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| 脚本・ストーリー 2.8 /5.0(55.4%) | 1029位 /1304件中 |
| キャスト 3.0 /5.0(59.6%) | 1101位 /1304件中 |
| 演出 2.8 /5.0(55.4%) | 1047位 /1303件中 |
| 音楽 3.0 /5.0(59.6%) | 914位 /1304件中 |
| 感動 2.6 /5.0(51.4%) | 922位 /1299件中 |
| 笑い 2.4 /5.0(47%) | 893位 /1299件中 |
| スリル・興奮 2.6 /5.0(52.2%) | 991位 /1297件中 |




直美の母親である夕凪って、文さんなの?それだとちょっと都合よすぎるよね。もし母親の親族とか友人だったとしても、当時100万人を越える東京でこういう形で偶然出会うというのは、フィクションだからこそあり得るというより、フィクションだからこそご都合主義なんじゃないかな。文さんの面白い個性は素敵だけど、物語の構成としては奇跡より地道なものを望みたい。
りんは相変わらずいろいろ巻き込まれているけど、当時の新潟は東京よりも人口が多く、日本国内最大だった。海運の街として栄えていたから、あまり東京と比べて田舎扱いしすぎるのはどうかな。
相変わらず、双六の上りは奥様が主流なんだよね。
だから、どれだけ嫌なことがあっても理不尽なことを言われても耐え続ける。
子どもがいればなおさら。
でも、子どもから見て、それは憧れの世界ではないどころか同じ道をたどりたくないと思ってしまうのは時代が変わりつつあるからこその思いなんだろうと思う。
母は嫁家に戻った。
娘はどう考えどう行動するのか。
一方の直美。
文の看病がちょっとした気分転換にもなっているのだろうか。
同じ看病でも、病院で仕事でするのと、好きで知り合いを見るのとでは心持ちが違う。
お互いに天涯孤独でひねくれもの。
少し似ているなと思っていたら、同じ布でできたものを持っている。
大量生産の時代ではないし、おそらく縁者、親子なんだろうね。
娘だと分かって近くで見守っていたってところだろうか。
知ってしまったら、今までのようには接するのが難しくなっちゃわないかな。
直美さんは、自分が思っているような弱い立場の人を助けるということの壁に突き当たっているのかな。
家族のようなものは手に入れたし、それでも働くことには少しのこだわりがあるように見える。
働かなくても良ければ…で言い淀んでいたし、看護の仕事はきっと好きなんだと思うし、今となったら自分を支える根っこになっているのだろう。
瑞穂屋さんのような良い待遇のお店で働いていても、借金があったり他にも事情がある人にはお金が十分だとは言えない。
女が一人で稼いで生きていくということは大変な時代だったのだと改めて思う。
新潟に行ったりんは田舎の洗礼を受けているようだ。
りんからは女の自立の困難さはなかなか伝わりにくいのだけれど、それでも仕事を選べなかったり勤務地を選べないあたりは今では考えられないところ。
あのおばあさんたちまでりんのことを知っていたのがどういうことなのか。
洋髪が珍しくて目立つのかもしれないけれど、それだけではない噂が回っていそうだ。
毎日見てはいるけどなんか人畜無害っていうか爽やかな水みたいなドラマなんだよね。オープニングと歌だけ聞いて気づいたら終わってる。今日はどんな話だっけ?って思い出せないくらい物語に引っかかりがない。単身で新潟に行くのにコタロウは姿も見せなかったし、りんへの想いはそんなものだったのか?って消化不良。強いて言えば環が可愛くて見ているようなもの。あんな物分かりのいいかわいい子はなかなかいない。環の成長を楽しみにしようかな。
りんは新潟で舎監の他に英語なども教えるようですね。まあ栃木出身とはいえ、家老の娘で、東京から来たとなれば、田舎の女子たちが興味津々なのもわからなくはない。
寮だし、これからいろいろ起こるんだろうけど、りんはどんなきっかけで看護婦に戻るんだろう?そこが次のポイントだろう。
最後に出てきた男性だけど、まさかシマケン、小太郎に続く3人目の再婚相手候補か?
