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脚本・ストーリー 1.6 /5.0(31%) | 1083位 /1089件中 |
キャスト 2.1 /5.0(41.8%) | 1074位 /1089件中 |
演出 1.6 /5.0(32.4%) | 1078位 /1088件中 |
音楽 1.9 /5.0(37%) | 1064位 /1089件中 |
感動 1.6 /5.0(32.6%) | 1047位 /1084件中 |
笑い 1.3 /5.0(26%) | 1055位 /1084件中 |
スリル・興奮 1.8 /5.0(35.4%) | 1044位 /1081件中 |
ムロ、古田、松山がいなければ。残念。
天下を取り世の中を安定した戦のない世の中にした家康の最期としてはなんとも寂しいものでした。それはなぜだったのか、幸せだった過去のあれこれを思い出すことでしか慰められないとしたら大変不幸なことです。穏やかでよくやったと言われる人生の最期を期待していたのでがっかりしました。淀君の最期もなんだか独りよがり、まず淀君を1人残して介錯人もなしとかありえないしつまらぬ国になるだろうというくだりはただの負け惜しみの呪いにしか聞こえなかった。なんだか残念な大河でした。
先に亡くなった愛すべき人たちが、最後の時に迎えに来るのはありがちな設定だけれど、ずっとあそこから見守っていたということを言いたかったのかもしれないが、せまい扉の中から出てくるとかもちょっと興ざめだった。回想チックな鯉のくだりも家臣団との関係を描いているのだろうけれど今更くどいし蛇足だと思う。あんなに長々とやらなくても良いと思う。家康にとって、信康の婚姻の時が一番幸せだったと言いたいのかもしれないが、その場には一番最後の南無阿弥陀仏と書き続けなければいけないほど苦しかった時間を支えた人たちが誰もいない。最後の最後、覚悟を持って命を下した秀忠や、誰も寄り付かなくなった家康の世話をしていた阿茶局などの立つ瀬がない気がする。後半に向けて良くなっていただけにガッカリしてしまった。
豊臣秀頼と淀殿が自刃した場所は天守ではない。山里丸跡に、この付近豊臣秀頼・淀殿自刃の地という石碑が立っている。
秀頼のメイクは病人にみえる。
淀殿の「これから日ノ本はつまらない国に・・」云々、現代社会の不満に思っていることを脚本にとり入れても、時代が違うんだから違和感が強いし、どうせなら台詞なしの方がよかったのでは・・。
まず秀頼も淀殿も大坂城の天守で果てたのではありません。史実が明確な以上、ドラマ上の見栄えだけで天守を枕に死ぬという演出はいただけない。また淀殿の最期の言葉だけど、現代社会を風刺する意図もあったのはわかるが、それならば淀殿が現代人につながる行いをしていて、なるほどリンクするなと思わせるものが先にないと、あまりに唐突。そして家康の最期をああいう穏やかなものにするなら、その穏やかさが救いとなるくらい、熾烈で過酷な人生でないと効果は薄い。正直、この家康がそこまで過酷だったとは感じない。それはエピソードもだけど松本さんの演技力の問題もある。たとえば大阪夏の陣で真田と向き合った時などは、老齢で身体は動かなくとも、真田を呑み込まんばかりの、修羅のような迫力が欲しかった。その修羅の道から父親を開放するために、秀忠が代わって千姫に秀頼は助けないことを宣言するから、秀吉と秀頼、家康と秀忠という父子の対比構図も生まれる。総評として言えばゲームとかマンガ的すぎる。史実は無視し、フィクション部分は現代的にデフォルメし過ぎ。いっそ架空戦記ものにした方がよほど良かったかもしれない。これなら隆慶一郎の「影武者徳川家康」を大河ドラマ化した方がはるかに面白いと思う。
これはドラマだしいいんだろうけど秀頼のメイクが濃すぎて歌舞伎かなにかを見ている気分。六文銭持った真田なんてもはやアニメのキャラみたいだったもんね。薄暗い中ではあれくらいしないと役者さんの表情が見えないのかもしれないけどなんかすごいよね。そんな中でも茶々の揺れ動く気持ちだけはすごく伝わった。秀頼の戦への決意を聞き裏の大人たちが涙する、この瞬間に運命を共にすることを決意したかのようでとても切ない。ただこの子をモンスターにしたのは茶々。2人が一緒に死ぬ運命が自然に描かれていたのがよかった。
