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脚本・ストーリー 3.7 /5.0(74.6%) | 490位 /1163件中 |
キャスト 4.1 /5.0(82.2%) | 460位 /1163件中 |
演出 3.9 /5.0(77%) | 409位 /1162件中 |
音楽 3.7 /5.0(74.6%) | 378位 /1163件中 |
感動 3.7 /5.0(74%) | 210位 /1158件中 |
笑い 3.1 /5.0(61.6%) | 436位 /1158件中 |
スリル・興奮 3.8 /5.0(76.2%) | 245位 /1155件中 |
脚本・ストーリー 3.7 /5.0(74.6%) | 490位 /1163件中 |
キャスト 4.1 /5.0(82.2%) | 460位 /1163件中 |
演出 3.9 /5.0(77%) | 409位 /1162件中 |
音楽 3.7 /5.0(74.6%) | 378位 /1163件中 |
感動 3.7 /5.0(74%) | 210位 /1158件中 |
笑い 3.1 /5.0(61.6%) | 436位 /1158件中 |
スリル・興奮 3.8 /5.0(76.2%) | 245位 /1155件中 |
例によって、まひろが侍女もなく、御簾越しでもなく、ほいほいと男と会い、危険な目に合うのは、ドラマ演出上の嘘なのはわかる。でもいくらフィクションであれ、司馬史観とか、ゲームやアニメの影響大の信長像とか、まるで常識のようになってしまったものもあるし、もう少しリアルさも出して欲しい。またまひろの結婚に対する考え方も、まるで現代人の感覚みたいだ。完全に過去を再現する必要はないけど、歴史モノである以上、それなりの歴史性は必要だろう。更に一条天皇といえば「猫」。たとえば猫をもっと効果的に使うような演出があってもいいんじゃないかな。
まひろは自分のせいで母が亡くなったとずっとずっと自分を責めていたのだろう。母の敵である道兼を恨むといいながら、自分を許せない気持ちもずっと続く。道長にはまひろが言ったことが正しいという確信があった。泣き続けるまひろをその場に残してまでそれを道兼にぶつけたのはどういう激情だったのだろう。飄々としている道長の奥に眠る熱い気持ちを兼家は喜んでいたけれど。道兼がそもそも…と言い出したことから、道長も自分を責める気持ちを持ってしまったような気がする。詮子の裏の手はおそらく道長に関係することだろうし、いよいよ道長も争いとは無関係でいられなくなるのだろう。
物語の一つ一つの素材をしっかり丁寧に処理していると思います。
視聴率を気にしすぎて奇をてらったり、物語の流れを逸脱するような極端な演出や解釈もない。
また大河ドラマだから高尚な作品にしようと力み過ぎてるような所もない。
作り手の方が自身の実力と実績に自信を持っていると感じる。
ほんとに絵が美しい。枕草子ができるところなんてほんとに絵巻を見ているかのような美しさ。そこに定子の深い悲しみがあり、清少納言の慈悲深い寄り添う心が描かれる。こんなふうに枕草子を感じられたらもっと古典の授業が好きになっていたのにな。暗記させられた文章が生き生きと血の通った姿で浮かび上がる。素敵で見惚れてしまった。そして10年という時を経て会う二人も素敵だった。別々の道を歩みながらずっと思っているなんてロマンチックだねー。