ちょっとモテ過ぎだし、恋愛話よりも、日本最初の看護婦としての物語を充実させてほしい。
シマケンもある意味で「自分探し」の途中で、作家への未練からりんにプロポーズできない状況なのだろうけど、そもそも自分らしさを見つけたから未来が良い方向にむかうわけじゃない。何かをやっているうちに見つけることだってあるし、何となくが本気になることもある。別に書評を卑下することはないと思うんだけど。結局は自己満足の問題なんだし。でもこれでシマケンが一流の作家になったら、ご都合主義すぎて苦笑いだよね。
りんはいずれ看護婦に戻るんだろうけど、むしろ直美がどう成長するかも注目ですね。
リンは恵まれすぎてるよ。あまりに運が良すぎて苦労しているようには感じない。ドラマ上のご都合主義とも言えるけど。
捨松に仕事を斡旋してもらい、母親の美津だけなく、他人である直美までが親身に娘の面倒みてくれて、自分は自分の道を選べる。そんなの普通じゃあり得ない。今の世の中だって難しいのに、明治時代ならなおさらだ。
どうしても気になるのは、りんって母親としてはどうなんだろうってこと。子育てをしながら自立する女性がひとりですべてを背負うのは無理だし、違うと思うけど、だからといって他力本願すぎないかな。
それまでも何人も看取ってきたはずなのになぜ今?っていうのが拭えない。処分として看護婦じゃない仕事に就くというのはありだったかもだけどトラウマとはねぇ。人生は順風満帆じゃないから立ち止まる時もあっていい。ただ稼ぎ頭のりんが立ち止まるわけにはいかない。でも稼ぎ頭と言うのであれば情に流されるような働き方ではなくて職業として割り切るところは割り切っていかないといけないのでは?と思う。来週は1人で新潟へいくのかな?とんびはどうするのだろう。
間違いなく、このままだとりんは看護婦としては役に立たないよね。それでも捨松に仕事を紹介してもらえるだけ恵まれている。実際の世の中はそんなに都合よくはいかないことがほとんどだし。
それにしてもやはり納得できないのは、りんが山本さんの対応でトラウマを抱えてしまったこと。時代的にみても今よりもずっと死は身近な出来事だった筈。しかもりんは父親の壮絶な死をひとりで背負わなければならなかったわけで、今更この程度のことでどうして?という感じがぬぐえない。
りんの強すぎる家長としての意識は、ああいう父親の死と無縁ではないだろう。それは理解できる。なのに山本さんでこうなるのは、ちょっと脚本として弱い。
直美が大山捨松に何を相談しにいったのか、まだわからないけど、きっとりんのことだろう。厳しいかもしれないけど、直美の言う通りで、今のりんには看護婦として仕事を任せることはできない。
そもそもりんの気持ちは本人がどう思おうと優しさではない。単なる自分の行動への後悔だ。本当に優しい人なら、まず目の前の患者を放っておけないし、大切にする。
またトラウマでもないし、PTSDみたいなものでもない。自分の父親の死をフラッシュバックするなら、そうかもしれないけどね。
まあ実際問題として、あの父親の死がトラウマにならなかった娘が、他人の死に直面して、ここまで悩むなんてないような気がするけどね。
看護婦として正しいと、人として正しいとを比較するのはそもそも間違っている。それだと看護婦は時に人として正しくないことをしていることになる。
そもそもたとえ山本さんの意思だとしても勝手に病院から連れ出すのは、看護師としても人としてもダメ。単に身勝手な優しさや正義感の押しつけに過ぎなくなる。看護婦として人として、正しい方法があるとしたら、それは山本さんや彼の奥さん共に医師を説得することだった筈。
そこに気付かないと、それこそ看護婦としても、人としてもダメだと思う。
りんの独断が問題なのであって、家に連れて行ったことが問題なわけじゃないのは、病院側の保身ではなく、その通りだと思う。
そもそも昭和くらいまでは、病人であっても自宅で亡くなるケースが普通だった。手の施しようがない状況になると、患者が家に帰りたがることが多かったし、自宅で親族に見守られながら亡くなるのが当たり前だった。病院が最期まで治療を続けるのが普通になるのは、核家族化した高度経済成長の後のこと。それを考えると、明治期なら本人の意思を汲んで山本さんは家に帰っていたと思う。
