※まだ評価はありません。
脚本・ストーリー 3.5 /5.0(70.4%) | 594位 /1058件中 |
キャスト 3.9 /5.0(78.6%) | 556位 /1058件中 |
演出 3.6 /5.0(72.4%) | 539位 /1057件中 |
音楽 3.8 /5.0(75%) | 341位 /1058件中 |
感動 3.6 /5.0(71.2%) | 258位 /1053件中 |
笑い 2.8 /5.0(56%) | 545位 /1053件中 |
スリル・興奮 3.0 /5.0(60.6%) | 614位 /1050件中 |
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キャスト 3.9 /5.0(78.6%) | 556位 /1058件中 |
演出 3.6 /5.0(72.4%) | 539位 /1057件中 |
音楽 3.8 /5.0(75%) | 341位 /1058件中 |
感動 3.6 /5.0(71.2%) | 258位 /1053件中 |
笑い 2.8 /5.0(56%) | 545位 /1053件中 |
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描きようによっては植物が大好きで定職にもつかずしょっちゅう家を空ける旦那とその趣味にも似たものと家族を養うこのに一生懸命働いた妻にもなりうるものをこんなに綺麗で愛に溢れた物語にしてしまうのだからモデルのご家族もとても喜んでいるでしょう。集大成とも言える図鑑に蘭光先生から始まる万太郎と関わりのある人たちの名前がずらり。最後は幼く亡くなった園ちゃんの名前まであり泣けました。夫婦愛、家族愛、友人たちへのリスペクトと愛に溢れた物語は心を温かくしてくれました。最高の朝ドラだったと思います。
全体としてなかなか面白かったと思います。竹雄たちとの絡みも良かったけど、やはりこれは万太郎と寿江子の話ですね。構成も凝っていて、偉人の出し方もうまかったと思います。特に最初の龍馬と最後の逍遥は意表をつかれました。スエコザサですが、宮城と岩手の一部にしか自生してないんですよね。今は牧野植物園でも見られます。仙台市野草園から贈られたもので、ドラマでは千鶴とされている牧野富太郎の次女鶴代さんも植樹に出席されたそうです。そう考えるとやはり植物で繋がれた家族だったのでしょう。本物の牧野は結局「日本植物誌図篇」も、それに代わる「大日本植物誌」も全刊出版は叶いませんでしたが、ドラマの万太郎は出版にこぎつけました。史実とは違っていたとしても、こういう優しいフィクションは許せます。これは牧野富太郎の生涯ではなく、槙野万太郎の話ですから。
大震災から立ち直って仕込めたという酒も、寿恵子が笹に似ているという話も、若くて亡くなった母がバイカオウレンの花と共にいるという話も、すべては最終話に繋がっていたのか。そして下戸の万太郎ですら美味しいと思える酒ができたことは素敵だし、寿恵子との出会いが下戸でカエル様であったことを思えばなおさら感慨深い。お互いがお互いのことを太陽だと思える関係は素晴らしいし、学名の中でずっと一緒にいられることを喜ぶ寿恵子が少し羨ましくもある。万太郎が生き生きと野山で跳ねる様を愛おしいと思えばこそ、ずっと支えてこれたのだろう。決して良い夫とは言い難い万太郎のことを憎からず思えるのは、寿恵子の万太郎を見る目が優しくあたたかく幸せそうだからだと思う。終わってしまったのにしばらく心温かく過ごせそうで。今でもきっとどこかの野山を、今度は二人で巡っているのだろう。
最終回が近づくといろんな人が集まってくる描写が増えるのは朝ドラあるあるだけれど、こんなに説得力を持って、集まることが自然だと思えるのは珍しい気がする。万太郎が博士になった祝いというのも当然あるけれど、それよりも何よりも万太郎という変人奇人が大成したのは寿恵ちゃんの力だということがみんな良くわかっていて、図鑑完成を間に合わせてあげたいと思ってくれるからだろう。それは万太郎と寿恵子の人柄ゆえ。波多野・藤丸コンビに丈之助が加わって、白いものが混じってなお同じ空気感が素敵だ。そしてまだ夢が語れることも。いよいよ最終回。いつものように送り出した寿恵ちゃんの元へ、願い通り新種届ける展開だと嬉しい。
