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脚本・ストーリー 4.3 /5.0(86.8%) | 121位 /1088件中 |
キャスト 4.5 /5.0(90.8%) | 164位 /1088件中 |
演出 4.3 /5.0(86.4%) | 132位 /1087件中 |
音楽 4.0 /5.0(80.4%) | 187位 /1088件中 |
感動 4.0 /5.0(79.8%) | 108位 /1083件中 |
笑い 3.1 /5.0(62.6%) | 391位 /1083件中 |
スリル・興奮 4.2 /5.0(84.4%) | 93位 /1080件中 |
脚本・ストーリー 4.3 /5.0(86.8%) | 121位 /1088件中 |
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スリル・興奮 4.2 /5.0(84.4%) | 93位 /1080件中 |
今回は時政とりくの息子が仕組まれて死んでしまったのも衝撃だったけれど、それよりなにより新キャラクターののえさんの黒いインパクトが絶大でいろいろぶっ飛んでしまいました。歳から言えば義時と結婚したのは3人目だしもっと若い人がいいかなと思ってたから菊地凛子さんは意外だなと思っていたけれど、最後のシーンで全て納得。平六ではなく八田さんに目利きを頼んだのが運の尽きでしたね。ただ女性にとっては勢いがある北条家に嫁げることはこの上ない幸せな玉の輿。身内とあけすけな話をしてはしゃぐのは仕方ないかもしれない。
ひさしぶりに義時の穏やかな顔を見た気がする。和田家での鹿鍋でのやり取りは本当に久しぶりの温かい団欒の描写で、義時にとっても実朝にとっても良い時間だったのではないか。義時の嫁取りは、文官からの提案であったけれど、それは暴走している時政と対抗できる義時とのパイプを強くする意図があるのだろう。八田がわかって太鼓判を押したのか、意図なくなのかよくわからないが、のえはずいぶんと表裏がありそうだ。その本質を見てしまった泰時はどう動くのだろうか。畠山との亀裂、京都での平賀や仲章の不穏な動き。またまた険しい顔ばかりになっていくのだろうな。
時政の暴走というより、器の問題というところでしょうか。小さな集団の頭としては人情味もあり、これで良いのかもしれませんが、大きな組織では通用しない理屈です。平清盛と変わらない専横ぶりは破滅への序章。なによりも有能な畠山を離反させる損失は大きい。情報を得ていながら、家族だからと煮え切らない義時にも問題があります。範としている頼朝はもっと果断でした。またあんな女性に手玉に取られ、懲りずにキノコを贈るのも純朴だけど成長がない。ここまでを見る限り、脚本の三谷幸喜さんは義時を波乱の中に生きた、家族思いの「凡人」として描きたいのかもしれませんね。
若かりし日に頼朝の冷酷な判断に承服できません!!とすごい形相で迫っていたまんまが息子に受け継がれ自分の失ったまばゆさを知り、15年時を経て運慶を付き合わせる顔は悪い顔になっていた。ここに運慶をもってきた脚本がすごい。15年前菩薩様の前で妻の顔を思い出すと言った、妻はもうこの世にはなくあんな柔和な顔もどこかに忘れてきてしまった。義時の変貌がより際立った。
変貌といえば善児もまた変わり、最期には誰かに殺されることを望んでいたようなそぶりさえあった。どうせ死ぬのなら何をしても許されないがせめて親の仇となってトウにと思っていたかは分からないが、トウと向き合った時しっかり頷いた善児の覚悟が見えた。
この世の春を謳歌し少しずつみんなと離れていく時政、りくと共に今後が見逃せない。
いろんな感情が絡まって整理が難しい。範頼を葬った地で、その被害者遺族であるトウが、加害者であり師匠でもある善児と共に頼家を討つ。一幡を愛しく思う二人が殺す側と殺される側にたち、そのことが二人の命を消す。トウが善児を討つ場面、口では両親の仇と言いながらも、苦しまないようにとどめを刺したようにも見える。泰時の真っすぐさがまぶしい。たしかに以前の義時はああであった。和田家でのひとときのあたたかさにホッとしたが、この和田家ともと思うと苦しくなる。何と生き難い時代だったのだろう。重苦しいのに続きを見たくなる。すごいドラマだ。
