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脚本・ストーリー 3.4 /5.0(68.8%) | 594位 /919件中 |
キャスト 3.9 /5.0(77.6%) | 562位 /919件中 |
演出 3.5 /5.0(70.8%) | 556位 /918件中 |
音楽 3.7 /5.0(73.6%) | 379位 /919件中 |
感動 3.5 /5.0(69.2%) | 281位 /916件中 |
笑い 2.7 /5.0(54%) | 540位 /915件中 |
スリル・興奮 3.0 /5.0(60%) | 551位 /913件中 |
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佑一郎が語る差別は昨今のBlack Lives Matterのように、いまだ解決しない、いわばアメリカの病巣のひとつです。でも結局のところ差別はどこにでもあって、特に彼らの出身地である土佐には士分でも上士と下士があったわけで、その呪縛から解かれた佑一郎にとって、そのきっかけとなった万太郎の精神は、ある意味でアメリカよりも先を行くものに見えているのかもしれません。さて森有礼が亡くなり、梯子を外された感じになった田邊教授はどうするのでしょうね。普通に考えれば現職に集中すべきなんだけど、そうするとまた万太郎と間接的に対峙することになりそうです。
もちろん寿江子の弁舌は見事だったけど、借金取りも質屋のおじさんと同じで、人情があった時代だということですね。当時は人をよく見ていました。見込みのある人間ならば、多少の無理は聞いてやるような人もいた。まさに気風が良い人がいた時代なんですね。まあ、それも限度はあるけど、もしかしたら福の神になるかもしれない色男が東京に帰って来ました。援助はともかく、何か良いアイディアをくれるかもしれません。暗殺された森有礼は急進的な欧米化論者でした。でも江戸末期、他国に比べて識字率が高かったために、一般大衆の文化レベルが高く、急速な進歩にもついていけたというのに、わざわざ国語を英語化したら、識字率の高さが失われ、時代の流れと逆行してしまうことがわからなかったのでしょうか。暗殺テロはともかく、維新は素晴らしいとか、明治の偉人と呼ばれる人たちが立派だったとかいうのを鵜呑みにせず、その言動をもう一度細かに検証する時期にきている気がします。
長屋の住人たちにも変化があり、出ていく人たちが増えました。なんだか寂しいけと、基本的には良い変化でもって転居しているのだから、よかったというべきなのかも知れませんね。一方の万太郎はどんどん標本が増えるのは良いけど、それに合わせて借りる部屋数も増え、また子が出来たとなれば当然借金をすることになる。仕事らしい仕事をしていないのだから、まあその流れは仕方がないところかな。江戸以来、庶民は今よりも借金には抵抗がないし、それでもなんとかなるという気風もあったとはいえ、厳しそうな借金取りからどう逃れるのか、なかなか大変です。
藤丸や波多野と一緒だと、万太郎は本当に楽しそうですね。彼らには目に見える支援は難しくても、こうして楽しい時間を共有できることは友人である証だし、間違いなく互いに刺激と喜びは得られる。田邊には得られなかったもののひとつです。そして虎徹くんが見つけたヤッコソウ。こういう出会いを呼び込むのは、万太郎の人柄はもちろんだけど、積極的にフィールドワークを重ね、子ども相手でも貪欲に知識を得ようとする姿勢があるから。まさにどれも田邊には無いもので、二人の差がどこにあるのかわかりやすく理解できます。そもそも自然科学の学者が大学に籠ってばかりじゃダメ。それは形を変えれば、ネットでネタを探して現場に行かずに記事を書く記者とか、地元には選挙以外ではほとんど戻らない国会議員とか、似たようなのが今もたくさんいる。