波多野と藤丸はもちろんだけど、野宮もそして佑一郎まで手伝いに現れました。ここまた驚くべきはあの長屋の東大落第生の山脇って、なんと坪内逍遥だったんですね。坪内のエッセイに植物の翻訳名について牧野の名前があるようですが、それ以上に演劇人にとって坪内は重要な人物ですし、ドラマスタッフが坪内をリスペクトしたものと受け取るべきでしょう。悪くない演出です。個人的な気持ちとしては大窪とか、何よりも竹雄にも参加して欲しかったですね。
自分のためにじゃなくお互いのために生きる夫婦、万太郎は寿恵子のために図鑑を完成させようとしている。自分の人生の集大成を見せて恩返しがしたいのだろうと思うと胸が熱くなる。そしてそこに流れる音楽もとても素敵。木々が芽吹いて大きく広がるような壮大な曲がかかり2人の人生の締めくくりも近いのだと感じさせる。これまで会った人たちが次々と現れ助けてくれるのは今までの行いが良かったからだよね。幸せってそういうことなんだろうなと心が温かくなった。
博士号授与の話に対して過去のいろいろなことを理由に受けようとしない万太郎。それに対しての波多野の「傲慢だ」という言葉。波多野が引き受けたという賞賛と引き換えに生じる責任。偶然か必然か植物学の黎明期に立ち会ったこと、世界的に見ても分類学の第一人者となった万太郎が、やはり同じように引き受けるべきものなのだろうと思う。煮え切らない万太郎の背中を図鑑が売れるというとんでもない言葉で背中を押す寿恵子が寿恵子らしいし経営者らしい。ただただ植物を愛し続けた万太郎はすごい。でも本当にすごいのはいろいろあっても尚、万太郎が周りから愛され続けた事かもしれないと徳永教授の顔を見ていて思った。それにしてもどんどん存在が透明感増している寿恵子が心配で。病院では何といわれたのだろうか。史実通りになりそうで悲しい。
棚ぼたではありましたが渋谷の土地を手に入れてそれを売って大きな土地を買う、寿恵子の才覚には驚かされます。万太郎は玉の輿に乗りましたね。今日は波多野と藤丸が訪れました。歳を重ねても3人が会えば昔のように賑やかになるのを見るのはこちらも嬉しくなります。ちらりと竹雄の話も出ていたのでもう一度くらい竹雄夫婦もみられるのかもとワクワクします。それにしても松坂慶子さんと宮崎あおいさんのツーショットは篤姫を見ていた人には胸アツですよね。
せめて自分で採集したものくらいは細かに地名を書いておいて欲しいよねえ。たとえば日本で一番多い地名は中村らしいけど、全国に700近くあるらしい。だから中村だけだといくら地元の新聞紙に挟んでいても判断が難しい。あれだけ細かな絵図を描くのに、そういうところが雑なのは万太郎らしいけどww。それにしても寿江子の健康が心配ですね。牧野富太郎の奥さんは昭和3年に55歳で亡くなっているようだから、戦後まで生きたことになっている寿江子は、史実より長生きしていることになってはいるけど、それでも寂しい感じか拭えません。
よくよく考えると、あの燃えやすい枯れ草の山を大震災も戦争も乗り越えて、守り残したというのは本当に凄いことだと思う。ついつい万太郎目線で見てきて、周りに植物標本が大量にあることが当たり前になってしまっていたから、こうやって違う目線で見て当たり前ではなかったと思ったとたん震えた。寿恵子が生涯かけて万太郎のやろうとしたことを支え、守る城を用意した。冒頭で言っていたようにやり遂げたんだと思う。良妻賢母とかいう枠を超えて偉大な人だったのだ。こういう後世からの目線の描写も良いなと思った。
ナレーションを務めていた宮崎あおいさんの本編登場と、千鶴の晩年役として松坂慶子さんの再登場です。いやあ、このお二人だといつまででも見ていられる感じがしますね。特に宮崎さんはドラマ本編は初登場なのに、ずっと出ていたような存在感です。いきなり昭和33年に飛び、どういうことかと思っていましたが、もしかしたらいくつかのその後と回想、そして何かの再発見で構成される最終週なのでしょうか。スエコザサという週タイトルからすれば、奥さんとの別れも描かれるのでしょうか。
