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脚本・ストーリー 4.3 /5.0(86.6%) | 129位 /1198件中 |
キャスト 4.5 /5.0(90.4%) | 182位 /1198件中 |
演出 4.4 /5.0(87%) | 123位 /1197件中 |
音楽 4.3 /5.0(85.2%) | 111位 /1198件中 |
感動 4.3 /5.0(86%) | 58位 /1193件中 |
笑い 3.9 /5.0(77.6%) | 145位 /1193件中 |
スリル・興奮 4.2 /5.0(84.8%) | 102位 /1190件中 |
脚本・ストーリー 4.3 /5.0(86.6%) | 129位 /1198件中 |
キャスト 4.5 /5.0(90.4%) | 182位 /1198件中 |
演出 4.4 /5.0(87%) | 123位 /1197件中 |
音楽 4.3 /5.0(85.2%) | 111位 /1198件中 |
感動 4.3 /5.0(86%) | 58位 /1193件中 |
笑い 3.9 /5.0(77.6%) | 145位 /1193件中 |
スリル・興奮 4.2 /5.0(84.8%) | 102位 /1190件中 |
鱗形屋が偽本という後ろ暗いことをやっていたこと、西村屋と結託して蔦重をいいように使うつもりだったこと、それだけわかっていても告げ口しなかったのはこれまでの恩もあったからだろうな。
危ないからやめろ、と言えるのは知っていると鱗形屋に伝えることでもあるし、言わなかったというより言えなかったというのが正しい気もする。
長谷川が言っていた、上からの指示というのはどこかの家中をかばうための尻尾切りなのだろうか。
田沼家のこれからの悲劇への布石もされたし、なかなかに見どころが多かった。
それに、棚から牡丹餅、濡れでに粟は、たとえ気が引けても有り難くいただくというのはなるほどと感心した。
事情がどうあれ、鱗形屋はやっちゃあいけねぇことをやっちまったわけだし、蔦重としては後の鬼平こと長谷川が言う通り、棚から牡丹餅ならぬ粟餅を美味しくいただく他にないだろうね。史実としても鱗形屋の不祥事に乗じたような形になっているし。
それにしても松平武元は老害のように描かれているね。江戸時代最長となる老中を32年間も務めたほどの人物であり、田沼意次とも関係が悪かったという話は聞かない。意次を再評価しようという意図なのだろうけど、そのために違う人物を下げるのは違うと思うのだけど。
唐丸は誰だったのだろう。
傷のある侍に脅されていたから、きっと何かやったんだろう。
でも、あの頭の良い穏やかな唐丸が自分の欲で何かをやったとは思えないから、やむを得ない理由なんだろうな。
燃え上がる建物をぼーっと見ていた姿が思い出される。
侍を道連れに川に飛び込んだけれど、見つかったのは侍だけ。
きっとどこかで生きていると信じよう。
大人になって、ふらーっと現れる。
そして錦絵を描く。
吉原流の良い想像で先を待っていよう。
唐丸〜、とうとうどこの誰だか分からないうちにいなくなってしまった。ずっと蔦重のそばで支えていくバディみたいのを期待していたから、こんな唐突で悲しい展開になるなんて思わずとても驚いた。蔦重と花の井がやっていた妄想ごっこのようなものは一種のセラピーで親しい人を突然なくした時の対処法として有効だろう。ここにはいないけどどこかで幸せに暮らしていると考えることで自分も救っているのだ。死体は上がっていないのだからまた再開できると信じている。
これはフリかな。いずれ大人になった唐丸と再会し、彼は東洲斎写楽になるって寸法だね。まあそれなら蔦重があれだけ豪華な雲母摺の大首絵を、いきなり新人に描かせた理由にはなる。おそらくそんな展開になるんだろう。
それにしても簡単に開国なんて話が、先見性がある人の言葉のように描くのはいかがなものか。開国の気運が高まるのはアヘン戦争で清朝が敗北したのが大きい。それ以前の田沼意次がそんなことを考えていた筈はない。
それに江戸の町人文化が本当に花開くのは文化文政期で、この直ぐあとのこと。成金が華やかだっただけの元禄は違い、まさに江戸に生きる普通の町人たちが作り上げたもの。それこそある意味で文化的な市民革命だった。そこが蔦重を取り上げる面白さなんだと思う。
そういえば、このころは株仲間っていうのがあったんだったかな?