心配して来てくれた寿恵子にまで突っかかるとは。田邊教授はずいぶんと気持ちに余裕がなく、追い込まれているように見える。あんな風に言われて聡子もがっかりしただろう。それでも寿恵子は殿方の事情は聡子とのことには関係なく気持ちは揺るがないと言ってのける。怒ってはいるけれど心は大きくすさまじく強い。聡子が田邊教授に抗ったのは初めてではないだろうか。田邊夫婦の関係性が今後変わっていくのだろうか。茹っていた寿恵子が万太郎からの大量の荷物ですっかり気分が変わり、ご機嫌に冒険モードになっているのが面白い。根っからの冒険好きなんだなと思う。田邊教授じゃないけれど、寿恵子が教育を受けていたら万太郎を越える偉人になっていたかもなんて妄想してしまった。
すえちゃんは立派な八犬士ですよね。幼な子を亡くしてまだ傷も癒えぬまま、また生まれたての子供を世話しているのに今で言うワンオペにならなきゃいけない。長屋のみんながいるとしても小さな命を守るのに心配は尽きないでしょう。なのに、家を出たら私たちのことは忘れて!と言えちゃう気風の良さ、惚れちゃうよね。そして聡子さんが心配で駆けつけちゃう行動力。だから万太郎がいつまでも少年のようにキラキラ輝いていられるのだろう。夫婦とはよくできたものだ。
万太郎と田邊の差はこれなんですね。万太郎が新種を見つけるのは田邊が思うような天与の才能があるからではなく、まめにしっかりとフィールドワークをしているという努力が背景にある。ただ知識だけ詰め込んで、西欧に追いつこうという野心の方が強い田邊には、ムジナモの時のように本にあるものと同定はできても、新種を発見する可能性は極めて低い。まあ学者に限らず、フィールドワーク軽視って今もこの国の悪癖のひとつですがね。それと田邊は鹿鳴館に関わっていたのだから、大山捨松を知っていた筈だし、女学校関連で津田梅子や下田歌子との接点もあったかもしれない。それでいて寿江子に対する教育のなさを指摘する言葉は、あまりに女性をバカにしているし、品性も疑います。
竹雄が反対したのは、大切な守らなければならない者がいるということからだったのか。万太郎の絶対的な応援者だと思っていた竹雄も、綾との家庭を持って少しずつ変わったということなのだろう。当然と言えば当然だ。だけど、万太郎の応援者はしっかり寿恵子に引き継がれていて、この困難な中でも背中を押してくれると聞いて驚いていた。綾の言う通り寿恵子も充分に八犬士のようだ。さて田邊教授に対して陥れるような新聞小説が出た。これが教授にどういう影響が出るのか。聡子を心配して田邊家へ行った寿恵子はどうするつもりなのだろう。
寿江子には綾や万太郎が八犬士のように見え、綾にはむしろ寿江子の方がそう見えるというのは、人は自分のことは見えにくいということなのでしょう。見方を変えれば、人は誰でも誰かのヒーローになれて、それは八犬士も痣があったのはきっかけに過ぎず、なるべくしてそうなったと言いたいのかな。でも天与の才能と自分の望みが必ずしも一致するわけではないからね。万太郎のようにそれが一致した人は本当に幸運なのだと思います。田邊教授のスキャンダルですが、モデルとなった矢田部良吉の実話です。新聞小説がきっかけというのも本当。でも別にやましい関係だったわけじゃないし、少しは田邊の良いところが見られるかもしれません。
そういえば昔は親子や兄弟といった親しい間柄でも、膝つき合わせて深々と頭を下げて近況報告だとかお礼だとか述べてたなーと懐かしい思いで見た。改めて画面で見ると折り目正しくて清々しくて気持ちが良い。礼儀って大切にしたいなと思った。峰屋がつぶれた事に万太郎が自分の責任を言おうとしたのを竹雄が遮った。それは当然で、竹雄と綾の二人の積み上げてきた時間や覚悟をたとえ万太郎でも奪うことはできないだろう。両家の重苦しい挨拶のあとは、愛くるしいちーちゃんをあやす綾の姿にほっこりした。万太郎の覚悟に竹雄が異を唱えていたが、きっと竹雄のことだからより良い提案があるのだろう。何を言うのか楽しみだ。
園子の生まれ変わりのように千歳が生まれました。彼女には長生きして欲しいですね。そしてマキシモビッチ博士もこの世を去ってしまいました。心の師という存在は大事ですよね。物理的に会えない人からだって、人は大きな影響を受けることがあります。私も一度お会いしたかった心の師がいるので、万太郎の気持ちはよくわかります。そして竹雄と綾との再会ですが、二人共、立派な大人の対応ですね。人生、結果がすべてはありません。挑戦したことが財産になることもある。だからこそ、ここからです。