頼家は暗殺というより斬り死にでした。三谷幸喜さんらしく善児やトウにも見せ場のある内容はドラマとして面白かったです。泰時が言うような理想論を通すなら、比企を殺し、頼家を幽閉した責任をとり、せめて北条も時政が身を引き、執権は大江広元あたりがやれば、もう少し道理が通ったかもしれません。頼朝が血縁である義経らを排除したことで、源氏の血を引くものがどんどんいなくなったように、北条も血縁である頼家を排除した結果、どんどん負の連鎖で殺し合いになっていくわけですが、いっそのこと義時が兄の仇として善児を斬るくらいの性格だったならば、もっと早くに父を抑えられたかもしれませんね。少しばかり賢いというのも苦労が絶えないものだと思います。
善児と入れ違うように冷酷になっていく義時。千鶴丸や義時の兄も殺しておいて今更殺せないとは言わせたくはない気持ちも分かる。あの頃は何にも思わず幼子だって殺していても、トウを育てる過程で愛情や人を思う気持ちというものを知ってしまったのだろう。善児擁護派もいるかもだけど、今更そんな顔されてもって感じ。死んで地獄で謝るしかないと思う。一方の頼家はかわいそうだったね。あのまま何も知らずに死んでいればこんなに苦しまなくて済んだのに。みんなの前に座った実朝が全てよ。あれが望んだこと。北条の良く深さが良く分かった。
どんどんと義時が冷酷になっていく。唯一、比奈といる時だけは柔和な面持ちだったのがその関係も壊れてしまった。目を覚まし、回復していく頼家を前に北条の面々がおろおろする姿は本当に人間臭い。真実を知り、時政を成敗するように命じても誰も応じてくれないどころか、板挟みになった者が自害するという事態に。義時は自分が話を聞いてあげれば…とは思わなかったのだろうか。なすすべなく修善寺へと送られる頼家の泣く姿に、まだ大人になり切れていなかったのだと感じた。比丘尼が善哉の前に現れて北条を許すまじと説くシーンに背筋がゾクッとなった。次から次へと張り巡らされる伏線にすごいの一言だ。
大病から生きながらえたというのに、誰もそれを喜んでくれず、陰であのまま死んでくれればと言われた上に、大事にしていた妻子を奪われていたのだから、頼家に同情してしまいます。本当に可哀想です。これなら北条を恨み、復讐を考えても仕方がない。それにしても泰時ではありませんが、一幡まで殺す意味があったのか、首を傾げます。比企一族が滅亡した以上、一幡の外戚関係はなくなり、残るのは源と北条の血。北条以外に彼を担ぎ出す勢力の姿が想像できません。北条という一族は、普通なら大事にすべき自分たちと権力者との血筋を、むしろ積極的に絶っていくような動きをしているように思えます。きっと歴史には残らなかった暗闘が、多々あった時代なのでしょうね。
人の命とはほんとに不思議なものだと思った。ふと目覚めてみれば自分はもう死んだものとされ出家までしていてなんだかみんなの雰囲気まで変わっている。愛する妻は一家もろとも殺され愛する息子は行方知らず。自分だけが逝きそびれたような状況にまず何を思うだろう。
政子は実の母ではあるがその大半の時間をかけて育てたのは道である。政子がもっと丈夫に生んであげられればと悔やむ気持ちの側で道が私のせいだと悔やんでいる。実の子をそばで育てられないのはどんな気持ちだろうか。今の感覚の親子ではないので実の子を今後追い詰めることになっても不思議ではない。頼家と北条がもう戻ることのできないところまで来てしまったところが悲しい。
頼家が倒れ、頼朝の最後に重なる状態だというところで、出家させたり次をどうするかの議論が出てくることは仕方ないだろうし、そこで綱引きが始まるのも当然だと思う。ただ、頼家の政権がまだ短く盤石ではなかったから頼家の意思と言うものは中心には据えられないし、争いも止まらない。全成の息子を殺されたことで比企を潰さないと北条が立ち行かなくなると焦るのもわかる。まだ政子が健在な中で北条がないがしろにされることは、当初は政子にはそれほど権力がなかったということなのだろう。義時・泰時親子の会話には以前の義時の悩み苦しむ姿を彷彿とさせる。義時が厳しい顔つきに変わり腹をくくったように、泰時も同じ道を行くのだろう。そして政子もさらに強くなるのだろう。能員の最後も見どころたくさんで、最後まで小憎らしく本心がどこにあるのか分かり難かったけれど、どれも本心だったのかもしれないとも思う。
