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脚本・ストーリー 1.6 /5.0(31%) | 997位 /1001件中 |
キャスト 2.1 /5.0(41.8%) | 989位 /1001件中 |
演出 1.6 /5.0(32.4%) | 992位 /1000件中 |
音楽 1.9 /5.0(37%) | 982位 /1001件中 |
感動 1.6 /5.0(32.6%) | 967位 /996件中 |
笑い 1.3 /5.0(26%) | 970位 /996件中 |
スリル・興奮 1.8 /5.0(35.4%) | 963位 /993件中 |
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キャスト 2.1 /5.0(41.8%) | 989位 /1001件中 |
演出 1.6 /5.0(32.4%) | 992位 /1000件中 |
音楽 1.9 /5.0(37%) | 982位 /1001件中 |
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スリル・興奮 1.8 /5.0(35.4%) | 963位 /993件中 |
娘2人の感想の続きです。
なんでお市さまはあんな軽装で町中ブラついてるの?
徳川ダメ家臣連中はそのお市さまの顔知ってたの?
燃え盛る本能寺取り囲んでるのが明智勢じゃなくて野次馬。それで徳川さまがやりおったって一般人にも信長やっつけ計画バレてたの?
イダテン商人は京都から堺まで何時間で走り抜いたの?それも半蔵の手下より早く
信長やっつけちゃえ計画で集まった半蔵百人の手下は本能寺の変起こってるのに寝てたの?
家康逃走中に農民に襲われたけど、なんで家臣みんな逃げて誰も助けに来ないの?
素朴な疑問をぶつけてくる微笑ましい娘たちでした。
オープニングが幼児向け番組みたいなアニメのと曲の安っぽさ、センスの無いタイトルロゴ、ナレーションの違和感とが相まってほとんど見てなかったけれど、久々に本能寺の変ってことで見たらびっくり‼️
こんなもん作っても許されるNHKってある意味フジよりいい加減度超越してる。
盛り上がる要素である本能寺の変をこんな風に変えてくるとは!!ほぼ目撃者もいない中の出来事なんだし、ほんとに舞を踊ったかなんて分からないけどこんなに大胆に変えなくてもよかったのでは?だいたい信長も家康も光秀だって自分の国があって領主なんだよね?なんかそういう政治的なことが一切出てこないよね。本人同士がわちゃわちゃやって殺されるのはいいけど、それに何万、何千の人が関わって殺されてる自覚はあるのか?まだ直虎の方が自分の国をどうしようか必死に考えてたよ。信長が家康だけを思って果てたなんて気持ち悪すぎる。天下を取る男がそれとは見下げたもんだよ。
いい着眼点だな,エピソード入れてきたな…と思っても,後出しの回想で必要以上にエピソードや設定を盛り過ぎたり,史実無視で現代の価値観を持ち込んだり,女性を無理に絡ませたり…かと思えば,逆に無理やり史実に合わせてきたり…脚本家なのか,演出なのか,演じている方のアドリブなのか…わからないけど,ことごとく裏目に出ている気がします。史実どおり,教科書どおりなんてつまらない…の声も聞かれるようですが…これなら教科書どおりの方が遥かにおもしろいと思わざるを得ないですよ。
神君、伊賀越えですが、相変わらずの半蔵いじりと、本多正信の再登場ですか。その展開はともかく、正信が示唆した通り、織田信長の首を上げられなかったというのは、明智光秀にとって大きな失敗だったと言えるでしょう。万が一、信長が生きていて信長家臣団の分裂が望めず、羽柴、柴田、丹羽などの家臣団が集結すれば、光秀に味方しても勝ち目は薄い。だからこそ、確実に信長の首を取り、家臣団を切り崩したり、牽制し合うようにしたりする必要があった。それにしても信長に比べ、光秀の描き方が残念。せめてもう少し最新の研究結果として、NHKの歴史教養番組でも取り上げているんだから、もっと光秀側の事情を加えて欲しかった。
伊賀越え…ちょっとしたコントでしたね。これでは真剣に演じている役者さんたちが可哀想で。それぞれのシーンがぶつ切りだから、感情とかいろんなことにつながりがなくて。演じるうえでもつじつまが合わなくて大変だったのではと思ってしまう。穴山梅雪の件も、てっきり家康が関与していたのかと思ったら、家康の身代わりときたか。これに関してはなるほどと思った。信長の首はとれない、家康の首だと思ったら穴山だったという状況は家康にとって有利になることは間違いないし。またまた情けない明智のイメージに逆戻りなのはちょっと残念だけれど、本能寺が失敗だったことは動かしようがない事実だし。ちょこちょこ良いなーと思えるところもあるんだけれど、なんせつながりが悪すぎる。残念。
「伊賀を越えろ!」
浜松城で「本能寺の変」を聞いた「お愛の方」。そして家康の留守を守る家臣団。
あれっ?もし家康が「信長をコロス」を実行したら織田家と戦争になるのに戦支度もナシ?