和睦交渉の場面で突然出てきた大蔵卿局。しかも大竹しのぶさんで、セリフなし。意味があるのか?初も初めて出てきたし。それぞれがどう関わり合いがあってあの場面で出てきたのかがないと唐突すぎる感じがする。茶々が拗らせて家康を恨んでいるのは元々わかっていたことだけれど、回想シーン入れたことで更に危ない人な感じが出てしまって、ちょっと残念。せっかく家康からの手紙で心が溶けたと思ったのに、まさかの秀頼が茶々の悪の部分の純粋培養のようで怖い。でも秀頼って戦に最後まで出なかったんじゃなかったっけ?乱世に命燃やすは違和感しかない。浪人たちの気持ちを汲んでの覚悟とかの方が良かったような気がする。
お市の方と淀殿という母娘が、共に家康に惹かれるという構図が先にあって、それを骨子に作られたドラマなんだなという感じがした。家康と淀殿は26歳差。まあ家康より年寄りの秀吉の愛妾だったのだから、無くはないという判断だったのだろうけど、戦国の落とし子として家康と50歳差の豊臣秀頼まで一括りにしてしまうのはどうなんだろう?人生50年時代に新しい世のため孫くらいの年代の秀頼を道連れというのは無理がある。千姫もあの構図だと淀殿二世になってしまう。戦国の残滓のひとりとして、千姫自身も淀殿と共に散るのならこれでもいいけど、史実は生き残るのだから、これはちょっと違うかな。もっと新しい時代に生きる者たちの姿も描いて欲しかった。それを千姫に託す方が物語としてはよかったと思う。また大詰めにきても松本さんの演技にはどうにも違和感がある。老け役の問題ではなく、たとえば達観とは諦めではないし、道連れにしようという思いは荒ぶる戦国武将そのもの。熾火のように燃え残った炎みたいなものを感じさせて欲しかった。あれではまるで出家した坊主だ。
秀忠に戦の仕方を教えなくていいというのはこの後の世の中を知る人たちにはすんなり受け入れられるワードかもしれないけどまだ天下泰平の世がなされていないこの時期では随分思い切ったワードじゃないだろうか。自分が治めてもそれが何代も続くなんて知る由もないのにそのセリフは違和感があった。長引く戦いの末に城に砲弾を打ち込む場面では城にいる千姫を思ってやめてほしいと止める秀忠をこれが戦だと説く場面も今の世の中に訴えかけるように聞こえた。歴史をドラマにするのが大河ドラマだと思うが、今の世の中の視線を入れすぎると途端にどこを向いているのか分からなくなってしまう。何を見せられているのかわからない。
秀忠には弱いままで居て欲しい、戦の仕方など知らなくても良いというのは家康の大きな親心なのだろう。それに、この戦が終われば平和の中の政治というものが必要となる。それは今までの世の中の仕組みとはまるっきり違うはずで。だからこそ弱いことを認められるままの秀忠で居て欲しいのだろう。それに、どちらに転んでも恨まれる戦になるのは確かで。それは太閤びいきの世間的からも千姫からもである。だからこそ、秀忠を矢面に立たせるわけにはいかなかったという判断はなるほどと思わせる。茶々が千姫を守るというのは驚いた。たしかに憎い家康の孫ではあるけれど、自分の姪でもある。こんな描写があってもいいかもなとは思った。ただ、結構主要人物が出てきていない気がするのだけれど、今後の交渉の場面とかナレだけで済ますつもりだろうか。
大砲、いわゆる大筒はすでに戦国末期には登場しています。大坂の陣では豊臣方も大砲を持っていました。ただ徳川方は威力が強力になっているものを使っただけで、秀忠が「こんなの戦ではない」と言うほど、残虐かつ特別な戦法ではありません。それなら鉄砲の方が劇的に戦を変えた筈です。だから家康を戦乱の世を終わらせる必要悪みたいな描き方をするのは、ちょっと違うと思います。ダークサイドを抱えた主人公というのは「鎌倉殿の13人」の北条義時を意識し過ぎではないでしょうか。また大野修理は確かに淀殿に近い者であり、大坂方の重要人物だけど、 関ケ原では東軍に属しているなど、そんな単純な人物像でありません。主戦派は彼の弟の治房など秀頼近習の戦を知らない若者と、一旗揚げたい浪人衆で、修理はむしろ現実を見て、何とか豊臣の家だけは残そうと奔走していた人物。史実として不明な部分をフィクション化するのは歴史ドラマの醍醐味だし、とても良いと思いますが、研究が進んでいるところを必要以上にフィクション化するのは疑問です。