これで良かったではなく、これしかなかったという義時の感想は、まさしくそうなのでしょうね。そして義時が徐々に頼朝に似ていくのは、まだ武家の法が頭領の言葉ひとつだった時代、やむを得ないことだったのかもしれません。泰時の父に対する反発は、後に彼が御成敗式目という武家における最初の法を作るフリになっているのでしょう。そして北条の思惑は、頼家がそのまま亡くなっていれば、すんなり成就したのかもしれませんが、得てしてこういうものです。この辺りは史実通りですが、その史実もどこまで本当なのか、考えさせられるところです。
最近ナレ死もある中で全成殿の最後は軽めのキャラにしては驚くほど重く荒々しいもので、生きたい、実衣に会いたい、という無念な気持ちがたくさん詰まっていて胸がいっぱいになりました。実衣も全成の最期を真正面から受け止めて精一杯の愛を受け取ったのでしょう。いつ誰がどんな理由で殺されるか分からない時代だからこそ、死は近くにあってまた魂も近くにあったのでしょう。最後の最後にすごい力を発揮した全成。その後病に倒れるのは全成の呪いではないのか?と見せる伏線は素晴らしいです。
周囲に振り回された挙句、斬首となった全成の最期がせつなかったです。まるで呪詛が成功したかにも見える最期でしたが、三谷脚本の上手さは、もしそれが成功したのだとしたら、本気の全成ならば呪詛は可能であった証拠であると同時に、そうであるなら頼家が生きている以上、全成は本気で呪詛はしていないし、無実だということになる点です。実衣が彼の死の状況を聞いて、微笑んだのはその無実証明を全成がやってみせたことと、やればできるのに人の良さから本気で呪わなかった全成の優しさを実感したからなのでしょう。もっとも全成は九字を切っていたから、厄災いよけであり、自分の身を守るためか、あるいは実衣を案じたかのどちらかであり、嵐は偶然なのでしょうが。そういう細かいところがよく作り込まれてます。頼家が毬を見て、全成の頭を思い出すところは、まだ戦場に出たこともない、リアルな死を知らぬ若者が、本当の死を実感し、病む伏線だったと思います。そしていよいよ比企の退場間近ですね。
全成殿の最後になるのは放送前からわかっていたけれど、なかなかすごい最後だったし、実衣の名前を叫ぶところなど心つかまれた。どちらかと言えばずっと頼りなげな全成殿だったけれど、最後の気迫はとてつもなく凄まじかったし、その最後の様子を聞いた実衣の泣き笑いが余計に切ない気持ちにさせた。実衣の無事を願う気持ちが呪詛を成功させ、頼家が病になるのだろうか。比企の悪い顔が今回は全開で、本当に嫌な気分になった。りくの企みに乗せられ、比企に脅され、本当のことを知るすべもない中あれしか道はなかったのだなと納得させてくれるシナリオが素晴らしい。唯一、時政が謝罪してくれたことだけが救いだった。
女にはキノコ!!まだそんなことを信じていたとは!笑ってしまいました。三浦のお父さんの死など、ちゃんと笑えるところを用意するのがすごいところですね。頼家も頼朝を見れば人を信じずやっていくってところも分かるけれど、北条家の賑やかさも知っているのだからもうちょっと柔軟な人物でも良さそうなものなのに育て方ってほんとに大事だなと思います。ただいろんな人の思惑に惑わされないように気を張っているのもかわいそうかな。命を救ってくれた叔父上に呪いをかけられていたと知ったらかわいそうだな。
権力者の外戚が問題を起こすというのは、世界の歴史の中で繰り返されてきたことで、特別に時政や比企能員が欲深いわけではないのでしょうが、少なくともせつや義時のように虚心坦懐に話をすれば、頼家とて心を開くというのにね。時政たちが頼家をただのお飾りのように扱うから、話がこじれる。全成については三谷マジックで「悪禅師」らしからぬ気弱さが憎めない感じでしたが、ついに退場の時が近づいたようです。史実では実衣こと阿波局は政子に助けられますが、裏で動いたりくに対して怒りを覚える筈で、北条一族にも亀裂が入ることになりそうです。