まして「明智光秀の顔は何かやりそう」と言ったお愛の方。
あれっ?ど近眼のお愛の方はいつ光秀の顔をじっくり見たのか?
本能寺の周辺に服部党や女大鼠の一党、そして伊賀の里殲滅戦争で助けた伊賀者100人を含めた500人もの忍びは、何処に行ったの?
堺へのご注進も伊賀越えの護衛もせずにどこに行ったの?
そして、元武士である茶屋四郎次郎が3人目のマラソンランナーとして本能寺から堺まで走って注進したが、馬は使わないのは何故。
服部半蔵も女大鼠が一度も伊賀の里に行ったことが無い、と言ったが、どうやって100人もの伊賀者を助けたのか?
2度の伊賀の里殲滅戦争で壊滅状態になった伊賀の里に数十ヶ所の砦が築かれたと言うナレーションは本当。
本多正信は、軍師なのに何故修験者の格好だったの?
古沢良太脚本家や平山優時代考証専門家が創作や史実変更で作ったストーリーなのに、前後の回で辻褄が合わない描写になっており、大河ドラマ好きのお爺ちゃんとしては、頭が混乱して、怒りすら覚えます。
少なくとも「辻褄は合わせて」と言いたい!
初回から訳分からない脚本と泣き喚く演技しか出来ない主役に付き合わされて、もう大南も松重もやる気無さそう。
伊賀に向かう山中で突然2人が別行動したいって言い出したのは脚本じゃなくて役者さんが思わず口走った本音でしょう。だから急遽白子浜で落ち合ってコントやる脚本に変えたんだろうね。
伊賀越シーン付き合わされる山田半蔵とまりか大鼠は複雑な顔してたもんね。
史実云々は別にしても、これほどいい加減な大河は初めて。
主人公を筆頭に、秀吉・忠勝・於愛・渡辺守綱など、時代劇にはおよそ向いていない俳優の起用や、平成・令和であるかのような軽い言葉遣いが非常に気になる。
なんかコントみたいでしたね。これのどこに感動する要素があるのやら。そして結局はなにも疑わずそのまま進んだ方がよかったなんて身も蓋もない事実。命懸けで越えてきた方としたら脱力しますよね。忍者に義理人情があるかなんて半蔵たちが1番知っていることで、そこにしか賭けることができなかったとはいえ護衛する人間としては判断が甘かったような気がします。良かったのは自ら家康だと名乗り殺された穴山さんぐらいかな。どこかで役に立てるはずと命を捧げたのかと思うと浪漫を感じました。
秀吉が陰険すぎるのも首を傾げるけれど、お市の方やお茶々の描き方はもっとよくわからない。まずお市の方ですが、序盤から伏線としてお転婆には描いていたけれど、猛将柴田勝家を差し置いて、事実上の大将なんてことはあまりに突飛すぎます。そしてお茶々ですが、母の思いに応えず救援にこない家康を恨むと言ったけれど、恨むべきはこの事態を演出した秀吉です。また勝家を父親のように慕っていながら秀吉についた前田利家などを恨むならわかりますが、どうして家康なのかわかりません。それは明らかにお茶々が淀殿と呼ばれるようになってからの事を先回りした伏線のつもりなのでしょうけど、理屈に合わない伏線は無理矢理な印象しか残りません。
二度も夫に先立たれるというのはどんな気持ちだっただろうと市のことは以前より思っていたから、そこに触れられていたのは良かったのだけれど、大将が市とは違和感しかない。お転婆で信長の妹だというプライドはもちろんあっただろうし、もしかしたら勝家も市の意向を取り入れることもあったかもしれないけれど、さすがに勝家を押しのけて大将はないのでは?それに救援に来ない家康を恨むと言った茶々に訂正を入れなかったのも変だ。天下を取ると言ったからそのまま行かせたのかもしれないけれど、後々のためにわざわざ張った伏線にしか見えない。恨むべき人物は家康よりほかにたくさんいるし、たとえ家康との昔話をたくさんしていたとしても家康だけだったの?とも思うし。なんだかな…
我らが神の君‥なんだかバカにしてるのかと思うようなネーミング。今まで見てきた限り神の君なんて思ったことないけどなー。これが本当な訳はないけど、こんな調子で天下を取ったとすればよっぽど運が良かったってそれだけのような気がします。市の最期が描かれましたが、こちらも家康家康とそんなことばかり出てきて辟易。兄妹そろって大層な家康贔屓だったのでしょうか?茶々も家康だけを恨むというのもおかしな話でしょう。そんな中でも秀吉だけが通常運転。かなり気持ち悪かったです。
