さんに見果てぬ夢を抱いています。
それは、いつの日にか黒島結菜さんに沖縄県を背負って立つ政治家になって貰いたいという夢です。1997年3月生まれですから黒島結菜さんは現在25歳です。まだお若いように見えますが沖縄を代表する政治家になって貰うためにはそれほど時間は残されていません。どうか、女優としてご活躍される中で自らが沖縄人であることを常に頭の片隅に入れてご活動されることを願っています。これからの20~30年の内に沖縄の方々が黒島結菜さんを必要とする時が必ず来ると確信しています。
『#最後の写真』黒島結菜さんが出演している「クロサギ」が来週最終回を迎えます。主役のクロサギを演ずる平野紫耀さんとヒロインの 吉川氷柱を演ずる黒島結菜さんの二人の黒ずくめの写真が『#最後の写真』として大評判になっています。暢子役で黒島結菜さんは一皮剥けましたね!良かった!
脚本の羽原さんは昭和の時代しか描かなかった。平成から令和の約30年間などの日本は馬鹿馬鹿しくて描く気にはならなかったのだと思います。それは、個性を無視したみんな表面的には一緒という教育や家庭の躾などに反発していたからでしょう。特に暢子のような生き方は今の日本では寄って集って潰されます。
クロサギの氷柱役の黒島結菜さんがいい女になってきた!
ちむどんどんで叩かれても黙って耐え続けたからね!
クールな雰囲気でインテリの役なら何でもこなすでしょう!
やはり暢子の役は無駄ではなかったね!黒島結菜さんさすが!
沖縄出身の南沙織さんが「17才」で鮮烈デビューしたのは昭和46年夏でした。南さんは昭和29年生まれで暢子と同い年でした。南さんはノーメイクで黒っぽい肌で唄っていました。暢子に扮した黒島結菜さんも黒っぽい肌の健康美人です。南沙織さんは篠山紀信さんの奥さんとなり3児の母、今はお孫さんもいるおばあちゃん。「17才」良い歌でしたね。作詞が有馬三恵子さん。作曲は筒美京平さんでした。~~誰もいない海~~早く早く捕まえに来て~~好きなんだもの、私は今、生きている~~
1961年の獅子文六の「娘と私」から朝ドラの存在は知ってますが、全125話を通して観たのは106作目の「ちむどんどん」が始めてです。何が私をそこまで惹き付けたのか?やはり、主人公の暢子の生き方に共感したからだろう。今の日本の社会では暢子の生き方は総スカンを喰うでしょう。ただ、昭和29年生まれ、しかも本土復帰前の沖縄やんばる地方というド田舎で生まれ育った比嘉暢子という一風変わった女の子は、私のような悔い多き人生を送った人間にとっては、極めて魅力ある存在でした。
みんなの感想に載せたお詫びの文章が12月15日に消されました。消したのではなくて消されたのです。分かる人は分かってくれると思っていますが、ここに記しておきます。
ちむどんどんが懐かしいね。今の朝ドラ観るに耐えん!
悪口を取り下げたのが増えています。
集団ヒステリーのような「ちむどんどん」叩きにやられたね!ある悪意ある特定批判勢力がいたように思います。7月8日奈良で起こった故安倍晋三氏へのテロ事件なども無縁ではなかったと思います。
ちむカムどんカムちむカムどん舞 ーーアレッ?