三浦義澄が亡くなったシーンはお腹を抱えて笑った。義澄と時政は富士川の戦いでもコミカルな喧嘩シーンが印象的だった。頼朝が危篤の時も一緒だったし、亡くなるときまで一緒に行こうは今までの流れを汲んでなんだろうな。亡くなるシーンで笑いを取るなんて不謹慎とも見えるけれど、この二人だからいいのかと思いなおした。時政とりくの暗躍が目に余るようになってきた。比企能員も。コミカルとほっこりの中にピリピリが混ざり合っていて粛清の嵐が始まっていることを否応なく感じる。善児から天命という言葉が出てきたことも驚いた。神の手から零れ落ちた時が命が尽きる時と言うことなのだろう。全成が全部回収したと言って実衣となごみの時間を過ごしている描写の次に不穏なシーン。全部のつもりが零れ落ちた一体。次は全成の番なんだろうな。
景時の最期は描かれないパターンかな。いろんな才にあふれた人だったらしいけれど、才に溺れたということなのだろうか。景時は頼家が自分を手放すはずがないと言っていたけれど、あの状態になってしまったらやはり申し開きの一つもしないと助からない。頼朝時代の上総広常を、頼家時代にもということで画策した部分もあったのだろうが、気づいたらその立場に自分がいたということなのだろう。ただ、申し開きをしてまで命をつなぎたい相手ではなくなっていたのかもとも思った。一幡を人質に取って京へと描写されていたけれど、義時との時間を得るためだったのだろう。武士として散る最期を望んでいたということなら、義時に朝廷からの書状を見せたのもワザとだったのではと思ってしまう。義時への最後の言葉は重い置き土産だし、まさか善児まで譲り渡すとは驚いた。目的のために上手く使えかな。
景時を使いこなせなかった頼家は、やはりその器ではなかったということですね。景時のように人望がなく、才あるものは、豊臣秀吉が石田三成を重宝したように、うまく扱えば役に立ち、失敗すれば乱となります。要するに人と状況が見えていない。目を向けているのは自分と父親だけとは、上に立つ者とした御粗末としか言えません。そして景時にもちゃんと見せ場を作るあたり、三谷さんの脚本は流石です。おそらく景時が善児を譲ったのは、坂東武士のためならばという言葉に頷いた義時に、最終手段として頼家暗殺の手駒を残してやったということなのでしょう。三浦義村もより喰えない奴になってきましたし、この後の血塗られた粛清の嵐が、三谷さんによってどう描かれるのか楽しみです。
こう見てくるとつくづく義時はついている男としか思えない。噂レベルでも処分される時代に、誰が何を考えているかそれに伴い誰につくかなどひとつでも間違えば生き死にが別れる。御家人同士の鍔迫り合いで神経をすり減らし、厨二病全開の女関係だけは一人前の殿様に仕えるってなかなかの無理ゲーだろう。もうここまでだと悟ったような梶原殿が心なしか晴れやかに見えた。いつ死ぬのかどのように死ぬのか考え続けなきゃいけないってしんどいだろうな。
わずか18歳というべきかもう18歳と言うべきか。今で言うイキっている頼家に頭を下げなきゃいけない御家人たちは大層不満だっただろう。そしてみんながみんなどう操るかを探っていたのではないだろうか。そんな空気にまた反発して、自分の言うことを聞く若い衆を纏わせていく頼家と古株たちの差はどんどん開いていくだろうな。これも頼朝の失策のうちの一つ、後継者を育てることをしなかった罪は重い。世襲なら幼い頃から教育していくべきだったと思う。
やはり頼朝が亡くなるのが早かった。景時が言う通りだと思う。景時の言った言葉には、違った側面もありそうだけれど。頼家は、頼朝の表と裏ちゃんと見てなかったんだな。御家人を信用していないなんてセリフ、思っていても吐いてはいけなかった。そういう使い分けを父から学ばなかったのだろう。苦労して事を成した頼朝と比べるのは酷だが、やはり比べられてしまうのが二代目。頼朝が誰を信用し、誰を便利に使い、誰に気を使い、どう振舞っていたか。やはり頼朝は偉大だったのだと思わせる二代目の出発だ。景時の暗躍、畠山とりく間の溝、実衣と全成の思いのズレ、やりすぎ感漂う比企の接待など。今は小さな綻びがこれからを思うと重苦しい気分になる。少しのコミカルパートのおかげで重苦しさも少しは和ぐ。でもそんなコミカルパートにすら次への布石が混ぜ込んであって。つくづくすごい本だと思う。