結果論として天下取りうんぬんという話になっていますが、基本的には織田家の後継争いであり、だからこそ織田家の家臣ではない家康は清須会議に呼ばれていないわけです。なので小牧長久手の戦いの発端は、家康が織田家の後継争いに介入したことに尽きます。大義名分は秀吉の方に分があるわけです。だからこれは家康側からふっかけた戦争であり、どこか信長的であり、家康が信雄を一喝するシーンが象徴的です。要するに信長の真の後継は家康であると暗示しているわけですが、ドラマとして成功しているとは言い難いかな。家康は天下を取ると言いつつもその明確なビジョンがなく、行き当たりばったり。この展開なら、信長の失敗、築山殿の願い、お市の方の無念などを積み重ねたがゆえの、家康らしいビジョンが欲しい。それにしても家康との共闘に長曾我部や佐々はいたのに、なぜ北条氏政の名前がないのでしょう?それは史実だし、重要な要素だと思うのですが。
なんか急にキリッとしてきて家康にびっくり。今更威厳を出しにきた感じが受けつけない。織田信長も自分の野望がまだまだあって道半ばなのは分かっているけど、自分の後継者くらいちゃんと育てなきゃいけなかったよね。言っちゃ悪いけどあんなボンクラなら織田家の先は見えていたわ。それは秀吉も然り。きっちり後見もできて育てられた家康の徳川がずっと続いていったというのは興味深いところかも。やっぱりポッと出てくる天才カリスマより、地道な教育が大事なんだなー。
残り放送回数が少なくなったけれど、家康の死まで描けるのかな?
そして「神の君」という言葉が不愉快だから、やめてくれないか?
小牧長久手の戦いは局地戦で家康が勝ち、大局的あるいは政治的に秀吉が勝った。それは間違いないでしょう。いわゆる徳川四天王の見せ場という感じでしたが、実際には酒井忠次も活躍した筈ですが、ここは他の若い3人を中心にしていました。若いといっても史実ならこの時に本多と榊原は37歳で決して若くはありません。24歳の井伊は赤備えの初陣だからこれで良いとしても、本多と榊原はむしろ歴戦の武将たるものが欲しかったです。そして家康40歳、秀吉46歳。「人生50年」と信長も謡った時代であり、その年齢差はいろんな意味で大きい。そのあたりも互いの戦略の違いに結びついていたと思うのですが。全体的にわかりやすい表面的なところの表現だけでなく、もう少し深堀して欲しいかな。
家康と信雄の対比が見どころなのかな。元々持っていた家康のイメージに近くなってきた。威厳を増し、堂々とした風格だ。信雄と一緒にいると、いかにもお飾りなのだと思う。やっていることは秀吉と同じなのだけれど。榊原の堀の改修の場面はなかなか良かった。ほとんど土は掘れていないように見えたけれど、家臣同士のつながりや心の動きはなかなか面白かった。そして、石川数正の沈み具合が次回への伏線ということか。あんな風に周りと違っていたら、腹のうちに何かあるのは丸わかりだし、行動に注視するようになるだろうけれど。信雄が家康側のアキレス腱だと匂わす風な表現まであって、そこまでお膳立てしなくてもと思った。
ようやく家康がしっかりしてきましたね。秀吉が言っていたように信長がこき使ってあちこち戦いに行かせていたのが良かったのでしょう。家臣たちもどんどん育ってきて頼もしい限りです。正信と直政が言っていた通り家臣を見捨てずにいてくれているのはそういうことが好きじゃないということもありますが、信頼するという大きな心を見せることで家臣も信頼して役に立とうという気持ちが芽生えるからなんでしょうかね。それにしても直政の顔が綺麗とのくだりはまたBL臭がしてきます。それはもう飽きました。