園ちゃんが亡くなった回から土日を挟んだことで、長く二人がそのことに悲しみ苦しんだように感じるのは構成が上手いなと思った。実際に喪失感から立ち直るのは簡単ではないし、自分になにか責があるのではと思い詰めてしまうのも本当によくわかる。長屋のみんなや家主の心遣いは嬉しいけれど、倉田さんが言うように時薬しかない。時が解決するというより、時間をかけて向き合うしかないのだ。万太郎はお金を稼ぐという意味では生活力が乏しいけれど、寿恵子と一緒に苦しみ悲しんでいるのが少し羨ましい。あの世の園ちゃんに恥ずかしくないように、喜んでもらえるようにと思えたら後は前を向けるだろう。そこへ至るまでの細やかな描写にとても共感した。一緒に手をとって前を向けるって素晴らしいな。
ちょっと薄情なことを言うようだけど、本当の意味で人に平等なのは、必ず等しく訪れる死だけ。だから死を考えることは生きるために必要な時もある。特に今よりもずっと死が近いところにあった時代はそう。万太郎がいつか自分が死んで園子に会った時に恥ずかしくないように生きるというのは、いわゆるメメントモリの思想に似ている。まあ終戦の日も近いし、若い人でも年に一度くらいは、死について考えてみるのは悪い事じゃないと思う。厭世観を抱くためではなく、万太郎や寿江子のように、あくまで自分が生きる意味をより強固なものにするために。
殿様の酒を造るあの峰屋の分家だ!ということが、分家の方々のプライドというか誇りだったんだなと。だからこそ、豊治は殿様の酒を造る峰屋のままで幕をおろしたと綾をねぎらったのだろう。裏で隠れて悪いことをして生き残る道ではなく、正々堂々と真っ当に殿様の酒を造り続けた。それを綾は周りから何を言われようが続けたということがどれだけ大変か、というのが詰まっていたような気がする。園ちゃんは…あの笑顔は反則ですね。音楽もなくただただ園ちゃんのおぼつかない足取りと笑顔を見せられて、泣くに決まってる。まつさん来てくれて、長屋のみんながいてくれて良かった。
そのちゃんは天に帰って行きましたという表現がぴったりでした。今の世の中では忘れがちですが昔は幼い子供が死ぬことはよくあることだった。だから神のうちですよね。尊くて愛おしい存在。そういうことを忘れていたなと思います。本当は育児こそ片手間でできるものではないのかもしれない。モデルの牧野富太郎さんも13人子供を持ちそのうち6人を亡くしています。悲しい場面は観たくないけれど、人が死ぬということ生きることが当たり前じゃないことを知るのも夏休みにはいいかもしれませんね。
園子ちゃんが麻疹で亡くなってしまいました。切ないですね。差配の江口さんが言う通り「7歳までは神のうち」という時代ではありますが、各々の命には各々の思いがあります。長屋の人たちのさりげなさが優しくもあるし、ここで「寿限無」というは、次に生まれる子が健やかであるようにという願いがあるように感じます。さて峰屋ですが、分家の伸治の判断は間違ってはいない。身の程を知るというのはこういう時に使うべき言葉ですね。これから綾と竹雄はどうするのか。万太郎に会いに東京に行くようですが、彼らなりのこれからを見つけて欲しいです。まずは背負ってきたものを降ろした開放感を味わってみるのも、悪いことではないと思いますね。
峰屋は史実通り倒産するんだ。中の人たちが素晴らしいので、ドラマだから回避してほしいと願っていたのだが。思っていたような酒が造れそうという希望からの火落ち。杜氏の親方も、火入れを変えようと言った綾も自分を責めるのは当然の成り行き。そこからの竹雄が素晴らしい。きっとここでも努力したんだろうなと思う。落ち込む綾に「最後の蔵元だから、ちゃんと目を開いて見届けなさい」とかけた声色は厳しくそれでいて優しい。愛情だけではなく信頼があればこその言葉だとも思う。夫婦はこうありたいなと思わせられる。この二人の前にこの先どんな道が開けているのだろう。大変な状況なのに、なぜか希望が持てるのは、この二人の真の強さを見てきたからだろう。