倫子からの不穏な追求から始まったからドキドキしたけれど、まひろの答えは完ぺきだったんじゃないかな。
到底、倫子を道長では経験できない事柄だけを知らせて、それでいて結びつきが強くならざるを得ないと納得までできてしまう。
勘の鋭い倫子だから、なぜ五色の舞の席で倒れたかまで分かっただろうし。
それにしても倫子は懐が深い。
自分たち夫婦にすら心を開かなかった彰子のことはかなり心動揺しているようだったけれど、道長をこの世にとどめるためにまひろと会わせることを選んだ。
道長の最後に伸ばした手は何に向けてだったのか、は視聴者に委ねられているのだろう。
まひろとも取れるし、直前の物語の鳥とも取れる、倫子は自分だと受け取っても良いだろうし。
心の底から幸せだと言っていられる時間は思いのほか少ない。
でも、その少ない時間を支えにどうあがいて生きていくか。
一年かけていろいろ考えさせられる物語だったなと思う。
衣装や小道具が素敵だと思いました。脚本が大石静さんなだけあって、これからの物語展開がすごく楽しみです。藤原道兼役の玉置さんの気迫の演技には目を奪われました。表情の変化が豊かで、道兼をよく表現していると思いました。そして、まひろと三郎の出会いは嘘をつきながらも微笑ましかったです。
みんなで和歌を詠み合う優雅なひととき。豪華絢爛な衣装とイケメン揃い、すごく絵になるし素敵だけど和歌に興味がない人には昔の古典の授業なみにつまらないだろう。特に今の若い人たちはパッとわかりやすいものじゃないと目を引かないし、よく見たり聞いたりしないと内容が分からないものはすぐ飽きてしまう。登場人物の日常会話がものすごく砕けているのも違和感でチグハグ度が増す。どの層をターゲットにしているのか分からない。
ききょうが春はあけぼのと書き始めた時は鳥肌がたった。大切な人のために何ができるか。言葉遊びの延長で枕と言ったその紙に、史記ではなく四季を書く。ドラマではまひろのアドバイスになっていたけれど、帝とセットになっていたことでまさに中宮様のためのものだったのだと心に落ちた。兄弟に足を引っ張られ、火事にも遭い、愛する人の子を身ごもっていながら出家しなければならなかった身の上を考えると、あんなだったのかもと思ってしまう。まひろと宣孝の距離がほんの少しずつ少しずつ近づいている感じが上手いな。
ここで今更妾になれと言ってくる倫子ってすごいなと思った。そして真実を聞いたら自分より深い縁に絶句して帰しちゃうところも倫子らしい。自分より前から繋がっていたなんて聞いたらショックよね。でも娘に政略結婚を敷いてきた身としたら2人が前から通じていたとしても結婚できたとは思えないから不憫とも思ったのか?最後2人だけの時を設けてくれる度量がすごい。道長の最期はあんな綺麗なものだったとは聞いていないが、それもまたよし。ソウルメイトに心震えた芳しく雅な一年、素晴らしかったです。
通い婚の時代だから、気が向かなくなったらすぐに次へ行けてしまう。元々女性にマメな宣孝だから、当然複数同時進行だろうし、その中の一人が入れ替わるだけだ。さすがに少しは宣孝に寄り添ってあげる部分もなければ、そりゃ足も遠のくでしょう。男女の仲なんて、縁続きだろうが、父の親友だろうが何の保証にもならないわけで。殿のお渡りを祈念して石山寺へというのはちょっとした心境の変化なのか、ただの気分転換か。そこへ偶然にも道長が来るとはすごい展開!