秀頼はなんとも喰えない男に成長したね。秀吉が存命ならもしかしたら豊臣が栄えちゃったかもしれないと思わせる頭のキレがある。対して秀忠は凡庸で頼りない。だからこの秀頼を脅威と感じて大阪の陣へと流れるのはアリだと思った。鐘の件は豊臣がわざとやった感じなんだね。でもそれでは飛んで火に入る夏の虫。茶々は徳川に本気で勝てると思っていたのかね。そこら辺の爪の甘さは女だからなのか?美しく成長した千姫が悲劇の姫になる日が近くて不憫だ。
有名な二条城での会見と方広寺の鐘の話。いよいよ戦が近づいてきている。今回の秀頼は秀吉譲りの狡猾な部分を持ち合わせた人物のようだし、秀忠は弱くて凡庸。しかし、負ける自信があるとは、なかなかに思い切ったセリフだ。王道と覇道を再び言わせたり、いろいろ対比させる手法はわかるけれど。氏真とのシーンもその一つかな。ただ、あちこち対比させている割に残念なことに流れがなくて光らない。方広寺の鐘の文言も大坂側が挑発したという解釈のようだ。ただ徳川と豊臣ではずいぶんと力の差があり、どれだけ様々な手法をとったとしても豊臣が勝つ筋目はあったようには思えないのだが。歴史解釈は時代と共に変わっていくし、それを上手く取り入れているということなのだろうけれど。
秀頼も秀忠もプリンスではないのに「二人のプリンス」というタイトルはどうかと思うけど、とりあえずそれに目をつぶるとして、対比される秀頼と秀忠。それは同時に晩年の秀吉と家康の対比という構図でもある。前者は優秀だが学びのない秀頼と凡庸だけど学びのある秀忠、後者は老いては駄馬にも等しかった秀吉と老いてなお我を抑えて道を選択する家康という二重構造になる。演出はそこを理解しなきゃいけないし、役者もそれが鮮やかになるべく工夫をしなければならない。それを考えると特に松本さんの芝居はいただけない。老いたのではなく、弱ったようにしか見えません。秀頼にしてやられたとしても、その後のリアクションに余裕で微笑むなり、眼光を強くするなりの芝居が欲しかった。
いつの世も急激に変わるとその流れで引き立てられる者もあれば去る者もある。老兵たちが用無しになる世の中は平和になったということでいいことだ。それにしてもここまで一緒に戦い抜いて慕うものがいたのであればもう少し早く天下を取って家臣たちにいい思いをさせてあげて欲しかったなとも思う。肖像画の話は面白かった。似てる似てないには最早こだわりはなく強そう!が1番の希望。自分のエゴもありながらもその奥に未来まで子孫に睨みをきかす(見守る)ことが目的とは恐れ入った。
井伊直政はセリフ死、そして榊原康政と本多忠勝は字幕死。それは良いとしても、まだ徳川の天下が盤石なわけでもないのに直政は上手くやったは少し違和感がある。たしかに四天王の生きた時代は殿を守ってというのがあったし、死に場所を求める感じもあったのだろう。それでも天下泰平を築いた家康を見届けたかったのではないかと思う。本多正信の息子は出てきたが、能力がある若者が多数出てきていると雑多にまとめて紹介されてしまって。来週以降、字幕がないと誰が誰かわからない状態になりそうな嫌な予感。ちゃんと次世代と上手く繋いでほしかったな。それとタイトルバックの音楽も映像も大きく変わったけれど、その意図がわからない。思いつくのは家臣団減ったことを楽器を減らしたことで表現している?求めているのはそういうところじゃないんだけれどな。
所作がひどすぎます。
話の展開もバラバラで伝えたいことがさっぱりわからない。
どこが悪いのかもわからないところがわからない状態です。
45分見てられないレベルでした。
関ケ原以降が早回しのように進んでしまいましたが、本当は徳川幕府はこの時期が重要なわけで、家康が太閤蔵入地を勝手に諸将に分配し、銀山も直轄にし、関白も秀頼ではなく九条兼孝に就かせたわけです。そして自身は征夷大将軍となり、着実に豊臣家の力を削った。明確に豊臣にケンカを売ってる。そこがナレーションベースでもいいから説明されないと、関ケ原は続いているという言葉に説得力がありません。本多忠勝と榊原康政の最後を劇的にしたかったにせよ、忠勝は肖像画の、康政は秀忠とのエピソードをもう少し拡げて終わらせても良かった気がします。また関ケ原はまだ終わってはいないと言う以上、家康はすでに豊臣を潰すつもりだったわけで、その相手となる秀頼に嫁がせると分かっている千姫にかける言葉はあれでいいのでしょか。淀殿の棘のある言葉にそつなく相槌を打つ千姫の姿につながらないのだけど。そしてとにかく甘やかされた豊臣秀頼と、厳しくされた徳川秀忠という対比を見せるなら、秀忠の性格はあれで良かったのかも気になります。