バランスの問題として、松重豊さん演じる石川数正が「化物」と評するだけの秀吉像を、ムロツヨシさんは見せないと数正離反の説得力が生まれないわけですが、この秀吉は「化物」と呼ばれるほどの傑物ではなく、むしろ陰険な策士でしかありません。もっと懐の広さとか、スケールの大きさを感じさせないと、ただ卑小なラッキースターになってしまいます。個人的にはその点で首を傾げます。脚本としては数正の離反は家康を思ってのことだという描き方ですが、それは史実としての疑問はあるけど、フィクションとしては受け入れられる範疇だと思います。
自分はもう歳で華々しく戦果を上げられないことや体力面での不安があったのでしょうか。このどうする家康を見る限りは戦や逃亡の際に若いものに押されなかなか役に立てないジレンマがあるように思えました。そして考えた挙句自分ができることをしようと秀吉の方に行ったのかと。交渉術には定評があったのならこれ以上家康の立場が悪くならないように陰日向で相手方から支えようと思ったのでしょうか。信長も瀬名も数正もこの世界では家康中心。ちょっとご都合主義がすぎるようにも見えてしまいます。
確かに織田信秀の和睦により大義名分が失われ、秀吉が有利になったとはいえ、秀吉に従わないから討つというのも、それこそ大義名分がない。やるなら家康が天皇の命に逆らっているから関白秀吉が討つという形が必要。一武将から関白になるというのはそういうこと。またもし戦っても東に徳川と北条、佐々成政、他にも根来衆らがいて、西に長曾我部もいる。秀吉からすれば毛利なども完全に信頼できる相手ではない。それに関白として敗戦したら名誉が地に落ちる。だからこそ実の母親まで人質に出した。ドラマとして旭姫のキャラは良かったと思うが、秀吉側の内情ももう少ししっかり描いて欲しかった。また繰り返し戦のない世と言うが、この時代の武士にとって戦の無い世は稼げなくなることでもあり、現代人的な平和志向を出し過ぎるのはどうかと思う。
大事な評定の時に女性陣出てくるのこれで二回目かな。どこまでも瀬名を引っ張るし、変に泣かせにかかるから興ざめする。戦のない世と言うけれど、職業武士が生まれ増えた時代。農民が田畑が荒れるので嫌がるのはわかるとしても、職業武士まで平和を望んだのだろうか。農家の出である旭が政の道具として徳川へ嫁ぐのは不憫だとは思うけれど、於大が「おなごは…」と言うのはちょっと違うような。いろいろ今の価値観でのセリフが多すぎてなんだかなー。
過去一番の駄作。
旭はかわいそうだと思ったけど、あの時代は親族は駒だっただろう。女は自由意志で結婚などできなかっただろうし、男だって子供はいろんなところに養子という人質に出される。家康だってそうだったし、のちの孫娘の千姫だってそうだろう。裏切れないところを作るのが目的で戦の次に重要なこと。側室の身でありながら家臣がみな揃っているところに出て行くなんてありえない。どうしても意見したいのならば床に子供と転がってないでもう少し違う場面で2人きりでやってほしかった。
殊更、秀吉を化物というか、悪役というか、規格外の者にしようとしていますが、少なくともこの時点ですでに朝鮮出兵を考えていたというのは無理がありすぎます。それなら天皇の補佐である関白ではなく、軍事を直接握る征夷大将軍をどうやってでも手にしようと、もっと画策した筈です。それにこの時代の教養のレベルを考えれば、そんな発想はいかに突飛な秀吉でも生まれてはこない。むしろ太閤になり、付け焼刃の教養を得るようになり、晩年に耄碌して無意味な妄想を抱くようになったと考えるべきです。またムロさんの芝居は姑息さはよく出ているけど、天下人のスケール感が足りていない。このままだと、家康はこの程度の男も越えられないのかという、がっかり感の方が強い。石田三成も変人というよりは官僚タイプだと思うので、こういうキャラにした理由がわからない。あえて史実と異なるタイプにしたのなら、それなりに説得力あるキャラを生かした展開を望みます。