峰屋もついにダメですか。まあ造石税は商品になる前、まだ未完成の段階で税をかける悪法なわけで、今なら国会を通らないでしょうね。悪法が通った時の怖さの一端を感じます。何にしても峰屋が潰れなければ、翌年、酒造りがうまくいけば再び多額の税収が見込めるわけで、救済策を考えておかないあたりに、明治政府の未熟さを感じます。苦境でこそ人の真価が見えると言いますが、竹雄の対応は見事です。奉公人からすっかり主人の器になりました。それだけに峰屋が潰れたのは残念です。
牧野富太郎の場合、マキシモビッチが亡くなり、ロシア渡航は出来なかったけど、万太郎もそうなるのかな。でもこれは現代にもつながる問題が隠れている。本来、良い人材を発掘し、育てることが大学の意義なのに、田邊は我欲で有能な人材をみすみすロシアに渡してしまうところだった。今も政府が学問の場である大学に成果主義を押し付けたことで、基礎研究は予算が下りず、有能な若い学者が海外で研究をし、国籍も移したりしている。テレビや新聞はそんな人がノーベル賞を取ったりすると日本人扱いするけど、実はおかしな話。何にしても万太郎のように行き詰っている人には、日本にこだわる必要はないと言いたいですね。
日本の植物学の先駆者であり、学会のトップである田邊教授がNoを突き付けているんだから、当然博物館の方々も出入りを認めることはできないし、研究者として日本での居場所は無い。トガクシソウ事件の時に波多野が伊東に対して同じようなことを言っていたが、万太郎もその立場になったということだ。居場所のない万太郎が、自分を評価してくれているマキシモビッチ博士の元へ行きたいと思うのは当然の流れ。ただ、博士も万太郎のことをよく知っているわけではない。ただ、今までの功績がたくさんあるだけに心の余裕があるだろうから敵視はされないかも。
並び立ち、共に歩みたい万太郎と、手中におさめ後ろを歩かせたい教授がとても良く対比されていて、この二人の間の溝はきっと埋まることはないんだと思った。万太郎は丁寧に接してはいるけれど、言葉の端々で教授の立場を理解していないことが良くわかる。たくさんの努力をしてきて、名誉も地位も持てるもの全て持っているかのような田邊が、万太郎の植物に愛されている才を妬み恐れているからこそ徹底的につぶしにかかっているのだ。植物学の中心が東京帝国大学であり、その先駆者であるために。自分の精神は自由だと言いながらあおるようにキツイ酒を飲む田邊が、自分に言い聞かせ呪縛から逃れようとしているように見える。かつて藤丸にゆうが言った言葉が思い出される。
これで万太郎も、田邊の誤解でも、一時的な不機嫌でもなく、とにかく万太郎を排除したいのだと理解したことでしょう。それで自由になったという田邊は歪んでいるし、本当の学究の道を知らない残念な人です。まあちょっとアメリカの大学に行ったくらいで専門家を名乗れる時代ですからね。今ならようやくその学問の入口を抜けたくらいのものです。寝食を忘れるほどの執念を持って探求しもしないで、万太郎の努力を天運みたいなことを言うのは、往々にして本物の努力をしなかった人にありがちな想像力の欠如と言えるかもしれません。まあたとえ理解していても結果は変わらないのでしょうが。
今回のことは万太郎が悪かった。それは分かる、分かるけどここぞとばかり怒りを乗せに乗せてくる田邊さんもなかなかだよね。万太郎に触発されていく周りの人を見ていることがずっと面白くなかったんだろう。苦々しく思ってはいたがキレることの程ではないし、そこでキレれば自分の分が悪いことは分かっている。だから今回のことは田邊に取って最大のチャンスだったんだと思う。よくつらつらと恨みつらみが出てきたもんだよ。これで万太郎もようやくわがままを自覚するのかな?土佐の標本を渡すのはなんとか避けたいな。
田邊教授の言葉から、万太郎が図譜を出すことは教授には無断だったことがわかる。大学の資料を用いて図譜を出していたなら、その断りを入れるべきだろうし明記しなければいけなかっただろう。野宮の言葉のとおり万太郎はそういう方面においては無知であったし、そもそも関心がなかったのではないだろうか。東京大学の植物学教室の礎を築くことが田邊教授の最も大切にしていることならば、万太郎のやっていることは泥棒だというのも分かる気がする。しかし、落胆している自分よりも大きく嘆いてくれる人が側にいると、なんとなく落ち込んでばかりはいられなくなる状況がリアル。掛け値なしに万太郎の味方の寿恵ちゃんの存在って大きいなあと思う。