頼家は若さうんぬんよりも、状況を理解していない。そもそも父である頼朝を越えようとしても、初代と二代目ではやるべきことが違う。それは若さゆえの未熟というより、資質や理解の問題だろう。また御家人を信用しないなどと公に断言してしまうなんて、自分は頼朝の息子という権威は持っていても、権力の基盤は坂東武者たちによることを忘れてしまっている愚行。実際には頼家の後見は頼朝が選んでいて、外戚である北条と比企のバランスを取ろうとしたのでしょうが、いずれにせよ頼朝の死がいささか早すぎましたね。
近親者を亡くした人にしか書けない話だなとつくづく思った。頼朝と共に死んでしまうのではないかと思うほどやつれた政子、義時はその時葬儀の準備をする。政子が見たら激怒するかもしれないけれど、死んでから事が滞れば名折れとなる。これも主君のため、焼き場から作る時代なら尚更だ。そして頼朝のためにと老体で水を浴びていた時政は舌の根も乾かぬうちに次の鎌倉殿で揉め出した。いろいろな角度からの頼朝の死。みんなの中の頼朝への思いが垣間見れて面白かった。
頼朝に寄り添う政子がだんだんやつれていく中で、周りとの温度差がすごい。葬儀の段取りやら、跡目相続の話など、淡々と粛々と進んでいく。現代でも意外とこんな感じだったりするので、感情移入してしまい余計に政子の辛さに目が行く。頼朝が光の下、政子に声をかけるシーン。あれは幻だったのだろうか。そのまま倒れ、それにすがって泣く政子を見ると奇跡が起きたのか?どちらとも取れるような気がして、でも奇跡が起きていて欲しいと思った。仲良く餅を丸めていた北条の仲も亀裂が見えたし、今後を思うともう仲の良いシーンが見られないのだとさみしくなった。
改めて頼朝という人物の求心力を感じさせました。頼朝が失われた途端にそれぞれの思惑が表面化します。実衣は政子に権力を握ったら変わってしまったということを言っていたけど、変わったのは自分もだし、それに御台所という立場の政子はむしろ変わらなければいけない。それをわからないところが実衣の未熟さなのでしょう。そんな中で身を引こうとする義時の気持ちもわかります。このままだと比奈の立場は微妙なものになります。八重を失った彼としては、比奈まで失うのは辛すぎる。でも政子の気持ちもわかります。ここからの政子の変化は見どころですね。
頼朝の最後の1日に焦点が当たった今回。家族の縁に恵まれず、人を信用することをしてこなかった男の最期としては最高ではないだろうか。政子と結婚してその親族と笑い合う1日、餅を詰まらせた頼朝に寄り添う家族は絵のように美しかった。義仲への思いを図らずも語ることができ自分の後見の話もできた。その終わりに命が尽きるならそれも本望だろう。頼朝の死にはいろんな説があるがこれは心筋梗塞ってことかな?呂律が回らず片麻痺が起こったようだった。亡霊に呪い殺されるっていうのもアリだとは思っていたが、落馬するまでの間に頼朝にしか見えない何かがあったのかもしれない。ともあれ一つの時代が終わった。大泉頼朝、お疲れ様でした。
全成が頼朝に迫られて思いつく限りのことを言うのだが、一つ一つは当たり障りのないことだし、まあありそうなことばかり。だが、不安で仕方なくなっている頼朝はそれぞれがさらに追い詰める効果をもってしまった。唯一の救いは周りを信用できないようになったと言いながら全成の言葉を信じ、義時の存在を頼りにし、最後には前向きになり安達と共に懐かしい話をしながらだったこと。権力を一つずつ手に入れるごとに一つずつ別の何かを失い、眠ることも苦しい日々の中最後の馬上での思い出話だけは穏やかな顔だった気がします。もののけのせいとも、病気のせいとも何とでも見る人によって好きに見ることができる不思議で上手い最後だったような気がします。