いくら兵を揃えたところでその兵たちが働いてくれないとなんの意味もない。だけどその兵たちが掛けるのは命なのだ。その命を掛けられるか否かの違いが勝敗を分けたのではないだろうか。そこはやっぱり信長の時代から鍛えられてきた家康軍の結束と知恵には三成が及ばなかったのだろう。人望もなかったのかな。そして淀君の良い含めたことがここまで大きくなるという流れは視野が狭過ぎると思った。平和にするために戦う‥そんな大義名分をつけて未だ戦っている地がある。人間とは愚かで虚しいものだ。
関ケ原の合戦での戦術論や小早川秀秋の人物像などは、歴史ファンたちにとって百家争鳴というところで、どう描いてもいろいろあるでしょうから、特に触れません。ただ言いたいのは、この合戦が天下分け目の戦となったのは後の世から見た結果論です。この時戦っていた誰もが、これが日本の今後、約300年を決定づけるとは思っていなかったでしょう。ここで終わったのは西軍の総大将である毛利輝元が大坂城から退去したからで、もし豊臣秀頼と共に大坂城に籠城すれば、展開は別だった筈です。なので淀殿が輝元をしばき、不興を買うような展開はドラマとはいえ考えられませんね。また最後まで三成の方が家康よりも風格があるように感じてしまいます。芝居の上手い下手ではなく、ここで必要のはまさに「格」。三成が破れ、家康が勝ったのは、19万石と250万石の「格」の違いであり、領地と石高が価値だった時代にどちらの言葉に説得力があったかという話でもあります。だからこそ松本さんにはもっと無言の迫力とか存在感が欲しかった。
戦乱の世で一歩間違えれば死という状況の中で生きていればずっと死に方というものを考えていたでしょう。いづれ死ぬのであれば主の役に立て、愛する人と息絶えるのであれば最高かと思います。おまえ様が生きるのであれば一緒に生きる、死に場所を得て嬉しいなど、千代の愛情がとてもよく伝わりました。2人が後の泰平の世にいないのがとても残念です。そんな中真田の生き方も丁寧に描かれました。ただあの時代に祖父をじいじと呼ぶ習慣があったのか、あの一言で現代に戻ってしまったようで残念でした。
伏見城の鳥居元忠の最後はさすがに良く描かれていたな。千代が生き残るかと思っていたけれど、死に場所を求めていたと武将のような心構え。ある意味この二人は似ていたのかなと思ったりした。伏見城が落ちてからの家康の行動は、今までとは描かれ方が違っていたけれど、実際に調略合戦でもあっただろうから、文を書き続けなければいけなかっただろう。沼田城のやり取りは必要だったかな?好きな人が多そうなエピソードだとは思うけれど、ちょっと取ってつけたような感じを受けた。関ヶ原の大戦を前に遅れること確定した秀忠軍の中で、正信が「仕方ない」と平然としているのが今回の正信らしくて少し面白い。
演出に疑問がある。三成との対決を選んだ家康に対し、平岩が瀬名の想いを叶える時がやっと来たと心情を語りますが、一方ではその瀬名と共に戦無き世のために動いた千代が、鳥居元忠と共に討ち死にします。シナリオ上、わざわざ千代を生かし、元忠に嫁がせたのだから、この死を意図していたわけで、であれば平岩が家康に語る場面との対比には脚本上の意味があった筈です。それを家康と瀬名が描いた未来にかけるそれぞれの想いだととらえるならば、家康と平岩のシーンはあれで良かったのでしょうか?また元忠のためにも腕が折れるまで書状をというシーンも、むしろ勝つためにそんなことは当然であり、そう言うしかない状況に、静かな中にも荒ぶるものを感じさせる演出があるべきではなかったかと思います。まあ元忠と千代の最期は見事でしたが。
いつの時代だって一緒。てっぺんに立つ人がいなくなればその椅子を争うだけ。信長だって秀吉だって最大のミスはちゃんとした後継者を育てなかったこと。殺された信長はともかく秀吉の方は酷かったからね。その椅子をみんなが虎視眈々と狙っていただろうに、そこを全て淀君のせいにするのは単純すぎないか?それこそ淀君なんかいなくたって争いは遅かれ早かれ起きただろう。随分余裕綽々な家康も違和感がある。もうちょっと策略とか見せないのかね?