ここにきて二度目の於愛の近眼設定。途中ちゃんと見えてるのに、どうしてか家康のお尻を叩かせたいらしい。そこに意味はあるのか?秀吉にひれ伏すための設定なのだろうけれど、あまりにも秀吉に人間らしさが見えなくて。心はどこにあるのだろう。大政所に秀吉を化け物のように語らせているけれど、まだあの段階ではそんな風に思っていただろうか。たしかに武士という職業がある限り戦争は終わらないような気はする。ただ、まだ日ノ本平定が終わっていなかった時代。平定が終わるかどうかもまだわからない中で、そんな理由つけて世界へなどと思っていただろうか。未来から見ているからこその視点なような気がする。
人でなしの秀吉は妹を離縁させてまでも家康に嫁がせ、年老いた母親まで家康の元へと送った。一方の家康はたとえ妻にお尻を叩かれようと民衆にお漏らし事件をでっち上げ広げても笑顔でよしとした。主人公だからってここまで家康贔屓をしなくてもいいんじゃないか?信長が成し遂げられなかった夢を秀吉がまとめて家康が固めた。天下統一ということがとても一筋縄ではいかないというだけで時間はかかったけど誰がいなくても成し遂げられなかったことだろう。来年の大河は秀吉でこの逆バージョンだったら面白いかもね。
マンガやラノベならともかく、史実を基本に置くから時代考証の専門家もいる大河ドラマで、お茶々が火縄銃を撃つというのはやりすぎ。当時の火縄銃なんてライフリングもないし、弾もまん丸。野球のナックルボールみたいに不規則変化するから精密射撃なんて出来るわけはなく、反動も大きい。あの状況なら秀吉に当たってもおかしくはない。その後、家康に銃口を向けたのも含め、演出意図としてはお茶々が抱えるお市の方の無念を表現したかったのだろうけど、安易すぎる。また後に豊臣秀次が剣術の稽古に熱心に取組み始めた時、秀吉は天下を治める者がすることではないと一蹴したという話もあるし、弓の訓練などしなかったと思う。とにかく閑話休題として女たちを描くのは構わないけれど、史実が少ないイコール好き勝手に作り話を盛り込めるということではない。もう少し歴史観を持ちつつ、話を膨らませて欲しい。
ここにきてお愛の方が愛するのは家康が一番ではなかった宣言、心の中には違う人がいますってなに?それをやる意味って何?側室とはいえ後継者となる男児を産み衣食住にも困らず幸せだろう?戦がなければ元の暮らしができただろうし、家康も瀬名を失うことはなかっただろう。だけど終わりよければすべてよしではないか。今更あれが良かった、これが良かったなど言っている人生なんてつまらない。最後の最後に何を聞かされたのだろう。日記に書いてないといいなー。
北条氏政といえば有名な汁かけ飯のエピソードがありますが、ドラマ中でもそれを食するシーンがあり、それはエピソードとは違って汁を注いだのは一度きりでした。つまり氏政は凡庸ではなかったとの演出ですね。氏政が愚鈍だとするのは江戸時代に書かれたもので、現実には小牧長久手の戦いで北条と同盟を組んでいた家康が、旗頭の織田信雄が降りてしまったことで、自分も秀吉に歩み寄ったため、北条は梯子を外された形で孤立したというのが正解で、後年になって将軍家に忖度して、氏政が無能だったようにされたのでしょう。なので氏政が愚かではなかったとするのは悪くない演出だと思います。でも秀吉に下らなかった理由が築山殿の構想だというのは首を傾げます。領民思いだと語られ、家康にも領民のことを頼むという人物が、終わってしまった夢物語にあれだけの大国と領民をかけるでしょうか?大事にしてきたものを失ってもいいと思うほどの話しだったでしょうか?平和と唱えれば、即ち正解というのはやめて欲しい。
今回が最終回か?と思うほどの大団円。本当はみんなおじさんなのに、みんな大好きだーって叫ぶ青春のよう。ここまで生き残ったことが奇跡だもの、そのくらいやったー!って叫んでもバチは当たらないだろう。今から思えば秀吉が遠くに遠くに遠ざけたくて江戸に行け!と言ってくれたから今の東京があるんだな。そう思うと感慨深い。今回初めて秀吉ありがとう!と思った笑。秀吉はといえばみんなが知ってる朝鮮出兵。欲の塊は世界をも飲み込む。欲とは本当に恐ろしいものだ。