とはいえこういう展開なので、それで思うことは、りんはプロというものがわかっていないということかな。
夫婦の別れのシーンで旦那さんが後ろ手で引戸を閉めて奥さんが見送るっていうかっこいいシーンがありながら病院でなんで今朝まで元気だったのに死んじゃったの?とすがる奥さん。覚悟してたんじゃないんかい。その揺れる思いだったりジタバタしたい気持ちは分かるけどちょっと物語としては締まりが悪い。奥さんの今後の出方次第でりんの運命が変わりそうだけど大丈夫かな?りんも大きく責任を問われるだろう。死んだ山本さんが救われたことだけが救いだわ。
りんの気持ちもわからなくはないけど、勝手に山本さんを連れ出すのは無責任だし、更に帰りに「責任をもって」なんて責任を取れないくせに口にするのも無責任だ。結局、プロフェッショナルって自分で責任を取れる者だと言える。職分として看護師は医師の指示のもとに仕事をするものだし、その責任の範囲も医師の指示下での処置が正確に行われるかどうか。たとえ患者本人の意思とはいえ、こういう逸脱行為は懲戒処分を免れないだろう。
そもそもりんはもっとよく考えないといけない。看護とは何かを問えば、医療とは何か、生きるとは何か、人生とは何か、組織とは何か、など付随する様々なことについても学ばなければいけないのだから。
うーん、りんの気持ちは分かるよ。余命幾許もない患者が家に帰りたいって言うことは珍しくないし、りんの遺された家族へできることをしたいって気持ちとリンクしてしまったのだと思う。ただね、患者を夜更けに連れ出すのはまずいよ。看護の先生までしている人がやっていいことじゃない。クビは免れないんじゃないかな。まだ看護婦という職業が確立されていないのにこれは他の看護婦にとっても大きな問題になるだろう。来週は激震だね。
今なら患者のQOLだったり、リビングウィルだったりを尊重する考えが普通だけど、ほんの何十年か前までは患者でも医者の言うことが絶対だった。まあ医者は病気や怪我とだけ向き合えば良いっていう時代だったからね。高齢社会になりかつてのように自宅ではなく、病院での死が当たり前になって、がんの告知も普通に行われ、ホスピスなんかも出来るようになって、ようやくQOLやリビングウィルに目が向けられるようになった。
この時代だし、りんの行為は大きな問題になるだろう。でもこういう問題はQOLやリビングウィルなんて言葉がなかった時代から間違いなくあったはず。その意味では、今だって未来の課題をどう解決すべきかという問いかけになっている思う。それを解決するためには時にこういう蛮勇ともいえる行動がきっかけになる場合もあるのかもしれないね。
昭和ですら医者の言うことは絶対だったのに、あんな風に個人の思いを入れる余地なんてあったんだろうか。
どんなにひどい最後であっても医者を神様のように拝んでいた姿を思い出す。
今とは違って保険もなかったはずで、退院したいと言ったら引き留めるなんてこともなかったのでは。
違和感は横へ置いておくとして、日に日に弱っていく大切な人を見ているのが辛くて病院へ行けないというのはわかる気がする。
そのことを察して余計に弱っていくというのも。
ただ、りんのしていることは一線を越えたと思うし、おそらく問題にされるだろう。
医者の指示は絶対だし、それに従えない看護婦は、やはりその場を失うしかないのだろうと思う。
昔だったら虎太郎一択だっかもしれないけど、なんだか変わってしまった気がする。自分でのしあがった成功体験ができてしまったからなーちょっと強気に出るところもあって今の虎太郎ならシマケンの方が癒しになるよね。お金だって自分が稼げるって考えればますますシマケンかなー。直美にもようやく春が来るのかな?それにしても看護の話って盛り上がらないのだろうか。これなら看護にかこつけて病人を看る時の豆知識みたいなのを披露した方が役に立つかもよ?
