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脚本・ストーリー 1.6 /5.0(32%) | 1083位 /1093件中 |
キャスト 2.3 /5.0(46.6%) | 1068位 /1093件中 |
演出 1.7 /5.0(34.6%) | 1076位 /1092件中 |
音楽 1.5 /5.0(30.6%) | 1081位 /1093件中 |
感動 1.7 /5.0(33.4%) | 1042位 /1088件中 |
笑い 1.5 /5.0(30.6%) | 1021位 /1088件中 |
スリル・興奮 1.3 /5.0(25.4%) | 1081位 /1085件中 |
繊細さんが流行る世の中で丁寧で繊細な私たちは清くて美しいとでも言いたいのか?とうにそんな繊細さをなくした世代としては眩しいどころか勝手にやっててって思うほどの内輪受け感満載で胸焼けしそう。ちょっと遠目で見ないとキツかったわ。でも写真は良かった。優希の写る写真を広海が撮ったと分かる顔が素敵、恋人にしか見せない表情ってあるんだよね。紆余曲折あって元鞘に戻る2人、感動というよりもそう簡単に別れるって言わない方がいいってレベル。素直に感動できる人は羨ましいわ。
このキャスト陣なのにもったいないなあー。人を好きになるのに、いちいち変な理屈がついてまわってしっくりこない。推しと好きは違う?私は包装紙だから捨てていい?たとえそうだとしても、いやいや、もっと感情の高まりってあるでしょう。丁寧に描くのと淡々と進めるっていうのは違うと思うんだけどなぁ。
ここで一話の最初に繋がるのかー、と感慨深い。冷えたポップコーンを食べて乗り気のしないキスを受けてさよならってこう繋がるのね。全ては優しい嘘だと。っていうか別れる必要ある?広海にはもっと羽ばたいてほしい、私が知らない世界を見せてって素直に言えばいいじゃない。それでも渋るようなら海外に行かなきゃあなたは輝けない、それなら別れるって脅してやれば一発でしょ。そんな駆け引きはしたくないのって純情だすなよ。めんどくさいなー。
全体的にポエムっぽい作りと丁寧な描写、厨二病みたいな自己中心的な拗らせではないがこちらも結構独特でめんどくさい。そして厨二病ほど笑い飛ばせるほどではないのがよりめんどくさい。こういうのが私たちですと言われてしまえば世代が違うんだろうけど、清くて傷つきやすそうでちょっと近づけないかも。骨董市に出ていたカメラが回り回って優希のところに来る話は好き。いいことがあるカメラとなって人々の手を渡り歩くなんてカメラは幸せだな。
うーん。遺灰を撒く撒かないであんなに揉めるだろうか?姉妹とはいえ親とのかかわり方はそれぞれ違うし、撒くか手元に残すかはそれぞれの考え方だし、あんなに怒るとか泣くとか意味がわからない。
そもそも虎之介のようなパリピがあの4人とつるむのも不自然な気がするし、人物設定とその関係性に独特の世界観があってついていけません。
自分には姉妹がいないのでこういう距離感ゼロの付き合いが分からないし嫌い。クローゼットの中まで開けるって普通なの?しかも開けて見つけた母の遺灰を死体って‥。死体じゃないよね。撒いたって持ってたっていいじゃない?あんなに責められることなの??自分は撒いちゃって手元にないことが悲しいの?妹だけ持っていて羨ましいとか?マジで理解不能。遺灰で生き返る呪詛でもしていれば止めるけどそれ以外は自由でしょ。めんどくさすぎ。
口よりも手の方がいろいろな感情があるっていうのは当然かな。人は言葉以外の非言語の部分でのコミュニケーションでより多くの感情を表現している。ノンバーバル・コミュニケーションって奴だね。特に手は怪我の「手当」とか言うように、手を当てるだけで癒されるとか、手をつなぐと勇気が出るとか、伝わってくるものが多い。
遺灰を海に撒いたのは、決別という意味ではないし、だからといって母親や姉を理解したということでもなく、ただうまい距離感ができたというのが正解なのだと思う。何にしてもこれだけ繊細だと日々しんどそう。