曲水の宴の優雅さにNHKの本気を見たし同じお金を使うなら血に塗れた合戦よりも優雅な十二単に使ってくれた方が私はいい。素敵だなーと見惚れてしまいました。平安時代とはいえ一般庶民とはかけ離れた雲の上の存在の彼らの宴を見られるのはごく一部の多分非公開。それを見られるのは得した気分です。彰子を見ていると隔離されて育った子みたいに思えて不憫です。多分恋も知らずに嫁いだのでしょう。まひろと話すことで少しずつ彰子の笑顔が増えるといいな。
周明は日本で生まれ捨てられて宋に拾われた。もしかしたら日本のことを恨んでいるのかな。まひろの口から左大臣という言葉が出た時、ただ驚いたというだけではない反応だと思ったら、自分の出世の足掛かりに利用しようとしているのか。ただただ良い人というわけではなさそうだ。宋人たちも一筋縄ではいかないようだし、晴明が中宮様に皇子がと言っていたように都は都で政争の種がくすぶっているし、精神的には穏やかなゆったりとした時間というのがなさそう。それでも清少納言の枕草子や、まひろの書く越前和紙の美しさから心の豊かさが見えるようで楽しい。
母の死のことでまひろと為時は確執があるまま成長してしまったのか。力ある雇い主の息子が犯人と言うことで、口外できず病死としたことは、あのプライド高い為時にしては常識的な判断だと言える。東宮にどんな扱いをされようと指南を続け、兼家にも報告を欠かさないあたり、この仕事にかけているのかも知れない。代筆をしている時のまひろは生き生きとしていて、相手を思うことで違う人生を楽しんでいるかのようだ。母ちやはを手にかけた道兼は次は天皇に毒を盛る。一度道を踏み外したら特権階級の人間だとしても清い道には戻れないということなのだろう。それにしても計算高い兼家が恐ろしい。
どうしても女性が主役の大河だと世の中の流れを説明する時には主人公でありながら人生が脇に追いやられてしまうように感じることがあり女性の立場の低さを感じる。大河は歴史の教科書的な役割があるのかもしれないけど、いつかは思い切ってその人からだけの視点でその人が主役のドラマが見て見たい気がする。さてさて今回もたくさんのキャラが出てきて渋滞してます。花山天皇はぶっ飛んでるし、道兼は目が血走っていて暴走が怖いし、詮子の切なさもあった。代筆屋ももっと見て見たかったな。
狂ってやがる。次男が人を殺してそれを一族のためと揉み消した父。次男を問い詰めたらお前が苛立たせたせいだと言う。そんなわけあるか!そしてその喧嘩を見ていた父が微笑ましいとでもいいだけな顔で良い良いと見ている。やっぱ狂ってるでしょ。時代の違いとかそんなので済まされる話じゃない。まひろは今でも自分が走り出したせいだと悔やんでいるのに、この差はどうなんだ。人より偉いという意識を持つと正義は自分にあると勘違いするのかもしれない。
そりゃまひろが旅に出るとなったすぐ後にやる気をなくして出家する道長を見ていれば一目瞭然、倫子はどんな気持ちであの儀式に臨んだのかと考えると胸が痛みます。そしてまひろは太宰府で周明を目の前で亡くしたことで動けなくなる。旅の目的も元々強いものがあったわけではないし急いで帰る用事もないとなれば腰が重くなるのも仕方ない。ここで乙丸の帰りたい気持ちに動かされるというのは良かったですね。あの紅を無事に渡せて本当に良かった。
為時が淡路守から越前守に国替えになったというのは知っていたけれど、本人があの性格だから越前が良いと言ったとは思えずどうするのかと思っていた。まひろが勝手に申し立てして、その筆跡を見た道長が動いてお上に奏上。そこからの国替えとは驚いた。ずっと持っていた文も生きてくるし、とても流れが良い。まひろとキキョウが忍んでいった目の前で中宮様が落飾されて、あの時代の髪は今とは全くもって意味合いも重みも違っているから見ていて本当に苦しくて息をのんだ。キキョウとまひろの関係も今後どう描くのか変化していくのか興味が尽きない。それにしても呪詛の件は女院様の自作自演なのだろうか?兼家に最も似ているのは女院様だし。
よくわからなかったのが、なぜ検非違使はわざわざ直秀たちを殺したのかということ。わざわざ鳥辺野に送ったということは放免すると同時に殺す気だったわけです。たとえ検非違使が力を持ち始めていた時代だとしても、道長は上級貴族の氏族であり、彼からの心づけまでもらったうえで、その意を無視するようなメリットがどこにあったのか?正直よくわかりません。まあ糾弾しようにも、道長が盗賊をかばったことも明らかになるのはまずいから、大っぴらにはやれない。もやもやしたまま藪の中とならないで欲しいところです。