直美に会いたくて軍人さんは来ていたんだろうね。
お友達って聞いて嬉しかっただろうな。
直美のモデルの人の旦那さんが軍人だったと聞いていたから、ここでモデルの人に寄せてくるのだろうか?
山本さんのシーン。
送り出してすぐに蝉の声で時間が経ったことを表しているのか。
何か月後とかの字幕を見落としたのかと見直してしまった。
一回目の退院のあと、まだ牛鍋食べに行けていないということで合っているのだろうか?
来年もという約束がいつの時点のことなのかがわからず、ちょっと混乱してしまった。
昔は本人には告知しないのが普通だった。
今のように疼痛緩和も重視されていなかったから、痛みのあまり昏倒したり殺してくれと叫んだりがあった。
告知されなくても末期のガンなんだなと思いながら、気づかないふりをしながらということが身近でもあったことを思い出した。
りんも直美も恋の予感。というか、りんの「私のトンビ」って言葉はこれまでのシマケンの話を考えると、ほぼほぼ告白に近いよね。
山本さんだけど、かつてはインフォームドコンセントなんて、ほぼなかったし、昭和の末期でも癌は死病として本人には告知されないことの方が多かった。でもなんとなく気づくんだよね。昔はそんな話をよく耳にした。
山本さんの気持ちも奥さんの気持ちもよくわかる。年を取ると余計にね。
適材適所って大事なことだと思う。
ただ、直美の不器用があまりにも誇張されていてわざとじゃないかと思えてしまう。
りんとの家族ごっこでギクシャクしても、りんのお母さんはちゃんと家族として扱っている。
だから、直美が詐欺師君に転居先を言いよどんだ時に、りんは「家族一緒に」と割って入れたのかな。
詐欺師君との縁が続くのが良いことには思えないけれど、直美の母が安産願って生んでくれたことを知れて良かったんだろうと思う。
シマケンは思わぬ方へ才能が花開いたようで、でも本人はまた悩みの中へ逆戻りかな。
トンビをまたいくつ飛ばすのだろう。
ちょっとぎくしゃくした感じのりんと直美でしたが、引っ越しと共にいつも通りに戻りました。まあ家族なんて、血がつながっていれば良いってもんでもないし、もう直美は間違いなく一ノ瀬家の家族でいいんじゃないかな。
直美はりんが指摘した通り、リーダー気質。それぞれが出来ることをやればいいのもその通り。でもだからといって任せきりはプロとしてダメ。りんも直美も苦手なところを自覚したなら、せめてマイナスにはならない程度の力は身につけないと。
虎太郎ほど割り切れるかはともかく、生徒の退学は少なくともりんのせいではない。
どんなことでも最初から万全の準備がされているわけはない。特にそれが日本初ということならばなおさらだ。それくらいのリスクを理解した上で、覚悟して入学してこないとね。あの学生は甘い。
りんの方も学生時代の同級生からもドロップアウトした者が出ているわけだし、教員になったからといって自分の在り方にフィードバックしすぎない方がいい。立場も生い立ちも生き方も思いもすべて違う他人と目的共有できるのは、同じ方を向いているから。違う方を見ている者に合わせる必要はない。
それにしても本当に偉い人たちが無責任すぎる。現場に責任があると言うなら、管理者にも別の責任がある筈。困った人たちだね。
優等生ほど折れやすいのは今も昔も同じだろうか。
親も反対していたらしいから、まだ手探り状態の看護の道には乗れなかったということか。
それよりも希望が持てなかったという方が確かなのかもしれない。
ツヤを救えず、自分で抱え込んで猛烈に働く。
ツヤに弱音吐けなかったと心寄せていたりんなのに、さらに周りに壁を築いてしまった。
医院長がりんを総取締から外すのはわかるのだけれど、直美さんに兼任とは。
直美さんの方が要領が良いからだろうが、直後のりんの言葉は完全に直美との間に線を引くものだ。