暢子のコック帽姿と髪の毛の束ね方はどう見ても失敗でしたね。
レストランの客席や厨房の風景をチェックしてないはずはないと思いますけどね。鶴見の安食堂の「あまゆ」ですら、髪の毛は束ねていたのにね! 暢子用に特注品のコック帽を用意する手もありましたね。
日本の内地の人の沖縄についての知識は深まったと思います。綺麗な海はもちろんのこと。独特な沖縄弁、数多くの沖縄料理、三線の音色、赤屋根、沖縄の家の造り、琉装、ウークイの儀式、共同売店、長男第一主義etc.etc.そして何よりもおおらかな沖縄の人々の考え方。ドラマ「ちむどんどん」を見て、これまで知らなかった様々な沖縄を学ばせて貰いました。
主人公(ヒロイン)は、あくまでも一人にすべきです。脚本家に若草物語をヒントに出したというNHK側のミス。4人の物語にしたために、ヒロイン暢子の心の葛藤など内面の描写が殆んどなく成長過程を描き切れなかった。沖縄のやんばる地方というド田舎で育った一少女の成長物語を観たかった。
実際に日常的にあった内地で生活する沖縄人に対する差別の実態が描かれたならばドラマへの印象は随分と変わった筈だ。アクセントが異なる沖縄弁への違和感、ルーズでいい加減な沖縄人の金銭感覚や、身勝手な考え方が必要以上に強調された感があった。本土に復帰しても沖縄人は片寄せ合って生きていくしかなかった視点がドラマ全般に欠けていたと思う。
演出の落ち度は、コップ帽を被った時の暢子の髪の毛の問題。演出家が何を考えたのか、わざとそのようにさせたとの記事を読んだ。その髪の毛問題がドラマ全体の悪評に繋がったと言える。また、暢子の庖丁さばきは、撮影方法でカバー出来るレベル。この点も演出陣が未熟であった。厨房にセリフなしのプロの料理人を入れるなど工夫の余地はあった。指も腕も細い黒島結菜に、親父のネーム入りのゴツい出刃包丁は無理があった。いずれにしろ、4人兄妹の設定だったために、ヒロイン暢子の描写が散漫になってしまった。
暢子一人っ子の物語にすれば名作になったかも。ニーニー、良子、歌子が加わって物語が散漫になってしまった。沖縄の一少女比嘉暢子の一代記でよかった。
歌子は死線をさまよっているような描写だったが、その後は元気だったってことで良いのかな。海に叫んでいたけれど、海のかなたに浄土や楽土があるという信仰的なものかな。祈るならわかるけれど、叫ぶのはドラマだからなのか沖縄では叫ぶのか?それにしても願いが届いて良かった。突然令和になって、子どもたちまでいて、幸せそうでホッとした。あのカラダだと、さすがに子どもまでは無理な気がしていたから。みんな白髪だったりしたけれどちょっと違和感が大きくて時間が経った感慨みたいなものまでは感じられなかった。でも、子役たちも見えたし、暢子たちの若かりし頃の沖縄のシーンも懐かしく感じた。
最終回前にして歌子が生死を彷徨い兄妹が集結して海に叫んだと思ったら、令和に飛んでいた‥。最後はまるでコントのようなみんなの老け顔、最後の最後まで破天荒なストーリーについていけない。でも戦争でひとりぼっちになった優子が賢三と出会い、歳をとって孫やひ孫に囲まれて幸せになったってところはとても良かったかな。家族ってああやって裾野を広げていくんだよね。でもそれも今や結婚しない人や子供を持たない人が増えたから珍しい光景になったのかも。
それにしてもやっと終わる!と思った朝ドラは初めてでした。
朝ドラでは高齢になるまでを演じるのが定番だけど、今回はいつにも増して老け役が似合わなかった。年を取ると声が低くなり、テンポも遅くなる。そこが変わらないのに、メイクだけ老けてもね。正直、歌子のために海で叫ぶって、1970年代の青春ドラマでもあるまいしと思ったし、後日談も家族の話だけ。特に感動もなかったし、最後まで首を傾げる内容でした。そんな中で唯一、気になったのが、まもるの存在です。彼は優子と同じ収容所にいたというのがわかりました。賢三と優子の再開シーンにチューリップハットの人が映っていたからもしやと思っていましたが、これで確定ですね。きっと裏設定として、まもるは優子の弟が亡くなったのを見ていたひとりで、自分も戦争でひとりとなり、黙って優子を助けていたいたんでしょうね。ダメな脚本でしたが、まもるのことがわかったことで少しだけ評価が上がりました。あくまでもほんの少しですが。
人生を振り返る勉強になりました。何事にも前向きな姿が勇気付けられました。最後に海に向かってお父さんと叫ぶシーンは亡くなった私の父と重なり涙が出ました。色々と批判が出た意味がわかりません。主役のこも好感持てました!色々と前向きに慣らせてもらいました。ありがとうございます!