まさか最終週の月曜に万太郎も寿恵子も死んだ後の世界が描かれるなんて!なんて斬新な朝ドラなんだ。人生は平等に時を刻んでいるはずでドラマの中でも同じ割合であってもおかしくないのに、2人の若い頃が長く長く描かれた。人生の楽しい頃に焦点を当てていくっていいな。悲しいことは少なくして自分の人生を振り返る時もこうありたいなと思う。それにしてもナレーションだけだと思っていた宮崎あおいさんの登場と鶴ちゃんが松坂慶子さんになっていたのには驚いた。素敵な演出ですね。
大きな災害や苦難にぶつかったことがある人なら分かると思うけど、これからやらなければならないことを思うと、あまりのことに呆然としてしまうんですよね。でも結局は自分にできることをコツコツやるしかない。万太郎にとってそれは植物のことなのでしょう。それにしても寿江子はすごいね。万太郎より全然すごい。それと大杉栄と伊藤野枝について。思想や信条で人を殺すのは本当におかしい。まあ似たようなことを今もテロやSNSでやっているけどね。殺したのは有名な甘粕正彦。後に満州のフィクサーになり敗戦後に自殺しました。ちなみに甘粕の大杉殺しが隠蔽されなかったのは、当時の新聞記者が圧力にめげずに事件を追ったから。ドラマでは万太郎の息子がその一翼を担うようです。蛙の子は蛙ですね。自分にできることをするところがそっくりです。
朝ドラでこんなにがっつりと関東大震災をやるとは思ってもいなかった。地震のあとの火災の恐怖、そして不安から来る人間の狂気。自警団の暴走。荒谷のおじさんや二人の息子たちから画面には現れなくても当時の町の混沌や緊迫した空気感が伝わってくる。人生が今よりもまだ短かった時代。60歳にして今まで人生をかけて成してきたものが無力にも奪われた万太郎の気持ち、寿恵子の無念さは計り知れない。万太郎も一気に老けたように見える。今は草どころじゃないと何度も周りに言われる。それでも園ちゃんに図鑑をという気持ちが万太郎夫婦を支えている。崩れ燃えた長屋のムラサキカタバミもだが、愛おしそうにドウランに入れられた少し汚れただけの園ちゃんの画に先の光を見たような気がした。
とりあえず虎鉄も含め、家族全員が無事でなによりでした。荒谷さんのおにぎりはきっと何よりも美味かった筈です。東日本大震災の時、被災者のほとんどは各自で食料を確保していました。あくまでも避難所の食料は避難所にいる人の数であり、つまり行き場を失った人たちの分で手一杯だったからです。もし今東京で大きな災害が起こった場合には特別区の住人だけで1100万人以上が被災し、食料を一食おにぎり一個としても、一日で1億個近い数が必要になります。国も都も都民も、それがどういうことか想像をした方がいい。そしてデマ。SNS時代の方がデマは広がりやすい。この回は現代人への警鐘という部分もあるのではないでしょうか。
関東大震災から今年で100年、感慨深いなと思い見ていました。とてもリアルな地震の映像にらんまんチームの本気を見ました。風が強いこととお昼時だったことが重なって火事で大勢の人が亡くなりました。万太郎たちも大事な標本といえど紙の束を背負っているので心配です。行き惑う人々の中幼子が逸れてしまったり、物取りにあったり、本当にその世界にいるような気がしました。寿恵子の判断で渋谷に行くようなので安心ですが、そこから立ち直る人々もきちんと描いてくれたらと思います。
最初に日付が表示されたことでドキドキしながらその時を待つ感じになった。風が出てきたという言葉に恐れ、何気ない日常が余計に愛しい。いよいよ図鑑ができそうという時に、よりにもよってという感じ。万太郎と寿恵子の表情がとても演技には見えなくて。千歳と虎太郎を呼ぶ声が鬼気迫っていて押しつぶされてしまうのではと苦しくなった。放心状態からの標本という言葉。何と天秤にかけても植物が尊い万太郎が標本を見捨てて逃げれるはずもなく。そして誰よりもそんな万太郎と植物を愛する寿恵子だから当然一緒に持とうとする。すべてに説得力があり、迫力があった。神田が町の人の手によって守られたということを知って、大畑印刷所が神田にあって元火消しでという設定がつながり鳥肌が立った。