頼朝の死がどう描かれるのが注目していましたが、定説の落馬による死というより、病死の方が近いのでしょうか。それ以上に天命が尽きたという言い方が一番相応しいのかもしれませんね。死ぬ前に見せた頼朝の比企一族との距離感と、餅を詰まらせた時に見せた北条一族との距離感と、さりげなくその対比が描き出されているあたりに、脚本と演出のうまさを感じました。頼朝の死によって、ここから「鎌倉殿の13人」が暗闘を繰り広げることになりますが、血なまぐさい歴史をどう人間ドラマとしてみせてくれるのか楽しみです。
「もう天は必要としていないのか?」今までも人を信じてなど来なかった頼朝が疑心暗鬼に陥れば今以上に人を信じなくなる。自分の一言で相手の命さえ奪える立場にいる人の器ではなかったのだろう。そんな上司の下についたほうは堪らない。念だの怨だのが信じられていた世の中、遠くの修善寺から蒲殿が大姫を呪って殺したなどと考えるのはあり得ることだったのか?念だの怨だのじゃなくて大姫の心と体の衰弱をちゃんと見てほしかった。娘を蝕んだのは誰でもなく自分なのだから。
範頼からの起請文の署名にまでいちゃもんを付け、そのことに対して申し開きを諦めた姿が範頼らしいと思った。修善寺に幽閉されてからも自分のことより頼朝のことを心配していた。それに引き換え頼朝は大姫が亡くなったことを範頼の呪詛によるものと一方的に決めつけ暗殺した。範頼は母の出自は低くても人を思いやる心をもち、頼朝は出自は良くとも周りを信じることができない。育ちによる違いだけなのだろうか。真っすぐに素直に心のままに生きることが難しい時代だったのだと感じる。辛い思いをした巴だけが変わり幸せそうなのが印象的だった。また善児は鎌で身を守る少女を殺さなかった。善児もまた変わった側なのだろうか。善児が死の象徴だったように、この少女は何かの象徴のような存在になるのだろうか。
結局、頼朝はあれだけ敵対していた清盛にだんだん似てきている。身内に厳しいところは清盛よりも酷いとも言えますね。ある意味で天命を知る男だから、落日もまた知るということなのかもしれません。それにしても大姫の病死と範頼の死にこういう因果関係を作り上げた三谷さんの脚本が見事。やはりドラマは因果関係をいかに構築するかが、物語全体の流れを作り、それぞれのキャラクターに感情移入できる素地を作り上げます。たとえば大姫の死の原因を作ったのは頼朝自身なのに、それを認められない彼は、自分の代理でもある身内の範頼を殺したという因果は、実に業が深く、三谷流の頼朝像がしっかりと浮かんでくるし、範頼と大姫も同様です。さすがですね。
いつもの自宅とは離れた場所で狩はその頃の最大の娯楽だろう。いつもよりハメを外しまた頼朝の女好きもこうじてふらふらと、ひなのところに行ったら先に義時が待っていた。我が家の春を謳歌する頼朝の気も緩んだのか、これじゃ警護もしにくくて仕方なかっただろう。今回殺されたのは自分だったかもしれないと相当肝を冷やしたはず。みんなの明確な敵がいなくなった今仲間内での小競り合いが始まる予感。人間とはつくづく愚かなものだと思い知らされた。
北条の焦り、比企のたくらみ、それぞれの立場から曽我兄弟の仇討が描かれていて。頼朝もわかっていて知らないで済ませる。皆の腹の探り具合から幕府ができてまだしっかりと基盤ができてない様子も見て取れて面白い。父が偉大だと子どもは苦労するのが万寿を見ていても感じる。自分の力で得た獣でないものを自分で狩ったとされ、それを神に報告する儀式をさせられるなど普通の精神だと苦痛でしかないだろう。神に嘘つき報告するのだから。頼朝は生き残った。だが今回は神の導きがなかったという。次はないだろうとも。どこで神は見限ったのか。
「曽我兄弟の仇討」をこういう形でまとめたのは、さすが三谷幸喜さんというべきでしょう。もちろん定説ではありませんが、吾妻鏡には曽我五郎が頼朝に向ったことが書かれていますし、この事件の影響によって範頼は流刑になるわけですが、この形だとより説得力があります。気になるのは比奈ですね。比企の一族であり、義時はよくよく女性運が悪い。三谷さんがその辺りをどう描くのかも楽しみですし、実衣とりく、後の阿波局と牧の方という悪女たちの胎動も見え、いよいよドロドロしてくるのを、どうドラマにしていくのか興味深いところです。