タヌキとキツネと何とやらの三つ巴の化かし合いの様相。きっとキツネは自分の手のひらで男どもを転がしているという感覚なのだろうと、淀殿の顔を見ていて感じる。そして三成は真っすぐすぎるが故に淀殿の裏を見れないし、大局も見れていない。家康を滅ぼしたとしても、次の家康が、それも一人じゃなく大量に出てくる可能性すらある。毛利だって宇喜田だって家康の地位を狙っているに過ぎない。ただ、家康という頭の上の重しを取り除くことにおいてのみ一致しているだけだ。本当に豊臣の世を続けられると思っていたのだろうか。伏見城での鳥居元忠との別れのシーンが丁寧に描かれていたのは良かった。
そもそも家康と三成が最初に意気投合したのは、互いに戦のない世を模索していたからではなかったか。そこに至る方法論に違いはあれ、目的地は同じだったはずで、「違う星を見ていた」というのは、淀殿らが吹き込んだ結果によるもの。つまり三成は反家康派にそそのかされた形だが、であったとしても彼の想いの根幹であった戦なき世の逆を行くことをするだろうか。諸将を巻き込むために、大坂にいた諸将の妻などを人質にしてまでことを起こせば、大乱になることは目に見えているのに、戦なき世の信念に基づくなら、そんな馬鹿げた戦をしかけるわけがない。これだと三成は新しい政治をやりたいわけではなく、豊臣保守派に見える。三成の立ち位置がぶれぶれ。三成が物思うシーンで背景にカエルが鳴いていたのは「井の中の蛙」を連想させようという演出なのだろうけど、そういう細かいところよりも、根本をしっかりさせないと。そもそも「平和」なんてこの時代に存在しない概念を芯に据えようなんて考えがダメ。無いものは芯にならない。匂わせる程度に留めないと。
大河を見るのは習慣なので毎回その時間になると番組を開く。
でも5分と観ていられなくてオンデマンドで鎌倉殿の13人を開いてしまう。
なんか登場人物がね、前衛的ですね。
格闘技のアナウンスが流れたら似合いそう。
1人の人物の一生を演じるのだから仕方ないにしても家康が今幾つくらいなのかって歴史に詳しくない人は分からない。老けない松潤ではそこがカバーしきれず説得力が生まれない。っていうかやっぱり物語が綺麗すぎないか?秀吉が亡くなってみんなが口ではいいことをいいながらあわよくばと思っていないわけがない。足の引っ張りあいもあっただろうし、家康が涼しい顔で事態を見守るだけなんてありえない。ましてそうこうしているうちにお鉢が回ってくるなんて調子のいいことはない。どこまでも家康ファーストなのがつまらないんだよなー。
同じ星を見ていたはずなのに…という気持ちがあればこそ裏切られた時の反動が大きい。徳川屋敷へ逃げ込むくだりをやってくれると思ったのになくて少しがっかり。でも無かったことで駆け引きなく、三成の真っすぐさが余計に引き立ったのかも。聡明で真っすぐで頑なだと折れやすい。みんなそれがわかっていて家康の裏を三成に吹き込んでいるような気がする。あの中で三成が一番若かったはずだから、やはり経験値が足りなかったのだろうか。家康は田舎に移封されたとはいえ格段の規模の違い。利家が言うように歴史上の人物となりかかっているくらい雲の上の人。若い人が疑心暗鬼になるのも仕方ないのかもと思わせるのは上手い本だなと思った。
秀吉の盟友ともいうべき前田利家が、家康を後押しするようなことを言う筈はないですけどね。まあそういう設定と受け入れるしかありません。何にしても家康VS三成のお膳立てというよりは、天下を治める器の差をはっきりと見せる演出でしょう。しかし三成の若くて理想主義的で意固地さは強く感じられましたが、対比されるべき家康の器の大きさはさっぱり感じませんでした。このドラマの家康自身も若き日には理想主義的で潔癖だったので、それを三成に投影し、諭したり憐れんだりする気持ちはわかります。でもだからこそそれを経た家康の人としての大きさを感じさせないとダメ。それなのに五大老の中で一番貫禄がない。松本さんの演技はメイクで老けさせたり、着ぶくれさせたりしているけど、老けるイコール少し前かがみにするという小芝居はここではいらないし、 セリフ回しも速度やタメが若い頃とさほど変化がない。もっと勉強して欲しい。