金吾や下地先生が再登場です。やはり博夫よりも金吾の方が良かったのでは?と思わせるところが良かったし、下地先生は変わらず歌子の心を支えているなと思います。まもるの初めてのひと言も良かったです。もっとこういう気持ちのいい人たちとの交流を濃密に描くべきでした。それなら暢子も無神経さではなく、天真爛漫な印象を残せたように思います。歌子は明確な病名があるわけではなく、いわゆる病弱。私もそうだったから、突然倒れるのはあるあるです。でも年齢と共にそんな体との付き合い方もわかってくる。ラス前の出来事でいきなり悲劇というのはないと思うし、焦らず、楽しく生きればいいのだけど。
とんとん拍子で進む中オープン前日に麺が届かないハプニング、当日までに徹夜して麺を完成させる。そこには周囲の温かい協力があり、励まし手伝ってくれる親類がいる。これこそ見たかった風景だと思いました。今までこういうことがあったならもっと違うドラマになったんじゃないかなと思い少し残念です。お父さんが一人で建てた思い出の家で、お父さんが一生懸命修行した包丁で、お父さんが教えてくれた沖縄そばを作る。やっと朝ドラらしくなったと思います。
姉妹夫婦3組と母親とで協力して麺づくりをするというのは、きっと家族の絆みたいな感動的シーンを演出したくて用意したのでしょう。でも申し訳ないけどそんなに感動できません。理由はふたつ。ひとつは時間さえあれば素人でも作れるくらいの麺なのかという疑問。良子は料理が苦手だし、博夫も和彦も家事なんてやっているのを見たことが無いのに、失敗なく麺が打てるものなのでしょうか。ふたつめは「暢子が言うなら大丈夫」というほど、暢子の成長がしっかりと描き切れてはいないから。どちらもシナリオや演出の問題ですが、とてもご都合主義に見えてしまいます。
姉妹夫婦3組と母親とで協力して麺づくりをするというのは、きっと家族の絆みたいな感動的シーンを演出したくて用意したのでしょう。でも申し訳ないけどそんなに感動できません。理由はふたつ。ひとつは時間さえあれば素人でも作れるくらいの麺なのかという疑問。良子は料理が苦手だし、博夫も和彦も家事なんてやっているのを見たことが無いのに、失敗なく麺が打てるものなのでしょうか。ふたつめは「暢子が言うなら大丈夫」というほど、暢子の成長がしっかりと描き切れてはいないから。どちらもシナリオや演出の問題ですが、とてもご都合主義に見えてしまいます。
追い詰められた時の人のサガと言うか、嫌な部分ごと大里氏は封印しないと生きてこれなかったのだろう。懺悔と赦しの見ていて心が締め付けられるようだった。大里氏と優子さん世代の話をもう少し見たいと思った。優子さんの姉を思いながらの舞、ここに来て格段に上手くなった歌子の唄。気持ちが伝わってきて素敵だったし切なかった。房子オーナーが今まで沖縄に足が向かなかった背景とかも見たかったなと、海を眺める二人を見て思った。
ようやく沖縄を扱う意味がある内容でした。一般市民を巻き込んだ沖縄戦は、実際に優子のような悲劇や大里のような贖罪をたくさん残すことになりました。沖縄は本土の代わりに、戦争のツケをより多く支払わされた地です。もうそれを知らないし、学ぼうともしない人が多い時代になりましたが、わざわざ本土復帰50年記念作品とうたっていることもあるし、世相としてウクライナで戦争が起こっている時だからこそ、こういう話をもっと随所に散りばめるべきだったと思います。
優子のお姉さんの最期の話が聞けて良かったけど、水をあげなかった話は必要だったのだろうか?何十年も経ってそんな懺悔を聞いてどうしたらいいのか分からない。それが戦争のむごさだとは分かっているけど、遺族に伝えるべきなのかは分からない。でもこれでやっと魂は優子の元へ戻ってこれたのだろうか、だとすれば尊いことだ。家族の消息を知らないで生きている人がいることは今の時代では想像つかない。分からないまま死んでいく人もいるんだろうな。