田邊が切れた理由がわからない、そんな万太郎だからこそ、理不尽に切れたんだろうね。理由は誰が見てもただの嫉妬。鹿鳴館だ、女子教育だと手を広げているわりに、田邊はどの分野でも万太郎のような目に見える評価は残せてはいない。だから田邊には自分が作り上げた舞台の上で、スポットライトを受けているのが、自分の対極ともいうべき無学の万太郎だという事実が許せないのでしょう。しかもその万太郎には権威者への忖度を思いつかないタイプだから田邊からすると始末が悪い。まあ東大に出入りさせないとう判断は、やむを得ないところはあるけど、標本を渡せというのはただの強請り。ここまで自由にやってきたんだから、いきなりおもねるのも違うと思うし、要求をはねつける強さを見せてほしい。
図譜を出した時の万太郎の様子が前よりも少し自慢げだったのが少し気になっていたのだけれど、やはりそういう慢心じゃないけれどそういうのが出たのかな。全てを自己完結できてしまうというのも今回の遠因にはなっていると思う。最初の学会誌ではお互いに原稿のチェックをしていたけれど、今回は大窪さんも初めて見たような感想だったし、他の人もそうだった。どこかでチェックが入っていたらなーと思う。徳永准教授が不在だったというのも一因だろう。といろいろ原因はあるのだけれど、やはり万太郎へのみんなのリスペクト・注目度が高すぎて、藤丸君のひと言が教授の心を崩壊させるダメ押しだったというのが真相かな。少なくとも種の特定までは教授なんだから、そこは何らかの形で触れないとダメなのは言うまでもないんだけれど。
東大から追い出されることになった万太郎ですが、これは万太郎にも問題がある。職員でもない、学生でもない彼が膨大な著作や史料を使うことができるのは田邊教授の好意であって、特にムジナモの同定には田邊も大きく関わっている。こういう場合、指導を受けた教授と共著にするのは、今でも普通のこと。それは功績の横取りというよりも、教授のお墨付きだから評価されやすいし、感謝というのは思うだけでなく、形にしないと伝わらないから指導教授への感謝も含めた慣習でもある。それくらいは譲歩してもよかった筈。まあ将来ある人材を貶める田邊のやり方は人間的に下劣ではあるけど、明治の頃は今と違い、多くの篤志家がいて、将来、国のためになるだろう有望な人材を支援していたから、すでに名を成しつつある万太郎なら、誰かが手を差し伸べてくれるかもしれません。
田邊教授のトガクシソウは咲かなかったのに、万太郎のムジナモは新種ではないにもかかわらず誰も見たことのない花を咲かせた。田邊教授の表情がとても複雑で。徳永准教授のように純粋に喜べれば良いけれど、どうしてという気持ちがあるのだろう。なぜ万太郎にムジナモの論文を書くように言ったのか、少し思惑があるのか。徳永准教授の「教授が…」という言葉が意味深だ。当たり前のようであり、植物学雑誌の初刊以上のの謝辞を忘れずにという忠告のようにも見える。あの謝辞が万太郎が思いついたものならば、今回も大丈夫だろうけれど少し心配でもある。誰も知らないムジナモが花咲く事実と、詳細な植物画は驚きを持って世界に受け止められるだろうし、ますます万太郎への注目度は上がるだろう。それは更に田邊教授を精神的に追い込むことになりそうで怖い。
田邊教授は万太郎の何が嫌だってみんながみんな牧野牧野って言うからだよね。自分が圧倒的な支配者で、自分が1番みんなに影響を与えていると思っていたのに違うなんて認めたくないし屈辱だよね。田邊さん自身も万太郎の才能は認めるけどみんなのように気軽に近づくこともできない。新種か?と喜ぶ生徒たちのところに、どーれ見せてみろと割り込めた徳永を羨ましそうに見ていることしかできない。でもそういう人っている、そういうところが人間臭くて嫌いになれないんだよなー。誰1人嫌いになれない、人間の描写が上手いドラマだなと感心する。