秀吉が豊臣の世が一代限りだと思っていたというのは少し意外というか、いろんな意味で面白い解釈だと思う。秀吉亡き後はねねさんの影が薄いイメージなのも秀吉の思いを知っていたからと言えそうだし。先週の予告で秀頼の出自に関する茶々の発言が出てたからアレ?って思っていたけれど、やっぱり父親はわかってないし創作とはいえ無理だよね。三成がこういう政治をしたい云々言っていたけれど、どれだけ秀吉の信頼厚くても政治をする側には思えないのだけれど。いろいろ引っかかって話が入ってきにくいな。
最後の最後秀頼の父親が判明か?!!と思ったら私の子って‥。直前でひよったのか?と思ってしまった。そして血を吐きながら苦しむ太閤を氷のような表情で見ながら、死んだら死んだで抱きついて泣いちゃうところ。茶々として今までどんな思いでどんなふうに生きてきたのだろうと思わずにはいられなかった。また酒井忠次の最期も見事。最後まで殿の役に立つことが使命で、また喜びだと思っていたのだろう。それに寄り添う妻も素敵だった。そして家康‥なにしてた??
家康が平和を語り、三成に民主主義的なことを語らせるのはやめて欲しい。平和の概念は明治以降に作られたもの。また三成の方は民衆が政治に参加するわけではなので、実際には珍しくもない寡頭制に過ぎない。彼らの少し前の時代に行われた三好三人衆や松永久秀らの政治だって、寡頭制に近いわけで、言うほど特別でも新しくもない。家康と秀吉の最期の対話の背景にホトトギスの声が響いていて、古来、黄泉の国へと渡る鳥だとされているから、秀吉の死を暗示する演出だというのはわかった。でもこういうメタファーを使うのなら、その後に直接的な死が描かれてしまっては意味がない。淀殿は秀吉の最後に辛辣なことを言って悪女ぶりを見せながら、その後に哀しむようなそぶりをみせたけど、愛憎半ばという演出なのだとしたら、これもちょっと安易。脚本、演出共に未熟。でもムロさんの芝居はここにきて見事だった。
朝鮮出兵もあっさり終わっちゃった。見どころは茶々が家康口説く場面なのかな。武将の一生をやっているはずなのに、話の重心がずれているというか。あれだけ家康を恨みながら秀吉に投降したのに、涙流しながら父と慕っても…というのは空恐ろしい。実際にあんなこと言われても警戒されるだけじゃないのかと思うのだけれど、そこはとびきりの美人だと違うのか。人たらしと言われた秀吉を手玉に取る上級の人たらしが茶々だったということか。悲惨だったという朝鮮出兵をもう少し取り上げて欲しかったかな~
秀吉の孤独が表現されていましたが、今のようにみんなが平等に同じ倫理観や知識をもった教科書があったわけではない時代では親ガチャが全てだったでしょう。世襲制で家来のみんなが子供の頃から盛り立てて守ってくれる。三人寄れば文殊の知恵ではないけれど家康などは家臣に救われた場面も多い。それを考えると自分の才覚だけでそこまで上り詰めた秀吉はすごいのでは?と思えてくる。それにしても茶々の悪女っぷりはすごい。母に似た美貌を最大限に利用して上り詰める。それも野望だから誰も悪くないと思うけどね。
どうやら淀殿悪女説を取ったようです。その前にまず秀吉の朝鮮出兵ですが、野望うんぬんよりも単純に戦争がなくなり、奪える土地が無くなったということは、誰かに褒美を与えるための土地も無くなったということであり、それが理由として大きかったのだろうと思います。まだ褒美イコール領地の時代ですしね。そして淀殿ですが、彼女の目的が復讐なのかどうかはわかりませんが、個人的にはまるで水商売のようなあざとさよりも、戦国の世で培われたしたたかさが欲しかった。