うわーまた暢子が思いついちゃった。やんばるのそれも観光客など見たことがないその土地で、昔からある今はちょっと作らなくなった料理を振る舞うって儲かるのかね?まぁ自給自足に近いって言ってたから儲けなど気にしてないだろうけど、村の人がみんなそんな生活ならお金を使うことをしてくれるだろうか。そこも謎の暢子人気でなんとかなっちゃうだろうけど、民泊などまだまだ先の時代だし心配だな。それにしても暢子の一言で次の日には廃材が届く‥魔法でも持ってるのかね。
最終盤になって、ようやく沖縄の風景や人の良さを感じました。役者は仲間さんや黒島さんなど沖縄出身者を使ってはいるけど、やはり地方色が強く出る内容の場合、脚本や演出にその土地の出身者の意見などがうまく反映されないと、中身の薄いものになってしまうなと感じます。沖縄復帰50年の記念作品であることを考えれば、貧困から暢子が養子になるかもという辺りまではよかったけど、もっと米軍との関りや、沖縄観光の転機となった沖縄海洋博なども入れるべきだった。暢子も故郷を再発見するのなら、もっと他所やさまざまな味を体験させるべきでした。最後に大城オーナーがどんな問題を持ってくるのかわからないけれど、しっかりと沖縄らしさを印象付けられるものであって欲しいですね。
なにこれ?って言うのが1週間見た感想。来週1週間山原での暮らしを見せたいからって人生の大きな決断をさらっと見せすぎでしょう。東京に出てきて10年、暢子が頑張ってくればくるほどお世話になった人たちも多いはずだし、山原に帰るって言っても様々な反応があるのが普通。しーちゃんなんて息子の家族がすぐそばにいていつでと会える環境からまた1人になってしまうんだよ?そういう別れについてくる痛みを全然描かないのが不自然。誰にも情がないように思えて残念。
あっという間に沖縄移住が決まり、予想通り、店は矢作が継ぐことになりましたが、見たいのはすべてが予定調和なお別れ会の場面ではなく、その過程にあるだろう東京で世話になったそれぞれの人たちとの別れのドラマです。それが大城オーナーだけというのは残念です。考えてみれば暢子には同年代の友だちらしき人はほぼおらず、別れを惜しむべき相手は世話をかけた相手ばかり。そのためか年齢に応じた悩みとか刺激が少なく、ヒロインとして共感が得られにくいのだと思います。なのでまるで仕事人間の高度経済成長期に生きたおじさんが、老後に田舎へ帰るみたいな印象になってしまっています。
脚本、演出がよくなかったのは勿論だが、例えば料理も湯気が立つような出来立て感もなく、宴会なのに控えめに盛り付けられていたり、全体的に茶色の料理なのでますます美味しくなさそうだった。少しの配慮が出来ていない事が随所に見られるのでどうしても大雑把な印象。ヒロインも約10年のキャリアを持ちながら与えられた役作りが全く出来ていなかった。ドラマがいまいちでも視聴者はどこかに納得が欲しい。時間を飛ばすなら料理人として包丁さばき等が上達しているとか時間経過を納得出来る場面が欲しいのだ。半年という長い期間放映される朝ドラが持つ役割はそんなに小さくないと思う。せめて設定が崩壊しているような作りだけはしてほしくない。
ずいぶんと回想シーンが多かった。確かに青柳のお父さんとか当時もいいこと言ってるなと思って見ていたけれど。高齢化で休耕地が増えるのも、若い人が都会に出ていってしまうのも、今でもあるあるな話ではあるけれど、それで暢子が畑をやりたいから戻ってきたいは唐突で。子どもの頃から畑手伝っていたから思い入れがあるとかなのかな?歌子と智の思いが通じ合ったのは良かったとは思うけれど、あまりにもおちゃらけシーンになってしまって喜べなかった。残念。