関東大震災が起こりました。東日本大震災の被災者のひとりとして、ちょっと心が痛みました。それでも標本を大事にしようとする万太郎の執念は異常にも見えますが、決定的なカタストロフィの時こそ、もっともその人が見えてくる。植物学というよりも標本こそが、彼の人生そのものだという表れなのでしょう。そしてそれはただの標本ではなく、家族たちと 竹雄や長屋の人たち、田邊教授など大学の人たち、藤丸や波多野、野宮ら友人たち、、たくさんの出会いをつないでくれたものだから、放っておくことはできなかったのだと思います。さて心配なのは虎鉄と義平さん。無事であればいいのですが。
ついに東京帝大を辞めましたか。いつも良いところで登場する佑一郎も言う通り、現場に出ない、フィールドワークをしない学者はダメ。たとえば趣味のレベルであっても、「本物」を見たり、手にしたりした時の衝撃を知っている人間なら、その意味が心から理解できる筈。本物を知っているからこそ野宮や徳永のように、万太郎の図版に感動する。そして千歳は虎鉄と結婚しました。虎鉄は実在しない人物だからこそ、この二人には幸せになって欲しいですね。この後、関東大震災も起こるし、戦争も続くからね。わざわざ悲劇のために作られた人物は悲しいし。
差配のりんもいなくなり、とうとう十徳長屋から古参メンバーがいなくなりました。というかこれで長屋に住んでいるのは万太郎の家族と助手の虎鉄だけだから、もはや万太郎の住処ですねえ。そして大学を辞めることについての家族の反応ですが、子どもは親を見て育つというけれど、見事に父親と母親に似てしまいました。故郷を愛するから国を愛するというのは、まさしく正しくて、アメリカでいう愛国者パトリオットも始まりは愛郷主義、つまり故郷愛です。そこを抜きに国家を論じてもただの空論であることを、現代人も理解しなくてはと感じます。特に故郷を離れた都市生活者は、そこを忘れてしまいがち。とはいえ故郷なんてものは、生まれた場所や育った場所に限らず、自分がそう思う場所でいいんだと思うけどね。
まあ永守の申し出はありがたいけれど、あんな遺言じみたことを言われたら、万太郎のようにせめてもの注文をつけたくなるのが人情というものでしょう。そして綾と竹雄が藤丸と共に旅立ちます。藤丸と波多野はコンビみたいなものだったから、ちょっと寂しいですが、良き旅立ちになればいいですね。綾の酒造りも楽しみです。万太郎は熊楠や野宮の想いを受けて、熊野に旅立ち、東京帝大ひいては国にケンカを売るようです。まあ万太郎の方はケンカだとは思っていないのでしょうが。どうあれ学者だけでなく、自由にものを言えない社会は膠着しいずれダメになります。現代人もそこは忘れちゃいけないところです。とはいえ一部のSNSみたいに批難ばかりで、ちゃんと定義の上に成り立った批評しないなら、言論の自由もただの暴力ですけど。
早川逸馬、再登場!いやあ、なかなか貫禄がつきましたね。でもあの熱量は変わらないし、志も変わっていない。自由に関して彼が語ることも、まさにその通りだと思う。負の連鎖は100年や200年では消えない。それはあらゆる国や地域のたくさんの歴史が証明しているしね。ちょっと彼が咳き込むところが気になるけど、万太郎に素晴らしいスポンサーを紹介してくれました。さすがです。次は熊野まで熊楠に会いに行くのかな?野宮の願いを無視する万太郎だとは思えないんだけど。
日露戦争後の好景気が渋谷の発展に大きく関わっていたのだと初めて知った。酷い戦いであったと伝え聞く二〇三高地や旅順攻略なども良い風に触れられていて、なるほど今とは違い軍が強いとここまで威勢よく語れるものなのだと思った。花火を見る寿恵子の表情が少し不安げなのが救いではあるのだけれど、当時としては珍しい感情を抱えていたのではと思う。120年に一度のハチクの開花とここからの軍の暴走が万太郎に及ぼす影響はあるのだろうな。合祀問題も出てきて、いろいろ別々に覚えていた事柄がドラマの中で上手く繋がっていって為にもなるドラマだなと思った。
早川って、もしかしたら土佐で自由民権運動をやっていたあの早川逸馬かな?逸馬の再登場なら楽しみです。土佐と牧野という姓で、寿江子が万太郎の奥さんだとわかれば、もしかしたら相島の方の出資話だけではなく、万太郎の図鑑にも出資してくれるかもしれない。そんな展開を期待したいですね。本当は勝ったと大声でいえるほどのものではない日露戦争に浮かれ、一等国になったと自負し、戦争への傾倒の中、熊楠の神社合祀への反対論はともかく、学問の徒である学者たちが言論統制を始めてはダメ。そんな流れが戦争への一助となったのは七博士意見書などを見ても確かなことで、幕末から維新の時代と変わらぬまま、学者もまた政治家だったと感じます。