征夷大将軍!!と呼ばれた頼朝、渋い顔しかしばらく見ていなかったからその顔から笑顔になったのが印象的。まさに我が世の春なのだろう。一方の義時は最愛の八重を亡くして暗闇を彷徨っている。あれだけ兄弟や協力者を殺しておきながら笑っている頼朝と、八重を亡くしたことを天罰だと思う義時の違いは興味深かった。人の屍を踏みながらでもないと偉くなれないなんて人の業は恐ろしい。義時はこのままフェードアウトしてもいいと思っているかもしれないが、放っておいてくれそうもないな。
曽我兄弟の仇討ちに頼朝暗殺計画かぶせた上に、比企の思惑まで入れてきてさすがとしか言いようがない。「近い人しか出世しない」は平家に近い人しか重んじられない直前までの世を思い出させるし、今後起こり得るいろんなことがすんなり違和感なく理解できるようになっていて面白いと思える。阿野全成が自分の占いが半分しか当たらないからと嘆いているのまで先々の伏線になっているのがすごい。後白河法皇も亡くなり、その場にそっと後鳥羽天皇がおられ、楽しまれよとのこれまた意味深な最後の言葉。少し知っていても知らなくても引き込まれる本だなと感心してしまう。
なるほど有名な曽我兄弟の仇討と頼朝暗殺計画を絡めましたか。まあ昔から北条時政が黒幕で頼朝を狙ったという説もありますが、三谷さんは時政が巻き込まれそうになるという筋書きに仕立てるのですね。さすがひとひねりのある面白い脚色だなと思います。坂東武士と頼朝の対立という構図は、ある種の緊張感をもたらしているし、それが鎌倉初期の血なまぐさい歴史の背景にあるというのは、説得力もあります。傷心の義時とそれを気遣う政子の会話のシーンが良かったですね。「承久の乱」での二人の関係を予感させるものがありました。
歴史上関係ない八重さんの最期をどう描くのかとても興味がありましたが、このように描くとは脱帽です。他の身寄りがない子供たちに尽くしてきた八重、少しでも不穏な気配があれば静粛された殺伐とした男の世界と真逆な世界を作り出しまさに菩薩のようでした。鶴丸と水が八重を覚醒させたのでしょう。その子を救うことであの時救えなかった千鶴丸を救ったのでしょう。筋肉ムキムキの三浦がなぜ手を引いて歩いてきてくれなかったのか、それだけが悔やまれます。
頼朝とのギクシャクした関係もなくなり、どんなからかいにも動じなくなった八重さんは義時との絆もあって幸せそうだった。でも、正妻が登場間近なこともありそろそろ退場だろうとは想像していたが、ここで川で亡くなったという伝説を上手く使うとは思わなかった。とても切ないし悲しい出来事だけれど、千鶴と鶴丸という名前の似合た子どもを救うことで心の中に引っかかったものが抜けて解放されたのかもと思った。大姫は義高が亡くなってから心を病んだように思っていたが、あのような方向に表現されるとは。まじないが呪いのようにも聞こえ、少しおどろおどろしくもある。葵が大姫ならば六条御息所はどなたにあたるのだろう。葵の上がこの先長くないという意味だけでなく、因果応報の部分も含めて源氏物語を絡めてきているのだろうか。
驚きの八重の死。確かに死亡フラグっぽい場面もありましたが、まさかの展開です。大姫が「葵」と名乗り、それが「源氏物語」の影響だと説明がありました。葵上は六条御息所の生霊に悩まされて死ぬわけですが、要するに北条はこれまでの悪行により、祟られて滅びるという主張であり、八重も鶴丸という名に亡き千鶴丸の面影を見て事故死したわけで、因果応報のような感じでしょうか。三谷さんとしては、ここが北条にとって、このままでいいのかと問うべき、ひとつの転換点になるように意図しているのかもしれません。
とても濃密な45分堪能しました。静には静の義経に愛された自分を見せたい意地があったのでしょう。里には里で義経への思いがあった。そして義経と頼朝。どうしてこんなふうにしかできなかったのだろうと涙が出ました。平家を倒した1番の功労者なのに首一つにならなきゃ一番に褒めてもらいたい兄にも会えないなんて悲しいです。そしてその首桶を抱え涙する頼朝。いくじなしという言葉が浮かびました。頼朝には義経を従えるほどの器がなかったということでしょう。全部大泉のせい、とはこのことかと。