北条征伐まで瀬名絡めてきて、さすがにもういいのでは?関東で自分たちの領土の中で平和に…なんてことではなかったはずだし、長く籠城した理由としては違和感しかない。自分たちの覇権の下での平和なら望んでいたかもしれないけれど、領土拡大の欲求は当然あっただろうし。三成が言った言葉にも違和感。秀吉が間違ったことしたら止めるとか、そんな力あったとは思えないし。家康を関東に移封したのは家康の力をそぐためなのはそうだろう。三河家臣団がそれぞれ城持ち大名になることで連携が薄くなるとはあまり思えないけれど、それでも綿密さはなくなるのかな。当時、江戸はひどい湿地帯だったと聞くし、まだまだ先は長そうだけど最後までたどり着けるのだろうか。
家康行列、岡崎市に申し込みをしましたが
落選だった為、TVで様子を見せてもらえると
嬉しいです!特別ゲストのトークもお願いします!山田裕貴さんが東海地方の出身なので、
お願いします!ドラマ楽しく拝見です♪
今回が最終回か?と思うほどの大団円。本当はみんなおじさんなのに、みんな大好きだーって叫ぶ青春のよう。ここまで生き残ったことが奇跡だもの、そのくらいやったー!って叫んでもバチは当たらないだろう。今から思えば秀吉が遠くに遠くに遠ざけたくて江戸に行け!と言ってくれたから今の東京があるんだな。そう思うと感慨深い。今回初めて秀吉ありがとう!と思った笑。秀吉はといえばみんなが知ってる朝鮮出兵。欲の塊は世界をも飲み込む。欲とは本当に恐ろしいものだ。
北条氏政といえば有名な汁かけ飯のエピソードがありますが、ドラマ中でもそれを食するシーンがあり、それはエピソードとは違って汁を注いだのは一度きりでした。つまり氏政は凡庸ではなかったとの演出ですね。氏政が愚鈍だとするのは江戸時代に書かれたもので、現実には小牧長久手の戦いで北条と同盟を組んでいた家康が、旗頭の織田信雄が降りてしまったことで、自分も秀吉に歩み寄ったため、北条は梯子を外された形で孤立したというのが正解で、後年になって将軍家に忖度して、氏政が無能だったようにされたのでしょう。なので氏政が愚かではなかったとするのは悪くない演出だと思います。でも秀吉に下らなかった理由が築山殿の構想だというのは首を傾げます。領民思いだと語られ、家康にも領民のことを頼むという人物が、終わってしまった夢物語にあれだけの大国と領民をかけるでしょうか?大事にしてきたものを失ってもいいと思うほどの話しだったでしょうか?平和と唱えれば、即ち正解というのはやめて欲しい。
ここにきてお愛の方が愛するのは家康が一番ではなかった宣言、心の中には違う人がいますってなに?それをやる意味って何?側室とはいえ後継者となる男児を産み衣食住にも困らず幸せだろう?戦がなければ元の暮らしができただろうし、家康も瀬名を失うことはなかっただろう。だけど終わりよければすべてよしではないか。今更あれが良かった、これが良かったなど言っている人生なんてつまらない。最後の最後に何を聞かされたのだろう。日記に書いてないといいなー。
マンガやラノベならともかく、史実を基本に置くから時代考証の専門家もいる大河ドラマで、お茶々が火縄銃を撃つというのはやりすぎ。当時の火縄銃なんてライフリングもないし、弾もまん丸。野球のナックルボールみたいに不規則変化するから精密射撃なんて出来るわけはなく、反動も大きい。あの状況なら秀吉に当たってもおかしくはない。その後、家康に銃口を向けたのも含め、演出意図としてはお茶々が抱えるお市の方の無念を表現したかったのだろうけど、安易すぎる。また後に豊臣秀次が剣術の稽古に熱心に取組み始めた時、秀吉は天下を治める者がすることではないと一蹴したという話もあるし、弓の訓練などしなかったと思う。とにかく閑話休題として女たちを描くのは構わないけれど、史実が少ないイコール好き勝手に作り話を盛り込めるということではない。もう少し歴史観を持ちつつ、話を膨らませて欲しい。
人でなしの秀吉は妹を離縁させてまでも家康に嫁がせ、年老いた母親まで家康の元へと送った。一方の家康はたとえ妻にお尻を叩かれようと民衆にお漏らし事件をでっち上げ広げても笑顔でよしとした。主人公だからってここまで家康贔屓をしなくてもいいんじゃないか?信長が成し遂げられなかった夢を秀吉がまとめて家康が固めた。天下統一ということがとても一筋縄ではいかないというだけで時間はかかったけど誰がいなくても成し遂げられなかったことだろう。来年の大河は秀吉でこの逆バージョンだったら面白いかもね。