この時代きっての奇才である南方熊楠の登場です。まだ名前だけだけど。熊楠は粘菌の研究者でもあるから、藤丸も大きな影響を受ける筈なので、手紙だけでなく、是非とも登場して欲しい人物です。すごい変人だし、キャラとしても面白いからね。さて藤丸といえば、彼の尽力で綾にも醸造のメカニズムが示され、古来からの偏見が拭い去られました。本来、科学は自然の力であるがゆえに平等だから、民主主義と科学は相性がいい。本当に科学の力は素晴らしいし、同時にそれを丁寧に調べた藤丸の人間性も素晴らしいですね。
寿恵子は万太郎以上に人の心の中に入り込むのが上手いなと思う。渋谷の人たちのこともとても観察していて、一見ボケていそうに見えるおばあさんともしっかり関係を築いていてすごいと思う。ここから渋谷が発展していったのかもと思うと楽しい。万太郎は図鑑を必要とされているのか少し不安になっているようで。自分を信じて率先して走ってくれる人がいると、自分が走るだけの時と違って責任とか期待に応えたいという欲とかも生まれてきて、意味とか意義とかいろいろ要らないことまで考えるんだろうなと思う。そんな不安すら寿恵子が吹き飛ばしてくれそうだけれど。
小林って小林一三ですか。阪急電鉄とか宝塚歌劇団を作った人物ですね。となると相島は渋谷をという話しからして東急の五島慶太ですか。小林は本名で出てきたのに、五島は本名だとなんかまずいのかな?にしても、さりげなく東西の私鉄を牽引する大物をここで邂逅させるとは、なかなか凄い顔合わせです。まあ、そういうところが朝ドラとか大河の面白さでもありますからね。一方、万太郎は何やら思案しています。個人的には図鑑好きなので、たくさんの詳細な図版は、それだけで嬉しいですけどね。
いつのまにか万太郎より寿恵子の時間のほうが長くなっていませんか?植物学者の採集旅行とはばっさり出張扱いで回想すらなく寿恵子の渋谷探索が主になっているのが面白い。第一はお金のためなんだけど、そこを前面に出さないで寿恵子がやりたいからやるような作りになっているのがいいですね。本当はあの状態じゃ家計は火の車でしょう。今や知らない人がいない渋谷の古い時代を知れるのも面白いですね。このまま行くと渋谷に寿恵子の銅像が立ちそうな活躍ぶり。ますます楽しみです。
弘法湯を巻き込みましたか。さすが寿江子です。この頃の渋谷の中心は弘法湯だと言っていい。ここを中心に歓楽街というか花街が発展したので、目の付けどころが素晴らしい。脚本家さんもよく調べていますね。万太郎にならいフィールドワークのようなことをしたのも大事。最近は何でもネット情報だけで知ったつもりになっている人も多いけど、現場の肌感覚でわかることもある。まさに百聞は一見に如かずです。ネットみたいに便利なものは必ず何かを削ぎ落しています。私も反省して、もう少し寿江子を見習って歩くことにしようかな。
このところ万太郎がほんの少ししか出ない回がある。それでも全体として万太郎が感じられるのは、きっと物語の根底に万太郎を思う気持ちだったり、万太郎の考え方があるからだろう。寿恵子の冒険によって、当時の渋谷がまだ田舎で流れ着くような場所だったことを知った。そこで商売をするなど大冒険だ。でもきっと寿恵子ならやってみせるのだろうと思えるのは、今までの寿恵子の行動力や機転の速さや器量の良さ、丹力を知っているからだろう。万太郎の言うように八犬士のごとく輝く寿恵子。大冒険を見守りたい。
渋谷の発展は駅が出来てからだというけど、鉄道の開業初日に渋谷駅の利用者はいなかったらしいからね。代々木に練兵場が出来た明治後半になって少しずつにぎわってきたという話だし、この時期、普通の人はまだ渋谷が発展するなんて思っていないから、そこを勧めたみえさんの先見の明は凄いといえます。まあ練兵場もあるし、花街として発展するのはある程度予想できたのかもしれませんが。顔をしかめた寿江子だけど、おそらくはみえへの信頼もあるし、見た目だけではわからないところを、万太郎から学んだ観察力で見定めようということのようです。さて彼女はどう見るのでしょうか。