徳永も留学ですか。ドイツとなると、この時代には植物生態学の創始者オスカル・ドルーデなんかがいるし、いい場所です。帰国後は間違いなく教授。でもそれは間接的にだけど、小学校しか出ておらず、学問の基礎を学んでない万太郎への問いでもあるのかもしれません。若いうちはわからないけど、基礎をしっかり学ばないとどこかで行き詰るものです。万太郎はまたも新しい発見ですが、田邊教授のあまりにまともで適切な指導に驚きです。モデルの牧野富太郎は東大を追い出されるけど、ここから違う展開があるのでしょうか。
野宮さんは逆らってはいけないと分かっていながら、万太郎を画工として雇ってもらえるように田邊教授に頼んでいた。自分の立場の問題もあるけど、それよりも見えない世界を描くことへの欲が勝ったということなのだろう。田邊教授の要求に応えながら、目的を追っていては時間が足りない。裏表がなく純粋で無知で可愛いと万太郎のことを言っていたけれど、だからこそめんどくさそうにしながらもまんざらじゃなさそうな倉木さんの態度もそのせいだろう。周りを巻き込みながらみんなが明るく前を向く選択をしていく。画面を通してこちらまで明るい気分になる。
まったく野宮の言う通りです。学問的なものだけでなく、この時点で植物学教室は東大だけかもしれませんが、もし他の大学にも出来て、そこに海外からも名声が上がる万太郎が呼ばれたらということだってあり得ます。それは学問的には良いことだけど、田邊にとっては大きな損失にしかなりません。そんな打算も含めて、有能な人材を広い心で手元に置くのが賢人だと思います。及川とゆうの会話もよかったですね。幸福の連鎖みたいな感じでしょうか。二人にも幸せになって欲しいですね。
園ちゃんにメロメロな万太郎が微笑ましくて。描きかけの石板を横目に園ちゃんをあやす姿で、どれだけ園ちゃんを大切に思っているかが本当によくわかる。この時代にここまで育児に協力的な男性がいたのかわからないけれど、今までの万太郎の描き方だと人も植物も同じ命で、育まれる様子を同じように愛情持って眺めただろうとすんなり心に入る。福治さんの言うように良い時ほど悪いことがいつ来るかと心配になるタチの私には全力で楽しむ万太郎がとても羨ましく感じる。それにしてもあの似顔絵。竹雄たちじゃないけど思わず突っ込んだ。
らんまんに出てくる夫婦を見るのが好きだ。まだ初々しい万太郎と寿恵子も好きだし、少し年季の入った倉木さん夫婦もなかなかいい。今日は土佐の綾と竹雄も見られて良かった。中でも1番の推しは田邊夫婦。あんなに思いあっているのに不器用で通じてるようで通じてないところがもどかしい。素直に褒める聡子がとても素敵で田邊教授のほころぶ顔にきゅんとする。でも次の瞬間パッと顔色が変わったりするから難しい。田邊さんのツンデレの変わり身の早さがなかなか面白くて聡子と一緒に一喜一憂している。
及川の気持ちもわかります。「禍福はあざなえる縄の如し」「人間万事塞翁が馬」「好事魔多し」など、多くのことわざが、良い事ばかりは続かないことを警告しています。まあ田邊教授がらみで嵐が吹きそうですからね。峰屋の方も新たな決意を見せていましたが、竹雄は時代の変わり目のようなことを話していましたが、それは明治という時代とは関係なく、いろんなものが様々な人たちの工夫で変化してきている。酒だって醸し酒から濁り酒、清酒と変化してます。いつであれ、覚悟とアイディアを持った者が道を切り拓くのだと思います。
園子に触れる万太郎の指先が草花の渋が染みついたように見えて、本当にこのドラマは細かいところまで作りこまれていると感心してしまう。園子を見る万太郎のまなざしが優しくて、それが草花に対するのと同じであるのが面白い。久しぶりに牛鍋を囲む3人が底抜けに明るいのが嬉しい。藤丸もちゃんとやりたいことを見つけたみたいだし、本当に良かった。すっかり距離が近くなった藤丸と万太郎に対して、まだ少し距離のある波多野だけれど、それでも思っていることを言えて相変わらず友情は固く続きそうなのがホッとする。田邊教授のシーンは不穏だったがいったい何が起こるのだろう。