孤独になった直美さんが心配だな。
りんはツヤさんのことがショックでそれを忘れるために仕事に没頭しただけだから学生が辞めるって言い出しても意味が分からないんじゃないかな。それほどりんにとって看護が楽しい仕事なのだと思う。そんなワーカホリックなりんを見てそこまでできないと辞めていくことは悪いことではないよね。向き不向きがあるし、同期だって何人も辞めているしね。柔軟な考え方ができない人は向いてないしあの学生は遅かれ早かれ壁にぶち当たると思うよ。
まあ、確かにりんはやりすぎだよね。本来の業務外のことも引き受けるならば、あくまでも自分の手が回る範囲にすべきで、食事の時間や寝る時間を削ってまでやるのは、むしろ無責任だと思う。それで疲れから決定的なミスを犯す可能性があるからね。とはいえ、医療人の過重労働は今も問題のひとつなんだけど。
それと今の会社社会なんかでも通じるんだけど、指導する立場の者があまりなんでも自分でやりすぎるのは良くない。適度に周囲に任せるのも先を行く者の役割だと思う。
ツヤの件を引きずるのはわからないではないけど、自分ひとりではどうにもならないこともある。また学生が自分を見てやめると言い出したことも、個人的には「あっ、そう」で構わないと思う。働き方なんて人それぞれあるというのは、りん以外の看護婦を見ればわかるわけで、そういう頭が働かない者はそもそも医療の世界なんて向かないしね。
りんはツヤが解雇になったことに責任を感じて、そのこともあって仕事に没頭しているのだろう。
それに後輩を導くために凛としていることも自分に課していそうだ。
直美のように自分が率先して休憩を取らないと後輩たちは取りにくいと思いが巡らせられる余裕があれば。
本当にこの二人は足して2で割るとちょうどよい関係だと思う。
それにしても、りんのような看護婦が良い看護婦なら自分は無理だと早々に判断したところは頭が良ければこそなのだろうか。
少なくとも4人は看護婦がいて、それぞれスタイルも違っているように見えるのだけれど、比較するということはしなかったのだろうか。
限界まで働くことが美徳とされたのは結構最近までだったように思う。
だから、りんのような人もたくさんいたし、それで辞めるという判断をするのが少し腑に落ちない。
ツヤさん解雇になっちゃったか。
失敗も間違いも許されない現場だということは嫌というほど分かっていただろうけれど、無理が重なってしまったからね。
だからといって許されるわけじゃない。
りんも疲れているだろうことはわかっていたはず。
どうするのが正解だったんだろうね。
仕事を減らしたら受講料も払えないし、生活も成り立たない。
看病婦のままだと先細り。
医院長の言う通り社会の仕組みの問題ではあるのだけれど、こういう問題を切り捨てていった先に良い世界が待っているようには見えない。
りんが渡した先生の置き土産の本。
やっぱり少しりんはズレているのか、それともあれで発奮できるツヤさんなのか、どちらなのだろう。
見ていて少し嫌味に感じてしまった。
ツヤが解雇になってしまったのは切ないけれど仕方ない。患者にとっては看護婦だろうと学生だろうと寝不足だって関係ないからね。見せしめではないけれど学生たちの気も引き締まるだろう。やればできる、という体験をしてきた人は他人もそうだと思いがちなところがある。りんにとっても気付きを与えてもらったと思って精進してほしいね。看護の仕事の線引きだけど病室から動けない人の手紙を出すくらいは臨機応変にしてあげてもいいと思う。頭でっかちは看護に向いてないよ。
りんは婚家で苦労はしたけれど、基本的には優秀な才女っぽいからね。
先生や喜代さん、フミさんの言おうとするところが理解できないんだろう。