どうして権力者の最期はこうもみじめというか、未練がましいというか、妄執につかれたように描かれるのが定番なんですかね。視聴者側の要望というより、作る側の便利なテーゼになっている気がします。また資料の少ない時代だからこそ、リアルさと想像力をうまく融合させることは必要だと思うけど、清明はどうにも異能者にしたがりすぎかな。そもそも官位だってそれほど高いわけではないし、ここまで重宝されているとは考えにくいし、まるで未来を見ているような物言いは近年のファンタジー作品の清明と変わらない。個人的にはもう少しリアルな清明を見たかったかな。
道長に思いを馳せて10年?一生は短いのに他に恋愛とかしないの?って思っていた時に新天地で周明と出会う。浜辺で出会うシーンなんてまるでおとぎ話のよう。美しすぎて夢かと思ったわ。それなのにまひろを使って何やら考えている様子で気が気じゃない。まひろに幸せになってほしいと親戚のおばちゃんのような気持ちになっているところ、唐突にお父さんの友達からプロポーズ!!蔵之介さんだからいいけど、普通に考えたら嫌だよね笑。
猟官運動に娘が動いて、本人は愛人とこもるって、ダメ親父もいいところ。間者になるのを断った時点で、遅かれ早かれこういう日が来る可能性があることを理解しておかないとね。それとまひろは道長の言う通り、何を求めているのかわからない。道兼のことはあっても、道長を感情のまま受け入れたのに、二人で逃げるのはダメ、妾はダメって、まさか現代人みたいに私だけ愛してというのではないだろうに。まあ史実や道長を光源氏のモデルとするのだろうと考えれば、何となくこうなるのだろうけど、心情をもう少し明らかにして欲しい。
宣孝の浮かれっぷりがすごい。叔父と姪みたいな関係だったのに久しぶりに会ったと思ったらあれじゃあ弟は引いちゃうよね。道長へのマウントも浮かれているが故なのでしょうか。道長にできなかったことを自分ができた喜びもあるのでしょう。浮かれていると言えば一条天皇も凄いですね。それを正面切って怒れない道長が不憫です。あそこまで言わないと分かってもらえないなんて、死んだ民も浮かばれないわ。道長の決意を聞いて各々思うところがあったはず。うつつを抜かすのはほどほどに、だね。
一条天皇の昼からお盛んなことなど、ツッコミどころは多かったですが、紫式部と清少納言が仲良し過ぎるのはやはり首を傾げます。まあそうしないと主人公なのに出番が少なすぎるから、やむを得ないのかもしれませんが。もうひとつ気になるのは隆家。ちょっとおバカに描きすぎではないでしょうか。確かに問題多き人ですが、この後、道長の対抗勢力になるのは伊周より隆家です。刀伊の入寇の時の活躍を考えれば、もっと気骨のある人物として描いても良かったのではないかと思います。
兼家が亡くなり、道隆が専横的になりましたか。まあいろいろ押し込められてきた面があるし、道兼とは違う意味で父という重石が無くなり、反動が出るのもわからなくはないところです。ある意味で道隆が一番父親に似ているのかもしれませんね。実際の道隆は軽口が多くて、大酒飲み、どちらかといえば奔放な人だったようですが。気になったのはやはり紫式部と清少納言の対比の仕方。封建時代の価値観や女性運動への反発から、紫式部は人格も柔らかく、清少納言は高慢みたいな評価を、頭の固い国文学者が下した頃のまま、半世紀くらい前の人物論そのままというのは令和の時代なのに芸が無いかな。
本当の道長はむしろ彰子を入内させたくてしかたなかったんだと思うけどね。彰子の入内は12歳。今なら小学生だからね。いくら当時は結婚が早いと言っても、このドラマの時代考証もやっている倉本氏の本によれば平安中期の入内年齢は「平均して十六・四歳」だからね。間違いなく早すぎる。定子の懐妊や他に入内した二人に見向きもしないことは政治的バランスを崩すから、焦ったんだろう。まあ新しい道長像を描きたいから、安倍晴明の進言ってことにし、そのため清明の言葉が説得力を持つように、占いの力と政治家としての面を押し出したキャラにしたというところでしょうか。だったら史実通り、清明は80歳くらいの喰えない腹の底が見えない爺さんの方がよかったんじゃないかな。人気のあるアニメや小説に寄せた清明にしたかったんだろうけど。
藤原さんばかりで頭がついていくか心配ですがそれはおいおいとして、煌びやかな衣装にすっかり魅了され優雅なひとときを過ごしました。道長とまひろの出会いも甘酸っぱく素敵でした。お父さんの不遇というかなんというか今の時代の言葉で表せば5年も働いてないのに不倫して別宅を持っているというありさま。平安時代ではこれが許されていたなんて夢がありますね笑。お母さんが健気で泣ける、と思っていたらまさかの事態に!!もう美人のお母さんが退場だなんて!道兼許さぬ!!