藤丸が話していたのは粘菌ですね。粘菌といえば南方熊楠。同じ時代の人だし、もしかしたら彼が熊楠と関わる展開もあるのでしょうか。いずれにしても波多野も含め、この三人の友情は実に気持ちがいいです。さて田邊教授ですが、話に出て来た森さんというのは森有礼でしょう。英語といってもそれを改良した簡易英語を国語にしようとした政治家です。まあ明治にありがちな、行き過ぎた一面ですね。せっかく奥さんと良い感じだったのに、田邊も無粋な男です。あの嵐の前兆は何を知らせているのでしょうか。
無事に女の子が誕生しました。我が子の名前に、万太郎が考えていた植物の名前をひとつ選ぶのではなく、その草花が咲き誇るべき場所である「園」をイメージしたのは、まさに書籍の中の大きな花園と言うべき、彼が心血を注いでいる植物図鑑の世界と重なるところがあるし、とても良い名前ではないでしょうか。ちなみにモデルとなった牧野富太郎の娘さんの名前も「園子」です。寿恵子は子育てもあり、ここから更に大変になるでしょうが、良い隣人たちに恵まれているのは本当に幸いですね。
主人公が最初の30秒くらいしか出ないのは朝ドラでは珍しい気がする。それでも万太郎の存在はずっと感じられたし、それでいて取り巻く環境の変化のようなものや人物が良くわかってとても良い回だった。自分がスカウトしてきた画工にも見下してきつく言ってしまう田邊教授は、もともとそのような人物なのもあるかもしれないけれど余裕のなさがそうさせるのだろう。野宮さんも万太郎のようには描けないと沈んだ気持ちになっていたけれど、波多野さんとの会話で目標を見つけたのが表情でもわかった。こうやって植物学も分類だけじゃなく多方面に枝分かれしていったのだろうなと思わせるシーンだった。
万太郎の及ぼした影響編というところでしょうか。野田と里中は素直に喜んでいますが、2人は植物学者というより、プリニウスのような博物学者の面があるからかもしれません。そして万太郎を評価しているからこそ、悪い意味でその影から逃れられない田邊。そんな田邊から万太郎のような画力を求められて放逐されそうな野宮は、万太郎の影響で自分のやりたいことに自信を持った波多野と手を取り合いました。バタフライ効果みたいにひとりの存在が次々と影響を及ぼしていくけれど、それは万太郎に限らず、また大小はあるものの、生きている者には誰にでもある力なのだと思います。きっと皆、知らないところでいろんな影響を及ぼしている。だからこそ、良い行いで、良い影響力を与えられればいいですね。
万太郎は藤丸に休むんじゃなくて自分を探しにいくんだ!みたいに励ましてましたね。あれで道がひらける人もいるし、それぞれの受け取り方だとは思うけど藤丸は何度も休みたいって言ってるし心が疲れちゃった時には何にもしないって時もあっていいと思うんだよなー。とにかく大学に行くのが嫌だとか疲れたって言うのであれば少し休憩が必要かも。それよりも波多野さんの方がやばいよね。藤丸より精神状態か危うそうで気になるなー。
大学を休学して万太郎の観察をすると決めた藤丸はすっかり明るくなって、牛鍋屋でもこんな風に元気だったかな?と思うほどだ。図譜の山桜の画は本当にそこに桜の枝があるのかと思うほど美しく、波多野が指でなぞっていたのが印象的だった。徳永准教授が的確なアドバイスをくれて、みんなととても良い関係を築いているように見える万太郎だけれど、田邊教授とはさらに難しい局面に入ったのだとその表情からも分かる。ただの素人は敵ではないけれど、学者ならば田邊教授の力が及ぶところとなる。藤丸のことを念入りに頼んでいた波多野の表情がどことなく寂しげなだけではないような気がするのは深読みしすぎだろうか。
とりあえず藤丸の判断はこれで良いと思います。人生の正解なんてよくわからないし、結局は楽しんだもの勝ちのところもある。実は楽しむというのは案外楽じゃない。経済力とか名誉とかは縁遠くなる可能性は高いし、周囲からの理解も得られにくい。それでも自分が価値を抱いたことに、自分らしく楽しく挑める人生を選択するのもひとつの生き方だと思います。そうやって生きている万太郎という手本がすぐそばにいるしね。少なくとも金も名誉も持ってはいるけど、人の成功に嫌味を言い、誰にも理解されない田邊教授のような人生が良いものだとは思えない人もいる。きっと藤丸もそういう人間でしょう。だったらいつまでも田邊のもとにいる理由はないように思います。