読み書きが難しい人に、さらに禅問答のような「看護とは何か」という読み物まで与えて負担を増やす。
もう何日も帰っていないと指摘されても、その先が想像できない。
根本的に何かが足りていないような気もする。
ただ、新人看護婦が看護婦見習いを束ね指導する。
いっぱいいっぱいなんだろうなというところはわかるからそのせいだと思って見ていたらいいのかな。
これって単純にプロとしてどうこうという話ではなく、根本はどこからどこまでが医療であり看護か、どこからどこまでが福祉か、どこからどこまでが奉仕か、という問題であり、現在でもそれをはっきりと線引きするのは難しい。しかも看護ははじめキリスト教的な博愛精神が根本にあったから、きよみたいに奉仕の面も強かった。
更に個人レベルに落とし込むと、あの看護師はここまでしてくれたのにこの看護師はやってくれない、という個的なサービスの差で患者からのクレームにつながり得る。
それらの問題に、どれくらい突っ込むのかで、この朝ドラの意味が問われかねない。
そしてツヤだけど、りんはまだ指導者としては未熟だね。でもそれはいきなりの立場だし、仕方がない。問題はここから何ができるかだと思う。
教えることの難しさ、学ぶことの難しさ、その両方が見えてきました。
包帯を巻くにしても、ただ巻くだけなら子どもでも出来る。でも看護として巻くのは別。幸い学ぶ気持ちはあるようだから、よかったけどね。
ツヤは懸念していた通り、基礎学力のところで苦戦している。戦中や戦後すぐだと小学校もろくに行けなかった子もいた。ましてや明治、ましてや女性、ましてやバツイチ。頑張って欲しいけど前途多難だ。
ツヤに対して同じ看病婦のフユが微妙な視線を送っていたけど、その視線が羨望なのか心配なのかだね。
羨望ならわかりやすい。でも心配の方はちょっと重い。りんたちと違って学習期間が1年なら相当ハードに学ばなければならないし、そもそも普通に英語も理解できる学生たちだからね。直美が言っていたようにレベルが高い。そこで学ぶのはどれだけ実践経験があっても、ツヤには荷が重そうに思える。プロだからこそ、意欲だけではダメだしね。
まあ給料は仕方がない。いきなり海外のプロと同等とはいかないだろう。
そしてシマケン。ようやく納得がいくものが書けたらしい。さて周囲の評価はいかに。
昔は代用教員など、十代で先生なんてケースもあったし、パイオニアの人材を有効に活用しようというのはわからなくはない。そもそも明治のパイオニアたちなんて、わずかな期間外国で見聞したくらいでも専門家扱いされたわけだしね。
ちょっと生意気そうな学生もいたけど、教えるという行為は案外自分たちの学びとして返ってくる部分もある。この先、そんな展開になるのかな。
安、結婚辞めるのやめたってすぐに撤回してちゃんと結婚できて良かったね。主人公じゃないからっていうのもあるけど白無垢姿は見たかったなー。りんたちの卒業写真は歴史上残っているものにそっくりで胸が熱くなったけど看護の部分といえばそれだけ。みんなでお出かけも頓挫するしここはいい場面になりそうだってところが削られるのはつまらないよね。で、看護より恋。コタロウが今まで独身だったってことにも驚いた。農家の子って結婚早そうだからさ。
シマケンVS虎太郎ですか。バツイチ子持ちであっても、りんはもてますね。
虎太郎は出世イコール幸せに結びつけちゃったけど、果たしてそれが吉と出るか凶と出るか。いざ結婚するとなると、経済力はあった方が良いとはいっても、極端に貧乏というほどでないのなら、価値観の一致の方が重い気がする。特に女性も職業をもっていればね。
別にどっちとゴールインしてもいいんだけど、再婚しないのもありだと思う。
安の恋愛話が終わって、いよいよ看護婦としての勤務の話かと思ったら、次はりんの恋話か。
仕事一辺倒にはできないのはわかるけれど、さすがに寄り道が多いかな。