道長がいい人に描かれすぎているように感じてそこだけがネックだと思っていたが定子の妊娠を知った時の一瞬の顔が何を思ったのだろうと想像が膨らむ顔でとても良かった。まひろと周明の海岸でのシーンはまるでおとぎ話のよう。血生臭い合戦がない大河はとても美しく平安の優雅な世界にどっぷり浸れていい。まひろも道長を思うだけじゃなくてもう少し恋でもしたらいいのに。でもそうなったら既存の大河ファンは嫌なのだろうか。私はそんな大河も見てみたいと思う。
まひろと道長の会話が終わった後、戻ってくる道長の目の中にはまひろしかいない!キャー!大河ドラマでこんなにキュンキュンするシーンが見られるとは驚きです。そして不実の子とまひろを丸ごと受け入れる宣孝にも驚きです。これくらいの度量がなければこの時代モテないのかもしれませんね。一条帝は‥反抗期ですか?帝の重圧は計り知れないものだし当たるところが母くらいしかないのは分かりますがあれはただの反抗期です。なんとも情けない限りでした。
平安時代の結婚とは今の考えと大きく違うのだろう。どちらかが愛想を尽かしたら終わりというのは潔い。だけど宣孝の心変わりは早かった笑。まぁ道長さえ手に入れることができなかったじゃじゃ馬を自分なら乗りこなせると浮かれていたところ、思った以上に気が強くて参ったって感じだろう。その殿の気持ちをまたこちらに、と思って詣でた先で道長と出会う!!なんてすごい演出。神様はあなたの相手は宣孝ではなく道長とでも言っているかのよう。でもここで次週お休み‥。気を持たせるねー。
惟規が死んでしまった。ドラマだと分かっていても辛いのに、実際の家族ならどれだけ辛いことか。本人も這ってでも帰りたかっただろうに無念よね。まひろには1番気掛かりだった賢子との関係を、為時にはずっと内緒にしていた賢子の出生の秘密を、それぞれ言ってから亡くなるのは都合が良すぎるけど蒔いた種はこの先どうなるのかそちらも気になった。まぁ賢子のこの先を考えたら道長という大きなバックボーンはあった方がいいしね。道長には知ってほしいかなー。
道隆のこの世の春っぷりがおめでたい。同じ人間なのに庶民にしか蔓延しない病気なんてあるわけがない。こういう人は自分たちの身内に火の粉が降りかからないと腰をあげないんだろうな。天皇もお飾りで道隆たちにチヤホヤされていいようにされているのが分からないのだろうか。自分たちさえ良ければの精神が辛い。そんな中荒れ狂っていた道兼が正気を取り戻したのが救い。今までの汚れ仕事とは違う心意気が見えて良かった。道長の献身的な看病は胸キュンだったね。
血生臭い時代を多く切り取ってきた大河だから見る人にとってはどう見ていいのか分からないかもしれないけど私はこんな時代もあったのかと雰囲気が違ってとても面白いです。大義名分を声高に叫んで殺し合い潔く死ぬ激情型ではなく、こちらの世界ではどれだけ優雅に魅せられるかのセレブな世界。いいと思う尺度がまるで違う。優雅な女子会も男性たちが勉学に励むのも知的で爽やか。むかーし昔も世の中の上に立つ人は勉強していたんだななんて思うのも面白いです。
兼家と庚申待というなら、娘の超子の話が出てこないとおかしいし、超子が亡くなってから兼家一門は庚申待をしなかったとされています。おそらく脚本家がわざわざ庚申待を出してきたのは、そもそも庚申待は人の体にいるとされる三尸という蟲が、庚申の日にその人が眠っている間に身体から抜け出し、天帝にその人の悪事を伝えに行くといわれていて、蟲が身体から出ないよう一晩中起きているというもの。つまりこの夜に様々な悪事が浮き彫りになるという比喩のつもりだったのでしょう。でもまひろと道長のことは別に罪ではないし、どうせなら兼家が庚申待をしなかったということをリアリストとして描いた方が面白かった気がします。