吉原の店だって同じだろうけれど、蔦重は経営側じゃないから知らなかったのかな。
一生懸命に働いて、成果をかっさらわれた形だけれど、まあ良い勉強だったんじゃないかな。
どこかに奉公して、そういう経営側のことも勉強することになるんだろう。
それにしても、絵を描き直した少年は、のちの歌麿だろうか。
刷り上がった錦絵はさすがに美しかったな。
自分が生まれ育った世界が全ての今よりも知識を仕入れる場所も限られているし似たような人しかいない世界では情報が限られているから蔦重の失敗はいい勉強だと思って出直すしかない。とは言え世知辛い。江戸時代は今よりもずっと親ガチャが全て、貧しくて吉原に売られてくる娘もそこに生まれたから大店の旦那になるぼんくらも生まれた場所が全ての結果。急に違う仕事を始めようなんてしがらみだらけで難しいんだね。騙されてタダ働きに怒る、蔦重。怒れ怒れ!今の人にはそれが足りないような気がする。
蔦重、ちょっと無知すぎないか?江戸っ子で情報通の蔦重が、いわゆる「株仲間」のシステムを知らないってことはないと思うんだけどね。
当時の商売人にとって常識に近いことだし。これを強く推進したのは田沼意次だけど、享保の改革でも公認しているわけだし、商売をしている者にとっては、当たり前の情報だ。
だからこの展開だと蔦重がはめられたというよりも、吉原細見をほぼ独占していた鱗形屋に、吉原に明るい蔦重が取り入ってさまざまな出版に関するノウハウを学んだというのが正解だろう。
だから修行の時期っていう描き方でいいんじゃないの。いろんな出会いと学びを得るって形でね。ちょっと格好良く若き改革者のように描きすぎ。
横浜さんと小芝さん、若い二人の演技はいやらしさがなくて、テンポも良く見ていて清々しいです。一つだけ気になるのは、子供に聞かせたくない言葉、居てほしくない場面に子供が居るというのが、実際はそうだったのだろうけど、テレビで放送されると考えるとそこは配慮してほしかったです。
今よりもずっとずっと縦のしがらみが強かった時代。
自分の頭を超えて動き回る蔦重に駿河屋が鉄拳制裁を下すのは想定内。
でもそれで縮こまらずに動き回れないと大物にはなれない。
二文字屋に間借りして一目千本を思いつき作るくだりはワクワクした。
ただただ、女郎の姿絵を並べても途中で飽きるし、見るだけで満足してしまう。
花に見立てたことで、この花に例えられるってどんな女性だろうと見に行きたくなる。
誰もが出入りするところに見本として置くこと、馴染みになった人だけもらえること、すごいアイデアだと思う。
馴染みということは少なくとも2回は通わなくてはいけない。
ただ、今回の本は鱗形屋を通していない。
同じ本でも面白味も旨味もないし、話題になればなるほど苛立ちも募るだろう。
ここからの蔦重との関係がどうなっていくのか気になるところだ。
これって結局人気が下火になった風俗街をどうにかしようとその町に暮らすボーイがなんとかするって話なんだよね。そう思うとそれを大河でやるのか‥と疑問が湧く。子供の歴史教育にもなるのが大河じゃないのかねぇ。御上に助けを求めるんじゃなくてまずは自分たちでやれることをやってみろ!っていうのも今の時代に通じるものがあってなんとも世知辛い。今回は蔦重のやりきった笑顔に救われたけど、相変わらず暴力も多いし治安悪いしなんかついていけない。
蔦重はこの時代の江戸の町人らしい、いろいろ制約があるなかでしたたかにやりたいことをやるところがいい感じで出ていますね。
江戸の人は見立てとか判じものが好き。現代人ではピンとこないかもしれないけど、とんちとか皮肉のきいた凝ったものがたくさんあった。まあ見立てや判じものならどうとでも取りようがあって、権力者を揶揄しても、言い逃れができるからね。本当に江戸らしい文化だと思う。