ミュージカルでもないのに、いきなり歌子が歌い出したのはまあいいとして、智と歌子が結ばれたのはよかったと思います。山原への移住を決めた暢子ですが、なんでも「ちむどんどん」で決められてもと首を傾げたくなります。そもそも暢子が東京に出たのは、たくさん美味しいものを食べて、料理人になるため。だけど勤めたのはイタリアンのフォンターナだけだし、おでんのくだりはあったものの、他に食べ歩いているような描写もない。そして始めたのは沖縄料理。どこに「たくさんの美味しいもの」があるのでしょうか?いろいろ食べ、学び、その結果、やはり故郷の味が一番だと思うのなら説得力があるけど、これじゃあただ「ちむどんどん」したからというだけの、思いつきだけで動いているとしか思えません。そのせいか暢子には人生の積み重ねみたいなものをまったく感じないのです。ここまででたかだか20代後半。もっと中身を濃く描くだけの余裕はあった筈。賢秀のエピソードに時間を割くくらいだったら、主人公をもっと描写して欲しかったです。
やっと歌子のターンがきた!とワクワクしていたのに暢子の食い意地のせいで台無しだよ。あの場にいたみんながこれから始まるであろう智のプロポーズに耳を澄ましていたのに、あんなに長々と豆腐のことで文句を言うなんてどうかしている。そんな性格を知っている和彦がもっと上手く立ち回らないといけないよね。やりようによってはイライラすることもない場面にできるはずなのにこのドラマはそれをしない。あんな茶番を演じさせられて黒島さんが不憫に思えてきたよ。
暢子に博夫が一喝しました。これはまさに視聴者の代弁だったと褒めたいです。暢子は鈍いというよりも、基本的に自分のことしか考えていないという方が正しいように思います。空気が読めないのではなく、そもそも読む気すらない。それに和彦も夫婦なんだから、智と歌子のことを暢子ともっと話していてもいい筈です。それに対して博夫と良子の夫婦はよくコミュニケーションがとれている。夫婦歴の長さの問題というよりも、お互いの性格の問題かなと思います。正直、暢子の愚鈍さは鼻につきます。
歌子ちゃんにとって生きてきて一番と思えるほど嬉しかったんだよね。寝れないほど嬉しかったのは良かったと思うけれど、何がそんなに嬉しかったのだろう。智と少し踏み込んだ話ができたからかな。あの状況なら智から確定的なことを言われたわけではないし。また続きがあるとは思わないのかな。もし幸せの絶頂だとしても、この幸せが壊れることを恐れたりするならわかるけれど、もう嬉しいことは望めないという後ろ向きな気持ちって本当に嬉しい時におこるかな。それにしても暢子はなんとかならないのかな。
なんとなく暢子夫婦は最終的に沖縄に戻る感じのフラグが立った気がしますね。まあ東京の店は矢作に任せるか、譲ってしまって、暢子は沖縄で沖縄の味を守り、和彦は父親が残した仕事を継ぐという展開で、終幕という感じがします。歌子と智の恋模様はじっれたくて、主人公である暢子の恋愛よりもなぜか丁寧に描かれている感じです。それが正解かと問われると首を傾げますが。それにしても善一さんは優子さんとの件といい、ちょっと間が悪いですねえ。ホントに名前の通り、善人だと思うのですが(笑)
和彦がカメラを構えている姿が一瞬お父さんに似ていて少し驚いた。暢子はいつも行き当たりばったりだなあ。せっかく店が軌道に乗って上手くいってきて、きっと楽しくて嬉しい時だと思うのに違う道へふらふら行きそうな雰囲気だ。それにしても歌子が智と山に行くのは良いけれど、さすがにあの格好はないかなと思う。足元は山道だったのに白い靴が避難した小屋でも白いままで、せっかくの良い雰囲気だったのに気になってしまった。和彦と暢子が幼少期に同じような理由で避難していた小屋だから、二人の間にそんな会話があっても良かったのにと思った。
無事に暢子が出産、名前は健彦心が健やかに育つようにっていうのもすごくいい!だけど、お母さんから見た賢秀の人柄が心が健やかってどうなの?散々人に迷惑をかけて、騙されたとはいえ見え見えの悪徳商法の片棒を担いで人を騙していたじゃない?それでもお母さんからの人柄はそんなもんなの?優子は賢秀のことは付き合いたての恋人みたいに変なフィルターかかっちゃう。母親なら現実を見て応援するだけじゃなくてしっかり一人で歩いていけるように叱ることも大切なんだけどね。