なるほど、道長と紫式部はそういう関係になってしまいましたか。そこはそういう説を唱える人もいるし、ドラマとしてもありかなとも思います。二人の文のやりとりが、普通なら男性が使う漢文を紫式部、かなによる和歌を道長というところは、メタファーとしても面白いし、よく考えられた演出でした。さて花山院の出家ですが、序盤の見どころのひとつだと思っていたのですが、想像していたよりも案外あっさり進みました。もう少し緊迫感のある演出が欲しかったかな。清明の有名なシーンをこのドラマの内容に落とし込んでもよかったかな。
お互いに思う世のために別々の道へ進むと信念というか覚悟を持って別れたはずなのに、まだ何者でもないから余計にすれ違った時に苦しいのだろう。兼家が亡くなり、道隆の独裁となっても道長は検非違使に関する上奏をしていたこと少しホッとした。道長が上から、まひろが下から世を変えるというのはまだまだ道は険しい。文字を教える教わる意味を理解できない人にどう伝えるか、下々がいて初めて上の人が安泰だということをどう理解させるか。どちらも難しい問題だけれど、先達がいて稀に見る日本の識字率だったのだと思うとまひろのやろうとしていたことの凄さを思う。
道長は反動というか少し衝動的に行動する人のように見える。妻になることを拒否されて即縁談を進めて欲しいと父に頼みに行ったり、お幸せに!と言われて即倫子のもとへ行ったり。ある意味行動力があるとも言えるし、判断が早いともいえるのだけれど、どこかの段階で後悔が一気に来そうで。「妾でも良いと言ってくれ」と心の中の声が聞こえていたけれど、それは相手次第だと思うんだよね。どれだけ没落しても、女子会にいらっしゃいと笑顔で言ってくれる倫子さまと男を共有するなんて、さすがに一夫多妻の自由恋愛の時代でも無理な相談というものだよ。
直秀は打毬を一緒にするだけでなく、道長の屋敷にまで行ってしまった。道長が腕の傷のことを聞いたのに、はぐらかし屋敷の間取りを丁寧に聞き見て歩き…道長が疑っている時点でやめておけばよかったのに捕まってしまって。直秀はどうなるのだろう。兼家が倒れ、右大臣家がピンチかと思ったのだけれど、道兼の動きはまさか兼家の差し金?父と不仲だと印象付けて花山天皇に近づく策ではないのか?だとしても、まさか為時の家にまで来るとは驚いたし、まひろの琵琶には悲しみしか感じなかった。
あの女房たちの部屋の鳥瞰図みたいなカメラワークは面白かったです。当時の生の息遣いみたいなものが感じられました。良い演出だったなと思います。彰子もようやく、らしさみたいなものが顔をみせはじめたし、帝との関係も少し変わり得る可能性みたいなものが期待できますね。時代的に婚姻が政治に左右されるのは仕方がないにしても、だからこそ互いの立場を知り、歩みよることこそが、己を守ることになる。一条帝はそこがわかっていない。それにしても武士の台頭を抑制するようなことを言う道長だけど、自分の血筋ではないにせよ、いずれ武家の代表格である源平藤橘のひとつになるというのは皮肉ですね。
やっぱり誠実が1番よね。三兄弟の中で欲がなく民のためを考えられる道長に徐々にスポットライトが当たってきたのは当然な流れに見える。兼家と道隆の欲の塊が道隆の子供達に遺伝しているのも怖い。遺伝というか特級階級に味を占めた結果だろう。これは今でも芸能界や政界にある二世を見ても分かる。旨みがある商売はそうなりがちだ。後ろ盾を失った伊周たちはこれからが正念場なのにそれが分かっていないのが辛いところ。自滅してくれるならありがたいね。