ただ吉原の凋落は武士の石高が変わらないことと米価の変化、それにともなう町人の台頭と連動していて、豊かになった町人たちは格式が高く、お高くとまった吉原よりも、敷居が低く、小粋な深川の辰巳芸者など岡場所の方に向うようになったという側面がある。その吉原も蔦重の頃には、太夫とか格子といった格式の高い遊女はすでに姿を消していたしね。
固定された階級社会である江戸時代の上位を占めた武家の経済的凋落が、江戸末期の町人文化を産み、それを抑えようとした改革のおかげで更に巧妙かつ強靭になっていくわけだけど、蔦重を通してそこが描かれるのに期待したいです。
安田顕さんの軽妙かつ奥行のある怪しい芝居で最後までもたせたという感じです。平賀源内という奇人をまくしたてる隙間のないしゃべりによってその独特の執着心とか奇矯さを表現し、安田さんらしい哀愁と狂気が少しだけ零れ落ちるような雰囲気が見事でした。
対する小芝さんもこれまでの彼女の芝居では見たことがない艶やかな色気と世馴れていながらも、蔦重にむけているのであろう微かに漂う純情さが良かった。
でもそれ以外はというと肝心の蔦重がもうひとつ。流星さんの芝居がどうというのではなく、蔦重という人物の芯みたいなものが見えない。あそこまで突っ走るにはそれなりの思いが必要。吉原のためとか大きいことを言っても、まるで今、歌舞伎町でアルバイトしている青年が、歌舞伎町の繫栄のためとか言うのと同じで説得力が弱い。もう少し強い動機が欲しいかな。
あの厠の人は平賀源内でしたか。書いてさえくれればいいと言われたって宣伝するのに良さを知らなきゃ書けないよね。でも正体不明のままのお客に大盤振る舞いできるほど蔦重だってお金はない。このままじゃ中途半端になっちゃうーというところで身元がバレる流れは良かった。当の平賀源内が男色化じゃ筆も乗らないかと心配したところに花の井登場も無理がなくていい。お客様のことを理解してそれに適したおもてなしをと考えるところが花魁だなー。
浮世絵はそぎ落とされた美しさや巧みさから気になっていたし、何度も美術館に足を運んだりした。
時代背景はその時に説明されていたものを読んだりはしたけれど調べたこともなかったし、さらにそれを出していた版元までとなると気にしたことすらなかった。
蔦重はのちのそういうプロデューサー的な立場になる人とのこと。
なるほど吉原で表向き華やかなものが集まる究極のところで育ったのか。
光が強くなればなるほど影も濃くなると聞いたことがあるが、花魁であったはずの朝顔姐さんが常念河岸で悲惨な末路をたどるほど厳しい世界でもあった訳だ。
朝顔姐さんの死に対する怒りをどう消化・昇華していくのか。
吉原と文化の繋がり。聞いたことはあっても映像で見るのが楽しみになってきた。
大河で吉原をこんなに丁寧に描いた作品はあったのだろうか。お偉いさんにお酌をして優雅にしている花魁ではなく、そこで働くいろんな人に焦点を当てるってすごく新鮮。売られた子が辛い仕事をするけどご飯は食べられる、それが吉原。なのにそれすらままならないとはこの世の地獄。風呂も入れない女のところに通う男はいない、稼げなければ食えない、最後は裸で打ち捨てられるその現実を余すところなく描く。すごいなと思う。ここから吉原がどう盛り返していくのかとても楽しみだ。
簡単に老中である田沼意次に会えたりするのはどうかと思うし、そんなに女郎思いの好漢だったとも思えないけど、ナレーターの綾瀬はるかさんが化狐で吉原案内をする華やかな趣向があったこともあり、ドラマの良い流れが作られうまい演出だったと思います。
主演の横浜流星さんですが、軽妙さと熱さをうまく演じ分けています。この蔦重がいなければ後の文化文政期の町人文化は花開かなかったと思うし、難しい役柄ですが期待できそうです。