家康行列、岡崎市に申し込みをしましたが
落選だった為、TVで様子を見せてもらえると
嬉しいです!特別ゲストのトークもお願いします!山田裕貴さんが東海地方の出身なので、
お願いします!ドラマ楽しく拝見です♪
北条征伐まで瀬名絡めてきて、さすがにもういいのでは?関東で自分たちの領土の中で平和に…なんてことではなかったはずだし、長く籠城した理由としては違和感しかない。自分たちの覇権の下での平和なら望んでいたかもしれないけれど、領土拡大の欲求は当然あっただろうし。三成が言った言葉にも違和感。秀吉が間違ったことしたら止めるとか、そんな力あったとは思えないし。家康を関東に移封したのは家康の力をそぐためなのはそうだろう。三河家臣団がそれぞれ城持ち大名になることで連携が薄くなるとはあまり思えないけれど、それでも綿密さはなくなるのかな。当時、江戸はひどい湿地帯だったと聞くし、まだまだ先は長そうだけど最後までたどり着けるのだろうか。
どうやら淀殿悪女説を取ったようです。その前にまず秀吉の朝鮮出兵ですが、野望うんぬんよりも単純に戦争がなくなり、奪える土地が無くなったということは、誰かに褒美を与えるための土地も無くなったということであり、それが理由として大きかったのだろうと思います。まだ褒美イコール領地の時代ですしね。そして淀殿ですが、彼女の目的が復讐なのかどうかはわかりませんが、個人的にはまるで水商売のようなあざとさよりも、戦国の世で培われたしたたかさが欲しかった。
秀吉の孤独が表現されていましたが、今のようにみんなが平等に同じ倫理観や知識をもった教科書があったわけではない時代では親ガチャが全てだったでしょう。世襲制で家来のみんなが子供の頃から盛り立てて守ってくれる。三人寄れば文殊の知恵ではないけれど家康などは家臣に救われた場面も多い。それを考えると自分の才覚だけでそこまで上り詰めた秀吉はすごいのでは?と思えてくる。それにしても茶々の悪女っぷりはすごい。母に似た美貌を最大限に利用して上り詰める。それも野望だから誰も悪くないと思うけどね。
朝鮮出兵もあっさり終わっちゃった。見どころは茶々が家康口説く場面なのかな。武将の一生をやっているはずなのに、話の重心がずれているというか。あれだけ家康を恨みながら秀吉に投降したのに、涙流しながら父と慕っても…というのは空恐ろしい。実際にあんなこと言われても警戒されるだけじゃないのかと思うのだけれど、そこはとびきりの美人だと違うのか。人たらしと言われた秀吉を手玉に取る上級の人たらしが茶々だったということか。悲惨だったという朝鮮出兵をもう少し取り上げて欲しかったかな~
家康が平和を語り、三成に民主主義的なことを語らせるのはやめて欲しい。平和の概念は明治以降に作られたもの。また三成の方は民衆が政治に参加するわけではなので、実際には珍しくもない寡頭制に過ぎない。彼らの少し前の時代に行われた三好三人衆や松永久秀らの政治だって、寡頭制に近いわけで、言うほど特別でも新しくもない。家康と秀吉の最期の対話の背景にホトトギスの声が響いていて、古来、黄泉の国へと渡る鳥だとされているから、秀吉の死を暗示する演出だというのはわかった。でもこういうメタファーを使うのなら、その後に直接的な死が描かれてしまっては意味がない。淀殿は秀吉の最後に辛辣なことを言って悪女ぶりを見せながら、その後に哀しむようなそぶりをみせたけど、愛憎半ばという演出なのだとしたら、これもちょっと安易。脚本、演出共に未熟。でもムロさんの芝居はここにきて見事だった。
最後の最後秀頼の父親が判明か?!!と思ったら私の子って‥。直前でひよったのか?と思ってしまった。そして血を吐きながら苦しむ太閤を氷のような表情で見ながら、死んだら死んだで抱きついて泣いちゃうところ。茶々として今までどんな思いでどんなふうに生きてきたのだろうと思わずにはいられなかった。また酒井忠次の最期も見事。最後まで殿の役に立つことが使命で、また喜びだと思っていたのだろう。それに寄り添う妻も素敵だった。そして家康‥なにしてた??