誰が見つけてどう発表するかを競ってるって話だよね。自然界には元々そこにあったのに、それを誰が初めに見つけたかで争うなんて人間は根っから傲慢なんだなと思いました。一見草食の人間の集まりのように見える植物学者でさえそうなのだから戦争がなくなるわけがない。さて夫妻には亡くなった子も合わせて5人の子供が生まれました。史実ではもっと生まれていますが朝ドラではこれだけ子だくさんは珍しいかも。どんどん肝の据わる寿恵子がどんな商売をするのか楽しみです。
野宮の言う通り、彼はそこにずっとあったものをたまたま見つけただけかもしれないけど、そもそも自然科学なんてほとんどがそう。この世界のほとんどは誰かに「発見」されて存在する。それなのに成功の上澄みだけをかすめ盗り、功労者を追い出すような組織が一流だなんて笑わせるし、その程度だから世界に侮られる。まあ今ならアカハラという奴だろうけど、ある大学の職員から聞いた話だと、今だって格付けしたがる学者がたくさんいるらしい。いつか野宮の功績が再評価さればいいけど、そろそろ戦争の足音もうるさくなってくるしね。寿江子の商売構想への影響はもちろん、植物学者も更に軽く扱われる時代が近づいてくる。
竹雄と綾は稼ぎに東京に出てきたというより、稼ぎながら醸造の研究者を探すために出てきたということか。ならば酒問屋の息子で菌を研究したい藤丸は適任だろう。藤丸の申し出を聞いた時の綾の顔が今までになくキラキラしていて、本当に酒造りが好きなんだと感心した。この3人でどんな酒を造るのか楽しみでしかない。一方の波多野と万太郎。野宮の苦しい立場はおそらく万太郎が一番わかると思われ、それを打開することがとてつもなく難しいということも骨身に染みているだろうし。それぞれの見上げる月が同じなのに違って見えるのが面白い。
藤丸の決意は彼らしいと思います。職人の勘と技も良いと思うけど、そもそも発酵食品が多くあるこの国で、醸造など発酵の科学がもたらす恩恵は大きい筈ですからね。そして野宮の件ですが、戦前の東大は自分たちが国をリードするというエリート意識が強すぎて、森林太郎(鷗外)の脚気論争で多くの死者を出し、ビタミンの大発見を邪魔したとか、日露戦争前の七博士意見書で世論をミスリードし、その後の戦争拡大主義に結びついたとか、悪い方に向かわせた歴史的事実が、いろんな分野で存在しています。学者だから公平だということはない。でも学者とか専門家とかプロとかいう人たちが歪むと、世の中も歪んでくる気がします。
牛久亭さんも十徳長屋を出て行くんですね。これで最初にいた人たちは皆、少しはましな暮らしになったということでもあります。さて万太郎たちですが、女性たちには彼女たちなりの、男性たちには彼らなりの、それぞれ思う所があるようです。特に竹雄の夢は、万太郎の夢に負けず、なかなか困難だとは思うけど、足掻けるうちは必死で足掻いたらいいと思います。万太郎の仕事のように未来に残るものではないかもしれないけれど、何らかの形で未来に繋がればいい。形として残るものだけが人の財産ではないのだから。
強調しなければならないのは、徳永がドイツで日本人はバカにされると言うけど、自国の植物を自国で鑑定すらできない、貧弱な基礎さえない国の、しかも何の実績も残していない学者が留学してきたところで、評価されるわけがありません。少なくとも徳永自身が外国では「日本の植物学者といえば牧野」だと話していて、万太郎は普通に評価されていたわけです。だからそこを「日本」にすり替えてはいけない。そして万太郎は台湾の植物の学名に日本名をつけろと言われても拒否している。もし日本名をつけていたら、今頃、全体主義の残滓として笑われていたでしょう。台湾に酷い事をした人もいるけど、ちゃんと配慮した人たちがたくさんいたからこそ、台湾はさまざまな歴史がありながらも日本を好きでいてくれる人が少なくないのだと思います。どちらの態度が正しいか。歴史が証明しています。