りんの周りだけではなくて、もう少し直美の心の変遷とかを丁寧にやって欲しい気がする。
モデルと設定を大きく変えた理由があるはずだから、余計に気になるのだ。
家庭というものを知ったというのが今週の変化なのだろうけれど、それが今後の看護の話と繋がっていくのだろうか。
虎太郎はずいぶんと上昇志向が強いようだけれど、恋話ではなく、どこかでりんたちの夢を財力で後押ししたりする関係で出てくると良いなと思う。
どんなことでもファーストペンギンになる人は、多くの人に支えられてそうなるのだと痛感させられます。りんたちの努力はもちろん大事ですが、バーンズ先生はもちろんのこと大山捨松などの支援者のみならず、看病婦たちや患者たちにも支えられていたわけで、そのことは今の現実の世の中でも大事な視点だと思います。
安は無事に槇村兄と結婚に至るようですが、やっぱりあの騒動は蛇足だった気がします。
バーンズ先生、夢半ばで母国へ帰るのか。
学校もなくなって、教える場そのものがなくなるから仕方ないかな。
生徒たちに夢を託したけれど、引き継ぐのは4人だけ。
結婚したい人が看護婦を続けるのはやはり無理だったし、奉仕寄りの人も仕事と割り切るのが難しかった。
ただ、もう少しそのあたりの葛藤を描いてほしかったかな。
更に二人、看護師への道を選ばなかったか。でもそこはやむを得ないかな。人それぞれ事情があるし、少なくともある程度は自分で選択できる余地があったことは、この時代の女性たちとして考えればラッキーな方だろう。
今の人にとって当たり前の「夢」だけど、この頃はまだ寝床で見る夢なんだね。時代の変化がよくわかる。
それにしてもたまきはあの年齢で如才ないね。大したものだ。家族だけでなく、いろいろな人に面倒をみてもらった子どもは、良くも悪くも大人になるのが速いもんね。
「結婚やめる!」から「結婚やめるのやめる」までの間に宗一さんの気持ちも動くからねぇ。破談を無しにする方へ「いいですよ!」と返事してくれればいいけど。でも奥様になりたかったとか恋なんかしなくても幸せになる道をとか言う安は素直でいいと思う。漠然とあがりになっちゃうより自分の素直な気持ちを言えてよかったんじゃない?それを宗一さんが面白がってくれるという新しい一面に恋が始まったみたいだし。とにかく安が可愛い!若いっていいな。
改めて…最初重くて暗くてイライラしながら我慢して観てたら盛り返してきたから耐えてたけど、また何かイライラしだして思った。話の内容も全員の喋り方も明るさポップさが基本無いから益々重く感じてイライラするんやこの朝ドラーっ!!…また離脱寸前な訳で…
おや、理解力と優しさにあふれる槇村兄の素顔を知って、安は再び結婚に前向きになりました。まったく現金なものですが、憎めないのはまだ彼女がうぶな少女ともいえる年齢だからでしょう。覆水盆に返らず、にならなければいいのですが。
シマケンに記者にならないかと勧める新聞社の人の言い分だけど、個人的には記者と小説家は全然違うと思う。これって婉曲に小説家になるなんて諦めろと言っている。さて、どうする、シマケン。
安は変化を怖がっているのか、それとも環が心配なのか。
結婚を辞めると言い出した。
今と違って、嫁ぐということは他家へ入るということで、完全に相手のしきたりに従わなければならない。
りんの失敗もあって、余計に不安になったのだろうか。
それにしても宗一さんは革新的な考えのように見える。
結婚に対して積極的でないのはいつの時代にもいただろうけれど、親を挟まないで話し合うなんてのはこの時代には考えられないことだったのでは。
たとえ見初めたとしても、仲を取り持つ人を立てて、それから縁談へという流れだと思うのだけれど、さすがにシマケンさんではその役は不適当だと思うのだが。