秀吉が豊臣の世が一代限りだと思っていたというのは少し意外というか、いろんな意味で面白い解釈だと思う。秀吉亡き後はねねさんの影が薄いイメージなのも秀吉の思いを知っていたからと言えそうだし。先週の予告で秀頼の出自に関する茶々の発言が出てたからアレ?って思っていたけれど、やっぱり父親はわかってないし創作とはいえ無理だよね。三成がこういう政治をしたい云々言っていたけれど、どれだけ秀吉の信頼厚くても政治をする側には思えないのだけれど。いろいろ引っかかって話が入ってきにくいな。
秀吉の盟友ともいうべき前田利家が、家康を後押しするようなことを言う筈はないですけどね。まあそういう設定と受け入れるしかありません。何にしても家康VS三成のお膳立てというよりは、天下を治める器の差をはっきりと見せる演出でしょう。しかし三成の若くて理想主義的で意固地さは強く感じられましたが、対比されるべき家康の器の大きさはさっぱり感じませんでした。このドラマの家康自身も若き日には理想主義的で潔癖だったので、それを三成に投影し、諭したり憐れんだりする気持ちはわかります。でもだからこそそれを経た家康の人としての大きさを感じさせないとダメ。それなのに五大老の中で一番貫禄がない。松本さんの演技はメイクで老けさせたり、着ぶくれさせたりしているけど、老けるイコール少し前かがみにするという小芝居はここではいらないし、 セリフ回しも速度やタメが若い頃とさほど変化がない。もっと勉強して欲しい。
同じ星を見ていたはずなのに…という気持ちがあればこそ裏切られた時の反動が大きい。徳川屋敷へ逃げ込むくだりをやってくれると思ったのになくて少しがっかり。でも無かったことで駆け引きなく、三成の真っすぐさが余計に引き立ったのかも。聡明で真っすぐで頑なだと折れやすい。みんなそれがわかっていて家康の裏を三成に吹き込んでいるような気がする。あの中で三成が一番若かったはずだから、やはり経験値が足りなかったのだろうか。家康は田舎に移封されたとはいえ格段の規模の違い。利家が言うように歴史上の人物となりかかっているくらい雲の上の人。若い人が疑心暗鬼になるのも仕方ないのかもと思わせるのは上手い本だなと思った。
1人の人物の一生を演じるのだから仕方ないにしても家康が今幾つくらいなのかって歴史に詳しくない人は分からない。老けない松潤ではそこがカバーしきれず説得力が生まれない。っていうかやっぱり物語が綺麗すぎないか?秀吉が亡くなってみんなが口ではいいことをいいながらあわよくばと思っていないわけがない。足の引っ張りあいもあっただろうし、家康が涼しい顔で事態を見守るだけなんてありえない。ましてそうこうしているうちにお鉢が回ってくるなんて調子のいいことはない。どこまでも家康ファーストなのがつまらないんだよなー。
大河を見るのは習慣なので毎回その時間になると番組を開く。
でも5分と観ていられなくてオンデマンドで鎌倉殿の13人を開いてしまう。
なんか登場人物がね、前衛的ですね。
格闘技のアナウンスが流れたら似合いそう。
そもそも家康と三成が最初に意気投合したのは、互いに戦のない世を模索していたからではなかったか。そこに至る方法論に違いはあれ、目的地は同じだったはずで、「違う星を見ていた」というのは、淀殿らが吹き込んだ結果によるもの。つまり三成は反家康派にそそのかされた形だが、であったとしても彼の想いの根幹であった戦なき世の逆を行くことをするだろうか。諸将を巻き込むために、大坂にいた諸将の妻などを人質にしてまでことを起こせば、大乱になることは目に見えているのに、戦なき世の信念に基づくなら、そんな馬鹿げた戦をしかけるわけがない。これだと三成は新しい政治をやりたいわけではなく、豊臣保守派に見える。三成の立ち位置がぶれぶれ。三成が物思うシーンで背景にカエルが鳴いていたのは「井の中の蛙」を連想させようという演出なのだろうけど、そういう細かいところよりも、根本をしっかりさせないと。そもそも「平和」なんてこの時代に存在しない概念を芯に据えようなんて考えがダメ。無いものは芯にならない。匂わせる程度に留めないと。