久しぶりの虎鉄君登場。あの虎鉄君と同一とは思えないほど立派に育っているけれど、その言葉と振る舞いなどから万太郎と同じ匂いがする。面影は残しつつ、なんとなく万太郎風に浮世離れしてそうな雰囲気に。これから二人で植物を追いかけるのかな。そして寿恵子の万太郎口調を真似た百合への語り掛けが可愛い。台湾で高熱を出してそうな万太郎の姿に幼少期を思い出した。無事に帰ってきているから志明は良い人だったのだろう。助けられたというオーギョーチはイチジクに似た果実なんだ。水の中でもみだしてる作業やってみたくなった。
虎鉄くん、万太郎よりも大きくなっていますね。寺田心くんから濱田龍臣くんへのリレーも、まるで子役の成長物語みたいです。実際に牧野富太郎にヤッコソウの標本を送った山本一は、牧野の助手になったりはしなかったので、この虎鉄というキャラはドラマのオリジナルということになりますが、ここからどんな存在になっていくのか楽しみです。そして台湾で万太郎に何があったのか。万太郎は無事に戻ってきているし、命を救われたと話しているので、台湾の人たちと良い出会いがあったのでしょうね。エピソードが楽しみです。
台湾統治の手段としての調査団だから、やはり物騒なことも想定してということになるのだろう。里中先生の子どもに語るような口調が、里中先生にとって万太郎が特別な存在なのだということを思い出させる。ピストルの代わりに植物図譜を持たせる寿恵ちゃん。万太郎にとって大事なお守りになりそう。止められながらも自分の言いたいこと言ってしまう万太郎には不安しかないけれど、台湾語で挨拶されたことを案内人の彼はどう受け止めたのだろう。最後の表情が意味ありげで気になる。
この時代のインテリの悪いところだけど、日本に力がないから蔑まれるのではなく、その人自身に力がないから蔑まれるのでは?この頃はすでに欧州でジャポニズムは評価されていたし、広く知られ始めていました。それは紛れもなく日本文化への評価です。でも一個人の中途半端に覚えた言葉と中途半端な文化の理解、そして必要以上に高いプライドが蔑まれるのは、ある意味で仕方がない。それは経済大国になった後の日本人だって、似たような蔑みに合ったのを思い出してみればいい。でも一方で評価されるべきところは評価され、それが財産になりました。そして拳銃の件は首を傾げます。万太郎の理想はわかるけど、すべての人が善人ではありません。混乱期だけに自分の身を守ることは、そんなに深刻に考えるべきことではないと思います。自分を守ることが家族の幸福を守ることでもあるのだから。
「追い付け追い越せ」で、どんどん軍が勢いを持ってる時代なんだな。戦争による特需もあるのだろう。チップの量からも仲居さんの会話からも景気が良さそうなのが良くわかる。田邊の時代からそんなに年数が経っているわけではないのだけれど、海外が近くなっている感じもする。本当に時代の変わり目だったんだな。そんな中、万太郎みたいに変わらず、植物を追いかけ愛でている人はとても少数だっただろう。時代の流れから取り残されている感がすごい。岩崎から恩田、里中へと情報が回り、台湾への調査団へと加わることになった。この時代の台湾で、しかも政府からの渡航なら風当たりが強かったのではと心配になる。
大窪も植物学教室を去りますか。まあ特にこの時代は富国強兵と日本の拡大政策で、国の「役に立つ」ことがより重要視されましたしね。植物の新種をひとつ見つけたくらいで、普通の人たちはなかなか評価はしてくれません。そして万太郎の台湾行きですが、台湾は3000メートル級の山が200以上あり、熱帯とはいっても自然は変化に富んでいます。日本とも共通する昆虫や動物も結構いて、もっと近いはずの韓半島には存在しないケースも多々あり、日本の成り立ちを知る意味でも興味深いところです。植民地みたいなものだし、国策だからいろいろあるだろうけど、万太郎にとっては良い勉強になる筈。そして寿江子による八犬伝の講談もどきですが、なかなか板についていて、全編語って欲しいくらいでした。
技術の進歩によって、大きくトレンドが変わるというのは科学の分野でもよくあること。そして最新のものに飛びつきたがるのは、後発の者にはありがちなこと。でもいまだに多くの国が自国で自動車や飛行機を作れないように、何事も幅広く基礎がないとうまく発展しません。基礎となる植物そのものを知らずして、いくら顕微鏡を覗いたところで、それこそ先んじているドイツなどに勝つのは難しい。もちろん、万太郎の言う通り、本来は勝ち負けではないんだけどね。明治の日本はいわばガラパゴス化した状態。それならそれで欧米の真似だけでなく、特殊性を生かすことも考えないとね。その課題は現代日本にも当てはまると思う。