ここにきて二度目の於愛の近眼設定。途中ちゃんと見えてるのに、どうしてか家康のお尻を叩かせたいらしい。そこに意味はあるのか?秀吉にひれ伏すための設定なのだろうけれど、あまりにも秀吉に人間らしさが見えなくて。心はどこにあるのだろう。大政所に秀吉を化け物のように語らせているけれど、まだあの段階ではそんな風に思っていただろうか。たしかに武士という職業がある限り戦争は終わらないような気はする。ただ、まだ日ノ本平定が終わっていなかった時代。平定が終わるかどうかもまだわからない中で、そんな理由つけて世界へなどと思っていただろうか。未来から見ているからこその視点なような気がする。
殊更、秀吉を化物というか、悪役というか、規格外の者にしようとしていますが、少なくともこの時点ですでに朝鮮出兵を考えていたというのは無理がありすぎます。それなら天皇の補佐である関白ではなく、軍事を直接握る征夷大将軍をどうやってでも手にしようと、もっと画策した筈です。それにこの時代の教養のレベルを考えれば、そんな発想はいかに突飛な秀吉でも生まれてはこない。むしろ太閤になり、付け焼刃の教養を得るようになり、晩年に耄碌して無意味な妄想を抱くようになったと考えるべきです。またムロさんの芝居は姑息さはよく出ているけど、天下人のスケール感が足りていない。このままだと、家康はこの程度の男も越えられないのかという、がっかり感の方が強い。石田三成も変人というよりは官僚タイプだと思うので、こういうキャラにした理由がわからない。あえて史実と異なるタイプにしたのなら、それなりに説得力あるキャラを生かした展開を望みます。
旭はかわいそうだと思ったけど、あの時代は親族は駒だっただろう。女は自由意志で結婚などできなかっただろうし、男だって子供はいろんなところに養子という人質に出される。家康だってそうだったし、のちの孫娘の千姫だってそうだろう。裏切れないところを作るのが目的で戦の次に重要なこと。側室の身でありながら家臣がみな揃っているところに出て行くなんてありえない。どうしても意見したいのならば床に子供と転がってないでもう少し違う場面で2人きりでやってほしかった。
過去一番の駄作。
大事な評定の時に女性陣出てくるのこれで二回目かな。どこまでも瀬名を引っ張るし、変に泣かせにかかるから興ざめする。戦のない世と言うけれど、職業武士が生まれ増えた時代。農民が田畑が荒れるので嫌がるのはわかるとしても、職業武士まで平和を望んだのだろうか。農家の出である旭が政の道具として徳川へ嫁ぐのは不憫だとは思うけれど、於大が「おなごは…」と言うのはちょっと違うような。いろいろ今の価値観でのセリフが多すぎてなんだかなー。
確かに織田信秀の和睦により大義名分が失われ、秀吉が有利になったとはいえ、秀吉に従わないから討つというのも、それこそ大義名分がない。やるなら家康が天皇の命に逆らっているから関白秀吉が討つという形が必要。一武将から関白になるというのはそういうこと。またもし戦っても東に徳川と北条、佐々成政、他にも根来衆らがいて、西に長曾我部もいる。秀吉からすれば毛利なども完全に信頼できる相手ではない。それに関白として敗戦したら名誉が地に落ちる。だからこそ実の母親まで人質に出した。ドラマとして旭姫のキャラは良かったと思うが、秀吉側の内情ももう少ししっかり描いて欲しかった。また繰り返し戦のない世と言うが、この時代の武士にとって戦の無い世は稼げなくなることでもあり、現代人的な平和志向を出し過ぎるのはどうかと思う。
自分はもう歳で華々しく戦果を上げられないことや体力面での不安があったのでしょうか。このどうする家康を見る限りは戦や逃亡の際に若いものに押されなかなか役に立てないジレンマがあるように思えました。そして考えた挙句自分ができることをしようと秀吉の方に行ったのかと。交渉術には定評があったのならこれ以上家康の立場が悪くならないように陰日向で相手方から支えようと思ったのでしょうか。信長も瀬名も数正もこの世界では家康中心。ちょっとご都合主義がすぎるようにも見えてしまいます。