タヌキとキツネと何とやらの三つ巴の化かし合いの様相。きっとキツネは自分の手のひらで男どもを転がしているという感覚なのだろうと、淀殿の顔を見ていて感じる。そして三成は真っすぐすぎるが故に淀殿の裏を見れないし、大局も見れていない。家康を滅ぼしたとしても、次の家康が、それも一人じゃなく大量に出てくる可能性すらある。毛利だって宇喜田だって家康の地位を狙っているに過ぎない。ただ、家康という頭の上の重しを取り除くことにおいてのみ一致しているだけだ。本当に豊臣の世を続けられると思っていたのだろうか。伏見城での鳥居元忠との別れのシーンが丁寧に描かれていたのは良かった。
いつの時代だって一緒。てっぺんに立つ人がいなくなればその椅子を争うだけ。信長だって秀吉だって最大のミスはちゃんとした後継者を育てなかったこと。殺された信長はともかく秀吉の方は酷かったからね。その椅子をみんなが虎視眈々と狙っていただろうに、そこを全て淀君のせいにするのは単純すぎないか?それこそ淀君なんかいなくたって争いは遅かれ早かれ起きただろう。随分余裕綽々な家康も違和感がある。もうちょっと策略とか見せないのかね?
演出に疑問がある。三成との対決を選んだ家康に対し、平岩が瀬名の想いを叶える時がやっと来たと心情を語りますが、一方ではその瀬名と共に戦無き世のために動いた千代が、鳥居元忠と共に討ち死にします。シナリオ上、わざわざ千代を生かし、元忠に嫁がせたのだから、この死を意図していたわけで、であれば平岩が家康に語る場面との対比には脚本上の意味があった筈です。それを家康と瀬名が描いた未来にかけるそれぞれの想いだととらえるならば、家康と平岩のシーンはあれで良かったのでしょうか?また元忠のためにも腕が折れるまで書状をというシーンも、むしろ勝つためにそんなことは当然であり、そう言うしかない状況に、静かな中にも荒ぶるものを感じさせる演出があるべきではなかったかと思います。まあ元忠と千代の最期は見事でしたが。
伏見城の鳥居元忠の最後はさすがに良く描かれていたな。千代が生き残るかと思っていたけれど、死に場所を求めていたと武将のような心構え。ある意味この二人は似ていたのかなと思ったりした。伏見城が落ちてからの家康の行動は、今までとは描かれ方が違っていたけれど、実際に調略合戦でもあっただろうから、文を書き続けなければいけなかっただろう。沼田城のやり取りは必要だったかな?好きな人が多そうなエピソードだとは思うけれど、ちょっと取ってつけたような感じを受けた。関ヶ原の大戦を前に遅れること確定した秀忠軍の中で、正信が「仕方ない」と平然としているのが今回の正信らしくて少し面白い。
戦乱の世で一歩間違えれば死という状況の中で生きていればずっと死に方というものを考えていたでしょう。いづれ死ぬのであれば主の役に立て、愛する人と息絶えるのであれば最高かと思います。おまえ様が生きるのであれば一緒に生きる、死に場所を得て嬉しいなど、千代の愛情がとてもよく伝わりました。2人が後の泰平の世にいないのがとても残念です。そんな中真田の生き方も丁寧に描かれました。ただあの時代に祖父をじいじと呼ぶ習慣があったのか、あの一言で現代に戻ってしまったようで残念でした。