久しぶりの東京大学はずいぶんと雰囲気が変わっていた。入り口は標本だらけだったのが、本だらけになっていたし。これから様々な違いが明示されていくのだろう。元々徳永は東京大学の権威ということにこだわっていたので、教授のポストについたことで拍車がかかっているだろうし。ドイツでは先進国との違いを嫌というほど見せつけられたということなのだろう。万太郎の置かれた立場は田邊元教授の言っていたプラントハンターと大差ない。公的か私的かという違いだけ。標本を充実させることだけを命じられていたけれど、もし新種を発表するとなったらまた誰かのものになるのでは?それとも新種ごときという考えなのか。解剖学には走らないと思うが、植物を明らかにすることに付随することには見境がなさそうな万太郎。大窪が切られた理由によっては万太郎のこの先も不穏だなと思う。
岩崎様は菊に見覚えがあったのだろう。だからこそ貧相だからと下げさせようとした恩田を手で制した。菊が元々日本のものではないと言われた時の反応は、これから太平洋戦争まで続く天皇を絶対視する思想が垣間見える。それでも続きを聞いてもらえたのは、そういう思想がまだ軍部中心で国全体ではなかったということなのだろう。寿恵子が誰に対しても堂々と意見できるのはすごい度胸だと思うし、話しの仕方もとても上手い。あの場にいた人たちが1000年もの時間を旅し、さらに花をめでる人々に想いをはせる。ただただ花を観賞するだけよりもっと濃密な時間だし、これから訪れる秋が楽しみになった。
寿江子の素晴らしいプレゼンでした。気になってググったら、皇室の菊の御紋は鎌倉時代の後鳥羽上皇が初めで、12世紀末から使われていたそう。思ったほど古くはないんですね。なんでも歴史だ、伝統だという人がいるけど、調べてみるとそれほど古いものではないって、よくあることです。岩崎弥之助ですが、ノジギクで思い出したのはやはり坂本龍馬のことのか、兄弥太郎のことなのか、いずれにせよ土佐の風景と重なったことで、万太郎と繋がっている。余計なお世話だけど、大河ドラマもどうせフィクションにするなら、これくらい因果を考えて欲しい。さて万太郎と徳永ですが、田邊とどう違い、どう似ているのか。興味深いです。
そういえば旅館とかでも仲居さんに心付け渡す習慣ってあったなー。最近ホテルが多いからすっかり忘れてた。ああいう料亭なら心配りのできる仲居には心付けはずむだろうし、寿恵子が働くにはもってこいかも。働いている間の子どもたちのことまできちんと触れられていて、この台本は細かいところまで行き届いてるなと感じる。昔はコミュニティーで育てる感じだったし、上の子が10歳くらいになれば充分子守要員だったし。八犬伝が質入れされていることを知って、さすがの万太郎も動揺してた。肩もみだけでなく寿恵子の頑張りがどこかで報われるといいな。
明治の新橋は日本初の鉄道の起点だったから、料亭などの花柳界もさぞ賑やかだったことでしょう。そして岩崎弥之助ですが、三菱財閥の二代目でアメリカ留学経験もある財界の大物でありインテリです。だから菊比べも余興とはいえ、ただ美しだけでは彼の心に響かないでしょうね。そこで万太郎の植物を探求し続ける知識と眼力がものを言いそうです。それにしても万太郎と寿江子は本当に仲が良い。ちゃんと互いを理解し、それに納得し合っている。だからこそ甘えたり、許したりできる。そこが大事。夫婦ってそういうもの。
やっとというべきか、とうとう寿恵子はみえ叔母さんに頼りました。簡単に頼らなかったことは寿恵子の結婚の時の件によって行きにくいということもあっただろうし、自分たちでやっていくという覚悟があったからなんだろう。内職も頑張っていたけれど、それでも甘いという叔母さんの言葉は厳しい。ただ単に姪が可愛くて手を差し伸べる展開になっていないのがこのドラマの引き込まれる所以なんだろう。厳しそうな仲居頭や今後キーマンになりそうな岩崎弥之助が出てきて、ここからは寿恵子の周りでドラマが進んでいきそう。