愛すべき人たちが次々と亡くなっていく
まるで新撰組!の粛清みたいだな…と思いながら見ている
義時は頼朝化していくんだろうか
見続けることができるんだろうか…と不安になるけど、そこは三谷さんの脚本
きっと空気孔も作ってくれているのでしょう
当初は意表をつかれる義経像でしたが、その最期は時代と政治に振り回された悲運の人らしく、見事な散り様でした。そして新しい義経像としてとても見ごたえがありました。さすが三谷さんだし、さすが菅田さんでしたね。里の胸中はわかりませんが、何だかんだ言って義経の手にかかることを望んだとみるべきなのでしょう。また出番は少なかったものの秀衡の存在感が素晴らしかったです。それに対して義時の立ち位置が中途半端で、首を傾げます。現状はただ頼朝の抱える矛盾を代弁するだけの存在になっています。義経と同様、この先、頷けるような展開になることを期待しています。
義時がいよいよ頼朝に似てきた。闇の部分が大きくなっているのが見ていてわかる。奥州で畑仕事をしている義経のあっけらかんとした雰囲気が、あのまま過ごさせてあげたいと思わせてしまう。静の最後を聞いた義経の反応と、それを陰で聞いていた里の反応。里の言葉に思わず刺してしまった義経の心中を思うといたたまれない。静憎しで義経と頼朝の間を決定的に裂いたのは里。どこで道を間違ったのか瞬時に察したのだろう。義時が何をしに奥州に来たか、分かったうえでの義時との会話。鎌倉の攻め方を景時に託すあたり、義経が頼朝の築いた鎌倉を安泰にする方法を違う角度から探っていたとも言えるのかもしれない。弁慶が奮闘しているのを見て楽しそうにしている姿が最初の頃の義経を思い出させ、濃厚な短い一生を思う上手い演出だと思った。
時政親子が義経はピュアだからこんなことになったみたいなことを言っていたけど、そうだろうか。今みたいに人から伝え聞く情報が唯一の世の中では他人にどれだけ誠実でいられるかが鍵になるのではないだろうか。全てがこのドラマ通りじゃないだろうけど、正妻を大事にしてうまいことやっていれば闇討ちされることはなかった。戦だって汚い勝ち方ばかりするから誰もついてこない。その汚さを自分が一番よく知っているから悪い方に考えたらそれが止められず全てが疑心暗鬼になるのだろう。驕れるもの久しからず、これは誰にでも言えるかもしれない。
平安〜鎌倉の時代を知らなかったし、頼朝がどんな人なのか、主人公の義時は全く知らなかった状態だったので、初めは相関図片手にドラマを観てました。
坂東時政はじめ、役者さんの演技がみな素晴らしくいまでは日曜日が来るのが待ち遠しいです。
今後、大好きだった人たちが粛清されていくんですよね
それが辛い
義経がすでに京都ということは宗盛親子はすでにこの世になく…相変わらずの疫病神な行家は死神レッテル貼られた上での予告ナレ死。そうでなくてもドロドロしてて次々と粛清されていくお話だから、こういう軽く通り過ぎていく感じが暗くなりすぎなくて良いのかもしれない。それにしても法皇がいかに権力を持ってあちこちを天秤にかけ振り回していたか。それをに乗せられなかった頼朝が最終的に残るのは後の世の私たちだからわかることであって。義経の戦の才と真っすぐさ、たしかに平家を滅ぼすためだけに生きたように見える。
相手は暇に飽かして政争を企む後白河法皇。頼朝がそこを置いて義経を責めるのは、やはり内心どこかに兄弟の情よりも天才義経に対する怖れがあったのだと思わざるを得ません。少なくとも伊予守に任じたのに、慣例を破って検非違使を兼任させた法皇の意図を、頼朝も義経ももっと敏感に感じるべきでした。そこが法皇と頼朝という、同じような政治的人間なのに、権謀術数にたけた朝廷人と武骨な武士の違いというところで、そんなところからも朝廷政治と武家政治が袂を分かつのを感じさせるところが、見事だなと思います。いずれにせよ変人義経がしっかりと最後は悲劇のヒーローになっているところもさすが三谷さんです。