藤丸さんは優しいというのもあるけれど、今まで家族に大切にされてきたんだなということがわかるエピソードだった。今までも波多野さんや万太郎に甘えたことを言ってる時があったけれど、末っ子気質みたいなものだったのか。他者と争うことを好まないのは悪いことではないけれど、理由を探して逃げることは良いことではない。逃げようが逃げなかろうが心の中に痛みは残るし、それを引き受ける覚悟が必要。助けてと言われた万太郎はどう返事をするのだろう。美味しそうな揚げ芋に使われていた芋は男爵のように見えました。もうこのころあったのだろうか?少し時期が早いかな?川田男爵の恋文の話にまで想いを馳せてしまった。それにしても藤丸さんはかなり裕福な家庭の出だと分かる逸話な気がした。
藤丸は本当に優しいですね。ゆうの言い分ももっともで、言い訳をいくつも探しているような状態なら、いずれにせよもっと腹をくくらなきゃいけないのでしょう。でもそれが出来ないから藤丸は優しいという面もある。優柔不断を悪のように言う人がいるけど、逆に即断即決は軽薄とか冷酷という面もある。そもそもどんなこともマイナス面を見ればマイナスに、プラス面を見ればプラスになるのが人間世界の勝手なところ。東大のやり方だけが学問でも研究でもないし、藤丸が学者に向いていないわけじゃない。長く丁寧に続けなければならない仕事には愛情が不可欠で、藤丸が研究を続けていけば彼だから成し得ることもあると思うのだけど。
つわりはね、異次元なのよね。もう自分の体であって自分の体じゃないみたいになる。昨日と今日とでも違う毎日。ポテトフライなんて体に悪いって言う人いるかもだけど、食べられるものを食べて繋げるしかない時もある。藤丸は優しすぎるのかもね。お勉強ができるからとトントン拍子で東大まで来てしまったのだろうか。研究とセットと考えられなかったのは考えが浅いだろう。癒し系の藤丸の退場は寂しいな。また何かの形で成功した藤丸を見たいと思った。
誰かに先を越されたら今までやってきたことが無になることを、仕方ないでは済ませたくないという気持ちはわからなくはない。けれど、そもそもどれだけ時間を費やしても結果が出ないこともあるから、結局は誰かというより自分とは少なくとも戦い続けなければいけないのが研究の道。藤丸さんは優しすぎるんだろうな。それにしても田邊教授。わからないと妻に言ってもらうことで自分を保っているようにも見える。徳永准教授は田邊教授といったいどんな話をしたのだろう。ちょっと重苦しい1週になりそう。
新種の名づけにばかりこだわる姿は、日本の植物学の黎明期というよりも、自然科学自体の黎明期と言えそうです。歴史に自分の名前を残そうという自負心が勝っている。別にそれはそれで構わないけど、名前はあっても生態がよくわからない植物やきのこや動物や昆虫なんて、今でも山ほど存在しています。だから前原は名づけ争いではなく、既知の存在なのにわからない生態の方の研究に向えばいい。それもまた大事な基礎研究になる。まあそういうフィールドワークは絶対に必要なのに、今でも多くの学者は冷房の効いた部屋で論文を書くことが優先されていますけどね。
なんだか盛りだくさんの内容で濃い時間だった。万太郎にとっては良いことがたくさんあって幸せの絶頂かな。大窪さんとの共同とはいえ、自分の名前で、しかも日本の学会誌で新種発表したし。初物尽くしに自分が中心にいたことは満足度高いだろうな。大窪さんの顔つきがどんどん明るくなっていっていて、それを見守っている徳永准教授の顔も柔らかで。その一方で田邊教授の疎外感たるや相当なもので、その上トガクシソウ事件が。来週は地獄の週になりそう。それでも寿恵ちゃんのおめでたが希望かなー。
倉木さん夫婦は律儀だね。もちろんその前に万太郎の行動があったんだけど。思えば万太郎は倉木にだけではなく、おかしいと思うと、自由民権運動を弾圧する官憲や、峰屋を目の敵にする徴税者、そして田邊教授にもはっきりとものを言う。そういう人間は疎まれることも多いけど、こうして強く信用されることもある。もちろん寿恵子の人柄もあるしね。問題は田邊教授です。自分が発見を主張していた植物が、先を越され、荒れていました。万太郎たちに八つ当たりしかねない雰囲気です。