どちらにせよ、結婚を辞めるのを辞めるなんて言い出して、上手く取り消せるのか。
宗一さんがどのように親に話をしたのか、それともまだなのか。
話し方によっては義両親の心証がずいぶんと悪くなるんじゃないのかな。
安ちゃんそれはマリッジブルーだよ。自分から好きになった相手でも結婚が決まるとほんとにこれで良かったのかと悩んだりするもんだよ。それにしてもあれほど一ノ瀬家や武士の出を重んじていたのに婿を取らないんだね。安が出て行ってしまったら環に家を継がせるのか?母上がそこら辺のことをこだわらないのが不思議。相手も適齢期だから結婚するみたいな言い方は適切ではない。せめて安が好きだから結婚するって言ってほしいよね。
ほんのちょっと前までは「奥様」がすごろくのあがりで正解だと強弁していた安が、結婚直前になってそれに疑問を持ったようだ。今もマリッジブルーってあるし、人生の大きな岐路だからこそ、それまでに考えなかったことや見ていなかったものが気になってくるのだろう。まあ結果はどっちでもいい。女性がまだまだ自由には生きられない時代に、自分で自分の人生を真剣に考える人が増えたことが未来につながっていくのだから。
そしてバーンズ先生が大山捨松に会いに行った。この頃だと旦那の大山巌はまだ伯爵かな。いかに伯爵夫人でも帝大に圧力をかけるわけにもいかないし、りんたちの働くところをあっせんしてもらうのが目的だろうか?
国内初めてのトレインドナースの話に期待していたが看護の話よりも横道が多くて内容が薄まってしまって残念だ。明治時代に女性が外で働くことの大変さや人身売買で体を売る女性の話など、その時代の女性の生きづらさをあっちもこっちもかいつまんでいくからぼやけてしまう。虎に翼みたいな職業を突き詰める感じがないところや同志の結束力も弱いところが人の心を掴まない。直美も母がいた遊郭の主人にまで辿り着いたのに肝心なことは聞かない。全体的にながら見で済んでしまう軽さだ。
帝都大学病院に看護科ができることで、次年度以降に女学校の看護科の生徒たちを見習いとして受け入れることは無いと先生たちにも伝わった。
きっと病院側は、もっとギリギリまで隠しているつもりだっただろう。
それがバーンズ先生の堪能な日本語のおかげで早くに知れたということか。
今の見習い生たちが大学病院に就職することも無いように先生たちの間では話していた。
卒業しても仕事をする先が無いということか。
女性が一人で生きていくための仕事として看護を選んだ直美とかを思うと、まだまだ辛い道があるのかもと思えてきてしまう。
新しい道を切り拓くって、やっぱり順調にはいかないもので、たくさんの壁があるんだなと思う。
帝都医大のやり方は汚いけど、先駆者は道を切り開き、2番手や3番手がその道を広げる形になる。残念ながらそれが世の常。バーンズ先生の「お褒めにあずかり、恐悦至極」というかしこまった言い方は、彼女のプライドと同時に外国人にそう言わせる校長への当てこすりでもあるのだろうね。
槇村弟の求婚には驚いたが、納得させられたのはシマケンの「助けたんじゃない。助けられる自分でいたかっただけ」という言葉。これは夕凪を助けたかったというより、りんを助けたかったってことだろう。虎太郎もやってくるようだし、これはいよいよりんを巡る恋愛話が花開きそうだ。
夕凪の件は結局、結果オーライだっただけで、脚本としてはあまりにもご都合主義。個人的には納得がいかない。
たまたまシマケンの記事が功を奏しただけで、看護についても、廃娼運動についても、直美の母親についても、あるいはシマケンの文学論についても、すべてが中途半端。どれひとつ、ちゃんと向き合っていない。まるで目次とかヘッドコピーだけのような薄っぺらさを感じる。
もう少しちゃんとどれかに踏み込んだ内容にして欲しい。