広海を見ていると天才の着地の仕方って難しいんだろうなと思います。ギフテッドでなろうとしてなれるものではなく気づいたら他の人とは違っているのだから難しい。消えた天才なんてとてもキャッチーで読み物として面白いだろうけど、そこで自分が消費されていくのは辛すぎる。でも言わせて貰えばまだ大学生なのだ。何者にもなれる期間にこうなれて良かったと思ってはくれないだろうか。まだまだいろんな可能性がある。進路は無限大だ。
優希と広海の靴下交換は、なんかキュンとくるものがありましたね。
広海の背景はわかったけど、「あの人たち変だねって相手のほうも指される」みたいなこと言って、優希も「変かどうかは誰かに決められるものじゅない」とか答えてたけど、昔はもっと社会は没個性を求められ、時代と共にもっと個性をとか言われた。でも今は自由に個性を見せていい時代なのに、多くの人が他人と違うことを嫌がる。
まあ昔から「20歳過ぎればただの人」の中には、本当にギフテッドだったけど面倒になったり、虚しくなって、才能を封印したり、逃げちゃった人もいる。どんなに時代が変わっても、異質なものは受け入れられにくいというのは変わらないんだろう。
誰かを好きになるってどういうこと?って聞かれても理論的には言葉にできないもんだよね。でも愛莉は自分の中にある優希への気持ちに気づいているのでしょう。でもそれが世間一般でいう恋なのかも分からないし、その気持ちが同性へ向いていることへの戸惑いもあるのだろう。その辺のことって誰も教えてくれないし自分自身の気持ちでさえ不確定で整理しきれない。だから愛莉の悩みって結構深くて難しいのかもと思いました。分かっているのは2年経っても優希が好きってこと。それだけで充分な気もしました。
好きっていうのが難しいなんて、大昔からたくさんの人が思ってきたこと。
だから様々な文学や、演劇や、映画などでもテーマになり続けてきた。でも人間って自分自身が身をもって感じないとわからない生き物だからね。体験することの意味はそこにある。頭にあったものが実体化すると言ってもいい。
人生とトルネードポテトの関係はよくわからないけど、らせんという点には意味があるのかもしれない。DNAが二重らせん構造なのは、らせんに本質的な何かがあるからなのだと思うし。何にしてもそれぞれが一歩進んでいるように感じた。
いつも明るいまひろにそんな過去があったとは驚きました。でもいいとこのお嬢さんであれば放課後そのまま遊ぶってことはなさそうだけどね。キッズ携帯も持っているなら先に連絡するべきだしそう躾けられているはず。まぁ少し休みがちになっていた仲良しの友達と会えたことで気分が高揚してしまって車に乗ったのなら仕方ないか?でもお母さんが汗だくで探すって言うのはありえない。多分キッズ携帯にはGPSついてるし、まず電話するでしょ。設定荒すぎ。
初回は桜の数式で今回は雨に濡れない傘の角度の数式、一定数そういう話が好きな人はいるからただの数学好きとかそのくらいに片付けないでしっかり説明してくれたら話も広がって面白いのに残念です。そして虎之介、優しさ満点だけどズルズルと始まってしまう恋愛に線を引いたのは良かった。始まってしまえばどんな恋も恋だけど同情や寂しさで始まる恋はまだもったいないかな。話の中でいろいろひっかかりは作るもののどれもヒットせずって感じの脚本、これから面白くなるのか心配。
もう少しシーンとシーンの間に余韻があったらなぁと思いました。学生時代の小エピソードをこのスピードで繋げられたら、結局何を見ていたのか分からなくなってしまいます。主人公以外のメインキャストのネタも無理やり挿入の感じがあるし。小説で読んだら面白そうな感じがします。
うーん、見どころが分からないのは私がおばちゃんだからだろうか。まったり友情ドラマって感じなのかなー。盛り上がりはどこになるんだろう。人生で一度も合唱したことない人ってどうしたら現れるんだ?とかいろいろ見ていたが、大して惹かれるところもなく。ただキャストはみんなキラキラしてるしそれだけは見ていて飽きない。桜の数式はなんの説明もないので優希のような感動を得られず消化不良。やるやらちゃんとこちらまで感動させてよね。