顕信の出家だけど、「少右記」から察すれば、この出来事の前に斎場で他者の悪口を言っていた事件が原因かもしれないけど、このドラマの展開だと道長が責められるのはちょっと可哀想かな。彰子の件も常識的なのは道中の方だ。
少なくともドラマの流れでは兼家とか道隆の時代よりも、道長の政の方がずっと穏当な印象です。なのに兼家や道隆によって引き立てられた親族のように、自分たちも栄華をと思う欲が邪魔をする感じでしょうか。
この清少納言も伊周と変わらぬ妄執の人であり、過去の栄華を引きずる人で、紫式部の寸評も納得できるなあと思います。
こうして人は大人になっていくのかと感慨深いものがあった。家に宿敵である道兼がやってきた時、昔のまひろなら飛びついたかもしれないし人殺しと叫んだかもしれない。自分の中にある煮えたぎるような思いは語らず琵琶の音に込めた。あんなに悲しげに弾く琵琶を知らない。足を踏んだ方は覚えていないとはよく言ったものでいつもより数倍爽やかになついてきた道兼に憎悪するけれど、まひろはこれからどうするのだろう。いつか母の仇が取れたらいいけど。難しいのだろうか。
たとえ中宮様仕えだといっても、お仕えする人たちは几帳で隔てただけの大部屋。そりゃプライバシーも何もあったものじゃないし、見たくないものも聞きたくないものも見えたり聞こえたりするだろう。よっぽど図太い人しか生き残れない気がする。だからといってまひろにだけ寝所を与えようものなら妬みも倍増なのは明らかだろうし。やっと中宮様の声らしき声が聞けたのがまひろ相手というのは、まひろが中宮様に寄り添ったからだろう。同じように寒さを心配しているけれど、外を見ている中宮様に寄り添って火鉢を用意しようとする人と、すだれを下げて中へ押し込めようとする人。どちらも相手を大切にしていることには違いないのだけれど、相手の心まで大切に思って言葉をかけたのはまひろだけ。こういう違いって大きいんだなと思う。少し心の見えた中宮様がこれから少しずつお変わりになっていくのだろうか。
長年母でも崩せなかった彰子の心を易々と掴んだだけでも倫子としてはざわざわするものを感じると思うのに、この上夫とも何かあるの?とロックオンされたらめっちゃ怖いだろうなー。それなのに無礼講しすぎちゃった道長笑。わざわざみんなの前で呼び出して詩なんかよませちゃったりして。俺の彼女頭いいんだぜーとでも言いたげな感じが笑えた。しかも隣に座って返歌なんかしちゃったりして見せつけるよねー。道長は立場があるし別にどうってことないかもしれないけど少しは藤式部のことも考えてほしいわ。
今の世の中は無条件に若者を持ち上げるけど、古代ローマだって、日本の貴族だって、政はそれなりに経験を積んだ者が、それなりの地位に就く。国が乱れるのは、大概それを飛び越える若者が現れた時。その者に本物の才があればいいけど、そんな例はほぼない。藤原伊周は父道隆の力もあり、あまりに若くして官位を上り過ぎた。一条天皇は更に若かったし、少し上の伊周が兄のように見えていた頃は良かっただろうけど、横暴ならば邪魔になるだろう。なので道長に帰着するのは必然だったのだと思う。道兼はまさに因果応報というべきだね。
雅で優雅で豊かで美しくて艶やかで。道長とまひろのやり取りを見ているとそんな形容詞が次々と頭をよぎる。文を従者が持って訪れ、その返信を持って主人のところへ戻る。長々と書くのではなく和歌や漢詩に想いを乗せて運ばれる。当然教養が必要で、そういえばまひろが代筆してたなと懐かしく思う。今より短い人生だっただろうに、なんと豊かで濃密な時間の過ごし方をしていたのだろうと一種の憧れすら持ってしまう。自由を求めた直秀はもういないし、宮中では陰謀がめぐらされていて。まひろの言葉が道長の腹をくくらせただろうか。謀略の中の道長は今までとは違って表情が引き締まって見えた。
まひろとききょうのシーンはなんともヒリヒリした感じで、実際もあのようであったのではないかと思ってしまった。
最初は穏やかに褒めるところから入って、最後には恨んでいるとかなり強い調子で。それを受けるまひろの表情にも見入ってしまった。
毎度恒例になった感のある伊周の呪詛だが、いよいよ大事になり表に出た。
昔、呪詛というのは、世間が狭く、呪詛されているという風聞が本人に入ることで成り立っていたと聞いたことがある。
ある意味、伊周が狂気の表情で道長の前で呪符をばらまくシーンが一番効き目がありそうだと思った。
和泉式部登場で藤壺がさらに華やかに艶やかになったし、中宮様も表情豊かに自信も出てこられたように見える。
道長に少しずつ影が見えてきていて、結構近いところで火種がありそうだし、次にどうなるのか本当に楽しみなドラマだ。
まひろと道長の川辺のシーンはこれぞソウルメイトといういいシーンでしたね。どこかの屋敷の中ではなく昔幼い2人が出会ったような川辺、また生気を失った道長には三途の川の前にも見えました。最後に会いたいのはまひろということでしょう。女として愛する人の近くでたくさんの子を産み弱った時には看病もできる正妻がいいのか、どこにいても心が通じ合いいざという時思い出してもらえるソウルメイトがいいのか‥悩みます。道長がこんなにいい男だったら、の話ですがね。
ずっと思い合ってきた2人がここで見納め。これ以上手に入らないお方とって言っていたけれどそれは自ら望んだことだしまだそばにいたければなんとでもなったと思う。自分なら名残惜しくてこんなふうに綺麗に身を引けるだろうかと考えてしまう。ここが道長が惹かれた芯の強さなのだろう。それにしても道長がここで人生を見失って出家となるのはちょっと色ボケしすぎてないか?こんなに深い思いを残して去っていくなんて察しのいい倫子は居た堪れないと思う。
藤原道綱の母と紫式部の邂逅ですか。清少納言ともそうだけど、そんなに簡単に後の有名人と知り合うのはご都合主義かな。いずれにしても道綱の母は兼家の妻だし、まひろからすれば母を殺した男と愛した男の母親とライバルだった人。実際にはあんな手放しで会えたことを喜べる相手なのでしょうか。もう少し複雑な感情があってもよさそうな気がします。また「蜻蛉日記」を読めばわかるけど、性格にはだいぶ難のある人だと思うし。石山寺は後に紫式部が「源氏物語」を書き始めた地ともいわれるし、それと繋がる印象的なエピソードが欲しかったという脚本家の意図はわかるので、まあ良しとしましょう。
男どもがあれこれ女性について語り合うところは、まさに似たような場面が「源氏物語」の中にありましたね。それを想起させる面白いシーンでした。打毬ですが、ポロみたいな競技ですね。これは役者さんたちが頑張っていると思います。馬に乗りながら杖を振るって毬を打つのは、相当に練習しないと形にならないと思いますし、作法なのか、それぞれ打った後の形がほぼ同じでした。そして穢れについてようやく触れていましたが、まひろの母を自らの手で殺害した道兼の行為が、いかに蛮勇か、もっと前に説明していた方が良かったと思います。